アイシ×おお振り×セカコイ【お題:春5題 夏5題 秋5題 冬5題】
【夏/プールの誘惑】
セナは保冷剤を包んだタオルをヒル魔の額にそっと当てた。
ウトウトと眠っていたらしいヒル魔は微かに目を開けると「気持ちがいいな」と小さく呟いた。
夏の暑さのせいで、ヒル魔はすっかり体調を崩していた。
微熱が続き、もう何日もベットの上で過ごしている。
セナもヒル魔に付き添う形で、部屋でのんびりと過ごしていた。
カフェは営業しているが、阿部や三橋に任せておけばセナがいなくても問題ない。
階下からは客が談笑する声が、かすかに聞こえていた。
「下は賑やかだな」
「きっと日和ちゃんですよ。明日お父さんとプールに行くんだってはしゃいでましたから。」
つい今しがた、セナはヒル魔の熱を冷やす保冷剤を取りに店の厨房に入った。
そのときに客として来ていた日和が三橋に話しているのを聞いたのだ。
「プール、か。」
「ええ。暑い日が続いてますし、気持ちいいでしょうね。」
「そうだな。」
「それを聞いたレンくんもプールに行こうって、阿部くんにおねだりしてましたよ。」
「レンが?あいつはもういい大人だろうが。」
「日和ちゃんの話でプールの誘惑に捕まったみたいです。」
三橋のそういう子供のようなところは昔のままだ。
ヒル魔は呆れたような口調で揶揄したが、三橋のそういうところは気に入っている。
セナもそのことはよくわかっているから、ヒル魔を諌めるようなことは言わない。
「お前も行きたければ、レンたちと行ったらどうだ?」
「まさか。カップルの阿部くんとレンくんにくっついていくほど、無粋じゃありませんよ。」
「俺に付き合ってても、つまらないだろう?」
「僕はいいんですよ。ヒル魔さんの体調がよくなったら一緒に行きましょう。」
ヒル魔がプールで泳げるほど、回復するのかどうか。
2人ともそう思っているが、それを口に出すことはなかった。
セナは穏やかに笑うと、寝汗で乱れたヒル魔の髪を指で梳いて整える。
ヒル魔はセナのなすがままにされながら「少し眠る」と目を閉じた。
*****
「パパとね、横澤のお兄ちゃんと3人で行くの!」
桐嶋日和は、満面の笑顔でそう言った。
カフェ「デビルバッツ」の面々は「いいなぁ」とか「羨ましいな」と応じている。
夏休みになって、日和はカフェ「デビルバッツ」で過ごす時間が増えた。
普段なら自宅マンションから近い祖父母の家に行くことが多い。
一緒に昼食をとったり、仲良くおしゃべりをしたりする。
だが今年はあまり祖父母の家に行かないようにと父親に言われている。
日和は特に疑問に思うことなく、それに従った。
祖母は日和が訪問するたびに手の込んだ食事やおやつをたくさん用意している。
聡い日和は子供心に、気を使わせてることを申し訳なく思っていたのだ。
その代わりに週に何日かはこのカフェ「デビルバッツ」に来ている。
宿題をしたり、絵を描いたり、おしゃべりを楽しんだりするのだ。
スタッフたちは手が空いていれば、日和の相手をしてくれる。
何よりありがたいのは、たまに客として現れる姉崎まもりだ。
高校で教師をしているまもりは、宿題でわからないところを質問するとわかりやすく教えてくれた。
「私がお弁当を作りたいの。」
「3人分、だね!」
「うん。すごく美味しいのを作って、パパとお兄ちゃんを驚かせたいんだ。」
「うお!驚かせる!」
「レンお兄ちゃん、協力してくれる?」
「もちろん!」
ランチタイムが終わって、午後ののんびりした時間帯。
客席で日和の相手をしているのは、シェフの三橋だった。
明日プールに出かけるので、お弁当を作りたい。
日和は三橋にメニューの相談を持ちかけていたのだ。
