アイシ×おお振り×セカコイ【お題:春5題 夏5題 秋5題 冬5題】
【春/出会いは偶然】
「断られちゃったんだ。」
吉野千秋がガックリと肩を落としている。
柳瀬優はそんな友人の姿を見て、ため息をついた。
柳瀬は吉野や羽鳥と同じきっかけで、カフェ「デビルバッツ」を知った。
小野寺律の依頼で、無理を言って配達をしてもらったあの時だ。
素材を生かしたシンプルな味付けと、繊細で鮮やかな盛り付けが気に入った。
それ以来、時折来店するようになったのだ。
だいたい1人で来るが、たまにこうして吉野と一緒に来店する。
正直言って意地もあった。
ここのメニューは身体に優しいものが多く、羽鳥も気に入っているらしい。
メニューのレシピをよく聞いたりしていると聞く。
おそらくは自分が食べるのではなく、吉野に作ってやるためだろう。
ならば自分も、と思ってしまう。
羽鳥と吉野の仲が、昔とほとんど変わらないのが悪いのだと思う。
まだ柳瀬は、心のどこかで希望を捨てきれないでいる。
完全に吉野のことをあきらめきれない自分を、持て余しているのだ。
「まぁそりゃ、そういうのが嫌って人も少なくないよな。」
今も柳瀬はカフェ「デビルバッツ」で、吉野と向かい合っている。
吉野がこの店のオーナーである金髪の青年を、モデルにしたいと思っていることも聞いていた。
だが吉野が意を決して申し込んだものの、断られてしまったのだ。
確かに描きたいと思う気持ちはわかる。
こんなに存在感がある人はなかなかいない。
柳瀬流に表現するなら、こんなに「骨格」が美しい人と言うべきか。
とにかく出会いは偶然、めったにないチャンスだ。
だが彼にモデルを申し込んだものの、断られてしまったのだという。
「あれ?あの人。。。」
柳瀬は件のオーナーを覗き見ようとして、目に入った他の客に顔見知りを見つけたのだ。
まさかこんな場所で顔を合わせるとは。
吉野が不思議そうな顔で「誰?」と聞いてくる。
柳瀬は「以前、仕事した漫画家の先生」と答えて、挨拶しようと立ち上がった。
*****
「戸叶先生、お久しぶりです。」
他のテーブルに座っていた2人組の客が、こちらにやって来た。
そのうちの1人、猫のような目の青年が頭を下げている。
十文字一輝はその青年の横に立っている連れを見て、かすかに眉をひそめた。
「あれ?柳瀬くんじゃん?」
向かいに座る男が、鷹揚に答えている。
十文字は今日、悪友の戸叶庄三とカフェ「デビルバッツ」に来ていた。
猫目の青年は、その戸叶に挨拶に来たのだ。
「先生もこちらの常連なんですか?」
「ああ。俺、オープンからの常連だぜ。オーナーの高校時代の後輩。」
青年の問いに、戸叶は笑顔で答えている。
今の戸叶からは、高校時代に不良だったことなどうかがい知れない。
アメフト選手から学生時代から好きだった漫画の道へ転身を果たし、今やヒットメーカーだ。
筋肉も落ちて、未だにアメフトを続ける十文字とはもう身体つきが違う。
「戸叶先生って、あの『アイシールド21』の?」
柳瀬と呼ばれた青年の連れの、どこかかわいらしい青年が感極まった様子で身を乗り出す。
その様子を見て、十文字の眉間の皺がまた少し深さを増した。
「友人の吉野です。」
柳瀬がそう言って、連れの青年を手で示す。
戸叶が「どうも」と短く答えたが、十文字は無表情のまま黙っていた。
古くからの常連である十文字は、ほとんど毎日カフェ「デビルバッツ」に顔を出す。
だが最近よく来るようになった吉野と呼ばれているこの青年が好きではなかった。
というより、はっきり言うと嫌いなのだ。
もちろんそれにはちゃんと理由がある。
