アイシ×おお振り×セカコイ【お題:春5題 夏5題 秋5題 冬5題】
【秋/落ち葉並木道】
いいのかな。
セナはなんとも微妙な表情で、スマートフォンの画面をスクロールさせていた。
小早川セナはアメリカにいた。
NFLはシーズンに突入し、ハードな毎日が続いている。
つらくて日本に逃げ帰りたくなることもあるが、やはりフィールドを走るのはいい。
しかもまだシーズン序盤ではあるが、充分にスーパーボウルを狙える位置にいる。
今日の試合は、すごく調子が良かった。
嘘のように身体が動いて、相手チームのディフェンスが止まっているようにさえ見えた。
本当にごくたまにこんな日がある。
一流選手にはそういうことがあると聞いたことがあるが、もしそれならば嬉しい。
遠征先のホテルの部屋に戻ったセナは心地よい充実感を感じながら、スマートフォンを見た。
恋人のヒル魔からメールが来ており、今日の試合に関する感想が書かれている。
概ね褒めてくれているが、ダメ出しも少々。
第2クォーター開始7分後のランがなどと具体的な指摘もある。
セナは思わず「細かいなぁ」と苦笑をもらした。
今のヒル魔とセナの関係は、単に恋人というだけではない。
セナが所属するチームは「ラスベガス・デビルバッツ」。
ヒル魔は夢を果たし、ついにNFLにチームを持ったのだ。
セナはそのチームで、ランニングバックを務めている。
つまりヒル魔とセナは、チームオーナーと契約選手という雇用関係もあるのだ。
だから細かいダメ出しは、ヒル魔の当然の権利とも言えるだろう。
それにいちいちもっともな指摘で、今後のプレーにも役立つものばかりなのだ。
長いメールの最後に、ヒル魔はプライベートなことを書いていた。
カフェ「デビルバッツ」は阿部と三橋に「ラスベガス・デビルバッツ」チームはセナに譲る。
まるでついでのように書かれた一言は、あまりにも莫大な金額の贈与を意味する。
いいのかな。
セナはなんとも微妙な表情で、スマートフォンの画面をスクロールさせていた。
アメフトチームはヒル魔の生きた証のようなものであり、その運営を引き継ぐことに異論はない。
だが実際に名義を自分のものにするのは抵抗がある。
ヒル魔がいなくなってしまうことを意識してしまうというだけではない。
それに元々平凡な小市民であるセナは、身の丈に合わない金額の贈り物に戸惑ってしまうのだ。
きっと阿部と三橋も、同じ理由で困惑しているのではないだろうか。
だがとにかく今はシーズンに集中するだけだ。
セナはメールを開いたまま、ポータブルDVDに今日の試合のディスクをセットする。
ヒル魔が指摘したプレイを確認して、明日の練習に生かさなくてはならない。
*****
「雪名、くん、素質、ある!」
三橋は感嘆して、思わず大きな声を上げる。
雪名も同じくらい大きな声で「マジすか?」と喜んだ。
三橋はアルバイト採用することになった雪名に、厨房の仕事を教えていた。
もちろん仕事の主な内容は調理だ。
雪名は自分自身の料理の腕前を「料理はするけど、下手」と言った。
それでもどちらかといえば、ホールよりも厨房の仕事がしたいという。
雪名の料理は、俗に言う男の料理と言うヤツだった。
豪快に切って、焼いて、盛り付ける。
それなりに美味しく出来ているが、金を取れるレベルではなかった。
だがさすが美大の卒業生、手先は器用だ。
それにやる気がある分、飲み込みも早かった。
何より特筆すべきはその美的センスで、時に三橋も思いつかない美しい盛り付けを披露する。
「雪名、くん、素質、ある!」
三橋は感嘆して、思わず大きな声を上げる。
雪名も同じくらい大きな声で「マジすか?」と喜んだ。
綺麗な顔をしているが、こんな表情はまるで子供のようだ。
