アイシ×おお振り×セカコイ【お題:春5題 夏5題 秋5題 冬5題】

【春/芽吹く想い】

「あれ?どうしたんですか?」
ドアフォンのカメラに映る意外な人物に、驚いた。
モニターの中で頭を下げているのは、カフェ「デビルバッツ」のギャルソン、セナだ。

吉野千秋は自宅兼仕事場のソファで、ゴロゴロと怠惰に過ごしていた。
今月の原稿はまだプロットを作っている段階なので、アシスタントはいない。
昼時で空腹で、羽鳥も来られない。
こんな日はカフェ「デビルバッツ」のランチが、ここ最近の吉野の定番だ。

だが今日はどうにも気分が乗らなかった。
先日あの店で、他の客に怒鳴りつけられてしまったからだ。
よくわからないが吉野があの店でしゃべった言葉が、何か怒らせてしまったらしい。
また彼と顔を合わせたらと思うと、どうしても足が向かないのだ。

仕方ないから、コンビニにでも行こう。
そう思いながらも、何となく面倒でダラダラとしていた。
そこでドアフォンが鳴ったのだった。

「いきなりおしかけてすみません。お仕事中でしたらすぐに帰ります。」
「ああ、ちょうど休憩中だったので、かまいません。」
恐縮するセナに、吉野はやや苦笑気味の笑顔でそう答えた。
休憩中なんていうと聞こえはいいが、ダラダラゴロゴロしていただけだ。

「これ、よかったら」
部屋に招き入れると、セナは小脇に抱えていた箱を差し出した。
箱は所謂タッパーで、三橋特製のサンドウィッチが大量に入っている。
美味そう。早く食べたい。
空腹の吉野は思わずゴクリと唾を飲み込んでしまった。

「先日のお詫びです。僕もお昼まだなんで一緒に食べませんか?」
セナが申し訳なさそうにそう言うと、吉野は「ありがとうございます」と笑った。
吉野が気を使わないように、一緒に食べようと言ってくれたのだろう。

「コーヒーもありますから」
セナが魔法瓶を取り出すのを見て、吉野はホッとした。
カフェ「デビルバッツ」はコーヒーなどドリンクのメニューももれなく美味い。
だからさすがに吉野が淹れたコーヒーをセナに出すことには抵抗があったりするのだ。

「じゃあ、いただきます!」
かくして吉野とセナは向かい合って、ランチタイムとなった。

*****

「あの人、何で怒ってたんですか?」
吉野にそう聞かれて、小早川セナは一瞬言葉に詰まった。
だがすぐに笑顔になると、隠すことなく語り始めた。

「この前は申し訳ありませんでした。驚かれたでしょう?」
「え、はい。まぁ」
「十文字くんはしばらく出入り禁止にします。あと近々本人からお詫びさせますから。」
「出入り禁止?そこまでしなくても。。。。」
「いいんです。だからまたお店にもいらして下さいね。」

セナは形だけサンドウイッチに口をつけながら、用件を告げた。
元々吉野にリラックスして話を聞いてもらうために用意したが、1人では食べにくいだろう。
そういう配慮をしていたからだ。
吉野が笑顔で「ありがとうございます」と言ってくれたので、ホッとした。

「でも俺、わからないんです。あの人、何で怒ってたんですか?」
吉野にそう聞かれて、セナは一瞬言葉に詰まった。
言いにくいことではあるが、吉野には知る権利があると思う。
だからセナはすぐに笑顔になると、隠すことなく語り始めた。

「似てたから、じゃないかな。」
「似てた?あの人が?」
「僕とヒル魔さんと十文字くんの関係は、吉野さんと羽鳥さんと柳瀬さんの関係に似てるんです。」
「って、え?」
「僕とヒル魔さんは付き合ってるんですよ。で、十文字くんは僕のことを、その。。。」
「えええ~~??」
そんなに驚かなくてもいいのに、セナは内心苦笑する。
むしろ吉野たちの方が、付き合っているオーラ全開なのだから。