時々漏れ聞こえる会話から窺い知れる吉野の恋愛観がどうしても許せない。
だがここはヒル魔とセナの店なのだし、十文字が口を挟むべきことではない。
戸叶も十文字の気持ちに気付いているだろうが、何も言わなかった。
*****
「戸叶くん!恥ずかしいよ」
セナが困ったように、文句を言っている。
そんな店の喧騒を聞きながら、三橋は「フヒ」と小さく笑った。
三橋廉は今日もカフェ「デビルバッツ」の厨房で、仕事をしている。
先程まではランチタイムで、次々とオーダーされた料理を出していた。
だがピークを過ぎたので、今はのんびりしている。
ゆっくりと新メニューの試作をしながら、店内から聞こえる会話に耳を傾けていた。
戸叶さんと柳瀬さんは知り合いだったのか。
三橋は軽快に包丁を使いながら、笑顔になる。
知り合いだけど、ここでの出会いは偶然、思わぬ絆の発見。
何だか三橋まで得したような気分になるから不思議だ。
「『アイシールド21』のモデルは、セナなんだぜ?」
「えええ~!ホントですかぁ!?」
「セナは日本初のNFLプレイヤーだぜ?今はシーズンオフで日本にいるけど。」
「セナさんが!アメフト~~~?」
「オーナーも俺も元アメフト選手だし、コイツ、十文字は現役のXリーグ選手だ。」
戸叶の言葉に、吉野がいちいち驚いている。
柳瀬も意外そうに「俺も知らなかったよ」と言った。
「戸叶くん!恥ずかしいよ」
セナが困ったように、文句を言っている。
漫画家、戸叶庄三の名を一躍人気作家の地位に押し上げた作品「アイシールド21」。
登場人物はかつてのアメフト部のチームメイトたちなのだ。
「ちなみに今連載してるのは、レンと阿部がモデルだけど。」
「ええ?阿部君とレンくん?」
「あいつら元々バッテリー組んでて、甲子園に行ってるんだぜ?」
戸叶たちのやりとりに頬を緩めていた三橋は、急に自分の名前が出て驚き、落ち着かなくなった。
一緒に厨房にいた女性スタッフが、慌てて「三橋君、包丁気をつけて」と声をかけたほどだ。
三橋の頼もしいパートナーである彼女は、未だに旧姓で「篠岡」と呼ばれている。
だがしばらくして、楽しい雰囲気が急に冷えた。
戸叶と一緒のテーブルにいた十文字が「ふざけんなよ、テメー」と声を荒げたのだ。
すぐにセナが駆けつけて「十文字くん!」と制止しているようだ。
十文字も戸叶も不良だった時期はあると聞く。
だが三橋にはいつも優しくて、頼もしいお兄さんというイメージしかない。
なんで?どうして?
三橋は厨房から、じっと店内のやり取りに耳をすましていた。
*****
その出会いは偶然、吉野千秋はその幸運に感謝した。
人気漫画家の戸叶庄三にこんなところで知り合いになれるなんて。
元々「ザ☆漢」の大ファンで、毎回欠かさず買っている「ジャプン」。
そこで彼の漫画を読んで「ザ☆漢」と同じくらい面白いと思った。
しかももう連載終了した「アイシールド21」の主役のモデルはセナだという。
そして現在連載中の「おおきく振りかぶって」の主役のモデルは三橋と阿部。
大好きな作品がここまで身近にあって、テンションが上がらない人間などいるはずがない。
挨拶を交わして、ウキウキと席に戻った吉野はふと思い出した。
そもそも柳瀬を誘って、今日カフェ「デビルバッツ」に来た理由。
吉野は柳瀬に相談したいことがあったのだ。
「そろそろお互いの親に、俺たちの関係を打ち明けないか?」
羽鳥がそれを吉野に切り出したのは数日前、同じくこの店でのことだ。
その言い分は普通の恋愛においてなら、正しいのだと思う。
だが男同士の恋愛だとどうなのだろう?
明らかにすることで、親兄弟は傷つくのではないだろうか?
