アイシ×おお振り×セカコイ【お題:春5題 夏5題 秋5題 冬5題】
【夏/夏休み最終日】
「いいんだよ。三橋と一緒にいられれば。」
阿部は静かだが、きっぱりとそう言い切った。
西浦高校野球部は、10年振りに2度目の甲子園出場を果たした。
ちなみに前回の出場は阿部や三橋たちが2年生の時だ。
久々の快挙に、野球部のOBたちは大いに盛り上がっていた。
その余波はカフェ「デビルバッツ」にも及んでいる。
かつてのチームメイトたちが入れ代わり立ち代わり、頻繁に店に顔を出すからだ。
嬉しい気持ちを共有したいという思いは、みな同じなのだろう。
甲子園では残念ながら3回戦まで進んだところで破れた。
これは県立高校としては破格の快挙だ。
バックアップが整っている私立の強豪校と比べれば、何かと不利だからだ。
まだ現役の高校生であるなら、優勝を逃したことを悔しく思うかもしれない。
だが10年の年月経った今では、後輩たちが起こした奇跡はただただ嬉しい。
西浦高校が甲子園で敗退した夜、カフェ「デビルバッツ」では初代メンバーたちが集い、楽しく飲んでいた。
「田島も来たがってたんだけどな。」
花井が残念そうにそう言った。
現役のプロ野球選手である田島は、シーズン中にはなかなか会えない。
だがその他の初代メンバーは全員が顔を揃えている。
阿部と三橋は仕事中ではあるが、時々会話に参加して、楽しい時間を過ごしていた。
「もう阿部と三橋も堂々と顔を出していいんじゃない?」
大分酒が入った頃、阿部にポツリとそう言ったのは意外にも栄口だった。
こういう話題を切り出すのは、だいたい水谷あたりなのだが。
阿部と三橋の恋愛は、彼らが大学生の頃メデイアの話題に上り、広く知るところとなった。
それ以来2人は、西浦とは距離を置いている。
「当時は拒否反応を示した後輩もいたけどもうみんな忘れてるよ。覚えてたって今なら許してくれると思う。」
そこここで談笑していたかつてのチームメイトたちも、いつのまにかみな黙りこんでいる。
ギャルソンとして食事や酒を運びながら会話を楽しんでいた阿部は、驚いた。
だがすぐに「今のままでいいよ」と笑った。
「同性愛なんていくら時が経っても嫌なヤツは嫌だろ。ましてや10代のヤツらならなおさらだ。」
「それはそうかもしれないけど。」
「どんどん新しい後輩は入ってくるだろ?全員にわかってもらおうなんて無理だ。」
「でも」
「いいんだよ。三橋と一緒にいられれば。」
阿部は静かだが、きっぱりとそう言い切った。
栄口が厨房の方を見ると、静かに微笑む三橋と目が合った。
阿部も三橋も無理している風でもなく、自然な表情だ。
差別され苦しんだ末に、阿部と三橋が辿りついた結論なのだろう。
「阿部と三橋が幸せならば、それでいいや。」
栄口が笑顔でそう言うと、他のメンバーたちも頷き合う。
そしてまた元の雰囲気が戻り、全員が学生時代に戻ったように大いに笑った。
楽しい夏の夜は、賑やかに更けていった。
*****
「あのね。前にパパが結婚するまで私も結婚しないって言ったの、なしにして!」
夏休み最終日、日和は桐嶋と横澤にそう宣言した。
カフェ「デビルバッツ」に泊まった後、日和はいつもと違う夏休みを過ごしている。
祖父母の家にはほとんど行かず、家で過ごすことが多くなった。
その代わり時々自分の部屋に帰っていた横澤は、ずっと桐嶋家に居ついている。
3人で日和が作った食事を囲んだり、たまにカフェ「デビルバッツ」に出かけたりした。
祖父母に頼らない分1人の時間は増えたが、今の方が満ち足りていると思う。
夏休みの間、日和は桐島と横澤の関係について考え続けた。
2人がお互い好きなのは、やはり間違いないと思う。
だがそれを2人が打ち明けてくれるまでは、気づかない振りをすることに決めた。
