アイシ×おお振り【お題:思い出15】
【後日談 Supplement (中編)】
「セナ、今日はもうベンチ、な」
雲水にそう言われて、セナは小さな声で「はい」と答えた。
それも仕方がないことだ。
帰国した直後よりは大分ましになったが、本調子には程遠いのだから。
セナは懸命に、自分にそう言い聞かせていた。
今日は炎馬大学と集英医大との試合だった。
甲子園ボウル、そしてライスボウルへと続く道、まだリーグ戦の序盤。
集英医大のQBの高見も、高校時代の先輩である雪光も実力をつけている。
前評判は圧倒的に炎馬大学有利とはいえ、決して油断できない相手だ。
試合は予想を裏切り、抜きつ抜かれつの接戦だった。
頭脳戦を得意とする集英医大は、徹底的に炎馬大を研究し、作戦を立ててきていた。
陸のランも、モン太のキャッチも3回に1回は阻まれている。
本調子でないセナに至っては2回に1回も抜けずに潰されている状態だ。
司令塔である雲水は、ついに決断した。
まだ集英医大にはデータを取られていない1年生RBの起用。
そしてセナに、今日はもうベンチに下がるようにと言い渡したのだ。
まだまだ走りたい。セナは悔しげに唇を噛んだ。
試合で走る1回は、練習の何十回、何百回にも値する。
だがこの試合はセナの為だけの試合ではない。
皆の夢がかかっているのだ。わがままなど言えるはずもない。
そして試合は僅差で、炎馬大学が勝利した。
試合後の挨拶が終わり、引き上げようとして、セナは気がついた。
スタンドの最前列に立って、こちらをじっと見下ろしている1人の男。
セナの初めての好敵手であり、次の試合で対戦するLB。
王城大学の進清十郎だ。
元々威圧感のある顔に浮かんだ表情は、明らかに怒っている。
王城との試合でもこんな動きなら許さない、とその目が雄弁に語っている。
鋭い眼光に射すくめられて、セナの心は冷えていく。
多分アメリカに残ったヒル魔は、今日の試合の映像を入手して見るだろう。
それを思うと、胸が締め付けられるように痛い。
*****
休み時間、沖は教室の席に座りながらぼんやりとしていた。
大学受験がだんだんと迫ってきて、教室の中は毎日少しずつピリピリと緊張感が増していく。
こういう授業の間の休み時間も惜しんで勉強する者もいる。
だが沖はこういう時間は、頭を休めるためにぼんやりと過ごすことにしている。
斜め前の席では、西広がクラスメートに教科書を開いて何か話している。
成績がいい西広は、休み時間も引っ張りだこなのだ。
大変だな、と思いながら、沖は何とはなしに視線を廊下の方に向けた。
沖は廊下を歩く生徒を見て、少し身構えた。
前方から歩いて来たのは三橋。そして反対側から阿部だ。
夏休みに恋人同士になった2人が、時折立ち話をしているのを見かける。
何か話しながら柔らかく笑う阿部と三橋を見て、沖はホッとしていた。
去年の夏、沖は阿部と別れて部を去った三橋に驚いた。
あの「投球中毒」の三橋が、野球を捨てたのだから。
2人の恋愛を肯定する者、反対する者、2つに別れた意見。
どうしていいのかわからなかった沖は、結局何もしなかった。
賛成も反対もせず、ただ見ていただけだった。
でも結局これでよかったのだと思っていた。
野球部内で付き合うこともなかったから、部内で特に問題を起こすこともなかった。
でも引退した後、想いを遂げて結ばれた。
終わりよければ、全てよしだ。
だが廊下ですれ違った阿部と三橋は、何も言葉を交わさなかった。
視線すら合わせずに、まるで知らない同士のように何もなく通り過ぎる。
まさかもう別れたの?
沖はそっけない2人の様子に動揺した。
「あの2人にとっては、ハッピーエンドじゃなかったってことなのかな。」
いつの間にか沖の席の隣に来ていた西広が言う。
西広もまた沖と同じで、これでよかったのだと思っていた。
野球部内で波風立つこともなく、最後に阿部と三橋が結ばれたのだから。
だが水谷が三橋を問い詰めたあの一件以来、揺らいでいる。
「未だにわからないんだ。俺に何ができたのか。」
「そうだね。俺もだよ」
辛そうな沖の言葉に、西広もまた静かに答えた。
阿部も三橋も何も悪くない。
ただかけがえのない存在が同性だっただけのことだ。
いったいどこで間違えた?何をしてやれた?