吉野は柳瀬につらつらとそんなことを語った。
「お前さ、俺にそれを聞くか?」
吉野の話を聞いた柳瀬は、顔をしかめた。
だが少女漫画家でありながら、色恋沙汰には疎い吉野にはその理由がわからない。
柳瀬が吉野に告白をしたのは2年前であり、それ以降は友人として付き合っている。
吉野への恋愛感情が柳瀬の中に残っていることなど、想像もできないのだ。
「それはお前と羽鳥の問題だろ?俺に言うなよ。」
「優、冷たいなぁ。俺は真剣に悩んで。。。」
その瞬間だった。
先程挨拶した漫画家、戸叶と一緒にいた男が勢いよく立ち上がった。
そしてドカドカと足音を響かせながら吉野たちのテーブルの前に立つ。
「ふざけんなよ、テメー」
ドスの効いた声で怒鳴る男の目は、真っ直ぐに吉野を見ていた。
吉野は思わず「何なんですか!」と言い返したが、睨まれたその眼光の鋭さに怯んでしまう。
騒ぎを聞きつけたセナと戸叶が、慌ててテーブルに駆け寄って来た。
「十文字くん!何やってんの!」
「落ち着けよ!お前が怒ることじゃねーだろ?」
セナと戸叶の声が遠くに聞こえる。
吉野は何が起きたかよくわからないまま、セナと戸叶が男の腕を引いて連れて行くのを見ていた。
*****
まったくいい歳をして、何をやってるんだ。
ヒル魔妖一は、十文字たちがスタッフ専用の部屋に入っていくのを目で追いながらそう思った。
ヒル魔には十文字が吉野を怒鳴りつけた理由はよくわかる。
セナも戸叶も察しはつけているだろう。
だがそれはあくまで吉野たちの問題なのだ。
そもそも吉野は、何が何だかさっぱりわからないだろう。
セナが十文字たちとスタッフルームへ入ったので、ホールにスタッフがいなくなった。
阿部はちょうど休憩時間なのだ。
厨房にいた2人のうち「篠岡」こと水谷千代がホールに出て来た。
三橋はちょうど焼きあがったクッキーを皿に盛っている。
野菜や雑穀を練りこんだサクッと軽いクッキーは、カフェ「デビルバッツ」のヒット商品。
騒がせた詫びに、吉野と柳瀬にサービスするつもりのようだ。
「俺が出すから」
クッキーの皿とコーヒーポットを取り上げたヒル魔を見て、三橋も千代も驚いた表情だ。
三橋などは口がアングリとひし形に開いてしまっている。
無理もない。
オーナーであるのに、ヒル魔は未だかつて接客など一度もしたことがない。
ポカンとした表情の2人にはお構いなしに、ヒル魔は吉野たちのテーブルに向かった。
「これは店からだ。騒がせて悪かった。」
ヒル魔はそう言って、テーブルの上にクッキーの皿を置く。
そして空のコーヒーカップにコーヒーを継ぎ足す。
柳瀬がヒル魔を見上げて「ありがとうございます」と礼を言った。
吉野は未だに怒鳴られたショックで呆然としている。
「モデルの話、やっぱり引き受けてやってもいいぞ。」
ヒル魔は俯いている吉野にそう言った。
いくらオーナーとはいえ、店の従業員が客に対して威圧的過ぎる態度だ。
セナがいれば小言の1つでも言われそうだと、ヒル魔は内心苦笑する。
「モデル、してくれるんですか?」
すっかりしょげていた吉野が、パッと明るい表情に変わった。
ヒル魔よりも年上なのに、まるで子供のような無邪気さだ。
「そのかわり条件がある」
ヒル魔はそう前置きすると、2つの「条件」を告げた。
そして呆然とする吉野と柳瀬を残して、さっさと自分の定位置である隅のテーブルに戻った。
後でこのことを知ったセナたち「デビルバッツ」の面々は、ヒル魔らしくないと苦笑した。
だが吉野と柳瀬、そして羽鳥はこの「条件」に大いに翻弄されることになる。
【続く】
