アイシ×おお振り【お題:思い出15】

【わたしは思い出】

阿部隆也は「カフェ・デビルバッツ」の扉を開けた。
店内にはこの広くない空間によくも、と言いたくなるほど、多数の人がいた。
テーブルの上には所狭しと大量の料理が並べられて、食欲をそそる香りが立ち込めている。
三橋がすぐに阿部に気付いて「阿部くん!」と大きな声を出した。
すると店内の者たちは、一斉に阿部を見る。
ほとんど顔見知りがいない状態で、注目の的になった阿部は困惑した。

夏休みが終り、同時に三橋のアルバイトも終了した。
そして9月になり、阿部たちの引退試合が行われた。
部員たちの雰囲気は実に微妙で、中にはあからさまに不満そうな顔をした者もいた。
なぜ今さら三橋が登板するのだと。
後輩たちには辞めた経緯もはっきりと説明していないから、気に入らなかったのかもしれない。
1年も前に辞めたのに、大学から誘いが来ていることが面白くないのかもしれない。

篠岡は懸命に笑顔を作っていたが、ぎこちなかった。
水谷などは特に篠岡寄りで、阿部とも三橋ともついに口を利かなかった。
他の部員たちも、マウンドの三橋にかける声はいつもよりかなり少なかった。

それでも三橋の完璧なピッチングを見れば、誰も何も言えなくなった。
全ての投球は、阿部がミットを構えた場所に投げ込まれる。
結局1、2年生のチームを完封、無失点に抑えた。
阿部は久しぶりに三橋の球を受けて、高校野球の最後を満ち足りた気持ちで締めくくった。

部員たち、そして当の三橋が何よりも度肝を抜かれたのは、三橋を応援に来たセナたちだった。
三橋のことを可愛がっていたかつての泥門デビルバッツのメンバーは、全員が観戦を希望した。
それじゃあ皆で繰り出せ、と恩師である呑んだくれトレーナー溝六が呼び出された。
そしてかの「デコトラ・デビルバット号」を駆って、西浦高校前に横付けして。
高校野球にはあまりにも似つかわしくないド派手な「アイシールド21ご一行様」が登場した。

そして「ヒル魔さん、セナさん」と手を振って笑う三橋を見て、阿部たちは驚いた。
味方の応援団にビビった弱気なエースはもういない。
「レン、ちゃんと投げやがれ!」とヤジを飛ばされたら、ベェと舌を出して笑う三橋。
三橋は一回り成長して帰ってきたのだ。
阿部はどこか誇らしい気持ちで、いつまでも三橋を見ていた。

*****

そして今日は、NFLのプロチームに入るために渡米するセナとヒル魔の壮行会。
阿部はその会に呼ばれて「カフェ・デビルバッツ」を訪れた。

「俺なんかが行っていいのか?」
最初に誘われたときに、阿部は三橋に聞いた。
「うん。セナさんと、ヒル魔さんに、ちゃんと、紹介したい、から。」
三橋はそう答えて笑う。

三橋は阿部に、セナとヒル魔の話をしていた。
彼らに了解を得て、ヒル魔の病気の話まで。
阿部はそれを聞いたとき、ほとんど誰も知らない秘密を阿部に話すことをよく許したものだと思った。
それだけ三橋のことを気に入っていて、その三橋の恋人だから許されたのだろう。

三橋を気に入っているのは、セナとヒル魔だけではなさそうだ。
店に入るなり、三橋が「阿部くん!」と呼ぶと。
阿部は店内にいた全ての人間に取り囲まれたような状態になった。
「君が、阿部くんかぁ。」
「あ~、レンの恋人かぁ?」
「おい、レンのこと大事にしろよ」
「レンを幸せにしなかったら、許さないぞ」
もうもみくちゃだ。阿部はクラクラする頭を懸命に宥めた。

*****

ようやく解放された阿部は、カジノテーブルに座っていた。
店内は満席を通し越して、椅子の数も全然足りていない。
自分ごときが座っていていいのかと思ったが、皆に座っているようにと言われた。
隣の席には、次々といろいろな人間が座った。
阿部に自己紹介して、雑談を交わし、三橋を頼むというと立ち去る。
間髪おかずに別の人間が、同じ事をする。その繰り返しだった。

そして今、阿部の隣の席にはやたら老けた顔の男が座っている。
ヒル魔とセナがいなくなる「カフェ・デビルバッツ」。
ムサシと名乗ったその男が、ヒル魔とセナの不在の間を管理するのだという。
「家は自営業で、従業員どもがしっかり働いてるから。俺は当分、カフェでサボることにする」
ムサシは阿部に笑って見せた。ハードボイルドな笑顔だと阿部は思う。

「俺と三橋のこと、誰も気味悪がらないんスね。男同士なのに。」
阿部はムサシに聞いてみた。
「まぁヒル魔とセナが恋人同士だから。誰も今さら性別なんて気にしねぇよ。」
ムサシがさらりとそう答える。
「最初からそうでした?ヒル魔さんとセナさんのこと、最初から受け入れられました?」
「ああ、最初は反発するやつもいたな。」
なおも食い下がる阿部に、ムサシはまた答える。
「でもヒル魔はセナを手放そうとはしなかった。徹底的にセナを大事にして守ってたよ。」
だから阿部にも、三橋を頼むと。ムサシは言外にそう告げている。
1年前に三橋を手放してしまった阿部には、少し痛い言葉だった。