「ありがとうございます!でも三橋さんの教え方が上手だからですよ。」
雪名は眩しいほどの笑顔で、礼を言った。
辺り一面にキラキラオーラが巻き散らかされるようだ。
三橋はその剣幕にたじろぎながら「ありがと」と礼を返した。
実は雪名がバイトを始めてから、雪名目当ての女性客が増えている。
だから阿部は雪名をホールに置きたがった。
だが三橋はなるべく雪名を厨房に入れて欲しいと言い張った。
雪名は好きな人のために料理の腕をあげたいと願っていると思ったからだ。
本人から直接聞いたわけではないが、雪名の雰囲気からそう感じ取れた。
「今日は、このあと、ホールで、阿部くんを、手伝ってください。」
ランチタイムがピークを過ぎた頃、三橋は雪名にそう言った。
混雑するランチの時間は、人手が足りない厨房要員。
だが午後のまったりした時間には、雪名はホール担当になる。
三橋と阿部と雪名の希望を考慮した結果の分担だ。
「はい。ありがとうございました!」
礼儀正しく頭を下げて、雪名は厨房を出て行く。
その後ろ姿を目で追いながら、三橋は「よし!」と小さく声を上げた。
若くて前向きな雪名と話した後、三橋はいつも無意識に自分に気合いを入れている。
元気を分けてもらったような気になり、自分も頑張らなくてはいけないと思うのだ。
*****
「2つとも採用させてもらいます。」
阿部が笑顔でそう言ってくれたので、雪名はホッと胸を撫で下ろした。
「雪名君、メニューを描いてくれる気はないかな?」
雪名がカフェ「デビルバッツ」のバイトに慣れてきた頃、阿部にそう言われた。
客席の各テーブルに置くメニューをデザインして欲しいらしい。
おそらく美大卒という雪名の経歴を見た上での依頼だろう。
「もちろんバイト代に上乗せするよ。今までにもいろいろしてもらったし」
阿部は押し付けがましくない口調でそう言って、金額も言い添えた。
それはアルバイトとしてはかなり割りのいい金額だ。
今までにもいろいろ、というのは雪名が勝手に持ち込んだ装飾品のことだ。
ちなみに今はガラスの小瓶に落葉を詰めたものを、各テーブルに飾っている。
楓とイチョウの赤と黄色を美しいグラデーション。
駅からこの店に来る途中の並木道の落ち葉だ。
カジノ風のアメリカンスタイルの内装は、カッコいいが男っぽ過ぎる。
この小さな秋が詰まった小瓶が、店内に季節感とやわらかさをもたらしていた。
「ぜひやらせてください!」
雪名は2つ返事で快諾した。
専門の油絵ではないが、絵の仕事ができる。
しかも大好きなカフェ「デビルバッツ」のメニューとあっては、やる気も倍増だ。
そして10日程経過した今日、雪名は阿部に2種類のメニューを提示した。
「これで、どうすか?」
雪名がテーブルの上に置いたのは、クリップで留められた10枚程のA4サイズの紙束が2冊。
阿部は1冊を手に取ると、1枚1枚丁寧に目を通している。
そして見終わるとテーブルに戻し、2冊目も同様に見る。
雪名は緊張のあまり、テーブルの下でギュッと手を握りしめていた。
1つは店内のカジノテイストにあわせたもの。
メニューのそこここにトランプやルーレットなどカジノを連想させるイラストを入れている。
そしてもう1つはカジノとは関係ない秋をイメージしたものだ。
全体的にセピア色でまとめられており、表紙は落ち葉が絨毯のように敷き詰められた並木道の絵だ。
雪名としてはどちらも会心の出来だが、阿部がどう思うかはわからない。
「2つとも採用させてもらいます。席数分作って時間帯で入れ替えようかな。」
阿部が笑顔でそう言ってくれたので、雪名はホッと胸を撫で下ろした。
そして緊張がほぐれると同時に沸いてきたのは、高揚感だった。
とにかく自分の作品が売れたのだ。