「断られちゃったんだ。」
吉野千秋がガックリと肩を落としている。
柳瀬優はそんな友人の姿を見て、ため息をついた。
柳瀬は吉野や羽鳥と同じきっかけで、カフェ「デビルバッツ」を知った。
小野寺律の依頼で、無理を言って配達をしてもらったあの時だ。
素材を生かしたシンプルな味付けと、繊細で鮮やかな盛り付けが気に入った。
それ以来、時折来店するようになったのだ。
だいたい1人で来るが、たまにこうして吉野と一緒に来店する。
正直言って意地もあった。
ここのメニューは身体に優しいものが多く、羽鳥も気に入っているらしい。
メニューのレシピをよく聞いたりしていると聞く。
おそらくは自分が食べるのではなく、吉野に作ってやるためだろう。
ならば自分も、と思ってしまう。
羽鳥と吉野の仲が、昔とほとんど変わらないのが悪いのだと思う。
まだ柳瀬は、心のどこかで希望を捨てきれないでいる。
完全に吉野のことをあきらめきれない自分を、持て余しているのだ。
「まぁそりゃ、そういうのが嫌って人も少なくないよな。」
今も柳瀬はカフェ「デビルバッツ」で、吉野と向かい合っている。
吉野がこの店のオーナーである金髪の青年を、モデルにしたいと思っていることも聞いていた。
だが吉野が意を決して申し込んだものの、断られてしまったのだ。
確かに描きたいと思う気持ちはわかる。
こんなに存在感がある人はなかなかいない。
柳瀬流に表現するなら、こんなに「骨格」が美しい人と言うべきか。
とにかく出会いは偶然、めったにないチャンスだ。
だが彼にモデルを申し込んだものの、断られてしまったのだという。
「あれ?あの人。。。」
柳瀬は件のオーナーを覗き見ようとして、目に入った他の客に顔見知りを見つけたのだ。
まさかこんな場所で顔を合わせるとは。
吉野が不思議そうな顔で「誰?」と聞いてくる。
柳瀬は「以前、仕事した漫画家の先生」と答えて、挨拶しようと立ち上がった。
*****
「戸叶先生、お久しぶりです。」
他のテーブルに座っていた2人組の客が、こちらにやって来た。
そのうちの1人、猫のような目の青年が頭を下げている。
十文字一輝はその青年の横に立っている連れを見て、かすかに眉をひそめた。
「あれ?柳瀬くんじゃん?」
向かいに座る男が、鷹揚に答えている。
十文字は今日、悪友の戸叶庄三とカフェ「デビルバッツ」に来ていた。
猫目の青年は、その戸叶に挨拶に来たのだ。
「先生もこちらの常連なんですか?」
「ああ。俺、オープンからの常連だぜ。オーナーの高校時代の後輩。」
青年の問いに、戸叶は笑顔で答えている。
今の戸叶からは、高校時代に不良だったことなどうかがい知れない。
アメフト選手から学生時代から好きだった漫画の道へ転身を果たし、今やヒットメーカーだ。
筋肉も落ちて、未だにアメフトを続ける十文字とはもう身体つきが違う。
「戸叶先生って、あの『アイシールド21』の?」
柳瀬と呼ばれた青年の連れの、どこかかわいらしい青年が感極まった様子で身を乗り出す。
その様子を見て、十文字の眉間の皺がまた少し深さを増した。
「友人の吉野です。」
柳瀬がそう言って、連れの青年を手で示す。
戸叶が「どうも」と短く答えたが、十文字は無表情のまま黙っていた。
古くからの常連である十文字は、ほとんど毎日カフェ「デビルバッツ」に顔を出す。
だが最近よく来るようになった吉野と呼ばれているこの青年が好きではなかった。
というより、はっきり言うと嫌いなのだ。
もちろんそれにはちゃんと理由がある。
時々漏れ聞こえる会話から窺い知れる吉野の恋愛観がどうしても許せない。