「暑い、から、さっぱり、食べられる方が、いいのかな。」
「うん。でも2人ともよく食べるから、お肉とかお魚もたくさん入れたい。」
「特に、好き、とか、嫌いとか、ある?」
「何でも食べるよ。嫌いとかもない。」
倍以上も歳が離れた2人が、ガールズトークよろしく談笑している。
カフェ「デビルバッツ」のスタッフたちは、そんな2人を微笑ましい思いで見守っていた。
*****
「すごく美味いな、これ」
桐嶋禅は日和が用意した弁当を一口食べると、思わず呻いた。、
日和が「やったぁ!」と無邪気にはしゃいでいる。
遅れて弁当に箸を伸ばした横澤も「うん、美味い!」と太鼓判を押した。
日和がカフェ「デビルバッツ」のメンバーに予告したとおり。
桐嶋と横澤と日和は、夏場に開放されるプールが大人気の遊園地に来ていた。
プールサイドの一角にビニールシートを広げて、場所を取っている。
3人とももちろん水着姿で、楽しく泳いだり、日光浴を楽しんだ。
そして昼時、日和の力作である重箱入りの弁当が広げられた。
「レンお兄ちゃんに教えてもらったんだ。」
「あのカフェのシェフか?」
「うん。これからもいろいろ料理を教えてくれるって。」
「そりゃ楽しみだな。」
桐嶋は彩り美しく盛られた弁当に、次々と箸を進めていく。
かなりの量があるが、これならばあっさりと食べ切ってしまいそうだ。
「これならもう、ひよはいつでも嫁に行けるなぁ」
だが横澤が笑顔でそう言うと、桐嶋は箸を止めて目を剥いた。
まだまだかわいい娘を他の男にやるつもりなどない。
どうしてもこの話題に関してはどうしても余裕がなくなってしまう。
横澤がそんな桐嶋を面白がっているのだとは、よくわかっているのだが。
「冗談じゃねーぞ。まだまだ嫁になんかやらねーよ。」
「あと10年、15年かな。すぐだって!」
横澤が笑いを噛み殺しながら、桐嶋をからかうのを止めない。
多分日和が実際に結婚することになったら、横澤だって平静ではいられないだろうに。
「大丈夫。私はパパを1人残して、結婚なんかしないから。」
日和も会心の出来の弁当を頬張りながら、2人の会話に割って入った。
桐嶋はいったん横澤との会話を打ち切ると、日和の方に向き直った。
嫁にやるつもりはないが、一生独身でいられるのも困る。
まったく娘を持つ親の心は複雑だ。
「一生嫁に行かないつもりか?」
「ううん。結婚はパパの次。パパが新しい奥さんを見つけて結婚した後にする。」
「何だって?」
「だって心配じゃない。だから安心してパパを任せられる人がお嫁さんに来るまで結婚しない。」
桐嶋が横澤と付き合っている限り、結婚はない。
つまり桐嶋と横澤が2人で日和を嫁に出すという未来図はないということだ。
こんな場所で冗談のように語られた話など、真に受けるほうがどうかしていると思う。
だが桐嶋は動揺する気持ちを抑えるのに、必死だった。
日和は「だからパパ、早く結婚してよね」と無邪気に残酷な追い打ちをかけてくる。
横澤は強張った顔に懸命に笑顔を貼り付けて、弁当に箸を伸ばしていた。
桐嶋は「どうかな」と曖昧に誤魔化しながら、お茶と一緒に苦い思いを飲み込んだ。
*****
「パパの結婚が先、か。」
横澤は自嘲気味にそう言うと、ため息をついた。
桐嶋と日和のためなら、出来ることはなんでもしてやる覚悟はあるのに。
日和が望む桐嶋の幸せは、どう頑張っても横澤には無理だ。
日和の弁当を平らげた後、3人は何事もなかったように遊んだ。
泳いでいい場所では競争をしたり、円形の流れるプールで揺られたり、波のプールではしゃいだ。
だが横澤の心は晴れない。
桐嶋の幸せ。日和の幸せ。