桐島も横澤も日和のことを大事に思ってくれているのはよくわかる。
だから日和も2人を信じることにしたのだ。
2人の関係を話しても大丈夫だと思えば、桐島はいつかきっと話してくれるだろう。
そして日和はずっと考えていたことをいうことにした。
「あのね。前にパパが結婚するまで私も結婚しないって言ったの、なしにして!」
夏休み最終日、日和は桐嶋と横澤にそう宣言した。
今日は夕飯を食べにカフェ「デビルバッツ」に来ている。
3人で三橋の料理を食べながら、楽しい時間を過ごしていた。
以前日和は父が結婚するまで自分も結婚しないと言ったことがある。
だがもし桐島と横澤が思った通りの仲なら、日和は一生結婚できない。
それ以上に万が一にも日和のために2人が別れたりする事態は避けたかった。
「なんだ?どういうことだ?」
狐につままれたような表情の父親が、聞き返してくる。
横澤も不思議そうに日和を見ている。
日和は「えへへ」と笑いながら、隣に座る桐嶋と向かいに座る横澤を交互に見た。
「実は。ちょっといいなって思う人がいて。」
「はぁぁ?」
「多分その人と付き合うことはないと思うんだけど。先のことはわかんないけど。」
日和は懸命に言葉を選びながら、頬を赤らめた。
桐嶋と横澤の関係に余計な枷を嵌めたくないのが一番だが、気になる人物がいるのも嘘ではない。
「だから結婚するときは、パパの結婚なんか待たない!」
「ひよ、パパを置いていくのかよ。」
「横澤のお兄ちゃんがいるから、大丈夫でしょ?」
拗ねたような桐嶋に、日和は明るく言い放った。
横澤は「結婚の前にちゃんと紹介しろよ」と笑っている。
日和は横澤に「わかった!」と元気よくそう答えた。
これでいい。
2人には変な遠慮なんかさせたくない。
幸せになって欲しいと、日和は心からそう願った。
*****
「ひよの気になる人って、カフェ『デビルバッツ』の誰かかな?」
横澤は楽しそうに言った。
桐嶋がこんなに動揺している姿を見るのは、正直言って面白い。
「実は。ちょっといいなって思う人がいて。」
日和がそう言った時の桐嶋の顔は本当に見ものだった。
まるで子供が親にすがるような表情だ。
完全に親子関係が逆転している。
「俺、ひよに捨てられた。。。」
カフェ「デビルバッツ」から家に帰って、日和はもう寝てしまっている。
だが桐嶋は缶ビールを飲みながら、ひたすら嘆いていた。
横澤の存在が目に入っていない様子で、ブツブツとずっと何事か呟いている。
実の父親としては、日和の宣言は刺激が強すぎたのかもしれない。
横澤も正直なところ、日和の恋は気にならないはずはない。
だがそれ以上に1つ気になることがあった。
「ひよは俺たちのことに気づいてて、あんなことを言ったんじゃないのか?」
「ああ?」
「だから『パパの結婚を待たない』なんて言い出したんじゃないのか?」
「まさか。気づいてるならそう言うだろう。」
「俺たちに気を使って黙ってるのかもしれないだろう?」
「だったらそれに乗ってやればいいんだよ。」
横澤は桐嶋の言葉に一瞬驚いたが、すぐにため息まじりの苦笑をもらした。
確かに日和が気づいていようといまいと、この先取るべき態度を変える必要はない。
日和は余計な駆け引きなどする性格ではない。
気づいていると言わないのは、本当に気づいていないか、気づいていないと思って欲しいからだ。
だったらこちらもそれに従うだけなのだ。
だが桐嶋と日和の距離感はアンバランスで面白い。
桐嶋はこういうところは完璧に大人扱いなのに、恋愛話になるとオロオロと取り乱すからだ。
まったく子離れできているのか、いないのか。
「ひよが好きな男って、誰なんだ~!」
「先のことはわかんないって言ってたじゃねーか!」
「俺を置いていくのかよ。ひよは」
「ひよに置いていかれても、その、俺が、いるだろ。」