「雪名くんが有名になったら、プレミアがつくな。きっと」
阿部が冗談ではなく真剣な表情で言ってくれるのが嬉しい。
雪名は心の底からこの店でアルバイトをしてよかったと思えた。
*****
「何だ、あれ?」
思わず口をついて出た言葉には、自分でも驚くほど棘があった。
木佐は久しぶりにカフェ「デビルバッツ」に向かっていた。
前はいつだったっけ?と考え、2週間ほど前だったと思い出す。
担当の作家がスランプになった上に修羅場に突入したので、本当に忙しかった。
最後にカフェ「デビルバッツ」に来たのは、その前だ。
そのとき雪名はまだバイトを始めたばかりで、必死な様子で働いていた。
相変わらず通い同棲状態だったが、この2週間はほとんど雪名と話していない気がする。
今回の修羅場は格段にきつくて、もう帰れば食べて寝るばかりだったのだ。
雪名は雪名でカフェ「デビルバッツ」のメニュー作りを頼まれたとかで、忙しそうだった。
毎日のように遅くまで絵を描いたり、パソコンに向かったりしていた。
落ち葉の並木道を抜けて、店の前まで来た木佐は足を止めた。
夕暮れの中で2人の青年が店の前を掃除している。
店の前には桜の木があり、落ちた葉を片付けているのだろう。
1人はすっかり見慣れた立ち姿の雪名で、もう1人は見覚えがある店のスタッフだ。
フワフワとした茶髪のかわいい青年で、確か以前に律が「三橋さん」と呼んでいた気がする。
ちゃんと働いてるんだな。
木佐は黙々とほうきを動かす雪名を見て、そっと微笑んだ。
雪名には事前に来店することを知らせていない。
だから驚かしてやるつもりで、木佐はそっと近づいていく。
あえて電柱などの影を選びながら、見つからないように近づいた。
「う、おぉ!」
木佐が店まであと数メートルの距離まで近づいた瞬間、三橋がいきなり転倒した。
どうやら落ち葉に乗って、滑ってしまったらしい。
三橋が手にしていたちりとりの中の落ち葉が舞い上がり、尻餅をついた三橋へと降り注ぐ。
一瞬で三橋は色づいた落ち葉まみれになり、キョトンとした表情になった。
「だ、大丈夫ですか?」
一部始終を見ていた雪名が慌てて駆け寄るが、すぐに笑い出した。
三橋が「ごめん!せっかく、掃いたのに!」と慌てて立ち上がる。
雪名はコントみたいに見事にコケた三橋の姿がツボに入ってしまったらしい。
それでも懸命に笑いを堪えながら、三橋の髪や服についた落ち葉を払い始めた。
「怪我をしてないか確認した方がいいですよ。あとはやっておきますから」
雪名が三橋からほうきとちりとりを受け取る。
そして「ゴメンね」と声をかけて店に入っていく三橋を見送っている。
その表情にはまるで愛しい者を見守るような優しい色が見えた。
「何だ、あれ?」
思わず口をついて出た言葉には、自分でも驚くほど棘があった。
木佐はそのまま踵を返すと、落ち葉の並木道を抜けて戻って行った。
*****
「じゃあ新しいカフェのプラン、決まったのか」
「ええ。雪名くんに協力してもらおうかと思ってます。」
営業時間が終わった深夜、ヒル魔と阿部が向かい合っていた。
武蔵が隣の工事の見積もりも出してきたので、具体的な改装のプランを相談していた。
「向こうの母屋もカフェに、こちらとは違う雰囲気にしようと思うんです。」
隣の建物の母屋と離れをそのまま使用する。
南側で日当たりのいい母屋はカフェに、北側にある離れをカジノルームに。
そこまで話した阿部が申し訳なさそうに言葉を切って、ヒル魔を見た。
つまり今このホールにあるスロットマシンやピンボールなどのゲーム機を離れに移動させる案だ。
阿部はこれらのものに愛着があるヒル魔が難色を示すかもしれないと思っているのだろう。