どうしても自分は邪魔者であるような気がしてならなかった。
やがて時間は夕方になり、そろそろ帰る時間だ。
日和は最後にひと泳ぎしてくるからと飛び出していった。
横澤と桐嶋はシートに並んで腰をおろしたまま、のんびりと風に当たっていた。
「気にするなよ。子供の言ったことだ。」
2人だけになるや否や、桐嶋がそう言った。
さりげない口調だが、桐嶋なりに気遣ってくれているのがわかる。
横澤は「別に気にしてない」と短く答えたが、それが本心でないことは見抜かれているだろう。
「日和が大人になったら、俺たちのことを話す。」
「大人っていつだ?」
「高校卒業かな。それとも成人式か。」
「はぁぁ?」
桐嶋は日和が大人になったら、2人の関係を話すつもりらしい。
それは裏を返せば、少なくても日和が大人になるまで横澤と恋人同士でいるのだということだ。
あまりにも気の長い話に、横澤は唖然とするしかない。
だがそんなに想われているのかと思えば、悪い気はしなかった。
桐嶋は右手を伸ばすと、横澤の左手をそっと握った。
横澤は慌てて「おい!」と叫んで、辺りを見回す。
だが桐嶋は「誰も見てねーよ」と涼しい顔だ。
手を振り解こうとしたが、桐嶋はギュッと手を握って離そうとしない。
確かに誰も見ていないようだし、まぁいいか。
横澤は諦めて、手の力を抜いた。
先のことはわからないが、今はこのままでいい。
もう少しこの手に自分を預けておきたくなった。
ガラにもなくそんなことを思うのは、きっとプールの誘惑に当てられたからだ。
*****
「気分でも悪いのか?」
ヒル魔はぼんやりと佇んでいる少女の背中に声をかけた。
少女は振り返ると、涙で潤んだ瞳でヒル魔を見上げた。
何日も寝込んだ後、ようやく熱が下がったヒル魔は階下に降りた。
店はちょうど開店の準備中だったが、阿部も三橋も手を止めて喜んでくれる。
何か飲みますか?食べますか?と聞いてくる2人に、ヒル魔は少し風に当たるといって外に出た。
忙しい時間帯に、手を煩わせてしまうのは申し訳ないと思ったからだ。
久しぶりに外の空気に触れるのは、気持ちがいい。
寝込んでいたときには、セナが気を使ってエアコンと空気清浄機を使っていた。
だがやはり外の風の清々しさは格別だ。
夏の熱気でさえ心地よく感じて、ヒル魔は思わず目を細める。
大きく深呼吸をしたヒル魔は、花壇の前にまだ小学生くらいの少女がいるのを見つけた。
「気分でも悪いのか?」
ヒル魔はぼんやりと佇んでいる少女の背中に声をかけた。
少女は振り返ると、涙で潤んだ瞳でヒル魔を見上げる。
「暑いだろ。店に入ったらどうだ?」
ヒル魔は冷静な振りをしながら、そう聞いた。
正直言って戸惑っている。
こんな年齢の少女と話をしたことはない上、どうやら泣いていたらしい。
高校時代からスパルタな主将だったヒル魔には、なぐさめるなんて上手くできる気がしなかった。
「でも、まだ開店前でしょ?」
「かまわねーよ。ここは俺の店だからな。」
「お兄さんが店長さんなの?」
「店長っていうかオーナー。ヒル魔だ。」
「桐嶋日和です。」
少女はそう名乗ると、丁寧に頭を下げた。
ヒル魔は少女が普通に受け答えしてくれたことにヒル魔はホッとしながら、思い出す。
桐嶋日和。
最近よくカフェ「デビルバッツ」を訪れ、スタッフたちのアイドル的存在になっている少女だ。
年齢の割りに礼儀正しいとは聞いていたが、なるほど挨拶もきちんとしている。
「とにかく入れ。」
ヒル魔はそう言うと、先に立って入口へと歩き出した。
とりあえず店の中に入れれば、セナなり阿部なり世話好きのスタッフが相手をするだろう。