だがここはヒル魔とセナの店なのだし、十文字が口を挟むべきことではない。
戸叶も十文字の気持ちに気付いているだろうが、何も言わなかった。
*****
「戸叶くん!恥ずかしいよ」
セナが困ったように、文句を言っている。
そんな店の喧騒を聞きながら、三橋は「フヒ」と小さく笑った。
三橋廉は今日もカフェ「デビルバッツ」の厨房で、仕事をしている。
先程まではランチタイムで、次々とオーダーされた料理を出していた。
だがピークを過ぎたので、今はのんびりしている。
ゆっくりと新メニューの試作をしながら、店内から聞こえる会話に耳を傾けていた。
戸叶さんと柳瀬さんは知り合いだったのか。
三橋は軽快に包丁を使いながら、笑顔になる。
知り合いだけど、ここでの出会いは偶然、思わぬ絆の発見。
何だか三橋まで得したような気分になるから不思議だ。
「『アイシールド21』のモデルは、セナなんだぜ?」
「えええ~!ホントですかぁ!?」
「セナは日本初のNFLプレイヤーだぜ?今はシーズンオフで日本にいるけど。」
「セナさんが!アメフト~~~?」
「オーナーも俺も元アメフト選手だし、コイツ、十文字は現役のXリーグ選手だ。」
戸叶の言葉に、吉野がいちいち驚いている。
柳瀬も意外そうに「俺も知らなかったよ」と言った。
「戸叶くん!恥ずかしいよ」
セナが困ったように、文句を言っている。
漫画家、戸叶庄三の名を一躍人気作家の地位に押し上げた作品「アイシールド21」。
登場人物はかつてのアメフト部のチームメイトたちなのだ。
「ちなみに今連載してるのは、レンと阿部がモデルだけど。」
「ええ?阿部君とレンくん?」
「あいつら元々バッテリー組んでて、甲子園に行ってるんだぜ?」
戸叶たちのやりとりに頬を緩めていた三橋は、急に自分の名前が出て驚き、落ち着かなくなった。
一緒に厨房にいた女性スタッフが、慌てて「三橋君、包丁気をつけて」と声をかけたほどだ。
三橋の頼もしいパートナーである彼女は、未だに旧姓で「篠岡」と呼ばれている。
だがしばらくして、楽しい雰囲気が急に冷えた。
戸叶と一緒のテーブルにいた十文字が「ふざけんなよ、テメー」と声を荒げたのだ。
すぐにセナが駆けつけて「十文字くん!」と制止しているようだ。
十文字も戸叶も不良だった時期はあると聞く。
だが三橋にはいつも優しくて、頼もしいお兄さんというイメージしかない。
なんで?どうして?
三橋は厨房から、じっと店内のやり取りに耳をすましていた。
*****
その出会いは偶然、吉野千秋はその幸運に感謝した。
人気漫画家の戸叶庄三にこんなところで知り合いになれるなんて。
元々「ザ☆漢」の大ファンで、毎回欠かさず買っている「ジャプン」。
そこで彼の漫画を読んで「ザ☆漢」と同じくらい面白いと思った。
しかももう連載終了した「アイシールド21」の主役のモデルはセナだという。
そして現在連載中の「おおきく振りかぶって」の主役のモデルは三橋と阿部。
大好きな作品がここまで身近にあって、テンションが上がらない人間などいるはずがない。
挨拶を交わして、ウキウキと席に戻った吉野はふと思い出した。
そもそも柳瀬を誘って、今日カフェ「デビルバッツ」に来た理由。
吉野は柳瀬に相談したいことがあったのだ。
「そろそろお互いの親に、俺たちの関係を打ち明けないか?」
羽鳥がそれを吉野に切り出したのは数日前、同じくこの店でのことだ。
その言い分は普通の恋愛においてなら、正しいのだと思う。
だが男同士の恋愛だとどうなのだろう?
明らかにすることで、親兄弟は傷つくのではないだろうか?