沖と西広は、答えの出ない問いを心の中で繰り返した。
*****
「もう過保護は止めたんじゃなかったの?」
浮かない顔のまもりに、同じく浮かない顔の鈴音が声をかけた。
朝の「カフェ・デビルバッツ」で、女2人が開店の準備を進めていた。
試合の翌日の休養日なのに、セナは「練習するから」と言って大学に行った。
ムサシやまもりは身体を休めろと再三に渡って言ったが、セナは聞き入れなかった。
仕方なく「店を手伝わなくてごめん」と謝るセナを送り出したのだ。
それからというもの、店の仕事はテキパキとこなしながらもまもりの表情は冴えない。
本日のアルバイトである鈴音もまたまもりと思いは同じだ。
「考えてみればセナって、大きな挫折ってしたことないのよね」
まもりは思いつめたような口調で言う。
「そう、かな?」
鈴音はまもりの言葉に考え込むような表情になった。
「負けた試合はいくつもあったよ。でも惨敗ってなかったでしょ。」
強いて言うなら、高校1年の春の王城戦は惨敗だ。
でもあの時、セナはヒル魔にアメフト部に引っ張り込まれてほんの数日。
アメフトのルールもよく知らない状態だった。
それでも最後には、あの進を抜いたのだ。
「でもさ、まも姉。アイシールドの偽者って言われてた時には、セナ悩んでたよ?」
「そうだけど。でもセナはいつも精一杯戦って、最後には相手に本物だと認めさせてた。」
セナの才能を見出したヒル魔とセナ本人の努力の賜物。
それはそれですごい事なのだけれど。
「NFLは、ベンチにすら入れてもらえないんだから。」
「そっか」
鈴音はようやくまもりの言わんとすることを理解した。
試合にすら出してもらえない。何もさせてもらえない。
それはセナにとって未だかつてない敗北だ。
世界最高峰の壁はやっぱり厳しいとはいえ、つらい現実だろう。
「こんなとき妖ー兄がいればいいのになぁ」
鈴音が大きくため息をつきながら、肩を落とした。
「そうね。本当に。」
まもりもまた鈴音の正直な言葉に同意した。
セナがNFL入りを焦る理由。
そしてヒル魔が一緒に帰国しなかった理由。
まもりはその理由を何となく察している。
まだヒル魔とセナが渡米する前から「もしかして」と疑っていた。
今、この状況でそれは確信に変わっている。
一番つらいのはヒル魔とセナなのだから、口を出すべきではないとわかっている。
だがまもりは、黙って見守るしか出来ない自分がもどかしく思う。
*****
「どうしたの?泉。何だか元気ないな」
以前はセンパイであり、現在は同級生である昔なじみの浜田が、泉の肩を叩く。
普段の泉だったら「ウザイ。さわんな」くらいは言っているだろう。
だが物思いに沈む泉は、気のない様子で「ああ」と言っただけだった。
阿部と三橋が別れたかもしれない。
沖と西広にそう言われて、泉も思い当たるところがあった。
夏休み明けから、時折見かけた阿部と三橋のツーショットを見なくなったのだ。
おそらく最後に見たのは、水谷が三橋にくってかかったあの時だ。
1年前の夏、阿部と三橋の恋愛が発覚したとき、一番冷めていたのは泉だった。
部の規律を唱える花井と、好きならば付き合えばいいと力説する田島。
どっちの言うことも当たっているようで、外れている。
2人の決めることなのだ。
自分たちはそれを受け入れるだけだと思う。
三橋が部を去ったときには、それが答えなのかと冷静にそう思った。
水谷が三橋に詰め寄ったときには、三橋ではなく水谷に腹が立った。
あの時、水谷は阿部を追うことだって出来たはずだ。
篠岡のことでどうしても文句が言いたいなら、その相手は篠岡を振った阿部だろう。
水谷は無意識に、弁が立つ阿部でなく言い返せないであろう三橋を捕まえたのだ。
部を離れて、あまり話すことがなくなっても三橋のことは大事に思っている。
可愛い弟分をかばってやるのは当たり前のことだと思った。
だが当の三橋本人がそれを拒んだ。
もう仲間でも友人でもない。その資格はないと三橋は言った。
それは泉にとって衝撃だった。
いつか三橋から聞かされた中学時代の話。
自分たちも結局、三橋にとっては三星の連中と同じだ。
投げることが大好きでひた向きに努力する男を、追い出したのだ。
「俺、三橋とこのままで終わりたくねぇ」
「あ?」
俯いて黙り込んでいた泉が、不意に顔を上げて決然とした様子で言った。
一瞬驚いた浜田も、すぐに泉の心中を理解する。
浜田も阿部と三橋のことは知っている。
そのことで何となくギクシャクする野球部のメンバーを見て、心を痛めていた。
「俺もその方がいいと思うよ。」
浜田が泉に優しい口調で答えた。
「ちゃんと納得した方がいい。うやむやのまま別れちゃダメだ。」
さらに言葉を続ける浜田の顔を見上げる。
小さい子供のころからずっと自分を見守ってくれていた1つ年上の男。
その頼もしい笑顔を見ながら、泉は大きく頷いた。
*****
「セナ、さん!」
大きな声で呼ばれて、セナは驚いた。
炎馬大学の練習グラウンド。
まさかそんな場所で、三橋に会うとは思わなかったからだ。
「レンくん。どうして?」
「陸、さんと、モン太さんが。誘ってくれて。推薦決まったし、トレーニングに来ないかって」
三橋はセナに向かって、フワリと笑いながら答えた。
言い出したのは陸で、モン太がその意見に大賛成したという。
野球部員でない三橋は、高校を卒業するまでは部活はない。
そして三橋は正確なパスを投げられる腕を持っている。
だから一緒に練習をする。
三橋は身体作りが出来るし、バックスの練習にも役に立つ。
半信半疑だった雲水も、三橋の「フローラル・シュート」を見て納得した。
どこでも狂いなく綺麗なパスが投げられる三橋は、大いに練習に貢献したのだった。
「レンくん、阿部くんは元気?」
練習を終えたセナが、三橋に聞いた。
セナにしてみたら、会話の枕詞のようなつもりだった。
当然「元気」という答えが返ってくると思っていた。
だが三橋は困ったように笑いながら「多分」と答えた。
「セナさんの、帰国パーティの後、会ってない」
「どうして?」
「阿部くん、受験生だし。」
「でも学校で会うでしょ?」
セナは三橋の表情が曇ってしまったのを見て、困惑した。
何かまずいことを聞いてしまったのだろうか?
