アイシ×おお振り×セカコイ【お題:春5題 夏5題 秋5題 冬5題】

【秋/夕陽に染まる街】

「はい。ありがとうございます。」
セナは受話器を握りながら、穏やかに笑っているように装った。
表情が暗く沈んでしまっているが、電話の相手には見えないはずだ。
だが彼のことだから、そんなセナの様子などバレてしまっているかもしれない。

セナは現在NFLで、シーズンを過ごしている。
毎週日曜日には試合、それ以外の間は念入りな練習と調整。
まさにアメフト漬けの日々だ。
だがどんなに忙しくても疲れていても、ヒル魔と電話で話すのは忘れない。

NFLは2つのカンファレンス、合計32チームからなる。
レギュラーシーズンを戦うが、プレーオフに進めるのは各カンファレンスの上位6チームだ。
その6チームがポストシーズンを戦い、それぞれのカンファレンスの1位を決定する。
その1位同士が戦う試合が、最高峰のステージ。スーパーボウルだ。

セナが所属するチームは未だにプレーオフに進出したことがない。
だがそれは別におかしいことではなかった。
何せヒル魔が立ち上げたこのチームは歴史が浅いどころではない。
まだ出来たばかりなのだ。
それでも毎年ポストシーズンまであと少しのところまで食い込むので、注目されていた。

だが今年は圧倒的に去年より悪かった。
レギュラーシーズンは半分以上過ぎ、数字的にはまだポストシーズンに残れる可能性はある。
だが実際にはほぼ不可能だろう。
セナのチームが残りの試合に全て勝ち、上位チームが負け続けてくれなくてはならないのだ。

『セナはよくやってる。今年は運がなかったな。』
電話の向こうのヒル魔は穏やかな声でそう言った。
だが内心はきっと悔しいはずだ。
今年はチームオーナー兼監督のヒル魔が、チームに帯同していない。
メディアはチームの不振はそのせいだと書き立てていた。

セナだって悔しくて仕方がない。
ヒル魔はあと何回スーパーボウルを見られるかわからないのだ。
とにかくそこで走る自分の姿を、1回でも多く見せたいのに。

『とにかく残りの試合、頑張れ。全部勝つつもりで行けよ。』
「はい。ありがとうございます。」
セナは受話器を握りながら、穏やかに笑っているように装った。
表情が暗く沈んでしまっているが、電話の相手には見えないはずだ。
だが彼のことだから、そんなセナの様子などバレてしまっているかもしれない。

セナはふとカフェ「デビルバッツ」の光景を思い浮かべた。
阿部と三橋が切り盛りし、奥のテーブルではヒル魔がパソコンを叩いている。
今日本は夕方、窓からは夕陽に染まる街が見えるだろう。
早くあの場所へ帰りたい。

セナは両手でバシバシと頬を叩いて、切ない気持ちを振り払った。
まだまだ戦いは残っている。
弱気になっている暇などない。

*****

「木佐さんだって、いつもヒル魔さんを見てるじゃないですか!」
思いも寄らない雪名の剣幕に、木佐は驚いた。

きっかけはささいなことだった。
会社から帰った木佐は、雪名が待つ自宅へ急ぐ。
今日の雪名は書店もカフェもバイトは休みだと聞いている。
木佐も修羅場があけたばかりで、帰宅時間が早い。
久しぶりに2人でのんびりした時間が過ごせると思っていたのだ。

だが夕陽に染まる街を早足で帰宅したのに、雪名はいなかった。
そして木佐の携帯電話には「ちょっと遅くなります」とメールが入る。
雪名が帰宅したのは、木佐が帰った1時間後だ。
そしてタッパーに詰められた2人分の食事を持ち帰っていた。

「食事の支度しなくてすみません。でも三橋さんが夕飯にって持たせてくれました。」
雪名が申し訳なさそうにそう言った。
食事の支度がないことなど、木佐は少しも気にならない。
だが三橋の名前を耳にしたとき、怒りがこみ上げた。
今日はバイトは休みだったはずなのに、なぜ三橋と会う必要があったのか?

