アイシ×おお振り【お題:思い出15】
【後日談 Supplement (後編)】
花井は久しぶりに野球部の部室へと足を向けた。
引退した3年生が顔を出しても、後輩たちもやりにくいだろう。
そう思ったからわざわざ練習が終わり1、2年生が帰った後に現れた。
どうしていいかわからない。
そんなときに頭に浮かんだのは、恩師である野球部の女性監督の顔だった。
「三橋くんのことかな」
事前に相談したいことがあるから、と時間を取ってもらっていた。
1人部室で待っていた百枝は、聡明な彼女らしく花井の用件を察していたようだった。
「どうしたらいいのか、わからないんです。」
花井は百枝の問いに頷くと、単刀直入に切り出した。
事の起こりは去年の夏、三橋と阿部の恋愛を知ってしまったこと。
同性同士の恋愛に皆が戸惑ってしまい、2人を責め、結局三橋が部を去ってしまったこと。
今年の夏に2人は晴れて恋人になったものの、部員たちとは微妙な距離があること。
篠岡のこと。水谷のこと。そのことで皆の心が揺れていること。
「私は1年のときから気がついてた。阿部くんと三橋くんが惹かれあっていること」
花井の話を全て聞き終えた百枝が、微笑しながら言う。
さすが監督、気がついていたのかと花井は感心しながら黙って聞いている。
「野球に支障が出ないかいつも心配だった。でも反対したくなかった。」
「どうしてですか?」
「あの2人がお互いを好きになるのは自然なことのような気がしたから。」
百枝が昔を懐かしむような表情でさらに続けた。
「私は2人の仲を認めてあげたいって思ってる。だから祝福してあげたい。」
「祝福、ですか。」
「うん。頑張れって言いたい。皆にもそうしろとは言わないけどね。」
久しぶりの百枝の笑顔が思いのほか綺麗で、花井はドキリとする。
監督と主将、そして年齢差。
阿部と三橋の恋とはまるで違うが、花井の恋もまた険しい道のりだ。
百枝は相変わらずはっきりと何をしろとは言わない。
だがその頼もしい笑顔を見て、花井はホッと大きく息をついた。
吹っ切れた気がする。何をするべきなのか。
道ならぬ恋に落ちた代償を、阿部も三橋も十分に支払った。
1年前には主将として、部の規律を言わなくてはならなかった。
だが今はもう部を離れたのだから、花井個人が自分の気持ちを伝えればいい。
「ありがとうございます。」
花井はそう言って、頭を下げた。
三橋と阿部のことが片付いたら、花井も告白したいと思っている。
そのためにまずしなければならないことがあるのだ。
*****
「ありがとう」
阿部はセナの言葉にキョトンとした表情で、首を傾げた。
大急ぎで帰国の準備をしていたセナは、一転してのんびりした日々を過ごしていた。
早く会いたいと思った恋人であるヒル魔が、日本に来てしまったからだ。
皆には内緒だが、ヒル魔の体調はよくない。長い旅行などもってのほかだ。
ヒル魔もセナもそれを隠すように「せっかくだからのんびりする」と宣言した。
そして今日は久しぶりに阿部が「カフェ・デビルバッツ」に現れた。
すでに大学への推薦入学が決まった三橋は、週末の度にやって来る。
だが阿部が来店したのは、セナの帰国パーティ以来のことだった。
「ヒル魔さんに聞いたんだ。阿部くんがメールくれたって」
「ああ、そのことっすか」
阿部が自分の頭をガシガシとかき回しながら、顔を顰める。
そして辺りをキョロキョロと見回すと、声のトーンを落として言う。
「ヒル魔さん、大丈夫なんですか?」
阿部はヒル魔の体調のことを知る数少ない人間の1人だ。
阿部は帰国パーティのときのセナの様子を見ていた。
三橋の動きを目で追い、ため息をつくセナを。
寂しそうなその様子は、どこか三橋と重なって見えた。
悲しそうで頼りなさそうで、そのくせ強がって歯を食いしばって踏みとどまろうとする。
だから手を伸ばして、守ってやりたくなる。
いつも三橋を見ていて感じるそんな思いが、セナにダブったのだ。
阿部はヒル魔にメールを送った。
三橋や阿部が何を言うより、ヒル魔の一言の方がセナは嬉しいだろう。
だからメールでも電話でもいいから、優しい言葉をかけてあげて欲しいと思った。
でもまさかヒル魔が阿部の言葉を受けて、日本に戻ってくるとは思わなかった。
「ヒル魔さん、俺のせいで無理したんじゃないすか?」
阿部が申し訳なさそうに、ヒル魔の方に視線を向ける。
ヒル魔は三橋と何やら話し込んでいるようで、2人とも穏やかに笑っている。
「少しつらいみたいだけど、大丈夫だって」
セナもまたヒル魔と三橋の方を見ながら、微笑した。
阿部もセナの言葉をきいて、安堵したように笑う。
「ありがとう、はこっちです。三橋はセナさんたちと話をすることで救われてると思うから。」
三橋は野球部の部員たちとうまくいっておらず、学校では何となく浮いている。
セナはそれを三橋から聞いていたが、同じ学校の阿部は肌で感じていることだろう。
「僕とヒル魔さんも、阿部くんとレンくんも、絶対に幸せにならなくちゃね。」
セナの言葉に阿部が頷く。そして2人で顔を見合わせて笑った。
*****
「俺、ここに逃げてきたのかも」
三橋が不安げに呟くのを、ヒル魔は黙って聞いていた。