「野球部の皆は、俺と阿部くんとのこと、許してくれてない。」
三橋はセナの視線を避けるように俯きながら言った。
「巻き込んでおいて、笑ってるって、怒られたから。学校では、顔を合わせても、知らん顔して」
懸命に涙を堪えながら言葉を続ける三橋に、セナは言葉を失った。
周りの仲間が優しく祝福してくれているから、忘れていた。
男同士の恋愛は世間的には異端であり、三橋のように仲間の輪から弾かれてしまうことも多い。
でもセナは嫌悪の目を向けられることなく、恋人と共に夢に向かって進んでいる。
それだけで充分に幸福なはずなのに、何を焦っているのだろう。
セナは懸命に笑顔を作る三橋を見ながら、そう思った。
「次の試合は、見に、行きます。アメフトの、試合。初めてだ!」
三橋は少し興奮気味にそう言って笑う。
苦労を共にしたかつての仲間たちに好きな人への愛情を否定されて、それでも懸命に笑う三橋。
三橋の前で恥ずかしくない戦いをしなくてはいけない。
「レンくんが見に来てくれるなら、いつも以上に頑張らなきゃ」
セナが三橋に笑いかけると、三橋も「ウヒ」と声を立てて笑った。
*****
「阿部って三橋と別れたの?」
田島はまっすぐに、阿部を見据えていた。
まるで打席に立っている時のような真剣な目だと、阿部は思った。
田島は朝の教室の前で、登校する阿部を待ち構えていた。
そして阿部の姿を認めると、唐突に質問を投げてきた。
三橋と別れたのか、と。
「なぁ、もうちょっと人目ってものを気にしてくれよ。」
阿部は苦笑しながら答えた。
教室にも廊下にも、他の生徒がいるのだ。
幸いにも今の田島の言葉を聞き取ったのは、阿部とたまたますぐそばにいた花井だけだった。
阿部よりも花井の方がおろおろと取り乱している。
「別れてねぇけど。おまえに何か関係ある?」
「じゃあ何で学校で三橋と口きかねぇの?」
田島は阿部が返した質問には答えずに、さらに聞いてくる。
花井は阿部と田島の話を何とか遮ろうと、割って入ろうとする。
マイペースな田島と、苦労性の花井。
阿部は引退しても変わらない2人を見ながら、何も答えなかった。
水谷が三橋に詰め寄った話を、阿部は三橋本人から聞き出した。
最初はただ学校ではもう話をしないようにして欲しいと頼まれたのだ。
頑としてそれしか言わなかった三橋を問い詰めて、理由を白状させたのだ。
三橋は「大丈夫、だよ」と言って、痛々しい笑顔を見せた。
阿部は不本意ながら、三橋の希望を聞き入れた。
本当なら水谷を締め上げたいところだったが、それは思い留まった。
三橋がそれを望んでいないからだ。
このまま野球部から離れて、ひっそりと卒業することが三橋の望みなのだ。
受験さえなければ、と阿部は思う。
そうすれば三橋と野球部員たちの関係の修復に動いただろう。
だが阿部も他の部員たちも受験勉強に追われる今はとても無理だ。
三橋が高校時代を振り返るとき、悲しい気持ちになるであろうことがつらい。
しかも阿部に恋したために。本来三橋はもっと皆に大事にされるべきなのに。
だから絶対に三橋と同じ大学に合格して、この埋め合わせをしなくてはいけないと思う。
常に三橋の隣にいて、幸せにしてやらなくては。
そのためには水谷や田島などに関わっている時ではないのだ。
「もう三橋には、かまわないでやってくれよ。ついでに俺も」
阿部は田島にそれだけ言うと、さっさと自分の席に向かった。
田島と花井の視線が自分に張り付いているのを感じたが、あっさりと無視した。
*****
これが今の自分の全てなんだ。
セナはフィールドで歓声に包まれながら、目を閉じた。
今日は炎馬大学は、王城大学との試合。
セナは好敵手である進清十郎と久しぶりに対戦することになったのだ。
チラリと観客席に視線を送ると、十文字ら3兄弟と一緒に三橋の姿があった。
三橋は笑顔で、セナに向かって大きく手を振っている。
今はヒル魔もNFLも関係ない。この試合を戦い抜く。
セナは大きく息を吸い込むと、ポジションについた。
先制点は炎馬大学。セナのTDだ。
進や桜庭ら王城の選手だけでなく、炎馬大学の部員たちもその走りに目を瞠った。
絶好調の時の走りには及ばないが、焦りや硬さが消えている。
これならば容易に止めることなどできないだろう。
「セナ、今日は調子いいな」
駆け寄ってきたモン太が、セナの肩を叩いて笑う。
雲水も栗田も、陸や水町も何か安心したような表情だった。