「何で?今日、休みだったんだろ?」
「今日は客でメシ食いに行ったんです。そうしたら店に飾る絵を頼まれて。すごいでしょ!」
雪名は絵の依頼をされたことでテンションが上がっているようだ。
木佐の不機嫌の理由、そもそも不機嫌であることさえ気付かないようだ

「そんなこと言って、本当はあの三橋って人に会いたかっただけなんじゃねーの?」
口をついて出た言葉が思い切り皮肉っぽくなっていたことに、木佐は動揺した。
年上の貫禄を見せて、冗談めかして言うつもりだったのに。

「何でそんなことを言うんです?」
「だってお前、あの人とすごく仲がいいじゃないか。」
「誤解です!それならば木佐さんだって。。。」
「俺が何だよ?」
「木佐さんだって、いつもヒル魔さんを見てるじゃないですか!」

思いも寄らない雪名の剣幕に、木佐は驚いた。
確かにカフェ「デビルバッツ」に行けば、いつもヒル魔を目で追っていた。
だが単に憧れている綺麗な人を見ていただけの話だ。

「確かに見てたけど、別にやましい気持ちなんかない。」
「俺だってそうです!三橋さんのことは尊敬してるけど、特別な気持ちなんかないです。」
「ヒル魔さんのことを気にしてたんなら、俺に聞いてくれればよかったのに。」
「そんなの怖くて聞けませんよ。」

結局それ以上この話をすることもなく、雪名が持ち帰った料理を食べた。
雪名が感じていた不安、そして木佐自身が感じていた嫉妬。
それが2人の間に微妙な影を落としている。
せっかくの三橋の心尽くしのメニューも、微妙な雰囲気を払拭してくれなかった。

*****

「やった!」
三橋は小さくそう呟くと、ガッツポーズをした。
目の前のパソコン画面には「つくれぽ、100人おめでとう!」と表示されている。

久しぶりの休日、三橋はカフェの2階の自分の部屋にいた。
見ていたのは、インターネット上の料理のレシピを掲載しているサイトだ。
プロの料理人が監修したものではなく、素人でも簡単にオリジナルレシピを投稿できる。
中には凝ったプロ仕様の料理もあるが、基本的には主婦が簡単に家庭で作れるものが多い。

三橋は「デビルバッツ」という登録名で、ここにいくつものレシピを載せていた。
そして店のホームページにもそのことは明記している。
つまりカフェ「デビルバッツ」のレシピのいくつかは、ここで見ることができるのだ。

発端は店の常連客からレシピを聞かれることが増えたことだ。
三橋は特に隠すことなく、問われるままにメニューのレシピを教えた。
ヒル魔や阿部には「一応企業秘密なんだぞ」と呆れられるほどだ。
だがやはり口で教えると、どうしても細かい分量や工程は大雑把になる。
教えてもらった通りに作ったけど、店で出るメニューと同じにならないとよく言われた。

また出版社からレシピ本を出さないかという依頼もあった。
カフェ「デビルバッツ」は口コミで、安くて量が多くて美味いと話題になっていたのだ。
だがこれは三橋がことわった。
本の製作工程の説明を聞くと、なかなか時間を取られることがわかったからだ。
その労力は新メニューの開発とか、店の味をより向上させることに使いたい。

そんな時に見始めたのが、この料理サイトだった。
多くのオリジナルレシピを見るのは勉強になるし、新しいレシピを思いつくヒントにもなる。
カフェ「デビルバッツ」のメニューを載せたいと思うようになるのに時間はかからなかった。
ヒル魔や阿部は「金を取った方がいいのに」と呆れ顔だったが、反対はしなかった。
ここでレシピを載せることは、店の宣伝にもなるからだろう。

そして今日、三橋は先日載せたばかりのレシピを確認していた。
このサイトには、掲載したレシピを実際に作った人が感想を載せる機能もある。
単に美味しかったと喜んでもらえるだけではない。
こんなアレンジをしたというアイディアがあったりして、三橋にとってはためになることばかりだ。

数日前に載せたばかりのレシピには「つくれぽ100人おめでとう!」という表示がついていた。
すでに100人以上のコメントが書き込まれていたのだ。
三橋の背後からパソコンを覗きこんだ阿部が「お!もう100人か」と声をかけてくれる。
そして三橋の頭に手を置くと、わしゃわしゃと髪をかき回した。
まるで怒っているのかと言いたくなるほど乱暴で、三橋の細い髪はこれで随分痛んでいると思う。
だがこれは阿部なりに褒めてくれている行動で、評価が高い時ほど力は強くなるのだ。

「でもあんまりいっぱい載せるなよ。店に客が来なくなる。」
「大丈夫。載せてるのは、ほんの一部だし、簡単なヤツ、ばかり!」
三橋は笑顔でそう答えた。
ここに載せているのは、微妙な火の通し方や繊細な味付けが不要なものばかり。
もっと言うなら誰が作っても美味しくて、金を取っていいのかと三橋は真剣に悩んでいるものだ。
だからこそ確実な店のPRになる。

「頑張って、売り上げ、伸ばす!」
三橋が元気にそう言うと、阿部は「そうだな!」と力強く答えた。
セナのスーパーボウルに比べたら、実にささやかな目標かもしれない。
だが2人にとっては大きな、そして大切な夢だった。

