アイシ×おお振り【お題:思い出15】

【優しい思い出】

三橋廉は指定された時間に「カフェ・デビルバッツ」の前に立った。
もうすぐ高校生活最後の夏休み。
その期間のアルバイトの面接に来たのだった。

去年と一昨年の夏休みは、野球三昧だった。
いや別に夏休みに限ったことではない。
去年の夏まで、三橋は野球漬けの日々を送っていた。
だが「とある事件」をきっかけに、三橋は野球を辞めた。

それから1年。
最初は野球に繋がるものは何を見てもつらかった。
ようやく前向きに考えられるようになったのは、つい最近のことだ。

高校生活の前半、命を賭けたといっても過言ではない野球。
今ではそれは三橋の中では、優しい思い出だった。
中学時代は、祖父が理事を勤める学校の野球部で「贔屓のエース」と呼ばれた。
高校では皆、三橋のことを認めてくれて、実力でエースになれたのだ。

だが野球を辞めてしまった今。
最後の夏休みに何かを見つけたいと思った。
そんなときに見たのが「カフェ・デビルバッツ」のアルバイト募集だった。

*****

野球を辞めた自分に何があるか。
考えた末に浮かんだ答えは「食べる」ことだった。
美味しいものを食べる。たくさん食べる。
三橋の食い意地は大食い揃いの野球部の中でも、群を抜いていた。

「カフェ・デビルバッツ」は何回か来たことがある。
グルメ雑誌に紹介されていたから行ってみたいという母親に連れられていったのだ。
そして文句なく美味しかったし、量もたっぷりとしていた。
他のメニューも食べたくて、三橋は母親と何回か店に通ったのだった。
大好きなお店で、働きたい。
三橋はこのアルバイト募集に飛びついたのだった。

「確かお客様で何回か来てもらってるよね。」
小早川セナと名乗った店員が三橋にジュースを出してくれながら聞いてきた。
自分と似たような体格で、ニコニコ笑いながら接してくれる。
可愛らしい顔立ちで、とても優しそうだ。
アルバイトの面接など初めてだった三橋の緊張が、少しだけ解れた。
だがもう1人のヒル魔という店員は見るからに恐ろしい。
整った綺麗な顔立ちなのに、金髪とピアスと何よりも鋭い目つきが三橋を威圧する。

「三橋廉って西浦のエースの三橋?」
ヒル魔は三橋から離れた奥のテーブルでノートパソコンをいじりながら、聞いてきた。
一瞬ビクリと身を震わせた三橋がおずおずと頷いた。
三橋と向かい合って座っていたセナがそれを聞いて、驚く。
「西浦かぁ。甲子園出てたよね。すごいな」
セナが三橋に笑いかけると、三橋はブンブンと首を振る。
「み、んなが、頑張ったから。俺は、全然」

「なぁ、テメー今高校3年だろう?夏の大会は?」
ヒル魔がノートパソコンから目を離さずにまた聞いてきた。
「去年、や、野球、をやめた、か、ら」
三橋はそう言って目を伏せた。

*****

昨年、2年生の夏の大会。
西浦高校は念願の甲子園出場を勝ち取った。
創立2年目の硬式野球部で、三橋は公式戦に耐えられる唯一の投手だった。
予選から甲子園の3回戦で敗れるまで、三橋はほとんど1人で投げぬいた。

甲子園大会が終わった後。
三橋はずっと同じ男であり、バッテリーの捕手である阿部が好きだった。
その阿部と甲子園から帰郷した学校の部室で、たまたま2人になった。
三橋は、そのとき抱いていた好意を阿部に打ち明けた。
本当は一生誰にも言わないつもりだった。
でも甲子園での好成績でテンションが上がっていた三橋は勢いで告白してしまったのだ。

阿部はそれを受け入れてくれた。
そのまま抱き合い、キスを交わし、一気に行為に及ぼうとした瞬間。
数名の部員たちにそれを見咎められてしまったのだった。

三橋と阿部の「それ」を目撃した部員たちは皆、同じ学年の部員だった。
彼らは一様に三橋と阿部の関係を否定した。
男同士の恋愛なんてありえないから。
俺たちはともかく、後輩たちは受け入れられないだろうから。
野球に悪い影響が出てしまう可能性は、低くないだろうから。
だから元のバッテリーの相方に戻れ。皆口々にそう言った。