ああ、心配かけてたんだなと、セナは申し訳ない気持ちになった。
「今日はいい調子だな」
声をかけられて振り向くと、進が力強い笑顔でセナを見ている。
「はい。いい勝負ができると思います。」
セナが笑ってそう答えると、進が「楽しみだ」と言いながら自陣へ戻っていく。
結局試合は僅差で、王城大学の勝利となった。
絶好調で試合に臨めれば勝てていたかもしれないとセナは思う。
チームの皆に申し訳ない。
何より初めてアメフトの試合を見ると言う三橋の前で勝ちたかった。
だが照準をNFLに合わせていたこと、そして急な帰国。
今はこれが精一杯だったと思う。悔いはない。
本格的な冬になる前に、セナのシーズンは終わった。
*****
「好きなんだ」
勇気を出して告げた言葉に、時が止まった。
「水谷くん?何か久しぶりだね」
水谷を見つけて、篠岡が笑顔で近づいてきた。
篠岡は偶然会ったのだと思っているだろう。
だが水谷はわざわざ駅の近くで、篠岡を待ち伏せていたのだった。
「受験勉強、頑張ってる?」
何も知らない篠岡が無邪気に水谷に話しかけてくる。
三橋に詰め寄ったあの日から、水谷はずっと考えていた。
わかっている。三橋も阿部も悪くない。
でも2人のせいで、篠岡は傷ついた。
三橋を責めずにはいられなかった。
そんな水谷に、泉が「話がある」とやって来たのは昨日のことだった。
「水谷はもう三橋は仲間じゃないと思ってる?」
「当たり前だろ?篠岡を傷つけたんだ!」
水谷は泉に問われて、そう答えた。
「だから三橋を傷つけてもいいと思った?」
泉はすっと目を細めて、威嚇するように水谷を見据える。
その意外な迫力に、水谷は何も言えなかった。
「俺はこのまま卒業したくねぇと思ってる。水谷は?」
「俺は。。。」
水谷自身も今気がついた本心を、泉は見抜いていた。
篠岡が好きだから、蚊帳の外にいたくなかった。
阿部と三橋と篠岡と3人の恋愛物語に入りたかったのだ。
だから今日、水谷は篠岡を待ち伏せて告白することにしたのだった。
水谷の言葉など切って捨てるであろう阿部ではなく、三橋に詰め寄った。
泉はそんな水谷のズルい部分は、言わないでくれたから。
篠岡は今でも阿部が好きなのだろう。
この想いを受け入れてもらえるなどとは考えていない。
それでも笑って卒業するために、正々堂々と勝負しようと思った。
「俺、篠岡のことがずっと好きだった。」
夕暮れの駅の前で、水谷は篠岡をまっすぐに見ながらそう告げた。
*****
「久しぶりだな」
そう言われて、セナも三橋も涙で瞳を潤ませた。
大学での試合が終わったセナは毎日慌しく動き回っていた。
本格的にアメリカに拠点を移すことを決意したのだ。
日本の大学を退学して、アメリカの大学に籍を移す。
今までに炎馬大学で取得した単位はそのまま生かすために証明書をもらう。
その他にも、あれやこれやと必要な書類は案外多い。
それらを用意する合間に大学の練習に参加して、トレーニング。
とにかく毎日忙しい。
今思えば、大学を退学せずにいたのは逃げ道を残しておいたのだと思う。
NFL入りが無理だった場合、最悪日本で試合に出られるからだ。
でも慌しく帰国して試合に臨んでも、調子を崩すだけだと学んだ。
ならばいっそアメリカのカレッジフットボールに拠点を置いた方がいい。
それに大学3年になれば、ドラフトの資格も得る。
今度こそ本当に日本を離れて、アメリカで実力をつける。
「急いで、帰らなくても」
今度こそ当分帰らないというセナの決心を聞いた三橋がそう言った。
最近の三橋は、週末の度に炎馬大学の練習に顔を出す。
年が明けたら、推薦が決まった大学の練習に参加するという。
だから年内は一緒に練習できたら嬉しいのに、と三橋は残念そうに言う。
「でもヒル魔さんが待ってるから」
セナは笑いながらそう答えた。
懐かしい仲間たちに囲まれてすごす時間は楽しいが、やはり最愛の恋人の隣がいい。
ようやく必要な書類が整い、後は飛行機のチケットを取るだけとなった。
いよいよ再渡米が間近となり、三橋が「カフェ・デビルバッツ」にセナに会いに来た。
ランチタイムが終わり、1回店を閉めて一息ついていた時間帯。
何の前触れもなく、扉から現れた男にセナも三橋も言葉を失った。
「ヒル魔、さん!」
三橋が大きな声で彼の名前を呼ぶ。
逆立てた金色の髪と尖った耳にピアス、そして秀麗な美貌。
セナの最愛の恋人であるヒル魔その人だった。
ヒル魔が「久しぶりだな」と笑う声に導かれるように、セナはヒル魔に駆け寄る。