*****

「俺は特にこの絵が好きかな。」
阿部が1枚の絵を指差した。
それを聞いた雪名は思わず「え?」と声を上げていた。

阿部は雪名の部屋に来ていた。
木佐と同棲しているあの部屋ではなく、雪名が大学生の頃から住んでいる部屋だ。
雪名はここをアトリエとして使っているそうだ。
油絵はどうしても独特の匂いがある。
だから作業をしたり絵を保存したりする場所として、部屋を借り続けている。

「埃っぽくて、すみません。」
雪名は阿部を部屋に招き入れるなり、詫びた。
忙しいので掃除が行き届いていないのだという。
阿部は「別に気にならないよ」と答えて、笑った。

阿部は雪名の絵を見に来たのだ。
今までに描き溜めた絵の中から、新店舗に飾る絵を選ぶ。
いっそ内装も絵のイメージで決めてしまおうかとさえ思っている。

「木佐さんの絵が多いね。」
阿部は率直にまず思ったことを口にした。
常連客である木佐と雪名が恋人同士であることは知っている。
はっきりと誰かから聞いたわけではないが、2人の雰囲気を見れば丸わかりだ。
長いこと接客業をして、カップルもたくさん見た阿部の目は隠せない。

「俺は特にこの絵が好きかな。」
阿部が1枚の絵を指差した。
それを聞いた雪名は思わず「え?」と声を上げていた。
美大時代に教授に「無駄にキラキラしてる」とダメ出しされた絵だった。

「あれ?変なことを言ったかな?」
「いえ。これ美大時代に評判が悪かったんですよ。」
「そうなんだ。俺はいいと思うけど」

阿部は表面的には冷静なまま、内心は苦笑していた。
もちろん絵画的な価値など、阿部には全然わからない。
実はこの絵はかつて三橋が描いたあの手製の投球練習場の的のガイコツに似ていたのだ。
この絵が店に飾られていたら、かつての仲間たちはきっと喜ぶだろう。

「これは絶対、店に飾りたいな」
阿部はそう言いながら、他の絵も順に見ていく。
雪名は「そうですか?」と納得いかない様子だったが、それ以上は何も言わなかった。

*****

「大丈夫ですか!?」
耳元で叫んでいるであろう声が、切れ切れに掠れて聞こえる。
意識が遠くなり、窓から見える夕陽に染まる街がグニャリと歪んだ。

カフェ「デビルバッツ」の客席でノートパソコンを叩いていたヒル魔は、手を止めた。
店に入ってきたのは、よく知っている常連客。
そして最近気になっているカップルの片割れだ。
その青年-木佐が窓際のテーブルに座った。
ヒル魔はノートパソコンを閉じると、小脇に抱える。
そしてつかつかと木佐のテーブルへと向かった。

「雪名は今阿部と出てる。戻ってくるまでもう少しかかるぞ。」
「え?そうなんですか?」
「座っていいか?」
木佐が頷くのを確認すると、ヒル魔はテーブルを挟んだ向かいの席に腰を下ろした。
そしてノートパソコンを開くと、どこか身構えた表情の木佐に画面を向けた。
怪訝そうに画面を覗き込んだ木佐は、小さく「あれ?」と声を上げた。

「この人、このお店のギャルソンの」
「そう。セナ。俺の恋人だ。」
画面には表示されているのは、NFL関係のトピックスを伝えるサイトだった。
ユニフォーム姿のセナがヘルメットを抱えて、フィールドに立っている写真が載っている。

「お店にいるのと全然違う。カッコいいですね。」
木佐に驚いたように画面を凝視しながら、そう言った。
ヒル魔は得意気に「そうだろ?」と答えた。
それを聞いた木佐は意外そうな表情になった。

「ヒル魔さんって、そういうノロケを言う人なんだ。」
「ああ。王子様でもアイドルでもない。ただの男だ。」
ヒル魔は事もなげにそう言った。
木佐がヒル魔に抱いているイメージは、勝手な幻想なのだ。
だから木佐は迷わずに雪名を見ていればいい。
それをわからせるために、わざとセナの話題を切り出してみた。

だが次の瞬間、ヒル魔は激しい動悸と眩暈を感じて胸を押さえた。
発作だ。しかもいつもよりも激しい。
木佐がヒル魔の異変に気付いて、何かを叫んでいる。
その声に気付いた三橋が厨房から走り出てきた。

「大丈夫ですか!?」
耳元で叫んでいるであろう声が、切れ切れに掠れて聞こえる。
意識が遠くなり、窓から見える夕陽に染まる街がグニャリと歪んだ。

「セナには知らせるな」
ヒル魔は最後の力を振り絞って、そう怒鳴った。

【続く】
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