「十文字くんは柳瀬さんと自分の立場が同じだと思ったんです。」
「あの人と優が?でも優はただの友人です。」
「まぁそこは吉野さんと柳瀬さんの問題ですけど。」
セナは曖昧に言葉を濁し、深く追求はしなかった。
だが柳瀬は吉野のことを好きだし、吉野だってそのことを知っていると思う。

「吉野さん、柳瀬さんに羽鳥さんのことを相談していたでしょう?」
「そう言えば、あのとき確かに」
「だから十文字くんは怒ったんです。」
つまり吉野の無遠慮な言葉が、柳瀬の心の中に芽吹く想いを踏みにじっていた。
十文字はそれに対して怒っていたのだ。

ようやく理解した吉野が、齧りかけのサンドウィッチを持ったまま呆然としている。
セナは慌てて「食べてください」とランチの続きを促した。

*****

「教えていただきたいことがあって」
羽鳥芳雪は、遠慮がちに切り出した。
彼は「俺の意見でよろしければ」と言って、笑った。

恋人である吉野千秋が2つの「出来事」について話してくれた。
1つはカフェ「デビルバッツ」のオーナーが、モデルを引き受けてくれたということ。
もう1つはカフェ「デビルバッツ」で、他の客に怒鳴られてしまったこと。
しかもこの2つの話は同じ日に起こったことだという。
その場にいなかった羽鳥には、どうしてそんなことになったのかさっぱりわからない。
だが吉野本人に聞いても「何となくなりゆきで」とさっぱり要領を得なかった。

そしてオーナーがモデルを引き受ける2つの条件というのが、また妙だった。
1つはいつか羽鳥が言ったように、羽鳥と吉野の親兄弟に2人の関係を話すこと。
2つめは柳瀬との関係に答えを出すことだ。
なぜあのオーナーがそんなことにまで口を出してくるのかもわからなかった。
意を決して、羽鳥は開店前のカフェ「デビルバッツ」に足を運んだ。

「いらっしゃいませ。羽鳥さん。」
「どうも。オーナーはいらっしゃいますか?」
「申し訳ありません。ヒル魔は今日は私用で、お休みをいただいているんですよ。」
出迎えてくれたのは、ギャルソンの阿部だった。
まさか肝心の相手が不在とは。
最初に予定を聞いておくべきだったと羽鳥は肩を落とす。

「オーナーに教えていただきたいことがあって、来たんですが」
羽鳥は、遠慮がちに切り出した。
阿部はさして驚く様子もなく「はい」と頷いた。

「羽鳥さん。お時間があるならコーヒーでもいかがですか?」
「え、でも。。。」
「俺の意見でよろしければ、お話できると思います。」

思いも寄らない申し出に、羽鳥は一瞬困惑する。
だが穏やかな阿部の笑顔は信頼できると思った。
羽鳥は阿部に一礼すると「コーヒーいただきます」と答えた。

*****

「あの人は長くここにはいられないんですよ。」
阿部隆也は、慎重に言葉を選びながら、話題を変える。
羽鳥は黙って阿部の言葉を待っていた。

阿部と羽鳥が、吉野がいつも好んで座る窓際の席に向かい合った。
開店直前の店内には、羽鳥以外には客はいない。
従業員も厨房で仕込みをしている三橋と、フロアにいる阿部だけだ。
三橋は「いらっしゃいませ」と短く挨拶だけして、2人分のコーヒーを置くとすぐに引っ込んだ。

「まずこの前はうちのお客様が、吉野さんに失礼なことをしてしまった件ですが」
阿部が静かに口を開いた。
羽鳥はコーヒーを口に運びながら、阿部の言葉を聞いている。
吉野が十文字に怒鳴りつけられたことについては、セナが吉野に話した内容と同じだった。
店で吉野たちの話を聞いていた十文字は、自分と柳瀬を重ねた。
だから羽鳥とのことを柳瀬に相談する吉野の無神経さが許せなかったのだ。
すべて聞き終えた羽鳥は「なるほど」と言った。