横澤が勇気を出して告げた言葉は、残念ながら震えてしまった。
顔も赤面してしまい、桐嶋の目を見ることが出来ない。
たったこれだけのセリフを言うだけなのに、どうしてこんなにオロオロしてしまうのだろう。
桐嶋にばかり言わせているから、たまには艶っぽい愛の言葉の1つでも言いたいと思ったのに。
多分日和くらいの歳の子の恋愛でも、もう少し気が利いているのではないだろうか。
だが桐嶋は驚いたように目を丸くして、横澤を凝視していた。
決まりが悪くなった横澤は、俯いてワナワナと唇を震わせた。
だがすぐに桐嶋は「フッ」と小さく笑い声を漏らすと、桐嶋の頭をクシャクシャとなでた。
それは桐嶋が日和によくやる仕草で、横澤も何度も見たことがある。
だが自分にされるのは初めてだった。
一瞬「子供じゃねーんだ」と文句を言ってやろうかと思った。
だがそれは言葉にならず、横澤は桐嶋のされるがままになっていた。
桐嶋の手は思いのほか心地よくて、いつまでもなでられていたいと思ったからだ。
こんな恋愛が自分には似つかわしいのだと、横澤は心の底からそう思った。
*****
「ひよに置いていかれても、その、俺がいるだろ。」
熊のような風貌の男から発せられた思いもよらない言葉。
それは桐嶋の心に甘く響いていた。
横澤の魅力は、ひとえに見かけと内面のギャップに尽きると思う。
暴れグマの異名を持ち、強面の男。
だがその内面は純情で、まるで乙女のようにウブなのだ。
だから桐嶋と横澤との恋愛は、いつも桐嶋が振り回す形で展開していた。
最近、これでいいのかと悩んだりもしていた。
こんなの純情なヤツを、自分のような子持ちの男が縛っていていいのかと。
嘘でも強引に自分からは引き離して、ごく普通の恋をさせてやるべきではないのかと。
1人の女を愛して、結婚して子供を作って死別という形で完結した桐嶋のかつての恋愛。
横澤にもそういう経験をさせてやるのが、本当の愛情なのではないか。
だが横澤は日和が結婚した後も自分がいるのだと言った。
桐嶋の葛藤など嘲笑うように、横澤がはっきりと未来も共にいるという意思表示をしたのだ。
それにしても、いい歳の男が恥らう姿がかわいいとは。
俺の目はイカれているのかもしれない、と桐嶋は苦笑した。
「なぁ今日の夜いいか?かわいいこと言うから、抱きたくなった。」
「ばっ。。。何言ってんだ!ひよがいるだろ?」
「もう寝てるさ。」
「やめろ!よせって!」
冗談めかしていったものの、桐嶋にも抵抗はある。
今すぐ抱きたいのは間違いないのだが、やはり日和がいるときに身体を重ねるのはまずい気がするのだ。
万が一にも声や気配が漏れて、日和に聞こえてしまったら。
やっぱりどうにも気になってしまう。
「どっか隣同士に住めるマンションでも捜そうか。」
「はぁぁ?」
「もしくは部屋に防音装置でも入れるかなぁ。」
「アンタ、大概にしとけよ。」
横澤はウンザリした顔をしているが、口元は微かに笑っていた。
これは最初の頃に比べたら、これは大進歩だ。
付き合い始めた当初の横澤なら、笑みを浮かべる余裕などなかっただろう。
まだまだ先は長い気がするが、一生付き合うつもりなのだからかまわない。
日和と横澤、愛しい2人の成長を見守っていく。
きっと楽しくて有意義な人生になるに違いない。
*****
「今日で夏休み最終日です。」
セナは静かにそう言った。
ヒル魔は静かに「そうだな」と頷いた。
まだまだ残暑が厳しい中、学生たちの夏休みが終わろうとしている頃。
セナの夏休みもまた終わろうとしていた。
本業はアメリカンフットボールの選手であるセナは、1年の半分はアメリカで過ごす。
だいたい夏の終わりに渡米して、秋はずっと調整だ。
冬にNFLシーズンを終えた後、日本に帰国する。
