アイシ×おお振り×セカコイ【お題:春5題 夏5題 秋5題 冬5題】

【春/桜クラクラ】

今年もまた生きて見ることができた。
ヒル魔妖一は満開の桜の樹を見上げて、しみじみとそう思った。

東京都内の某所にあるカフェ「デビルバッツ」はヒル魔の店だ。
元々親しい仲間が集まるたまり場のつもりで、儲けなどどうでもよかった。
だがこれがなかなか繁盛している。
毎日のように客は訪れるし、雑誌やテレビなどの取材の依頼も絶えない。
雰囲気が悪くなるのが嫌で取材は一切受けていないが、ネットなどではよく取り上げられている。
おかげでヒル魔は何もしていないのに、結構な収入があったりする。

カフェの敷地内には、大きな桜の樹が1本ある。
元々この土地を買ったとき、古い家屋と共にあったのだ。
建物の方は壊して、カジノ風の派手な外見の店舗を構えた。
実はヒル魔は、桜の樹は切り倒してしまうつもりだった。
カジノ風のカフェに桜は似合わないと思った。

桜を残して欲しいと言ったのは、恋人のセナだった。
毎年満開の桜が見られるなんてすごい贅沢じゃないですか、と笑った。
花を愛でるという習慣は当時のヒル魔にはなかった。
だがかわいい恋人の「おねだり」は無碍にできない。
結局こうして桜は残り、ヒル魔や他の従業員や客たちの目を楽しませている。

だが今は残してよかったと思っている。
短い間しか咲かない桜の儚さや美しさ、潔さにはどこか惹かれるものがある。
それにこうして店を背にして立ってみれば、カジノ風カフェとのミスマッチも気にならない。
だからヒル魔は桜の時期になると、時折こうして桜を見上げる。
時に満開の花たちに圧倒されてクラクラしそうになるが、それさえも悪くないと思った。

*****

桜を見上げるあの人を、今年もまた見ることができた。
小早川セナは窓の外で桜を見上げてじっと佇むヒル魔を見て、そっとため息をついた。

カフェ「デビルバッツ」はランチタイムのピークを過ぎて、のんびりした時間帯に入った。
以前はランチタイムの後は、夕方の営業まで1度店を閉めていた。
その間に従業員は食事を取り、店内の装飾などを夜用に変更する。
だが今は従業員も増えたので、その必要がなくなった。
それにカフェタイムを作って欲しいという客からの要望が増えたのだ。
元々コーヒーや紅茶などにこだわってはいたが、さらにスイーツメニューが充実したせいだ。
だから昼過ぎから明け方まで、長時間営業するようになった。

これもひとえに現在厨房を仕切っている三橋廉の食い意地によるところが大きい。
とにかく大食いで、しかも案外味にうるさい。
三橋のモットーは「自分が食べて満足できるものしか出さない」ことだ。
特にスイーツへのこだわりには、何か鬼気迫るものさえある。
とにかくカフェ「デビルバッツ」は繁盛しており、もうすぐ開店10周年を迎える。

この日もセナはホールでウエイターをしている。
本業は別にあるので、フルに店にいるわけではない。
だが時間がある限りは店に出て、こうしてホールや厨房を手伝ったりしていた。

セナは客が帰ったばかりの窓際の席で、空いた皿を片付け、テーブルを拭く。
ふと顔を上げた瞬間、窓の外が見えた。
満開の桜の樹と、それを見上げるヒル魔。
ヒル魔の白い肌や金色の髪が桜に映えて、ひどく幻想的な光景になっていた。

来年も桜を見上げるあの人は見られるだろうか。
そう思うと、セナはいつもクラクラとまるで眩暈のような不安に陥る。
今は考えてはいけないのに。覚悟はできているはずなのに。
セナは必死にネガティブな思考を頭から追い出す。

「さぁ仕事、仕事。」
小さくそう呟くのと入口のドアが開くのは、ほぼ同時だった。
セナは「いらっしゃいませ」と元気よく言うと、笑顔で入口の客を出迎えた。

*****

「いらっしゃいませ」
羽鳥芳雪は吉野千秋と共に、店員の声に出迎えられながら店内に足を踏み入れた。

この店のことは昔から知っていた。
吉野のマンションからまさに目と鼻の先と言えるほど、近い場所なのだ。
だが今まで前を通り過ぎることはあっても、客として入店することはなかった。
理由は簡単、見た目がかなり風変わりだからだ。
ほとんどカジノのような店構えで、夜などは奇抜な電飾が輝いている。
とにかく外見に引いてしまって、足が向くことはなかったのだ。
だが人の縁とは意外なもので、この店は後輩である小野寺律の行きつけの店だった。

ある日いつにもまして盛大な締切破りをやらかした吉野の仕事場でのこと。
深夜区切りのいいところで、軽く食事にしようということになった。
デリバリーの類はもう営業時間外なので、当然のごとくコンビニ買い出しになる。
だが折り悪く、吉野宅から一番近いコンビニは店内改装のため休みだった。
他の店を捜すか、それとも空腹のまま頑張るか。
疲れと空腹で吉野やスタッフたちの絶望的な状況の中、その提案をしたのは手伝いに来ていた律だった。
律は「近所に知っている店があるので、頼んでみます」と言って、携帯電話で連絡を取った。

しばらくしてやって来たのが、このカフェの店員たちだった。
通常はデリバリーなどはやっていないそうで、律は店まで取りに行くつもりだったようだ。
だが事情を聞いたカフェのスタッフがわざわざ運んできてくれたのだ。