ヒル魔などよりはよっぽど上手く少女をなぐさめてくれるはずだ。
【続く】
セナは保冷剤を包んだタオルをヒル魔の額にそっと当てた。
ウトウトと眠っていたらしいヒル魔は微かに目を開けると「気持ちがいいな」と小さく呟いた。
夏の暑さのせいで、ヒル魔はすっかり体調を崩していた。
微熱が続き、もう何日もベットの上で過ごしている。
セナもヒル魔に付き添う形で、部屋でのんびりと過ごしていた。
カフェは営業しているが、阿部や三橋に任せておけばセナがいなくても問題ない。
階下からは客が談笑する声が、かすかに聞こえていた。
「下は賑やかだな」
「きっと日和ちゃんですよ。明日お父さんとプールに行くんだってはしゃいでましたから。」
つい今しがた、セナはヒル魔の熱を冷やす保冷剤を取りに店の厨房に入った。
そのときに客として来ていた日和が三橋に話しているのを聞いたのだ。
「プール、か。」
「ええ。暑い日が続いてますし、気持ちいいでしょうね。」
「そうだな。」
「それを聞いたレンくんもプールに行こうって、阿部くんにおねだりしてましたよ。」
「レンが?あいつはもういい大人だろうが。」
「日和ちゃんの話でプールの誘惑に捕まったみたいです。」
三橋のそういう子供のようなところは昔のままだ。
ヒル魔は呆れたような口調で揶揄したが、三橋のそういうところは気に入っている。
セナもそのことはよくわかっているから、ヒル魔を諌めるようなことは言わない。
「お前も行きたければ、レンたちと行ったらどうだ?」
「まさか。カップルの阿部くんとレンくんにくっついていくほど、無粋じゃありませんよ。」
「俺に付き合ってても、つまらないだろう?」
「僕はいいんですよ。ヒル魔さんの体調がよくなったら一緒に行きましょう。」
ヒル魔がプールで泳げるほど、回復するのかどうか。
2人ともそう思っているが、それを口に出すことはなかった。
セナは穏やかに笑うと、寝汗で乱れたヒル魔の髪を指で梳いて整える。
ヒル魔はセナのなすがままにされながら「少し眠る」と目を閉じた。
*****
「パパとね、横澤のお兄ちゃんと3人で行くの!」
桐嶋日和は、満面の笑顔でそう言った。
カフェ「デビルバッツ」の面々は「いいなぁ」とか「羨ましいな」と応じている。
夏休みになって、日和はカフェ「デビルバッツ」で過ごす時間が増えた。
普段なら自宅マンションから近い祖父母の家に行くことが多い。
一緒に昼食をとったり、仲良くおしゃべりをしたりする。
だが今年はあまり祖父母の家に行かないようにと父親に言われている。
日和は特に疑問に思うことなく、それに従った。
祖母は日和が訪問するたびに手の込んだ食事やおやつをたくさん用意している。
聡い日和は子供心に、気を使わせてることを申し訳なく思っていたのだ。
その代わりに週に何日かはこのカフェ「デビルバッツ」に来ている。
宿題をしたり、絵を描いたり、おしゃべりを楽しんだりするのだ。
スタッフたちは手が空いていれば、日和の相手をしてくれる。
何よりありがたいのは、たまに客として現れる姉崎まもりだ。
高校で教師をしているまもりは、宿題でわからないところを質問するとわかりやすく教えてくれた。
「私がお弁当を作りたいの。」
「3人分、だね!」
「うん。すごく美味しいのを作って、パパとお兄ちゃんを驚かせたいんだ。」
「うお!驚かせる!」
「レンお兄ちゃん、協力してくれる?」
「もちろん!」
ランチタイムが終わって、午後ののんびりした時間帯。
客席で日和の相手をしているのは、シェフの三橋だった。
明日プールに出かけるので、お弁当を作りたい。
日和は三橋にメニューの相談を持ちかけていたのだ。