「パスポートでしょ、トラベラーズチェックと、あとは着替えとタオル。。。」
セナはカフェの2階の居室で、渡米のための荷造りをしていた。
とは言っても、アメリカでも部屋を借りており、生活品は揃っている。
持っていくのはごくわずかな身の回りの品物だけなので、すぐに終わる。
ヒル魔はベットに腰掛けたまま、そんなセナの様子を見守っていた。
ヒル魔もまたアメフトに関わる仕事をしており、NFLのシーズンには渡米する。
だがさすがに1年の半分となると、身体への負担が大きい。
つまり秋の間は、セナとヒル魔は遠く離れて過ごすことになる。
2人はもう何年もそのパターンを繰り返しており、どうしても夏の終わりは名残惜しい気持ちになる。
「学校も夏休みが終わるから、しばらく日和ちゃんの顔も見られなくなりますね。」
セナはしみじみとした口調でそう言った。
ヒル魔は「テメーはどのみちいないだろ」と答えた。
セナは明日の夜の飛行機で渡米するから、日和が店に顔を出したところで会えないのだ。
「ちょっと心配なんです。日和ちゃんってヒル魔さんのことが好きなのかなって気がしてて。」
「何を言ってる。まだ子供だろ。」
「女の子ですよ。」
セナは口を尖らせながら、そう言った。
もう10年以上も付き合っており、恋人というよりは夫婦のような関係ではある。
それでもやっぱり離れていれば寂しいし、嫉妬だってする。
「心配するな。セナ。おまえだけだ。」
ヒル魔は静かにそう言いながら、腰掛けているベットを右手でバンバンと叩いた。
隣に座れという合図だ。
セナは素直にそこに腰を下ろすと、ヒル魔の肩にそっと頭を乗せる。
ヒル魔が右手を回して、セナの身体をそっと抱き寄せた。
「俺がいなくても、トレーニングはサボるなよ。」
「何を言ってるんですか。1人の方がはかどりますから。」
2人はしっかりと寄り添ったまま、他愛無い会話を楽しんだ。
夏休み最終日。
2人のしばしの別れの秋は目前だった。
【続く】
「いいんだよ。三橋と一緒にいられれば。」
阿部は静かだが、きっぱりとそう言い切った。
西浦高校野球部は、10年振りに2度目の甲子園出場を果たした。
ちなみに前回の出場は阿部や三橋たちが2年生の時だ。
久々の快挙に、野球部のOBたちは大いに盛り上がっていた。
その余波はカフェ「デビルバッツ」にも及んでいる。
かつてのチームメイトたちが入れ代わり立ち代わり、頻繁に店に顔を出すからだ。
嬉しい気持ちを共有したいという思いは、みな同じなのだろう。
甲子園では残念ながら3回戦まで進んだところで破れた。
これは県立高校としては破格の快挙だ。
バックアップが整っている私立の強豪校と比べれば、何かと不利だからだ。
まだ現役の高校生であるなら、優勝を逃したことを悔しく思うかもしれない。
だが10年の年月経った今では、後輩たちが起こした奇跡はただただ嬉しい。
西浦高校が甲子園で敗退した夜、カフェ「デビルバッツ」では初代メンバーたちが集い、楽しく飲んでいた。
「田島も来たがってたんだけどな。」
花井が残念そうにそう言った。
現役のプロ野球選手である田島は、シーズン中にはなかなか会えない。
だがその他の初代メンバーは全員が顔を揃えている。
阿部と三橋は仕事中ではあるが、時々会話に参加して、楽しい時間を過ごしていた。
「もう阿部と三橋も堂々と顔を出していいんじゃない?」
大分酒が入った頃、阿部にポツリとそう言ったのは意外にも栄口だった。
こういう話題を切り出すのは、だいたい水谷あたりなのだが。
阿部と三橋の恋愛は、彼らが大学生の頃メデイアの話題に上り、広く知るところとなった。
それ以来2人は、西浦とは距離を置いている。
「当時は拒否反応を示した後輩もいたけどもうみんな忘れてるよ。覚えてたって今なら許してくれると思う。」