ヒル魔が「悪くねーな」と答えると、阿部はホッとした表情になった。
「で、雪名に協力を頼むって、何だ?」
「雪名くんの絵を飾らせてもらおうかと。美大卒なら書き溜めた絵もあるでしょうし」
「なるほど。油絵だよな。うまくハマれば、いい雰囲気になるな」
「じゃあその線で進めます。また何かあったら相談しますんで」
ちょうど話が切れたタイミングで、三橋が賄いの食事を運んできた。
今日は野菜がたっぷり入ったシチューだ。
このところ気温が下がっているせいか、温かいメニューが多い。
そこには三橋のヒル魔の身体への気遣いが見える。
店の権利を譲ったことで、阿部と三橋は良い方に向かっているようだ。
阿部はどうやら店を今以上に繁盛させてやるという野心に燃えている。
三橋にも今以上に料理を極めようという意気込みが見える。
それは多分にあの若くて元気な新人アルバイト、雪名皇の影響もあるようだ。
それよりヒル魔が気になるのは、雪名の方だった。
聡いヒル魔は雪名がアルバイトに来る前から、木佐と雪名の視線には気付いていた。
ヒル魔のことをアイドルか何かのように熱く見つめる木佐と、それを嫉妬の眼差しで見る雪名。
そして先日、2階の窓から木佐と雪名を見た。
店前で転倒した三橋を助け起こす雪名と、それを見た木佐が慌てて引き返したあの1件だ。
「さて、どうしたもんか」
ヒル魔がポツリと呟くと、一緒に食事をしていた阿部と三橋が手を止めた。
三橋が慌てた様子で「不味い、ですか?」と聞いてくる。
ヒル魔は「いや、美味い」と答えると、阿部も三橋もホッとした表情になった。
木佐と雪名の幸せを見届けるのも、悪くないかもしれない。
店の権利は譲っても、カフェ「デビルバッツ」はヒル魔の大事な場所、そこで出逢ったのも縁だ。
ヒル魔は再びシチューを口に運びながら、つらつらと考えを巡らせた。
【続く】
いいのかな。
セナはなんとも微妙な表情で、スマートフォンの画面をスクロールさせていた。
小早川セナはアメリカにいた。
NFLはシーズンに突入し、ハードな毎日が続いている。
つらくて日本に逃げ帰りたくなることもあるが、やはりフィールドを走るのはいい。
しかもまだシーズン序盤ではあるが、充分にスーパーボウルを狙える位置にいる。
今日の試合は、すごく調子が良かった。
嘘のように身体が動いて、相手チームのディフェンスが止まっているようにさえ見えた。
本当にごくたまにこんな日がある。
一流選手にはそういうことがあると聞いたことがあるが、もしそれならば嬉しい。
遠征先のホテルの部屋に戻ったセナは心地よい充実感を感じながら、スマートフォンを見た。
恋人のヒル魔からメールが来ており、今日の試合に関する感想が書かれている。
概ね褒めてくれているが、ダメ出しも少々。
第2クォーター開始7分後のランがなどと具体的な指摘もある。
セナは思わず「細かいなぁ」と苦笑をもらした。
今のヒル魔とセナの関係は、単に恋人というだけではない。
セナが所属するチームは「ラスベガス・デビルバッツ」。
ヒル魔は夢を果たし、ついにNFLにチームを持ったのだ。
セナはそのチームで、ランニングバックを務めている。
つまりヒル魔とセナは、チームオーナーと契約選手という雇用関係もあるのだ。
だから細かいダメ出しは、ヒル魔の当然の権利とも言えるだろう。
それにいちいちもっともな指摘で、今後のプレーにも役立つものばかりなのだ。
長いメールの最後に、ヒル魔はプライベートなことを書いていた。
カフェ「デビルバッツ」は阿部と三橋に「ラスベガス・デビルバッツ」チームはセナに譲る。
まるでついでのように書かれた一言は、あまりにも莫大な金額の贈与を意味する。
いいのかな。