胸の中に飛び込んできたセナを、ヒル魔がそっと抱きとめた。
三橋はそんな2人を見ながらそっと笑うと、店の扉に鍵をかけた。
そして恋人たちの再会に水をささないように、店の奥へと引っ込んだ。
【続く】
「セナ、今日はもうベンチ、な」
雲水にそう言われて、セナは小さな声で「はい」と答えた。
それも仕方がないことだ。
帰国した直後よりは大分ましになったが、本調子には程遠いのだから。
セナは懸命に、自分にそう言い聞かせていた。
今日は炎馬大学と集英医大との試合だった。
甲子園ボウル、そしてライスボウルへと続く道、まだリーグ戦の序盤。
集英医大のQBの高見も、高校時代の先輩である雪光も実力をつけている。
前評判は圧倒的に炎馬大学有利とはいえ、決して油断できない相手だ。
試合は予想を裏切り、抜きつ抜かれつの接戦だった。
頭脳戦を得意とする集英医大は、徹底的に炎馬大を研究し、作戦を立ててきていた。
陸のランも、モン太のキャッチも3回に1回は阻まれている。
本調子でないセナに至っては2回に1回も抜けずに潰されている状態だ。
司令塔である雲水は、ついに決断した。
まだ集英医大にはデータを取られていない1年生RBの起用。
そしてセナに、今日はもうベンチに下がるようにと言い渡したのだ。
まだまだ走りたい。セナは悔しげに唇を噛んだ。
試合で走る1回は、練習の何十回、何百回にも値する。
だがこの試合はセナの為だけの試合ではない。
皆の夢がかかっているのだ。わがままなど言えるはずもない。
そして試合は僅差で、炎馬大学が勝利した。
試合後の挨拶が終わり、引き上げようとして、セナは気がついた。
スタンドの最前列に立って、こちらをじっと見下ろしている1人の男。
セナの初めての好敵手であり、次の試合で対戦するLB。
王城大学の進清十郎だ。
元々威圧感のある顔に浮かんだ表情は、明らかに怒っている。
王城との試合でもこんな動きなら許さない、とその目が雄弁に語っている。
鋭い眼光に射すくめられて、セナの心は冷えていく。
多分アメリカに残ったヒル魔は、今日の試合の映像を入手して見るだろう。
それを思うと、胸が締め付けられるように痛い。
*****
休み時間、沖は教室の席に座りながらぼんやりとしていた。
大学受験がだんだんと迫ってきて、教室の中は毎日少しずつピリピリと緊張感が増していく。
こういう授業の間の休み時間も惜しんで勉強する者もいる。
だが沖はこういう時間は、頭を休めるためにぼんやりと過ごすことにしている。
斜め前の席では、西広がクラスメートに教科書を開いて何か話している。
成績がいい西広は、休み時間も引っ張りだこなのだ。
大変だな、と思いながら、沖は何とはなしに視線を廊下の方に向けた。
沖は廊下を歩く生徒を見て、少し身構えた。
前方から歩いて来たのは三橋。そして反対側から阿部だ。
夏休みに恋人同士になった2人が、時折立ち話をしているのを見かける。
何か話しながら柔らかく笑う阿部と三橋を見て、沖はホッとしていた。
去年の夏、沖は阿部と別れて部を去った三橋に驚いた。
あの「投球中毒」の三橋が、野球を捨てたのだから。
2人の恋愛を肯定する者、反対する者、2つに別れた意見。
どうしていいのかわからなかった沖は、結局何もしなかった。
賛成も反対もせず、ただ見ていただけだった。
でも結局これでよかったのだと思っていた。
野球部内で付き合うこともなかったから、部内で特に問題を起こすこともなかった。
でも引退した後、想いを遂げて結ばれた。
終わりよければ、全てよしだ。
だが廊下ですれ違った阿部と三橋は、何も言葉を交わさなかった。
視線すら合わせずに、まるで知らない同士のように何もなく通り過ぎる。
まさかもう別れたの?
沖はそっけない2人の様子に動揺した。
「あの2人にとっては、ハッピーエンドじゃなかったってことなのかな。」
いつの間にか沖の席の隣に来ていた西広が言う。
西広もまた沖と同じで、これでよかったのだと思っていた。
野球部内で波風立つこともなく、最後に阿部と三橋が結ばれたのだから。
だが水谷が三橋を問い詰めたあの一件以来、揺らいでいる。
「未だにわからないんだ。俺に何ができたのか。」
「そうだね。俺もだよ」
辛そうな沖の言葉に、西広もまた静かに答えた。
阿部も三橋も何も悪くない。
ただかけがえのない存在が同性だっただけのことだ。
いったいどこで間違えた?何をしてやれた?