そこここで談笑していたかつてのチームメイトたちも、いつのまにかみな黙りこんでいる。
ギャルソンとして食事や酒を運びながら会話を楽しんでいた阿部は、驚いた。
だがすぐに「今のままでいいよ」と笑った。
「同性愛なんていくら時が経っても嫌なヤツは嫌だろ。ましてや10代のヤツらならなおさらだ。」
「それはそうかもしれないけど。」
「どんどん新しい後輩は入ってくるだろ?全員にわかってもらおうなんて無理だ。」
「でも」
「いいんだよ。三橋と一緒にいられれば。」
阿部は静かだが、きっぱりとそう言い切った。
栄口が厨房の方を見ると、静かに微笑む三橋と目が合った。
阿部も三橋も無理している風でもなく、自然な表情だ。
差別され苦しんだ末に、阿部と三橋が辿りついた結論なのだろう。
「阿部と三橋が幸せならば、それでいいや。」
栄口が笑顔でそう言うと、他のメンバーたちも頷き合う。
そしてまた元の雰囲気が戻り、全員が学生時代に戻ったように大いに笑った。
楽しい夏の夜は、賑やかに更けていった。
*****
「あのね。前にパパが結婚するまで私も結婚しないって言ったの、なしにして!」
夏休み最終日、日和は桐嶋と横澤にそう宣言した。
カフェ「デビルバッツ」に泊まった後、日和はいつもと違う夏休みを過ごしている。
祖父母の家にはほとんど行かず、家で過ごすことが多くなった。
その代わり時々自分の部屋に帰っていた横澤は、ずっと桐嶋家に居ついている。
3人で日和が作った食事を囲んだり、たまにカフェ「デビルバッツ」に出かけたりした。
祖父母に頼らない分1人の時間は増えたが、今の方が満ち足りていると思う。
夏休みの間、日和は桐島と横澤の関係について考え続けた。
2人がお互い好きなのは、やはり間違いないと思う。
だがそれを2人が打ち明けてくれるまでは、気づかない振りをすることに決めた。
桐島も横澤も日和のことを大事に思ってくれているのはよくわかる。
だから日和も2人を信じることにしたのだ。
2人の関係を話しても大丈夫だと思えば、桐島はいつかきっと話してくれるだろう。
そして日和はずっと考えていたことをいうことにした。
「あのね。前にパパが結婚するまで私も結婚しないって言ったの、なしにして!」
夏休み最終日、日和は桐嶋と横澤にそう宣言した。
今日は夕飯を食べにカフェ「デビルバッツ」に来ている。
3人で三橋の料理を食べながら、楽しい時間を過ごしていた。
以前日和は父が結婚するまで自分も結婚しないと言ったことがある。
だがもし桐島と横澤が思った通りの仲なら、日和は一生結婚できない。
それ以上に万が一にも日和のために2人が別れたりする事態は避けたかった。
「なんだ?どういうことだ?」
狐につままれたような表情の父親が、聞き返してくる。
横澤も不思議そうに日和を見ている。
日和は「えへへ」と笑いながら、隣に座る桐嶋と向かいに座る横澤を交互に見た。
「実は。ちょっといいなって思う人がいて。」
「はぁぁ?」
「多分その人と付き合うことはないと思うんだけど。先のことはわかんないけど。」
日和は懸命に言葉を選びながら、頬を赤らめた。
桐嶋と横澤の関係に余計な枷を嵌めたくないのが一番だが、気になる人物がいるのも嘘ではない。
「だから結婚するときは、パパの結婚なんか待たない!」
「ひよ、パパを置いていくのかよ。」
「横澤のお兄ちゃんがいるから、大丈夫でしょ?」
拗ねたような桐嶋に、日和は明るく言い放った。
横澤は「結婚の前にちゃんと紹介しろよ」と笑っている。
日和は横澤に「わかった!」と元気よくそう答えた。
これでいい。
2人には変な遠慮なんかさせたくない。
幸せになって欲しいと、日和は心からそう願った。
*****
「ひよの気になる人って、カフェ『デビルバッツ』の誰かかな?」
横澤は楽しそうに言った。