「暑い、から、さっぱり、食べられる方が、いいのかな。」
「うん。でも2人ともよく食べるから、お肉とかお魚もたくさん入れたい。」
「特に、好き、とか、嫌いとか、ある?」
「何でも食べるよ。嫌いとかもない。」
倍以上も歳が離れた2人が、ガールズトークよろしく談笑している。
カフェ「デビルバッツ」のスタッフたちは、そんな2人を微笑ましい思いで見守っていた。
*****
「すごく美味いな、これ」
桐嶋禅は日和が用意した弁当を一口食べると、思わず呻いた。、
日和が「やったぁ!」と無邪気にはしゃいでいる。
遅れて弁当に箸を伸ばした横澤も「うん、美味い!」と太鼓判を押した。
日和がカフェ「デビルバッツ」のメンバーに予告したとおり。
桐嶋と横澤と日和は、夏場に開放されるプールが大人気の遊園地に来ていた。
プールサイドの一角にビニールシートを広げて、場所を取っている。
3人とももちろん水着姿で、楽しく泳いだり、日光浴を楽しんだ。
そして昼時、日和の力作である重箱入りの弁当が広げられた。
「レンお兄ちゃんに教えてもらったんだ。」
「あのカフェのシェフか?」
「うん。これからもいろいろ料理を教えてくれるって。」
「そりゃ楽しみだな。」
桐嶋は彩り美しく盛られた弁当に、次々と箸を進めていく。
かなりの量があるが、これならばあっさりと食べ切ってしまいそうだ。
「これならもう、ひよはいつでも嫁に行けるなぁ」
だが横澤が笑顔でそう言うと、桐嶋は箸を止めて目を剥いた。
まだまだかわいい娘を他の男にやるつもりなどない。
どうしてもこの話題に関してはどうしても余裕がなくなってしまう。
横澤がそんな桐嶋を面白がっているのだとは、よくわかっているのだが。
「冗談じゃねーぞ。まだまだ嫁になんかやらねーよ。」
「あと10年、15年かな。すぐだって!」
横澤が笑いを噛み殺しながら、桐嶋をからかうのを止めない。
多分日和が実際に結婚することになったら、横澤だって平静ではいられないだろうに。
「大丈夫。私はパパを1人残して、結婚なんかしないから。」
日和も会心の出来の弁当を頬張りながら、2人の会話に割って入った。
桐嶋はいったん横澤との会話を打ち切ると、日和の方に向き直った。
嫁にやるつもりはないが、一生独身でいられるのも困る。
まったく娘を持つ親の心は複雑だ。
「一生嫁に行かないつもりか?」
「ううん。結婚はパパの次。パパが新しい奥さんを見つけて結婚した後にする。」
「何だって?」
「だって心配じゃない。だから安心してパパを任せられる人がお嫁さんに来るまで結婚しない。」
桐嶋が横澤と付き合っている限り、結婚はない。
つまり桐嶋と横澤が2人で日和を嫁に出すという未来図はないということだ。
こんな場所で冗談のように語られた話など、真に受けるほうがどうかしていると思う。
だが桐嶋は動揺する気持ちを抑えるのに、必死だった。
日和は「だからパパ、早く結婚してよね」と無邪気に残酷な追い打ちをかけてくる。
横澤は強張った顔に懸命に笑顔を貼り付けて、弁当に箸を伸ばしていた。
桐嶋は「どうかな」と曖昧に誤魔化しながら、お茶と一緒に苦い思いを飲み込んだ。
*****
「パパの結婚が先、か。」
横澤は自嘲気味にそう言うと、ため息をついた。
桐嶋と日和のためなら、出来ることはなんでもしてやる覚悟はあるのに。
日和が望む桐嶋の幸せは、どう頑張っても横澤には無理だ。
日和の弁当を平らげた後、3人は何事もなかったように遊んだ。
泳いでいい場所では競争をしたり、円形の流れるプールで揺られたり、波のプールではしゃいだ。
だが横澤の心は晴れない。
桐嶋の幸せ。日和の幸せ。
どうしても自分は邪魔者であるような気がしてならなかった。