引退するまで待とう。
部員たちの言葉に頷いた阿部が、三橋にそう言った。
そうだ。元々言わないつもりの想いだったのだ。
別れると言われたのではない。あと1年待とうと言われた。

でも、こうしてお互いの気持ちを確かめ合った後ではもう無理だった。
三橋の阿部への想いは、今まで頑張ってきた野球とともににある。
そのときの三橋にとって、野球と阿部を切り離すことは不可能だった。
それを今まで一緒に頑張ってきた仲間に、そして阿部自身に否定された。
自分が抱いた感情は、そんなに後ろめたい感情だったんだろうか。
そこで三橋の中で何かが切れてしまった。
もう何もない顔で野球を続ける自信がない。

そしてその翌日、三橋は野球部から去った。

*****

「好きに、なっては、いけない人を。好きになって。野球を辞めました。」
三橋はそれだけを言った。
一言一言言葉を選んで区切ったけれど、ドモることもなかった。
ヒル魔とセナはまた一瞬、顔を見合わせた。

「でも。野球を、辞めたこと、後悔したくなくて」
ヒル魔とセナの様子を見て、三橋は慌てて言った。
「ここの店、何度か来たけど。いつも美味しくて。この店大好きで。」
どうしても採用されたいのだ。ここのバイトに。
「もう一度、その人の前に、立つために。ここへ」
あまりにも必死な三橋の口調に、ヒル魔とセナは笑った。
苦笑でも嘲笑でもない。優しい笑みだ。

「三橋くん、住み込み希望だったっけ?」
セナはまた明るい口調で、三橋に聞いた。
「あ、はい、できれば。」
三橋が答える。
西浦高校野球部は、現在夏大会に向けて練習の日々だろう。
出来れば今は、そこから遠くに離れていたいのだ。

「いつから来られるかな」
セナの言葉に三橋の顔が輝いた。
「さ、い、ようして、もらえるんですか」
「よろしく。一緒に頑張ろうね」
セナは三橋にニッコリと笑いかけた。
「しっかり働けよ」
ヒル魔が相変わらずノートパソコンを叩きながら、言う。
「ありがとう、ございます!」
三橋は立ち上がると、セナとヒル魔に深々と頭を下げた。

*****

帰り道、三橋は携帯電話をニコニコと眺めながら、電車に揺られていた。
小早川セナとヒル魔妖一。本日増えた2件のメモリ。
新規に登録したのは、1年半ぶり。
2年になって、野球部の後輩の番号とアドレスを登録して以来だ。
皆は夏の大会で頑張っている。自分も同じくらいいい経験をしたい。
まだ何ができるかなどわからないけど、阿部にも野球部の皆にも恥じない自分になる。
そして、もう一度。阿部に逢いに行く。
そのときにはまた優しい思い出を作れるだろうか?
三橋は、電車の窓に映る自分の顔に向かって笑いかけた。

「面白れぇヤツだったな。何か高校の頃のテメーに似てねぇか?」
三橋が帰った後、ヒル魔が楽しげに言う。
「そうですか?僕、あんなに可愛かったかな」
セナは冗談を込めて、短く応じた。

アメフトを辞めてから、ヒル魔は口数が減った。
無口になったわけではない。
聞かれたことには答えるし、必要なことは言う。
毒舌は変わらないが、無駄なことは言わなくなった。
元々アメフトでハッタリの為に言葉を使っていたヒル魔が本来の姿に戻ったのだと、セナは思っている。
でもそのヒル魔が、三橋に対してわざわざ感想を言った。
つまりヒル魔は三橋を気に入ったのだ。

「楽しい夏休みになりそうですね。」
セナはニヤニヤと笑うヒル魔に言った。
セナもまた三橋に関しては、同じ意見だった。
多分何か傷を負っている。でもそれにも負けず懸命に前に進もうとしている。
まっすぐで綺麗な瞳が、気に入ったのだ。

そして三橋の訪問によって。
「カフェ・デビルバッツ」で、様々な想いが交錯する物語が始まった

【続く】
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