ヒル魔が帰国して初めて、三橋は阿部と共に「カフェ・デビルバッツ」に現れた。
三橋は年内は炎馬大学アメフト部の練習に参加すると言う。
だから週末の度に練習して、その後店に顔を出す。
だが受験生の阿部は、そろそろ追い込みの時期だ。
セナが帰国したパーティ以来の来店だと言う阿部は、窓際のテーブルでセナと話しこんでいる。
その様子をぼんやりと見ていた三橋に、ヒル魔は声をかけた。
「元気でやってんのか?」
ヒル魔の問いに、三橋が「はい」と答えて笑う。
だがその笑顔に悲しげな色が含まれているのを、ヒル魔は目ざとく見て取った。
野球部の部員たちに阿部との仲を認められなくてつらいという話は知っている。
ヒル魔はセナからそれを聞き、胸が詰まるような思いだった。
こればかりはどうしようもない、とヒル魔は思う。
幸いにもヒル魔やセナの周りには、男同士の恋愛を否定する者はいない。
だが普通は阿部や三橋のように、受け入れられてもらえない可能性の方が高いだろう。
人の心の好き嫌いの話なのだ。
ヒル魔の黒い手帳も、頭脳を駆使した知略も、役には立たない。
「無理しねぇでいいぞ」
ヒル魔がそう言うと、三橋の表情が急に変わった。
まるで迷子になった子供のような、不安で所在なげな顔だ。
「俺、学校で、つらくて。ここに、逃げてきたのかも」
「いいんだ、それで」
ヒル魔は穏やかな顔で、三橋に語りかけた。
「これから先もある。男同士で恋してるってだけで、弾かれることもあるはずだ。」
ヒル魔が淡々と話し続ける。
当たり前のようだが残酷な事実に、三橋の顔が一瞬曇った。
「でもな、俺たちは絶対にテメーらを否定しねぇ。」
俯いて下を向いてしまった三橋が、顔を上げた。
「つらくなったらいつでも逃げてくればいい。」
ヒル魔が安心させるように、三橋の肩をポンポンと叩いた。
ヒル魔は三橋のつらい心を理解して、一番欲しい言葉をくれた。
三橋は涙で潤んだ瞳で、ヒル魔の目をまっすぐに見て笑った。
*****
「篠岡に告白したんだ」
水谷はいつもの明るい口調でそう言った。
もうすぐ冬が来るのだと憂鬱になるほど気温が下がったある日、水谷は三橋を呼び出した。
練習時間中の野球部の部室は、密会には案外便利な場所だ。
下級生たちは全員練習に出ているし、部員以外は入ってこない。
水谷がそんな時間帯の部室で待っていると、三橋はすぐに現れた。
三橋は水谷の目を見て、会釈のような仕草をしたが、それだけだった。
部室の奥には入ろうとせず、入口のドア付近に立ち尽くしている。
そして何もしゃべらず、無表情にただ水谷の言葉を待っている様子だった。
「告白するって、すごく勇気がいる」
水谷は篠岡に告白したと告げた後、そう続ける。
「三橋はどうだった?告白したのは阿部?それとも三橋?」
三橋は何も答えずに、かすかに首を振った。
答えたくないということなのだろう。
「ごめん。三橋。俺が悪かった。」
水谷は深々と頭を下げた。
「え、な、なんで?」
その頭上におろおろとした三橋の声が響く。
何があっても自分だけを責める三橋には、唐突な水谷の謝罪の意味などわからないだろう。
「男同士ってだけで阿部と三橋のことを否定した。篠岡のことだって、三橋は悪くないのに」
叫ぶようにそういうと、水谷は勢いよく顔を上げた。
普通の女の子である篠岡に告白するだけで、ものすごく緊張し、疲れたのだ。
男同士で結ばれるのは、まさに奇跡なのだと今の水谷は思う。
「篠岡、さんは。何て?」
三橋の無表情は変わらなかった。口調ももの静かだ。
「考えさせてって。」
水谷は三橋の様子に困惑しながら、そう答えた。
三橋はあくまでも静かに「そっか」と呟いた。
「わざわざ、ありがとう。篠岡、さんと、うまくいくこと、祈ってる。」
水谷が黙っていると、三橋はそう言って部室から出て行った。
「そう簡単にはいかねぇな」
三橋が出て行くと同時に、ロッカーの中から隠れていた泉が姿を現した。
「そうだね。」
水谷は大きくため息をつく。
甘かった。謝罪することで、三橋は以前のように笑ってくれるものだと思っていた。
三橋の心の傷は深いのだろう。ほんの少しの会話で元通りになれるものではないのだ。
「俺も三橋と話す。それにほかにも三橋とこのまま終わりたくないヤツはいるはずだ。」
泉が励ますように水谷の肩を叩くと、水谷も同意するように頷いた。
*****
「俺に何かあったときには、セナを頼む。」
いつになく真剣なヒル魔の口調に、ムサシもまもりも言葉を失った。
朝、開店前の「カフェ・デビルバッツ」。
セナは大学の練習に行っており、店にいるのはヒル魔とまもり、ムサシの3人だ。
ヒル魔は「もうわかってると思うけど」と前置きして、2人に話し始めた。
自分の身体が病魔に侵されており、余命は数年と宣告されていることを。
そしてヒル魔とセナの最後の夢。
そのためにセナがNFL入りを果たそうと焦っていることを。
「セナはもう知っている。覚悟も決めてる。」
淡々と話すヒル魔に、まもりの目が潤んでいる。
だが涙を溢すまいと力を込めているせいで、唇が震えていた。
ムサシは腕組みをしながら黙って聞いている。
帰国したヒル魔は目に見えて痩せていたし、顔色も悪い。