やがて時間は夕方になり、そろそろ帰る時間だ。
日和は最後にひと泳ぎしてくるからと飛び出していった。
横澤と桐嶋はシートに並んで腰をおろしたまま、のんびりと風に当たっていた。
「気にするなよ。子供の言ったことだ。」
2人だけになるや否や、桐嶋がそう言った。
さりげない口調だが、桐嶋なりに気遣ってくれているのがわかる。
横澤は「別に気にしてない」と短く答えたが、それが本心でないことは見抜かれているだろう。
「日和が大人になったら、俺たちのことを話す。」
「大人っていつだ?」
「高校卒業かな。それとも成人式か。」
「はぁぁ?」
桐嶋は日和が大人になったら、2人の関係を話すつもりらしい。
それは裏を返せば、少なくても日和が大人になるまで横澤と恋人同士でいるのだということだ。
あまりにも気の長い話に、横澤は唖然とするしかない。
だがそんなに想われているのかと思えば、悪い気はしなかった。
桐嶋は右手を伸ばすと、横澤の左手をそっと握った。
横澤は慌てて「おい!」と叫んで、辺りを見回す。
だが桐嶋は「誰も見てねーよ」と涼しい顔だ。
手を振り解こうとしたが、桐嶋はギュッと手を握って離そうとしない。
確かに誰も見ていないようだし、まぁいいか。
横澤は諦めて、手の力を抜いた。
先のことはわからないが、今はこのままでいい。
もう少しこの手に自分を預けておきたくなった。
ガラにもなくそんなことを思うのは、きっとプールの誘惑に当てられたからだ。
*****
「気分でも悪いのか?」
ヒル魔はぼんやりと佇んでいる少女の背中に声をかけた。
少女は振り返ると、涙で潤んだ瞳でヒル魔を見上げた。
何日も寝込んだ後、ようやく熱が下がったヒル魔は階下に降りた。
店はちょうど開店の準備中だったが、阿部も三橋も手を止めて喜んでくれる。
何か飲みますか?食べますか?と聞いてくる2人に、ヒル魔は少し風に当たるといって外に出た。
忙しい時間帯に、手を煩わせてしまうのは申し訳ないと思ったからだ。
久しぶりに外の空気に触れるのは、気持ちがいい。
寝込んでいたときには、セナが気を使ってエアコンと空気清浄機を使っていた。
だがやはり外の風の清々しさは格別だ。
夏の熱気でさえ心地よく感じて、ヒル魔は思わず目を細める。
大きく深呼吸をしたヒル魔は、花壇の前にまだ小学生くらいの少女がいるのを見つけた。
「気分でも悪いのか?」
ヒル魔はぼんやりと佇んでいる少女の背中に声をかけた。
少女は振り返ると、涙で潤んだ瞳でヒル魔を見上げる。
「暑いだろ。店に入ったらどうだ?」
ヒル魔は冷静な振りをしながら、そう聞いた。
正直言って戸惑っている。
こんな年齢の少女と話をしたことはない上、どうやら泣いていたらしい。
高校時代からスパルタな主将だったヒル魔には、なぐさめるなんて上手くできる気がしなかった。
「でも、まだ開店前でしょ?」
「かまわねーよ。ここは俺の店だからな。」
「お兄さんが店長さんなの?」
「店長っていうかオーナー。ヒル魔だ。」
「桐嶋日和です。」
少女はそう名乗ると、丁寧に頭を下げた。
ヒル魔は少女が普通に受け答えしてくれたことにヒル魔はホッとしながら、思い出す。
桐嶋日和。
最近よくカフェ「デビルバッツ」を訪れ、スタッフたちのアイドル的存在になっている少女だ。
年齢の割りに礼儀正しいとは聞いていたが、なるほど挨拶もきちんとしている。
「とにかく入れ。」
ヒル魔はそう言うと、先に立って入口へと歩き出した。
とりあえず店の中に入れれば、セナなり阿部なり世話好きのスタッフが相手をするだろう。
ヒル魔などよりはよっぽど上手く少女をなぐさめてくれるはずだ。
【続く】