セナはなんとも微妙な表情で、スマートフォンの画面をスクロールさせていた。
アメフトチームはヒル魔の生きた証のようなものであり、その運営を引き継ぐことに異論はない。
だが実際に名義を自分のものにするのは抵抗がある。
ヒル魔がいなくなってしまうことを意識してしまうというだけではない。
それに元々平凡な小市民であるセナは、身の丈に合わない金額の贈り物に戸惑ってしまうのだ。
きっと阿部と三橋も、同じ理由で困惑しているのではないだろうか。
だがとにかく今はシーズンに集中するだけだ。
セナはメールを開いたまま、ポータブルDVDに今日の試合のディスクをセットする。
ヒル魔が指摘したプレイを確認して、明日の練習に生かさなくてはならない。
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「雪名、くん、素質、ある!」
三橋は感嘆して、思わず大きな声を上げる。
雪名も同じくらい大きな声で「マジすか?」と喜んだ。
三橋はアルバイト採用することになった雪名に、厨房の仕事を教えていた。
もちろん仕事の主な内容は調理だ。
雪名は自分自身の料理の腕前を「料理はするけど、下手」と言った。
それでもどちらかといえば、ホールよりも厨房の仕事がしたいという。
雪名の料理は、俗に言う男の料理と言うヤツだった。
豪快に切って、焼いて、盛り付ける。
それなりに美味しく出来ているが、金を取れるレベルではなかった。
だがさすが美大の卒業生、手先は器用だ。
それにやる気がある分、飲み込みも早かった。
何より特筆すべきはその美的センスで、時に三橋も思いつかない美しい盛り付けを披露する。
「雪名、くん、素質、ある!」
三橋は感嘆して、思わず大きな声を上げる。
雪名も同じくらい大きな声で「マジすか?」と喜んだ。
綺麗な顔をしているが、こんな表情はまるで子供のようだ。
「ありがとうございます!でも三橋さんの教え方が上手だからですよ。」
雪名は眩しいほどの笑顔で、礼を言った。
辺り一面にキラキラオーラが巻き散らかされるようだ。
三橋はその剣幕にたじろぎながら「ありがと」と礼を返した。
実は雪名がバイトを始めてから、雪名目当ての女性客が増えている。
だから阿部は雪名をホールに置きたがった。
だが三橋はなるべく雪名を厨房に入れて欲しいと言い張った。
雪名は好きな人のために料理の腕をあげたいと願っていると思ったからだ。
本人から直接聞いたわけではないが、雪名の雰囲気からそう感じ取れた。
「今日は、このあと、ホールで、阿部くんを、手伝ってください。」
ランチタイムがピークを過ぎた頃、三橋は雪名にそう言った。
混雑するランチの時間は、人手が足りない厨房要員。
だが午後のまったりした時間には、雪名はホール担当になる。
三橋と阿部と雪名の希望を考慮した結果の分担だ。
「はい。ありがとうございました!」
礼儀正しく頭を下げて、雪名は厨房を出て行く。
その後ろ姿を目で追いながら、三橋は「よし!」と小さく声を上げた。
若くて前向きな雪名と話した後、三橋はいつも無意識に自分に気合いを入れている。
元気を分けてもらったような気になり、自分も頑張らなくてはいけないと思うのだ。
*****
「2つとも採用させてもらいます。」
阿部が笑顔でそう言ってくれたので、雪名はホッと胸を撫で下ろした。
「雪名君、メニューを描いてくれる気はないかな?」
雪名がカフェ「デビルバッツ」のバイトに慣れてきた頃、阿部にそう言われた。
客席の各テーブルに置くメニューをデザインして欲しいらしい。
おそらく美大卒という雪名の経歴を見た上での依頼だろう。
「もちろんバイト代に上乗せするよ。今までにもいろいろしてもらったし」