ムサシとまもりもうすうす察してはいたが、改めて本人の口から聞かされるのは衝撃だった。
「知ってるのは、テメーとセナと俺たちだけか?」
「レンと阿部も知ってる。」
「そうか。」
ムサシもヒル魔同様、何でもないような口調で話しかけてくる。
変に泣いたり、騒いだりしないムサシの気遣いに、ヒル魔は感謝した。
「セナを置いていくことだけが心配だ。」
ヒル魔が微笑を浮かべながら、ポツリと呟いた。
それこそがヒル魔の本音なのだろう。
「まだまだ先の話でしょ?まず夢をかなえる方を心配しなさい。」
まもりが凛とした口調で言う。
ほんの少しだけ涙がまじったものの、かつてのマネージャーのきびきびとした声だ。
ムサシが「まったくだ」とまもりに同意する。
「俺はライスボウルでテメーと戦う夢を潰されたんだ。責任を取りやがれ。」
「そっちは栗田に託したぜ」
「でも今年はもう無理みたいだがな」
そうしてヒル魔とムサシの話題は今年の大学リーグへと移っていく。
「コーヒーでも淹れるわ」
2人の男が軽快に話す声を聞きながら、まもりが席を立った。
ヒル魔とムサシは「おう」と短く応じながら、アメフト談義に熱中していった。
*****
「ミハシ!」
放課後、学校を出ようとしたところで、不意に背後から抱きつかれて、三橋は驚いた。
強い力で張り付かれているから振り返ることはできないが、背後の人物が誰かはすぐわかる。
大きな声と、子供のような無邪気な行動。考えるまでもなく田島だ。
「キャッチボール、しねぇ?」
抱きつく手を緩めて、ようやく三橋を解放する。
そして振り返った三橋に、ニンマリと笑いかけながら田島が誘っていた。
「みんな受験じゃん。誰も相手してくれなくて、つまんねぇんだよね。」
「あ、あの」
「グローブ、三橋の分も持ってきたし。練習の邪魔にならなきゃいいってモモカンの許可も取った。」
とにかく二の句も告げられず、三橋は田島に引きづられるように連行されていく。
「ほとんど誘拐だな」
花井の言葉に、全員が頷いた。
田島と三橋の背後、阿部を除いた野球部の面々が全員顔を揃えている。
受験を控えたメンバーたちの思うところは1つだった。
愛すべきエースと和解し、笑顔で卒業したい。
だが水谷が三橋に謝罪したが、その表情はぎこちなかったという泉の話を受けて。
この任務は我らが4番、田島に託すと花井が英断を下したのだ。
泉は単に田島はボールに触りたかっただけではないかと疑ったが、三橋相手なら有効な作戦だと思い直した。
そして部員たちは尾行というにはあまりにも大胆にゾロゾロと後をついて行った。
「三橋は、西浦に来てよかったと思う?」
三橋と田島は下級生部員たちの邪魔にならないように、グラウンドの片隅を陣取った。
そして向かい合ってボールを投げながら、田島が聞く。
「よ、よかった、よ」
三橋はボールを投げ返しながら、答えた。
「もし、阿部がいなくても?」
「え?」
再び田島が三橋に投げながら聞いた途端、三橋の動きが止まった。
手の中のボールを見ながら、じっと考えている。
「阿部、くんが、いなくても。よかった。田島くんや、皆に。逢えた。」
一瞬の間の後、三橋が答えと共にボールを投げ返してきた。
「俺も、三橋に逢えてよかったよ。」
田島がニカっと笑うと、また三橋にボールを投げ込んできた。
田島は三橋の目を盗んで、グラウンドの外に向かって手を振った。
その辺りには、花井たちが潜んでいる。
彼らは三橋の表情は見えなかったが、声はしっかり聞き取った。
そして顔を見合わせて笑った。
*****
午後の空港ロビーは、旅行のシーズンでもないのに行き交う人が多い。
何となく落ち着かない雰囲気の中、セナと三橋は肩を並べて楽しげに談笑している。
ヒル魔と阿部はそれを遠めに見ながら、待合用のベンチに並んで座っていた。
今日はヒル魔とセナが再び渡米する日だった。
そしてアメフトのシーズンはまだ続いており、かつてのヒル魔の母校、最京大学の試合の日でもある。
以前の渡米の時には、ヒル魔とセナは仲間たちに盛大に見送られた。
「カフェ・デビルバッツ」のメンバーたちは空港まで大人数でやって来たのだ。
だがさすがに2回目は申し訳ないと、2人はわざと試合日を渡米の日とした。
だから今回の見送りは、前回は平日で学校があったために来られなかった阿部と三橋だけだった。
「悪かったな、いろいろと」
ヒル魔がさして申し訳なさそうでもない口調で言う。
阿部は「そんなことないっすよ」と言いながら、肩を竦めて笑う。
「本当はアメリカにテメーらを呼んで、再会といきたかったんだがな。」
「でもおかげでセナさんのNFLデビュー戦は、スタジアムで観戦できますね。」
阿部は楽しげに笑った。
確かにもしもセナが今年デビューを飾れていれば、受験生の阿部が生観戦は出来ないだろう。
三橋は阿部のリードはすごい、頭がいいと言っていたが、確かに今のコメントはなかなかのものだと思う。
ヒル魔は阿部の横顔を見ながら、不敵に笑った。
「三橋、この間野球部のメンバーと和解したんですよ」
阿部が穏やかな顔で、切り出した。
「久々にチームメイトとキャッチボールして、胸のつかえが取れたようです。」
「そうか。よかったな。セナも喜ぶ。」