吉野は柳瀬につらつらとそんなことを語った。
「お前さ、俺にそれを聞くか?」
吉野の話を聞いた柳瀬は、顔をしかめた。
だが少女漫画家でありながら、色恋沙汰には疎い吉野にはその理由がわからない。
柳瀬が吉野に告白をしたのは2年前であり、それ以降は友人として付き合っている。
吉野への恋愛感情が柳瀬の中に残っていることなど、想像もできないのだ。
「それはお前と羽鳥の問題だろ?俺に言うなよ。」
「優、冷たいなぁ。俺は真剣に悩んで。。。」
その瞬間だった。
先程挨拶した漫画家、戸叶と一緒にいた男が勢いよく立ち上がった。
そしてドカドカと足音を響かせながら吉野たちのテーブルの前に立つ。
「ふざけんなよ、テメー」
ドスの効いた声で怒鳴る男の目は、真っ直ぐに吉野を見ていた。
吉野は思わず「何なんですか!」と言い返したが、睨まれたその眼光の鋭さに怯んでしまう。
騒ぎを聞きつけたセナと戸叶が、慌ててテーブルに駆け寄って来た。
「十文字くん!何やってんの!」
「落ち着けよ!お前が怒ることじゃねーだろ?」
セナと戸叶の声が遠くに聞こえる。
吉野は何が起きたかよくわからないまま、セナと戸叶が男の腕を引いて連れて行くのを見ていた。
*****
まったくいい歳をして、何をやってるんだ。
ヒル魔妖一は、十文字たちがスタッフ専用の部屋に入っていくのを目で追いながらそう思った。
ヒル魔には十文字が吉野を怒鳴りつけた理由はよくわかる。
セナも戸叶も察しはつけているだろう。
だがそれはあくまで吉野たちの問題なのだ。
そもそも吉野は、何が何だかさっぱりわからないだろう。
セナが十文字たちとスタッフルームへ入ったので、ホールにスタッフがいなくなった。
阿部はちょうど休憩時間なのだ。
厨房にいた2人のうち「篠岡」こと水谷千代がホールに出て来た。
三橋はちょうど焼きあがったクッキーを皿に盛っている。
野菜や雑穀を練りこんだサクッと軽いクッキーは、カフェ「デビルバッツ」のヒット商品。
騒がせた詫びに、吉野と柳瀬にサービスするつもりのようだ。
「俺が出すから」
クッキーの皿とコーヒーポットを取り上げたヒル魔を見て、三橋も千代も驚いた表情だ。
三橋などは口がアングリとひし形に開いてしまっている。
無理もない。
オーナーであるのに、ヒル魔は未だかつて接客など一度もしたことがない。
ポカンとした表情の2人にはお構いなしに、ヒル魔は吉野たちのテーブルに向かった。
「これは店からだ。騒がせて悪かった。」
ヒル魔はそう言って、テーブルの上にクッキーの皿を置く。
そして空のコーヒーカップにコーヒーを継ぎ足す。
柳瀬がヒル魔を見上げて「ありがとうございます」と礼を言った。
吉野は未だに怒鳴られたショックで呆然としている。
「モデルの話、やっぱり引き受けてやってもいいぞ。」
ヒル魔は俯いている吉野にそう言った。
いくらオーナーとはいえ、店の従業員が客に対して威圧的過ぎる態度だ。
セナがいれば小言の1つでも言われそうだと、ヒル魔は内心苦笑する。
「モデル、してくれるんですか?」
すっかりしょげていた吉野が、パッと明るい表情に変わった。
ヒル魔よりも年上なのに、まるで子供のような無邪気さだ。
「そのかわり条件がある」
ヒル魔はそう前置きすると、2つの「条件」を告げた。
そして呆然とする吉野と柳瀬を残して、さっさと自分の定位置である隅のテーブルに戻った。
後でこのことを知ったセナたち「デビルバッツ」の面々は、ヒル魔らしくないと苦笑した。
だが吉野と柳瀬、そして羽鳥はこの「条件」に大いに翻弄されることになる。
【続く】