阿部は押し付けがましくない口調でそう言って、金額も言い添えた。
それはアルバイトとしてはかなり割りのいい金額だ。
今までにもいろいろ、というのは雪名が勝手に持ち込んだ装飾品のことだ。
ちなみに今はガラスの小瓶に落葉を詰めたものを、各テーブルに飾っている。
楓とイチョウの赤と黄色を美しいグラデーション。
駅からこの店に来る途中の並木道の落ち葉だ。
カジノ風のアメリカンスタイルの内装は、カッコいいが男っぽ過ぎる。
この小さな秋が詰まった小瓶が、店内に季節感とやわらかさをもたらしていた。
「ぜひやらせてください!」
雪名は2つ返事で快諾した。
専門の油絵ではないが、絵の仕事ができる。
しかも大好きなカフェ「デビルバッツ」のメニューとあっては、やる気も倍増だ。
そして10日程経過した今日、雪名は阿部に2種類のメニューを提示した。
「これで、どうすか?」
雪名がテーブルの上に置いたのは、クリップで留められた10枚程のA4サイズの紙束が2冊。
阿部は1冊を手に取ると、1枚1枚丁寧に目を通している。
そして見終わるとテーブルに戻し、2冊目も同様に見る。
雪名は緊張のあまり、テーブルの下でギュッと手を握りしめていた。
1つは店内のカジノテイストにあわせたもの。
メニューのそこここにトランプやルーレットなどカジノを連想させるイラストを入れている。
そしてもう1つはカジノとは関係ない秋をイメージしたものだ。
全体的にセピア色でまとめられており、表紙は落ち葉が絨毯のように敷き詰められた並木道の絵だ。
雪名としてはどちらも会心の出来だが、阿部がどう思うかはわからない。
「2つとも採用させてもらいます。席数分作って時間帯で入れ替えようかな。」
阿部が笑顔でそう言ってくれたので、雪名はホッと胸を撫で下ろした。
そして緊張がほぐれると同時に沸いてきたのは、高揚感だった。
とにかく自分の作品が売れたのだ。
「雪名くんが有名になったら、プレミアがつくな。きっと」
阿部が冗談ではなく真剣な表情で言ってくれるのが嬉しい。
雪名は心の底からこの店でアルバイトをしてよかったと思えた。
*****
「何だ、あれ?」
思わず口をついて出た言葉には、自分でも驚くほど棘があった。
木佐は久しぶりにカフェ「デビルバッツ」に向かっていた。
前はいつだったっけ?と考え、2週間ほど前だったと思い出す。
担当の作家がスランプになった上に修羅場に突入したので、本当に忙しかった。
最後にカフェ「デビルバッツ」に来たのは、その前だ。
そのとき雪名はまだバイトを始めたばかりで、必死な様子で働いていた。
相変わらず通い同棲状態だったが、この2週間はほとんど雪名と話していない気がする。
今回の修羅場は格段にきつくて、もう帰れば食べて寝るばかりだったのだ。
雪名は雪名でカフェ「デビルバッツ」のメニュー作りを頼まれたとかで、忙しそうだった。
毎日のように遅くまで絵を描いたり、パソコンに向かったりしていた。
落ち葉の並木道を抜けて、店の前まで来た木佐は足を止めた。
夕暮れの中で2人の青年が店の前を掃除している。
店の前には桜の木があり、落ちた葉を片付けているのだろう。
1人はすっかり見慣れた立ち姿の雪名で、もう1人は見覚えがある店のスタッフだ。
フワフワとした茶髪のかわいい青年で、確か以前に律が「三橋さん」と呼んでいた気がする。
ちゃんと働いてるんだな。
木佐は黙々とほうきを動かす雪名を見て、そっと微笑んだ。
雪名には事前に来店することを知らせていない。
だから驚かしてやるつもりで、木佐はそっと近づいていく。
あえて電柱などの影を選びながら、見つからないように近づいた。
「う、おぉ!」
木佐が店まであと数メートルの距離まで近づいた瞬間、三橋がいきなり転倒した。