「ヒル魔さんにも、セナさんにも、心配かけちゃいましたね。」
さらりとそう言って笑う阿部は本当に頼もしく見えた。
三橋と阿部の恋愛で、阿部だって無傷ではなかったはずだ。
逃げるように野球部を去った三橋もつらかっただろう。
だが残された阿部は、それ以上につらかったはずだ。
三橋の気配がたっぷりと残る野球部で、1人で戦い続けたのだから。
それでもそんな素振りを露ほども見せず、三橋やセナやヒル魔の心配をしている。
まったく大した男だと、ヒル魔は感心していた。
名残を惜しむ時間は瞬く間に過ぎてしまい、出発の時刻となった。
「阿部くん。絶対にレンくんと同じ大学に受かってね。」
「合格したら、卒業旅行で来いよ。」
セナとヒル魔が、阿部に激励の言葉をかけた。
阿部が「はい」と力強く答え、その横で三橋が目に涙を浮かべながらヒル魔とセナを見つめる。
そしてまた握手を交わして、2組のカップルは別れた。
*****
「せ、Set、Hut!」
三橋の、三橋にしては大きな声がフィールドに響く。
そしてスナップされたボールが、三橋の手から綺麗なスパイラルを描いて宙を飛んだ。
年が明けて、西浦高校野球部の部員たちは受験を乗り切った。
全員がさすがに第一志望合格とはならなかったが、何とか全員進学先を決めた。
阿部は見事に三橋と同じ大学への合格を決めた。
この頃には3年生部員たちの間では、阿部と三橋はすっかり公認カップルとなっていた。
卒業式を間近に控えたとある日、三橋はアメフトの試合に出ることになった。
もちろん公式戦ではなく、ほとんど遊びに近い練習試合だ。
かの泥門デビルバッツやその好敵手たちが、メンバーをシャッフルしてチームを作り、対戦する。
セナが高校1年生の時の3年生、高見や大田原らの学年の送別会として企画されたイベントだ。
三橋の「フローラル・シュート」は密かに評判となっており、特別ゲストとして招かれた。
「三橋、頑張れ!」
「すげぇな、アメフトの防具って。三橋がムキムキに見える。」
「俺、アメフトのルールってよく知らないんだけど。」
西浦高校野球部のメンバーは、しっかりと全員揃って観戦に来ていた。
かつて西浦の引退試合に、デビルバッツのメンバーが見に来たのとまるで逆の展開だった。
「三橋って、ほんと投げることに関してはすごいんだな。」
栄口が呆れたように言い、皆が頷いた。
三橋が投げるたびに、あちこちから歓声が起こるのだ。
あいつどこの学校だ、高校生だってよ、どこの大学に行くんだ?等々。
「フローラル・シュートっつうらしいぜ。」
阿部が不機嫌そうに言った。
元々阿部は、三橋がこのイベントに参加することには反対だった。
アメフトをするのはいいのだが、怪我が心配なのだ。
それでも三橋の参加を許可したのは、野球部を離れていた期間の三橋を否定したくないからだ。
そんな阿部の気持ちは全員にお見通しだった。
「Set、Hut、ハ、Hut!」
三橋を知る者からすれば単にドモっている、だが知らないものからすれば独特のハットコール。
そして三橋の手からロングパスが繰り出されて、会場がどよめく。
野球部のメンバーたちは、彼らのエースの勇姿に声援を送り続けた。
*****
大学野球、脅威の1年生バッテリー登場。
ヒル魔はパソコンの画面に映し出されたニュース記事を見て、不敵に笑った。
阿部が三橋と同じ大学に見事合格を果たした。
野球部で2人ともレギュラーポジションを獲得した。
三橋も阿部もこまめにメールを送ってきて、近況を報告してくれていた。
でもそれを公式なニュースで見ると、喜びはさらに倍増するような気がする。
「すごいですね。レンくんも阿部くんも」
セナがヒル魔の背後からパソコンを覗き込んで、感嘆の声を上げる。
ヒル魔は「そうだな」と言いながら、三橋と阿部のニュースをパソコンに保存する。
「アメフトって日本ではマイナー種目だけど、野球してる人は多いですよね」
セナが独り言のように言う。
「ああ。そうだな。」
ヒル魔には、セナの言いたいことがよくわかった。
日本の高校生では、野球とアメフトの競技人口、すなわち底辺がまるで違う。
野球でニュースに取り上げられるほどのレベルに上がるのは、確率的にはアメフトより大変なことだ。
「何かあっと言う間に追い越されちゃったかなぁ。」
「何だ?弱音か?」
セナのため息混じりの言葉に、ヒル魔がからかうように応じる。
セナはクスりと笑いながら「まさか」と答えた。
「あの2人がプロ野球選手になるよりは先にNFL入りします。」
「なんだ?あと4年も待たされるのかよ。」
「先にって言ったじゃないですか。」
セナとヒル魔は愉快な気分で軽口を叩きあった。
「ヒル魔さん、ちゃんと見届けてくださいね。」
「ああ?」
「レンくんと阿部くんの未来も。僕の未来も。」
それはセナにとって祈りのような言葉だった。
少しでも長く、ヒル魔と共に生きていきたい。
「たりめーだ」
ヒル魔はセナの両肩に手を置き、抱き寄せた。
出逢った頃よりは背も伸びたし、筋肉もついたものの、相変わらず細身のセナの身体。
「一緒に行くんだ。誰よりも高い場所に。」
ヒル魔は高らかにそう宣言すると、2人は目を閉じて唇を重ねた。