沖と西広は、答えの出ない問いを心の中で繰り返した。
*****
「もう過保護は止めたんじゃなかったの?」
浮かない顔のまもりに、同じく浮かない顔の鈴音が声をかけた。
朝の「カフェ・デビルバッツ」で、女2人が開店の準備を進めていた。
試合の翌日の休養日なのに、セナは「練習するから」と言って大学に行った。
ムサシやまもりは身体を休めろと再三に渡って言ったが、セナは聞き入れなかった。
仕方なく「店を手伝わなくてごめん」と謝るセナを送り出したのだ。
それからというもの、店の仕事はテキパキとこなしながらもまもりの表情は冴えない。
本日のアルバイトである鈴音もまたまもりと思いは同じだ。
「考えてみればセナって、大きな挫折ってしたことないのよね」
まもりは思いつめたような口調で言う。
「そう、かな?」
鈴音はまもりの言葉に考え込むような表情になった。
「負けた試合はいくつもあったよ。でも惨敗ってなかったでしょ。」
強いて言うなら、高校1年の春の王城戦は惨敗だ。
でもあの時、セナはヒル魔にアメフト部に引っ張り込まれてほんの数日。
アメフトのルールもよく知らない状態だった。
それでも最後には、あの進を抜いたのだ。
「でもさ、まも姉。アイシールドの偽者って言われてた時には、セナ悩んでたよ?」
「そうだけど。でもセナはいつも精一杯戦って、最後には相手に本物だと認めさせてた。」
セナの才能を見出したヒル魔とセナ本人の努力の賜物。
それはそれですごい事なのだけれど。
「NFLは、ベンチにすら入れてもらえないんだから。」
「そっか」
鈴音はようやくまもりの言わんとすることを理解した。
試合にすら出してもらえない。何もさせてもらえない。
それはセナにとって未だかつてない敗北だ。
世界最高峰の壁はやっぱり厳しいとはいえ、つらい現実だろう。
「こんなとき妖ー兄がいればいいのになぁ」
鈴音が大きくため息をつきながら、肩を落とした。
「そうね。本当に。」
まもりもまた鈴音の正直な言葉に同意した。
セナがNFL入りを焦る理由。
そしてヒル魔が一緒に帰国しなかった理由。
まもりはその理由を何となく察している。
まだヒル魔とセナが渡米する前から「もしかして」と疑っていた。
今、この状況でそれは確信に変わっている。
一番つらいのはヒル魔とセナなのだから、口を出すべきではないとわかっている。
だがまもりは、黙って見守るしか出来ない自分がもどかしく思う。
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「どうしたの?泉。何だか元気ないな」
以前はセンパイであり、現在は同級生である昔なじみの浜田が、泉の肩を叩く。
普段の泉だったら「ウザイ。さわんな」くらいは言っているだろう。
だが物思いに沈む泉は、気のない様子で「ああ」と言っただけだった。
阿部と三橋が別れたかもしれない。
沖と西広にそう言われて、泉も思い当たるところがあった。
夏休み明けから、時折見かけた阿部と三橋のツーショットを見なくなったのだ。
おそらく最後に見たのは、水谷が三橋にくってかかったあの時だ。
1年前の夏、阿部と三橋の恋愛が発覚したとき、一番冷めていたのは泉だった。
部の規律を唱える花井と、好きならば付き合えばいいと力説する田島。
どっちの言うことも当たっているようで、外れている。
2人の決めることなのだ。
自分たちはそれを受け入れるだけだと思う。
三橋が部を去ったときには、それが答えなのかと冷静にそう思った。
水谷が三橋に詰め寄ったときには、三橋ではなく水谷に腹が立った。
あの時、水谷は阿部を追うことだって出来たはずだ。
篠岡のことでどうしても文句が言いたいなら、その相手は篠岡を振った阿部だろう。
水谷は無意識に、弁が立つ阿部でなく言い返せないであろう三橋を捕まえたのだ。
部を離れて、あまり話すことがなくなっても三橋のことは大事に思っている。
可愛い弟分をかばってやるのは当たり前のことだと思った。
だが当の三橋本人がそれを拒んだ。
もう仲間でも友人でもない。その資格はないと三橋は言った。
それは泉にとって衝撃だった。
いつか三橋から聞かされた中学時代の話。
自分たちも結局、三橋にとっては三星の連中と同じだ。
投げることが大好きでひた向きに努力する男を、追い出したのだ。
「俺、三橋とこのままで終わりたくねぇ」
「あ?」
俯いて黙り込んでいた泉が、不意に顔を上げて決然とした様子で言った。
一瞬驚いた浜田も、すぐに泉の心中を理解する。
浜田も阿部と三橋のことは知っている。
そのことで何となくギクシャクする野球部のメンバーを見て、心を痛めていた。
「俺もその方がいいと思うよ。」
浜田が泉に優しい口調で答えた。
「ちゃんと納得した方がいい。うやむやのまま別れちゃダメだ。」
さらに言葉を続ける浜田の顔を見上げる。
小さい子供のころからずっと自分を見守ってくれていた1つ年上の男。
その頼もしい笑顔を見ながら、泉は大きく頷いた。
*****
「セナ、さん!」
大きな声で呼ばれて、セナは驚いた。
炎馬大学の練習グラウンド。
まさかそんな場所で、三橋に会うとは思わなかったからだ。
「レンくん。どうして?」
「陸、さんと、モン太さんが。誘ってくれて。推薦決まったし、トレーニングに来ないかって」
三橋はセナに向かって、フワリと笑いながら答えた。
言い出したのは陸で、モン太がその意見に大賛成したという。
野球部員でない三橋は、高校を卒業するまでは部活はない。
そして三橋は正確なパスを投げられる腕を持っている。
だから一緒に練習をする。
三橋は身体作りが出来るし、バックスの練習にも役に立つ。
半信半疑だった雲水も、三橋の「フローラル・シュート」を見て納得した。
どこでも狂いなく綺麗なパスが投げられる三橋は、大いに練習に貢献したのだった。
「レンくん、阿部くんは元気?」
練習を終えたセナが、三橋に聞いた。
セナにしてみたら、会話の枕詞のようなつもりだった。
当然「元気」という答えが返ってくると思っていた。
だが三橋は困ったように笑いながら「多分」と答えた。
「セナさんの、帰国パーティの後、会ってない」
「どうして?」
「阿部くん、受験生だし。」
「でも学校で会うでしょ?」
セナは三橋の表情が曇ってしまったのを見て、困惑した。
何かまずいことを聞いてしまったのだろうか?