どうやら落ち葉に乗って、滑ってしまったらしい。
三橋が手にしていたちりとりの中の落ち葉が舞い上がり、尻餅をついた三橋へと降り注ぐ。
一瞬で三橋は色づいた落ち葉まみれになり、キョトンとした表情になった。
「だ、大丈夫ですか?」
一部始終を見ていた雪名が慌てて駆け寄るが、すぐに笑い出した。
三橋が「ごめん!せっかく、掃いたのに!」と慌てて立ち上がる。
雪名はコントみたいに見事にコケた三橋の姿がツボに入ってしまったらしい。
それでも懸命に笑いを堪えながら、三橋の髪や服についた落ち葉を払い始めた。
「怪我をしてないか確認した方がいいですよ。あとはやっておきますから」
雪名が三橋からほうきとちりとりを受け取る。
そして「ゴメンね」と声をかけて店に入っていく三橋を見送っている。
その表情にはまるで愛しい者を見守るような優しい色が見えた。
「何だ、あれ?」
思わず口をついて出た言葉には、自分でも驚くほど棘があった。
木佐はそのまま踵を返すと、落ち葉の並木道を抜けて戻って行った。
*****
「じゃあ新しいカフェのプラン、決まったのか」
「ええ。雪名くんに協力してもらおうかと思ってます。」
営業時間が終わった深夜、ヒル魔と阿部が向かい合っていた。
武蔵が隣の工事の見積もりも出してきたので、具体的な改装のプランを相談していた。
「向こうの母屋もカフェに、こちらとは違う雰囲気にしようと思うんです。」
隣の建物の母屋と離れをそのまま使用する。
南側で日当たりのいい母屋はカフェに、北側にある離れをカジノルームに。
そこまで話した阿部が申し訳なさそうに言葉を切って、ヒル魔を見た。
つまり今このホールにあるスロットマシンやピンボールなどのゲーム機を離れに移動させる案だ。
阿部はこれらのものに愛着があるヒル魔が難色を示すかもしれないと思っているのだろう。
ヒル魔が「悪くねーな」と答えると、阿部はホッとした表情になった。
「で、雪名に協力を頼むって、何だ?」
「雪名くんの絵を飾らせてもらおうかと。美大卒なら書き溜めた絵もあるでしょうし」
「なるほど。油絵だよな。うまくハマれば、いい雰囲気になるな」
「じゃあその線で進めます。また何かあったら相談しますんで」
ちょうど話が切れたタイミングで、三橋が賄いの食事を運んできた。
今日は野菜がたっぷり入ったシチューだ。
このところ気温が下がっているせいか、温かいメニューが多い。
そこには三橋のヒル魔の身体への気遣いが見える。
店の権利を譲ったことで、阿部と三橋は良い方に向かっているようだ。
阿部はどうやら店を今以上に繁盛させてやるという野心に燃えている。
三橋にも今以上に料理を極めようという意気込みが見える。
それは多分にあの若くて元気な新人アルバイト、雪名皇の影響もあるようだ。
それよりヒル魔が気になるのは、雪名の方だった。
聡いヒル魔は雪名がアルバイトに来る前から、木佐と雪名の視線には気付いていた。
ヒル魔のことをアイドルか何かのように熱く見つめる木佐と、それを嫉妬の眼差しで見る雪名。
そして先日、2階の窓から木佐と雪名を見た。
店前で転倒した三橋を助け起こす雪名と、それを見た木佐が慌てて引き返したあの1件だ。
「さて、どうしたもんか」
ヒル魔がポツリと呟くと、一緒に食事をしていた阿部と三橋が手を止めた。
三橋が慌てた様子で「不味い、ですか?」と聞いてくる。
ヒル魔は「いや、美味い」と答えると、阿部も三橋もホッとした表情になった。
木佐と雪名の幸せを見届けるのも、悪くないかもしれない。
店の権利は譲っても、カフェ「デビルバッツ」はヒル魔の大事な場所、そこで出逢ったのも縁だ。
ヒル魔は再びシチューを口に運びながら、つらつらと考えを巡らせた。
【続く】