【終】*後日談はここまで。以降はさらにその後のお話です*
花井は久しぶりに野球部の部室へと足を向けた。
引退した3年生が顔を出しても、後輩たちもやりにくいだろう。
そう思ったからわざわざ練習が終わり1、2年生が帰った後に現れた。
どうしていいかわからない。
そんなときに頭に浮かんだのは、恩師である野球部の女性監督の顔だった。
「三橋くんのことかな」
事前に相談したいことがあるから、と時間を取ってもらっていた。
1人部室で待っていた百枝は、聡明な彼女らしく花井の用件を察していたようだった。
「どうしたらいいのか、わからないんです。」
花井は百枝の問いに頷くと、単刀直入に切り出した。
事の起こりは去年の夏、三橋と阿部の恋愛を知ってしまったこと。
同性同士の恋愛に皆が戸惑ってしまい、2人を責め、結局三橋が部を去ってしまったこと。
今年の夏に2人は晴れて恋人になったものの、部員たちとは微妙な距離があること。
篠岡のこと。水谷のこと。そのことで皆の心が揺れていること。
「私は1年のときから気がついてた。阿部くんと三橋くんが惹かれあっていること」
花井の話を全て聞き終えた百枝が、微笑しながら言う。
さすが監督、気がついていたのかと花井は感心しながら黙って聞いている。
「野球に支障が出ないかいつも心配だった。でも反対したくなかった。」
「どうしてですか?」
「あの2人がお互いを好きになるのは自然なことのような気がしたから。」
百枝が昔を懐かしむような表情でさらに続けた。
「私は2人の仲を認めてあげたいって思ってる。だから祝福してあげたい。」
「祝福、ですか。」
「うん。頑張れって言いたい。皆にもそうしろとは言わないけどね。」
久しぶりの百枝の笑顔が思いのほか綺麗で、花井はドキリとする。
監督と主将、そして年齢差。
阿部と三橋の恋とはまるで違うが、花井の恋もまた険しい道のりだ。
百枝は相変わらずはっきりと何をしろとは言わない。
だがその頼もしい笑顔を見て、花井はホッと大きく息をついた。
吹っ切れた気がする。何をするべきなのか。
道ならぬ恋に落ちた代償を、阿部も三橋も十分に支払った。
1年前には主将として、部の規律を言わなくてはならなかった。
だが今はもう部を離れたのだから、花井個人が自分の気持ちを伝えればいい。
「ありがとうございます。」
花井はそう言って、頭を下げた。
三橋と阿部のことが片付いたら、花井も告白したいと思っている。
そのためにまずしなければならないことがあるのだ。
*****
「ありがとう」
阿部はセナの言葉にキョトンとした表情で、首を傾げた。
大急ぎで帰国の準備をしていたセナは、一転してのんびりした日々を過ごしていた。
早く会いたいと思った恋人であるヒル魔が、日本に来てしまったからだ。
皆には内緒だが、ヒル魔の体調はよくない。長い旅行などもってのほかだ。
ヒル魔もセナもそれを隠すように「せっかくだからのんびりする」と宣言した。
そして今日は久しぶりに阿部が「カフェ・デビルバッツ」に現れた。
すでに大学への推薦入学が決まった三橋は、週末の度にやって来る。
だが阿部が来店したのは、セナの帰国パーティ以来のことだった。
「ヒル魔さんに聞いたんだ。阿部くんがメールくれたって」
「ああ、そのことっすか」
阿部が自分の頭をガシガシとかき回しながら、顔を顰める。
そして辺りをキョロキョロと見回すと、声のトーンを落として言う。
「ヒル魔さん、大丈夫なんですか?」
阿部はヒル魔の体調のことを知る数少ない人間の1人だ。
阿部は帰国パーティのときのセナの様子を見ていた。
三橋の動きを目で追い、ため息をつくセナを。
寂しそうなその様子は、どこか三橋と重なって見えた。
悲しそうで頼りなさそうで、そのくせ強がって歯を食いしばって踏みとどまろうとする。
だから手を伸ばして、守ってやりたくなる。
いつも三橋を見ていて感じるそんな思いが、セナにダブったのだ。
阿部はヒル魔にメールを送った。
三橋や阿部が何を言うより、ヒル魔の一言の方がセナは嬉しいだろう。
だからメールでも電話でもいいから、優しい言葉をかけてあげて欲しいと思った。
でもまさかヒル魔が阿部の言葉を受けて、日本に戻ってくるとは思わなかった。
「ヒル魔さん、俺のせいで無理したんじゃないすか?」
阿部が申し訳なさそうに、ヒル魔の方に視線を向ける。
ヒル魔は三橋と何やら話し込んでいるようで、2人とも穏やかに笑っている。
「少しつらいみたいだけど、大丈夫だって」
セナもまたヒル魔と三橋の方を見ながら、微笑した。
阿部もセナの言葉をきいて、安堵したように笑う。
「ありがとう、はこっちです。三橋はセナさんたちと話をすることで救われてると思うから。」
三橋は野球部の部員たちとうまくいっておらず、学校では何となく浮いている。
セナはそれを三橋から聞いていたが、同じ学校の阿部は肌で感じていることだろう。
「僕とヒル魔さんも、阿部くんとレンくんも、絶対に幸せにならなくちゃね。」
セナの言葉に阿部が頷く。そして2人で顔を見合わせて笑った。
*****
「俺、ここに逃げてきたのかも」
三橋が不安げに呟くのを、ヒル魔は黙って聞いていた。
ヒル魔が帰国して初めて、三橋は阿部と共に「カフェ・デビルバッツ」に現れた。