「野球部の皆は、俺と阿部くんとのこと、許してくれてない。」
三橋はセナの視線を避けるように俯きながら言った。
「巻き込んでおいて、笑ってるって、怒られたから。学校では、顔を合わせても、知らん顔して」
懸命に涙を堪えながら言葉を続ける三橋に、セナは言葉を失った。
周りの仲間が優しく祝福してくれているから、忘れていた。
男同士の恋愛は世間的には異端であり、三橋のように仲間の輪から弾かれてしまうことも多い。
でもセナは嫌悪の目を向けられることなく、恋人と共に夢に向かって進んでいる。
それだけで充分に幸福なはずなのに、何を焦っているのだろう。
セナは懸命に笑顔を作る三橋を見ながら、そう思った。
「次の試合は、見に、行きます。アメフトの、試合。初めてだ!」
三橋は少し興奮気味にそう言って笑う。
苦労を共にしたかつての仲間たちに好きな人への愛情を否定されて、それでも懸命に笑う三橋。
三橋の前で恥ずかしくない戦いをしなくてはいけない。
「レンくんが見に来てくれるなら、いつも以上に頑張らなきゃ」
セナが三橋に笑いかけると、三橋も「ウヒ」と声を立てて笑った。
*****
「阿部って三橋と別れたの?」
田島はまっすぐに、阿部を見据えていた。
まるで打席に立っている時のような真剣な目だと、阿部は思った。
田島は朝の教室の前で、登校する阿部を待ち構えていた。
そして阿部の姿を認めると、唐突に質問を投げてきた。
三橋と別れたのか、と。
「なぁ、もうちょっと人目ってものを気にしてくれよ。」
阿部は苦笑しながら答えた。
教室にも廊下にも、他の生徒がいるのだ。
幸いにも今の田島の言葉を聞き取ったのは、阿部とたまたますぐそばにいた花井だけだった。
阿部よりも花井の方がおろおろと取り乱している。
「別れてねぇけど。おまえに何か関係ある?」
「じゃあ何で学校で三橋と口きかねぇの?」
田島は阿部が返した質問には答えずに、さらに聞いてくる。
花井は阿部と田島の話を何とか遮ろうと、割って入ろうとする。
マイペースな田島と、苦労性の花井。
阿部は引退しても変わらない2人を見ながら、何も答えなかった。
水谷が三橋に詰め寄った話を、阿部は三橋本人から聞き出した。
最初はただ学校ではもう話をしないようにして欲しいと頼まれたのだ。
頑としてそれしか言わなかった三橋を問い詰めて、理由を白状させたのだ。
三橋は「大丈夫、だよ」と言って、痛々しい笑顔を見せた。
阿部は不本意ながら、三橋の希望を聞き入れた。
本当なら水谷を締め上げたいところだったが、それは思い留まった。
三橋がそれを望んでいないからだ。
このまま野球部から離れて、ひっそりと卒業することが三橋の望みなのだ。
受験さえなければ、と阿部は思う。
そうすれば三橋と野球部員たちの関係の修復に動いただろう。
だが阿部も他の部員たちも受験勉強に追われる今はとても無理だ。
三橋が高校時代を振り返るとき、悲しい気持ちになるであろうことがつらい。
しかも阿部に恋したために。本来三橋はもっと皆に大事にされるべきなのに。
だから絶対に三橋と同じ大学に合格して、この埋め合わせをしなくてはいけないと思う。
常に三橋の隣にいて、幸せにしてやらなくては。
そのためには水谷や田島などに関わっている時ではないのだ。
「もう三橋には、かまわないでやってくれよ。ついでに俺も」
阿部は田島にそれだけ言うと、さっさと自分の席に向かった。
田島と花井の視線が自分に張り付いているのを感じたが、あっさりと無視した。
*****
これが今の自分の全てなんだ。
セナはフィールドで歓声に包まれながら、目を閉じた。
今日は炎馬大学は、王城大学との試合。
セナは好敵手である進清十郎と久しぶりに対戦することになったのだ。
チラリと観客席に視線を送ると、十文字ら3兄弟と一緒に三橋の姿があった。
三橋は笑顔で、セナに向かって大きく手を振っている。
今はヒル魔もNFLも関係ない。この試合を戦い抜く。
セナは大きく息を吸い込むと、ポジションについた。
先制点は炎馬大学。セナのTDだ。
進や桜庭ら王城の選手だけでなく、炎馬大学の部員たちもその走りに目を瞠った。
絶好調の時の走りには及ばないが、焦りや硬さが消えている。
これならば容易に止めることなどできないだろう。
「セナ、今日は調子いいな」
駆け寄ってきたモン太が、セナの肩を叩いて笑う。
雲水も栗田も、陸や水町も何か安心したような表情だった。
ああ、心配かけてたんだなと、セナは申し訳ない気持ちになった。
「今日はいい調子だな」
声をかけられて振り向くと、進が力強い笑顔でセナを見ている。