桐嶋がこんなに動揺している姿を見るのは、正直言って面白い。
「実は。ちょっといいなって思う人がいて。」
日和がそう言った時の桐嶋の顔は本当に見ものだった。
まるで子供が親にすがるような表情だ。
完全に親子関係が逆転している。
「俺、ひよに捨てられた。。。」
カフェ「デビルバッツ」から家に帰って、日和はもう寝てしまっている。
だが桐嶋は缶ビールを飲みながら、ひたすら嘆いていた。
横澤の存在が目に入っていない様子で、ブツブツとずっと何事か呟いている。
実の父親としては、日和の宣言は刺激が強すぎたのかもしれない。
横澤も正直なところ、日和の恋は気にならないはずはない。
だがそれ以上に1つ気になることがあった。
「ひよは俺たちのことに気づいてて、あんなことを言ったんじゃないのか?」
「ああ?」
「だから『パパの結婚を待たない』なんて言い出したんじゃないのか?」
「まさか。気づいてるならそう言うだろう。」
「俺たちに気を使って黙ってるのかもしれないだろう?」
「だったらそれに乗ってやればいいんだよ。」
横澤は桐嶋の言葉に一瞬驚いたが、すぐにため息まじりの苦笑をもらした。
確かに日和が気づいていようといまいと、この先取るべき態度を変える必要はない。
日和は余計な駆け引きなどする性格ではない。
気づいていると言わないのは、本当に気づいていないか、気づいていないと思って欲しいからだ。
だったらこちらもそれに従うだけなのだ。
だが桐嶋と日和の距離感はアンバランスで面白い。
桐嶋はこういうところは完璧に大人扱いなのに、恋愛話になるとオロオロと取り乱すからだ。
まったく子離れできているのか、いないのか。
「ひよが好きな男って、誰なんだ~!」
「先のことはわかんないって言ってたじゃねーか!」
「俺を置いていくのかよ。ひよは」
「ひよに置いていかれても、その、俺が、いるだろ。」
横澤が勇気を出して告げた言葉は、残念ながら震えてしまった。
顔も赤面してしまい、桐嶋の目を見ることが出来ない。
たったこれだけのセリフを言うだけなのに、どうしてこんなにオロオロしてしまうのだろう。
桐嶋にばかり言わせているから、たまには艶っぽい愛の言葉の1つでも言いたいと思ったのに。
多分日和くらいの歳の子の恋愛でも、もう少し気が利いているのではないだろうか。
だが桐嶋は驚いたように目を丸くして、横澤を凝視していた。
決まりが悪くなった横澤は、俯いてワナワナと唇を震わせた。
だがすぐに桐嶋は「フッ」と小さく笑い声を漏らすと、桐嶋の頭をクシャクシャとなでた。
それは桐嶋が日和によくやる仕草で、横澤も何度も見たことがある。
だが自分にされるのは初めてだった。
一瞬「子供じゃねーんだ」と文句を言ってやろうかと思った。
だがそれは言葉にならず、横澤は桐嶋のされるがままになっていた。
桐嶋の手は思いのほか心地よくて、いつまでもなでられていたいと思ったからだ。
こんな恋愛が自分には似つかわしいのだと、横澤は心の底からそう思った。
*****
「ひよに置いていかれても、その、俺がいるだろ。」
熊のような風貌の男から発せられた思いもよらない言葉。
それは桐嶋の心に甘く響いていた。
横澤の魅力は、ひとえに見かけと内面のギャップに尽きると思う。
暴れグマの異名を持ち、強面の男。
だがその内面は純情で、まるで乙女のようにウブなのだ。
だから桐嶋と横澤との恋愛は、いつも桐嶋が振り回す形で展開していた。
最近、これでいいのかと悩んだりもしていた。
こんなの純情なヤツを、自分のような子持ちの男が縛っていていいのかと。
嘘でも強引に自分からは引き離して、ごく普通の恋をさせてやるべきではないのかと。
1人の女を愛して、結婚して子供を作って死別という形で完結した桐嶋のかつての恋愛。
横澤にもそういう経験をさせてやるのが、本当の愛情なのではないか。