三橋は年内は炎馬大学アメフト部の練習に参加すると言う。
だから週末の度に練習して、その後店に顔を出す。
だが受験生の阿部は、そろそろ追い込みの時期だ。
セナが帰国したパーティ以来の来店だと言う阿部は、窓際のテーブルでセナと話しこんでいる。
その様子をぼんやりと見ていた三橋に、ヒル魔は声をかけた。
「元気でやってんのか?」
ヒル魔の問いに、三橋が「はい」と答えて笑う。
だがその笑顔に悲しげな色が含まれているのを、ヒル魔は目ざとく見て取った。
野球部の部員たちに阿部との仲を認められなくてつらいという話は知っている。
ヒル魔はセナからそれを聞き、胸が詰まるような思いだった。
こればかりはどうしようもない、とヒル魔は思う。
幸いにもヒル魔やセナの周りには、男同士の恋愛を否定する者はいない。
だが普通は阿部や三橋のように、受け入れられてもらえない可能性の方が高いだろう。
人の心の好き嫌いの話なのだ。
ヒル魔の黒い手帳も、頭脳を駆使した知略も、役には立たない。
「無理しねぇでいいぞ」
ヒル魔がそう言うと、三橋の表情が急に変わった。
まるで迷子になった子供のような、不安で所在なげな顔だ。
「俺、学校で、つらくて。ここに、逃げてきたのかも」
「いいんだ、それで」
ヒル魔は穏やかな顔で、三橋に語りかけた。
「これから先もある。男同士で恋してるってだけで、弾かれることもあるはずだ。」
ヒル魔が淡々と話し続ける。
当たり前のようだが残酷な事実に、三橋の顔が一瞬曇った。
「でもな、俺たちは絶対にテメーらを否定しねぇ。」
俯いて下を向いてしまった三橋が、顔を上げた。
「つらくなったらいつでも逃げてくればいい。」
ヒル魔が安心させるように、三橋の肩をポンポンと叩いた。
ヒル魔は三橋のつらい心を理解して、一番欲しい言葉をくれた。
三橋は涙で潤んだ瞳で、ヒル魔の目をまっすぐに見て笑った。
*****
「篠岡に告白したんだ」
水谷はいつもの明るい口調でそう言った。
もうすぐ冬が来るのだと憂鬱になるほど気温が下がったある日、水谷は三橋を呼び出した。
練習時間中の野球部の部室は、密会には案外便利な場所だ。
下級生たちは全員練習に出ているし、部員以外は入ってこない。
水谷がそんな時間帯の部室で待っていると、三橋はすぐに現れた。
三橋は水谷の目を見て、会釈のような仕草をしたが、それだけだった。
部室の奥には入ろうとせず、入口のドア付近に立ち尽くしている。
そして何もしゃべらず、無表情にただ水谷の言葉を待っている様子だった。
「告白するって、すごく勇気がいる」
水谷は篠岡に告白したと告げた後、そう続ける。
「三橋はどうだった?告白したのは阿部?それとも三橋?」
三橋は何も答えずに、かすかに首を振った。
答えたくないということなのだろう。
「ごめん。三橋。俺が悪かった。」
水谷は深々と頭を下げた。
「え、な、なんで?」
その頭上におろおろとした三橋の声が響く。
何があっても自分だけを責める三橋には、唐突な水谷の謝罪の意味などわからないだろう。
「男同士ってだけで阿部と三橋のことを否定した。篠岡のことだって、三橋は悪くないのに」
叫ぶようにそういうと、水谷は勢いよく顔を上げた。
普通の女の子である篠岡に告白するだけで、ものすごく緊張し、疲れたのだ。
男同士で結ばれるのは、まさに奇跡なのだと今の水谷は思う。
「篠岡、さんは。何て?」
三橋の無表情は変わらなかった。口調ももの静かだ。
「考えさせてって。」
水谷は三橋の様子に困惑しながら、そう答えた。
三橋はあくまでも静かに「そっか」と呟いた。
「わざわざ、ありがとう。篠岡、さんと、うまくいくこと、祈ってる。」
水谷が黙っていると、三橋はそう言って部室から出て行った。
「そう簡単にはいかねぇな」
三橋が出て行くと同時に、ロッカーの中から隠れていた泉が姿を現した。
「そうだね。」
水谷は大きくため息をつく。
甘かった。謝罪することで、三橋は以前のように笑ってくれるものだと思っていた。
三橋の心の傷は深いのだろう。ほんの少しの会話で元通りになれるものではないのだ。
「俺も三橋と話す。それにほかにも三橋とこのまま終わりたくないヤツはいるはずだ。」
泉が励ますように水谷の肩を叩くと、水谷も同意するように頷いた。
*****
「俺に何かあったときには、セナを頼む。」
いつになく真剣なヒル魔の口調に、ムサシもまもりも言葉を失った。
朝、開店前の「カフェ・デビルバッツ」。
セナは大学の練習に行っており、店にいるのはヒル魔とまもり、ムサシの3人だ。
ヒル魔は「もうわかってると思うけど」と前置きして、2人に話し始めた。
自分の身体が病魔に侵されており、余命は数年と宣告されていることを。
そしてヒル魔とセナの最後の夢。
そのためにセナがNFL入りを果たそうと焦っていることを。
「セナはもう知っている。覚悟も決めてる。」
淡々と話すヒル魔に、まもりの目が潤んでいる。
だが涙を溢すまいと力を込めているせいで、唇が震えていた。
ムサシは腕組みをしながら黙って聞いている。
帰国したヒル魔は目に見えて痩せていたし、顔色も悪い。
ムサシとまもりもうすうす察してはいたが、改めて本人の口から聞かされるのは衝撃だった。