「有り合わせで申し訳ないんですが。」
そう言いながら運ばれた料理に、一同は大いに感謝した。
サンドウィッチとオードブルのような盛り合わせ、そして寸胴鍋ごと持ち込まれた野菜のスープ。
それが大皿にいかにもカフェという感じで綺麗に盛られていた。
それも野菜がメインなので胃に優しい感じで、この時間帯にはありがたい。
しかも代金は「この量と味で?」と何度も聞き返すほど安かった。

「うちは野菜料理がオススメです。」
来てくれた2人の店員のうちの1人、黒髪で長身の青年がそう言った。
羽鳥はそのメニューを見て、味わって、少しだけ後悔した。
これほど身体に優しくて美味い料理なら、店の外見など関係なく行けばよかったと。

そして今日は吉野と共に、空いた皿と鍋を持って、この店に来店した。
もちろん主目的は食器の返却と代金の支払いだ。
それにあわよくばレシピなどを教えて欲しいと思ったりもしていた。

「お客様、お2人様ですか?」
この前来てくれた2人とは違う小柄な店員が、声をかけてきた。
羽鳥が事情を説明しようと「あの」と口を開いた瞬間、奥から「どうも先日は」と声がした。
あの時配達に来てくれた黒髪の店員だった。

*****

「どうも先日はありがとうございました。」
阿部隆也は来店した2人組の客に、笑顔で声をかけた。

「セナさん、こちらは先日デリバリーのご注文をいただいたお客様ですよ。」
「ああ、律くんの会社の。。。丸川書店さんですね。」
阿部は最初に2人組の客に応対したセナに説明すると、セナも合点がいったようだ。
声をかけてこようとした青年は大きな風呂敷包み、もう1人の青年は紙袋を持っている。
風呂敷包みは寸胴鍋の形だし、紙袋からは皿が何枚かのぞいていた。
どうやらわざわざ食器の返却に来てくれたらしい。

「ご連絡いただければ取りにうかがったのに。わざわざ申し訳ありません。」
「いえ。こちらが無理を言って、配達していただきましたので。」
阿部が風呂敷を抱えた青年に頭を下げると、相手もていねいに礼を返してきた。
どうやらかなり礼儀正しいことがうかがえる。

「阿部くん、せっかくお越しくださったんだし、何かお出ししたら」
「そうですね。」
阿部はセナの提案に頷くと、2人を窓側の席に案内する。
そうしながら阿部は2人を秘かに観察する。
礼儀正しい青年は整った顔立ちの美青年だ。
もう1人のずっと黙っている青年はかわいらしい感じだった。

「小野寺はこちらの常連だそうで。いつからですか?」
「高校生の頃からいらしていただいてます。元々お母様が常連さんで、ご一緒に来られて。」
「そんなに昔からですか。」
「はい。最近はさすがにお母様とは別々に来られますけど。」
礼儀正しい青年の質問に、阿部は丁寧に答えを返した。
律は最近はよく先輩だというやはり美形の青年とよく来店する。
雰囲気から見て恋人同士であることはすぐにわかった。
この2人が知っているかどうか知らないが、律のプライバシーに関わるようなことは言わないでおく。

「よろしければお食事でもいかがですか?わざわざ食器をお持ちいただきましたし、サービスします。」
阿部は鍋と食器を受け取ると、笑顔でそう言った。
高校時代の阿部からは信じられないような愛想のよさは、カフェでの長年の仕事で培われたものだ。
そしてこういう場面でサービスを惜しまないのは、この店の方針だ。

*****

「美味かった。すげぇ腹いっぱい。」
吉野千秋はすっかり満足し、腹をさすりながらカフェを出た。

先日の締め切り前の修羅場に、羽鳥の後輩である小野寺律が食事を手配してくれた店。
そこに食器を返しに言ったら、何と食事を無料で出してくれたのだ。
羽鳥と共にすっかり恐縮してしまったが「こういう方針なんで」と店員は笑顔だった。
出された料理は美味い上に量も多く、店員も馴れ馴れしすぎない親しさで接してくれる。
羽鳥も吉野も大いに満足して、カフェを後にしたのだった。

「小野寺さんのおかげでいい店を見つけたね。これから打ち合わせもここにしようか。」
「そうだな。栄養バランスもいいし。吉野も俺がいないときはこの店で食事しろ。」
吉野が機嫌よくそう言うと、羽鳥も笑顔で答える。
だがこの店に関しては、吉野よりむしろ羽鳥の方が前のめりだったと思う。
日頃無愛想なくせに、メニューのレシピを聞いたりなどしていた。
もしかしたら羽鳥はあの阿部という店員に気があるのではないかと不安になるほどだった。

「ええと、先日、配達の、メニュー、ですけど。。。」
レシピのことを聞いたら、阿部が厨房スタッフを呼んだ。
現れたのはあの時。阿部と共に配達に来てくれた青年で、三橋と名乗った。
三橋は阿部とは違い、あんまり話が上手い方ではないらしい。
それでも一生懸命説明してくれる様子には好感が持てた。
阿部曰く、このカフェのメニューのクオリティは三橋の食欲にかかっているのだという。

「桜も綺麗だね。」
吉野は店先の桜の樹の前で、ふと足を止めた。
金色の髪の青年が樹を見上げて立っていたことに気付いたからだ。

羽鳥と吉野の視線に気付いた青年が、こちらを振り返った瞬間。
青年の尖った耳に飾られていたピアスが揺れる。
そして青年は羽鳥や柳瀬、高野や律など美青年を見慣れている吉野にして、かなりの美形に見えた。

あまりにも幻想的過ぎて、クラクラする。
この人の物語を描いてみたい。
そんな漫画家の血が騒ぐのだ。
吉野は青年が怪訝な表情になるまで、青年と桜の美しい情景に見蕩れていた。

【続く】
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