「はい。いい勝負ができると思います。」
セナが笑ってそう答えると、進が「楽しみだ」と言いながら自陣へ戻っていく。
結局試合は僅差で、王城大学の勝利となった。
絶好調で試合に臨めれば勝てていたかもしれないとセナは思う。
チームの皆に申し訳ない。
何より初めてアメフトの試合を見ると言う三橋の前で勝ちたかった。
だが照準をNFLに合わせていたこと、そして急な帰国。
今はこれが精一杯だったと思う。悔いはない。
本格的な冬になる前に、セナのシーズンは終わった。
*****
「好きなんだ」
勇気を出して告げた言葉に、時が止まった。
「水谷くん?何か久しぶりだね」
水谷を見つけて、篠岡が笑顔で近づいてきた。
篠岡は偶然会ったのだと思っているだろう。
だが水谷はわざわざ駅の近くで、篠岡を待ち伏せていたのだった。
「受験勉強、頑張ってる?」
何も知らない篠岡が無邪気に水谷に話しかけてくる。
三橋に詰め寄ったあの日から、水谷はずっと考えていた。
わかっている。三橋も阿部も悪くない。
でも2人のせいで、篠岡は傷ついた。
三橋を責めずにはいられなかった。
そんな水谷に、泉が「話がある」とやって来たのは昨日のことだった。
「水谷はもう三橋は仲間じゃないと思ってる?」
「当たり前だろ?篠岡を傷つけたんだ!」
水谷は泉に問われて、そう答えた。
「だから三橋を傷つけてもいいと思った?」
泉はすっと目を細めて、威嚇するように水谷を見据える。
その意外な迫力に、水谷は何も言えなかった。
「俺はこのまま卒業したくねぇと思ってる。水谷は?」
「俺は。。。」
水谷自身も今気がついた本心を、泉は見抜いていた。
篠岡が好きだから、蚊帳の外にいたくなかった。
阿部と三橋と篠岡と3人の恋愛物語に入りたかったのだ。
だから今日、水谷は篠岡を待ち伏せて告白することにしたのだった。
水谷の言葉など切って捨てるであろう阿部ではなく、三橋に詰め寄った。
泉はそんな水谷のズルい部分は、言わないでくれたから。
篠岡は今でも阿部が好きなのだろう。
この想いを受け入れてもらえるなどとは考えていない。
それでも笑って卒業するために、正々堂々と勝負しようと思った。
「俺、篠岡のことがずっと好きだった。」
夕暮れの駅の前で、水谷は篠岡をまっすぐに見ながらそう告げた。
*****
「久しぶりだな」
そう言われて、セナも三橋も涙で瞳を潤ませた。
大学での試合が終わったセナは毎日慌しく動き回っていた。
本格的にアメリカに拠点を移すことを決意したのだ。
日本の大学を退学して、アメリカの大学に籍を移す。
今までに炎馬大学で取得した単位はそのまま生かすために証明書をもらう。
その他にも、あれやこれやと必要な書類は案外多い。
それらを用意する合間に大学の練習に参加して、トレーニング。
とにかく毎日忙しい。
今思えば、大学を退学せずにいたのは逃げ道を残しておいたのだと思う。
NFL入りが無理だった場合、最悪日本で試合に出られるからだ。
でも慌しく帰国して試合に臨んでも、調子を崩すだけだと学んだ。
ならばいっそアメリカのカレッジフットボールに拠点を置いた方がいい。
それに大学3年になれば、ドラフトの資格も得る。
今度こそ本当に日本を離れて、アメリカで実力をつける。
「急いで、帰らなくても」
今度こそ当分帰らないというセナの決心を聞いた三橋がそう言った。
最近の三橋は、週末の度に炎馬大学の練習に顔を出す。
年が明けたら、推薦が決まった大学の練習に参加するという。
だから年内は一緒に練習できたら嬉しいのに、と三橋は残念そうに言う。
「でもヒル魔さんが待ってるから」
セナは笑いながらそう答えた。
懐かしい仲間たちに囲まれてすごす時間は楽しいが、やはり最愛の恋人の隣がいい。
ようやく必要な書類が整い、後は飛行機のチケットを取るだけとなった。
いよいよ再渡米が間近となり、三橋が「カフェ・デビルバッツ」にセナに会いに来た。
ランチタイムが終わり、1回店を閉めて一息ついていた時間帯。
何の前触れもなく、扉から現れた男にセナも三橋も言葉を失った。
「ヒル魔、さん!」
三橋が大きな声で彼の名前を呼ぶ。
逆立てた金色の髪と尖った耳にピアス、そして秀麗な美貌。
セナの最愛の恋人であるヒル魔その人だった。
ヒル魔が「久しぶりだな」と笑う声に導かれるように、セナはヒル魔に駆け寄る。
胸の中に飛び込んできたセナを、ヒル魔がそっと抱きとめた。
三橋はそんな2人を見ながらそっと笑うと、店の扉に鍵をかけた。
そして恋人たちの再会に水をささないように、店の奥へと引っ込んだ。
【続く】