「知ってるのは、テメーとセナと俺たちだけか?」
「レンと阿部も知ってる。」
「そうか。」
ムサシもヒル魔同様、何でもないような口調で話しかけてくる。
変に泣いたり、騒いだりしないムサシの気遣いに、ヒル魔は感謝した。
「セナを置いていくことだけが心配だ。」
ヒル魔が微笑を浮かべながら、ポツリと呟いた。
それこそがヒル魔の本音なのだろう。
「まだまだ先の話でしょ?まず夢をかなえる方を心配しなさい。」
まもりが凛とした口調で言う。
ほんの少しだけ涙がまじったものの、かつてのマネージャーのきびきびとした声だ。
ムサシが「まったくだ」とまもりに同意する。
「俺はライスボウルでテメーと戦う夢を潰されたんだ。責任を取りやがれ。」
「そっちは栗田に託したぜ」
「でも今年はもう無理みたいだがな」
そうしてヒル魔とムサシの話題は今年の大学リーグへと移っていく。
「コーヒーでも淹れるわ」
2人の男が軽快に話す声を聞きながら、まもりが席を立った。
ヒル魔とムサシは「おう」と短く応じながら、アメフト談義に熱中していった。
*****
「ミハシ!」
放課後、学校を出ようとしたところで、不意に背後から抱きつかれて、三橋は驚いた。
強い力で張り付かれているから振り返ることはできないが、背後の人物が誰かはすぐわかる。
大きな声と、子供のような無邪気な行動。考えるまでもなく田島だ。
「キャッチボール、しねぇ?」
抱きつく手を緩めて、ようやく三橋を解放する。
そして振り返った三橋に、ニンマリと笑いかけながら田島が誘っていた。
「みんな受験じゃん。誰も相手してくれなくて、つまんねぇんだよね。」
「あ、あの」
「グローブ、三橋の分も持ってきたし。練習の邪魔にならなきゃいいってモモカンの許可も取った。」
とにかく二の句も告げられず、三橋は田島に引きづられるように連行されていく。
「ほとんど誘拐だな」
花井の言葉に、全員が頷いた。
田島と三橋の背後、阿部を除いた野球部の面々が全員顔を揃えている。
受験を控えたメンバーたちの思うところは1つだった。
愛すべきエースと和解し、笑顔で卒業したい。
だが水谷が三橋に謝罪したが、その表情はぎこちなかったという泉の話を受けて。
この任務は我らが4番、田島に託すと花井が英断を下したのだ。
泉は単に田島はボールに触りたかっただけではないかと疑ったが、三橋相手なら有効な作戦だと思い直した。
そして部員たちは尾行というにはあまりにも大胆にゾロゾロと後をついて行った。
「三橋は、西浦に来てよかったと思う?」
三橋と田島は下級生部員たちの邪魔にならないように、グラウンドの片隅を陣取った。
そして向かい合ってボールを投げながら、田島が聞く。
「よ、よかった、よ」
三橋はボールを投げ返しながら、答えた。
「もし、阿部がいなくても?」
「え?」
再び田島が三橋に投げながら聞いた途端、三橋の動きが止まった。
手の中のボールを見ながら、じっと考えている。
「阿部、くんが、いなくても。よかった。田島くんや、皆に。逢えた。」
一瞬の間の後、三橋が答えと共にボールを投げ返してきた。
「俺も、三橋に逢えてよかったよ。」
田島がニカっと笑うと、また三橋にボールを投げ込んできた。
田島は三橋の目を盗んで、グラウンドの外に向かって手を振った。
その辺りには、花井たちが潜んでいる。
彼らは三橋の表情は見えなかったが、声はしっかり聞き取った。
そして顔を見合わせて笑った。
*****
午後の空港ロビーは、旅行のシーズンでもないのに行き交う人が多い。
何となく落ち着かない雰囲気の中、セナと三橋は肩を並べて楽しげに談笑している。
ヒル魔と阿部はそれを遠めに見ながら、待合用のベンチに並んで座っていた。
今日はヒル魔とセナが再び渡米する日だった。
そしてアメフトのシーズンはまだ続いており、かつてのヒル魔の母校、最京大学の試合の日でもある。
以前の渡米の時には、ヒル魔とセナは仲間たちに盛大に見送られた。
「カフェ・デビルバッツ」のメンバーたちは空港まで大人数でやって来たのだ。
だがさすがに2回目は申し訳ないと、2人はわざと試合日を渡米の日とした。
だから今回の見送りは、前回は平日で学校があったために来られなかった阿部と三橋だけだった。
「悪かったな、いろいろと」
ヒル魔がさして申し訳なさそうでもない口調で言う。
阿部は「そんなことないっすよ」と言いながら、肩を竦めて笑う。
「本当はアメリカにテメーらを呼んで、再会といきたかったんだがな。」
「でもおかげでセナさんのNFLデビュー戦は、スタジアムで観戦できますね。」
阿部は楽しげに笑った。
確かにもしもセナが今年デビューを飾れていれば、受験生の阿部が生観戦は出来ないだろう。
三橋は阿部のリードはすごい、頭がいいと言っていたが、確かに今のコメントはなかなかのものだと思う。
ヒル魔は阿部の横顔を見ながら、不敵に笑った。
「三橋、この間野球部のメンバーと和解したんですよ」
阿部が穏やかな顔で、切り出した。
「久々にチームメイトとキャッチボールして、胸のつかえが取れたようです。」
「そうか。よかったな。セナも喜ぶ。」
「ヒル魔さんにも、セナさんにも、心配かけちゃいましたね。」