だが横澤は日和が結婚した後も自分がいるのだと言った。
桐嶋の葛藤など嘲笑うように、横澤がはっきりと未来も共にいるという意思表示をしたのだ。
それにしても、いい歳の男が恥らう姿がかわいいとは。
俺の目はイカれているのかもしれない、と桐嶋は苦笑した。
「なぁ今日の夜いいか?かわいいこと言うから、抱きたくなった。」
「ばっ。。。何言ってんだ!ひよがいるだろ?」
「もう寝てるさ。」
「やめろ!よせって!」
冗談めかしていったものの、桐嶋にも抵抗はある。
今すぐ抱きたいのは間違いないのだが、やはり日和がいるときに身体を重ねるのはまずい気がするのだ。
万が一にも声や気配が漏れて、日和に聞こえてしまったら。
やっぱりどうにも気になってしまう。
「どっか隣同士に住めるマンションでも捜そうか。」
「はぁぁ?」
「もしくは部屋に防音装置でも入れるかなぁ。」
「アンタ、大概にしとけよ。」
横澤はウンザリした顔をしているが、口元は微かに笑っていた。
これは最初の頃に比べたら、これは大進歩だ。
付き合い始めた当初の横澤なら、笑みを浮かべる余裕などなかっただろう。
まだまだ先は長い気がするが、一生付き合うつもりなのだからかまわない。
日和と横澤、愛しい2人の成長を見守っていく。
きっと楽しくて有意義な人生になるに違いない。
*****
「今日で夏休み最終日です。」
セナは静かにそう言った。
ヒル魔は静かに「そうだな」と頷いた。
まだまだ残暑が厳しい中、学生たちの夏休みが終わろうとしている頃。
セナの夏休みもまた終わろうとしていた。
本業はアメリカンフットボールの選手であるセナは、1年の半分はアメリカで過ごす。
だいたい夏の終わりに渡米して、秋はずっと調整だ。
冬にNFLシーズンを終えた後、日本に帰国する。
「パスポートでしょ、トラベラーズチェックと、あとは着替えとタオル。。。」
セナはカフェの2階の居室で、渡米のための荷造りをしていた。
とは言っても、アメリカでも部屋を借りており、生活品は揃っている。
持っていくのはごくわずかな身の回りの品物だけなので、すぐに終わる。
ヒル魔はベットに腰掛けたまま、そんなセナの様子を見守っていた。
ヒル魔もまたアメフトに関わる仕事をしており、NFLのシーズンには渡米する。
だがさすがに1年の半分となると、身体への負担が大きい。
つまり秋の間は、セナとヒル魔は遠く離れて過ごすことになる。
2人はもう何年もそのパターンを繰り返しており、どうしても夏の終わりは名残惜しい気持ちになる。
「学校も夏休みが終わるから、しばらく日和ちゃんの顔も見られなくなりますね。」
セナはしみじみとした口調でそう言った。
ヒル魔は「テメーはどのみちいないだろ」と答えた。
セナは明日の夜の飛行機で渡米するから、日和が店に顔を出したところで会えないのだ。
「ちょっと心配なんです。日和ちゃんってヒル魔さんのことが好きなのかなって気がしてて。」
「何を言ってる。まだ子供だろ。」
「女の子ですよ。」
セナは口を尖らせながら、そう言った。
もう10年以上も付き合っており、恋人というよりは夫婦のような関係ではある。
それでもやっぱり離れていれば寂しいし、嫉妬だってする。
「心配するな。セナ。おまえだけだ。」
ヒル魔は静かにそう言いながら、腰掛けているベットを右手でバンバンと叩いた。
隣に座れという合図だ。
セナは素直にそこに腰を下ろすと、ヒル魔の肩にそっと頭を乗せる。
ヒル魔が右手を回して、セナの身体をそっと抱き寄せた。
「俺がいなくても、トレーニングはサボるなよ。」
「何を言ってるんですか。1人の方がはかどりますから。」
2人はしっかりと寄り添ったまま、他愛無い会話を楽しんだ。
夏休み最終日。
2人のしばしの別れの秋は目前だった。
【続く】