「うちのオーナー、あの人は長くここにはいられないんですよ。」
阿部隆也は、慎重に言葉を選びながら、話題を変えた。
そして「ちょっと事情がありまして」と言い足す。
羽鳥は驚いているようだが、黙って阿部の言葉を待っていた。

「最初にモデルを引き受けなかったのは、きっと余計なことに残りの時間を使いたくないからです。」
「でも、じゃあ、どうして」
「オーナーの恋人はセナさんなんです。ちなみに俺の恋人は三橋です。」
「そう、なんですか?」

さらに驚いた表情の羽鳥に、阿部はさらに話した。
2組のカップルが親兄弟に恋人のことを打ち明けた時の修羅場のような状況。
親たちは一様に、嘆き、悲しみ、別れろと責め立てたこと。
それでも何とか長い時間をかけて、少しずつ親との関係を取り戻そうとしていること。
そしてそのことで強くなれたし、恋人との絆は深くなったと思うことも。

「だから羽鳥さんたちのきっかけになればと、考え直したんだと思います。」
「ヒル魔さんが、そんなことを」
「羽鳥さんと吉野さんに幸せになって欲しい。俺も三橋やセナさんもそう思ってますよ。」
阿部が静かに締めくくると、厨房からコーヒーポットを持った三橋が出てくる。
そして空になった2人のカップにコーヒーを注ぐと、また無言で戻っていった。

「いい店ですね。ここは」
羽鳥がしみじみとした口調で言う。
阿部は短く「ありがとうございます」と答えて、2杯目のコーヒーを口に運んだ。

*****

桜ももう終わりか。
ヒル魔妖一は桜の樹を見上げながら、そう思った。

ここはヒル魔が通っている病院の敷地内にある桜の樹だ。
奥まった場所にあるために、あまり知られていない隠れスポットだ。
だが残念ながら、今はもうすっかり花は散ってしまっていた。

ヒル魔が今日、店に顔を出さないのは定期健診の日だからだ。
病気を発症して、余命は残り数年と宣告されてからすでに10年経つ。
どうやら病状の進行は思ったよりかなり遅いらしい。
毎回担当医は、ヒル魔の強運と体力に驚嘆している。

ヒル魔がカフェ「デビルバッツ」を開いたのは、余命宣告の直後だ。
商売などとは考えておらず、儲けなどどうでもよかった。
ヒル魔は自分の死に場所を作ったつもりだったのだ。
生きている間は親しい仲間が食事がてら顔を見せてくれればいい。
死んだ後にはヒル魔の悪口でも言いながら盛り上がって、セナを慰めて欲しい。
だがまさか「美味しい上に価格も良心的」などという理由で有名店になるとは思わなかった。

新たな絆も広がっている。
例えば阿部と三橋、例えば羽鳥と吉野。
類は友を呼ぶというやつなのか、男同士の恋人たちが店に来るのだ。
いつ死んでもいいと斜に構えてみたものの、やっぱりまだまだ彼らを見ていたい。
羽鳥芳雪と吉野千秋のことに首を突っ込んだのも、親切心より未練なのだと思う。
未来を見つめて生きる人間に関わっていたいのだ。

この先、あと何回桜が見られるだろう。
あといくつ、恋人たちの桜のように美しく芽吹く想いを見守ることができるのだろう。
ヒル魔は通院のたびにそんなことを思い、そして首を振る。

未練たっぷりでいい。
まだ叶えていない夢もある。
桜も、羽鳥と吉野の幸せもしっかりと見届けてやればいい。

すでに花がついていない桜をしばらく見上げていたヒル魔は、ゆっくりと歩き出す。
向かう先はただ1つ、かわいい恋人が待つ家だ。

【続く】
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