さらりとそう言って笑う阿部は本当に頼もしく見えた。
三橋と阿部の恋愛で、阿部だって無傷ではなかったはずだ。
逃げるように野球部を去った三橋もつらかっただろう。
だが残された阿部は、それ以上につらかったはずだ。
三橋の気配がたっぷりと残る野球部で、1人で戦い続けたのだから。
それでもそんな素振りを露ほども見せず、三橋やセナやヒル魔の心配をしている。
まったく大した男だと、ヒル魔は感心していた。
名残を惜しむ時間は瞬く間に過ぎてしまい、出発の時刻となった。
「阿部くん。絶対にレンくんと同じ大学に受かってね。」
「合格したら、卒業旅行で来いよ。」
セナとヒル魔が、阿部に激励の言葉をかけた。
阿部が「はい」と力強く答え、その横で三橋が目に涙を浮かべながらヒル魔とセナを見つめる。
そしてまた握手を交わして、2組のカップルは別れた。
*****
「せ、Set、Hut!」
三橋の、三橋にしては大きな声がフィールドに響く。
そしてスナップされたボールが、三橋の手から綺麗なスパイラルを描いて宙を飛んだ。
年が明けて、西浦高校野球部の部員たちは受験を乗り切った。
全員がさすがに第一志望合格とはならなかったが、何とか全員進学先を決めた。
阿部は見事に三橋と同じ大学への合格を決めた。
この頃には3年生部員たちの間では、阿部と三橋はすっかり公認カップルとなっていた。
卒業式を間近に控えたとある日、三橋はアメフトの試合に出ることになった。
もちろん公式戦ではなく、ほとんど遊びに近い練習試合だ。
かの泥門デビルバッツやその好敵手たちが、メンバーをシャッフルしてチームを作り、対戦する。
セナが高校1年生の時の3年生、高見や大田原らの学年の送別会として企画されたイベントだ。
三橋の「フローラル・シュート」は密かに評判となっており、特別ゲストとして招かれた。
「三橋、頑張れ!」
「すげぇな、アメフトの防具って。三橋がムキムキに見える。」
「俺、アメフトのルールってよく知らないんだけど。」
西浦高校野球部のメンバーは、しっかりと全員揃って観戦に来ていた。
かつて西浦の引退試合に、デビルバッツのメンバーが見に来たのとまるで逆の展開だった。
「三橋って、ほんと投げることに関してはすごいんだな。」
栄口が呆れたように言い、皆が頷いた。
三橋が投げるたびに、あちこちから歓声が起こるのだ。
あいつどこの学校だ、高校生だってよ、どこの大学に行くんだ?等々。
「フローラル・シュートっつうらしいぜ。」
阿部が不機嫌そうに言った。
元々阿部は、三橋がこのイベントに参加することには反対だった。
アメフトをするのはいいのだが、怪我が心配なのだ。
それでも三橋の参加を許可したのは、野球部を離れていた期間の三橋を否定したくないからだ。
そんな阿部の気持ちは全員にお見通しだった。
「Set、Hut、ハ、Hut!」
三橋を知る者からすれば単にドモっている、だが知らないものからすれば独特のハットコール。
そして三橋の手からロングパスが繰り出されて、会場がどよめく。
野球部のメンバーたちは、彼らのエースの勇姿に声援を送り続けた。
*****
大学野球、脅威の1年生バッテリー登場。
ヒル魔はパソコンの画面に映し出されたニュース記事を見て、不敵に笑った。
阿部が三橋と同じ大学に見事合格を果たした。
野球部で2人ともレギュラーポジションを獲得した。
三橋も阿部もこまめにメールを送ってきて、近況を報告してくれていた。
でもそれを公式なニュースで見ると、喜びはさらに倍増するような気がする。
「すごいですね。レンくんも阿部くんも」
セナがヒル魔の背後からパソコンを覗き込んで、感嘆の声を上げる。
ヒル魔は「そうだな」と言いながら、三橋と阿部のニュースをパソコンに保存する。
「アメフトって日本ではマイナー種目だけど、野球してる人は多いですよね」
セナが独り言のように言う。
「ああ。そうだな。」
ヒル魔には、セナの言いたいことがよくわかった。
日本の高校生では、野球とアメフトの競技人口、すなわち底辺がまるで違う。
野球でニュースに取り上げられるほどのレベルに上がるのは、確率的にはアメフトより大変なことだ。
「何かあっと言う間に追い越されちゃったかなぁ。」
「何だ?弱音か?」
セナのため息混じりの言葉に、ヒル魔がからかうように応じる。
セナはクスりと笑いながら「まさか」と答えた。
「あの2人がプロ野球選手になるよりは先にNFL入りします。」
「なんだ?あと4年も待たされるのかよ。」
「先にって言ったじゃないですか。」
セナとヒル魔は愉快な気分で軽口を叩きあった。
「ヒル魔さん、ちゃんと見届けてくださいね。」
「ああ?」
「レンくんと阿部くんの未来も。僕の未来も。」
それはセナにとって祈りのような言葉だった。
少しでも長く、ヒル魔と共に生きていきたい。
「たりめーだ」
ヒル魔はセナの両肩に手を置き、抱き寄せた。
出逢った頃よりは背も伸びたし、筋肉もついたものの、相変わらず細身のセナの身体。
「一緒に行くんだ。誰よりも高い場所に。」
ヒル魔は高らかにそう宣言すると、2人は目を閉じて唇を重ねた。
【終】*後日談はここまで。以降はさらにその後のお話です*