「レンは大学に入ったらまたここに住んでバイトするって言ってる。おまえもどうだ?」
不意にムサシが阿部に問いかける。
「いいんですか?」
「ああ。住み込みバイトが2人いれば楽が出来るからな」
ムサシが阿部に手を差し出してきた。
阿部がその手を握り返して、握手を交わす。契約成立だ。

人付き合いが得意ではないという自負があった阿部だが、この夜は違った。
三橋を大事に思うデビルバッツの面々に大いに感謝し、心から笑った。

*****

壮行会が終わって、いよいよ帰宅する時間になった。
三橋がヒル魔の胸に縋りついて、わんわん泣いた。
ヒル魔は「抱きつく相手が違うだろうが」と苦笑する。
何も知らない十文字やモン太が「レン、浮気か?」などとからかっている。
だが事情を全て知っている阿部は、何も言わずに見守っていた。
セナもまた三橋の気持ちが痛いほどわかる。

セナとヒル魔は明日の飛行機で渡米する。
アメリカに渡ったら、いつ帰れるかわからない。
もちろん一時帰国は可能だが、ヒル魔の身体にはつらいはずだ。
そう何度も戻ってくることはできないだろう。
もしかしたらヒル魔ともう生きて逢うことはないかもしれない。
三橋には、そのことを思って泣いているのだった。

「大学に入ったら、アメリカに遊びに行こうぜ」
不意に阿部が明るい調子で言った。
「アメリカに?」
「そう。セナさんの試合見るの。ヒル魔さんの解説つきで。あと観光案内してもらってさ」
阿部が手を伸ばして、三橋の髪をくしゃくしゃと撫でた。

阿部くんはいつも俺が元気になる言葉をくれる。
セナは三橋が以前言っていたことを思い出して「なるほど」と納得した。
今生の別れなどではない。また逢おうと言外に告げているのだ。

「テメーらが大学卒業する頃には、絶対に凱旋帰国するからな。」
ヒル魔が高らかに宣言した。
すべては自分にかかっているのだ、とセナは決意を新たにする。
NFLで成功して、一流のRBになって、ヒル魔を連れて戻る。

ようやく泣き止んだ三橋が、ヒル魔から身体を離す。
涙で脹れた目でセナを見て、泣き笑いの表情になった。
「また、いつか。絶対。」
「そうだね、レンくん」
三橋とセナはどちらからともなく身体を寄せて、肩を抱き合った。

最後にセナとヒル魔が、三橋と阿部と交互に握手を交わす。
4つの握手の後、2組のカップルは暫しの別れを迎えた。

*****

「阿部くん、今日はありがとう」
時間ギリギリまで、店にいたので時間はもう深夜になっていた。
帰宅するために2人が乗った電車はすでに最終電車た。
並んで座る座席。心地よい電車の揺れ。
ただ話していた阿部と違って、三橋は料理を運んだり片付けたりしていた。
疲れているから眠ってしまうかもしれない。
乗り過ごすと帰りが大変だし、しっかり起きていなければ。
そんなことを考えていた阿部に、三橋がポツリと言った。

「俺の方こそ。呼んでもらって嬉しかったし、楽しかった。」
阿部は三橋の肩に腕を回して、細い身体を抱き寄せながら答えた。
三橋が驚いて身体を離そうとしたが、阿部は力を込めて離さなかった。
「疲れただろ。少し寝れば?」
阿部の言葉に、三橋が「ウヒ」と笑う。
そして阿部の肩に頭を持たせかけると、あっという間に舟を漕ぎ始めた。
多分、今日が三橋にとっての「引退」なのだ。肩ぐらい喜んで貸してやろう。

先日の引退試合は、三橋にとって楽しいばかりではなかったと思う。
三橋の登板を、百枝は快く許可をくれたけれど。
他の部員たちの反応は微妙なものだった。
わかっていた。阿部と三橋は恋人として、一歩を踏み出してしまった。
もう以前のように、ただのチームメイトには戻れないのだ。
それでも最後に西浦のユニフォームを着た阿部の姿を、思い出にして欲しかった。

夜の闇の中を電車が走る。
少しずつ「カフェ・デビルバッツ」が遠くなっていく。
今の三橋にとって一番優しい場所。
そこから「引退」した三橋を、守ってやらなくてはいけない。
今度こそ。ヒル魔がセナを守ったように。
阿部は三橋の肩を抱く手に、力を込めた。

*****

「カフェ・デビルバッツ」は先程までの喧騒が嘘のように静まりかえっていた。
来店してくれた友人たちは全員帰宅し、三橋と阿部も送り出した。
店内に戻ったセナとヒル魔は、2階のヒル魔の部屋で寛いでいた。

「レンくんと阿部くん、きっと幸せになりますよね。」
ベットに並んで腰掛けて、ヒル魔にそっと体重を預けながらセナが聞く。
「大丈夫だろ。」
ヒル魔がセナの肩を抱き寄せて答える。
「アメリカに来るって言ってましたね。僕、頑張らないと」
「そうだな」
2人で顔を見合わせて、笑う。

「あ、そうだ!ヒル魔さん!レンくんを抱きしめるのは、もうダメですよ!」
「ああ?」
いきなり甘い雰囲気を破って、セナが声を上げた。
セナを抱き寄せていたヒル魔は、大声に驚いて顔を顰める。

「僕、嫉妬しちゃいましたよ。ヒル魔さん、優しい目でレンくんを見ちゃって!」
「ああ?テメーだって!最後はレンと肩、抱き合ってただろうが!」
「ヒル魔さんの方が、長い時間抱いてました!」
一瞬の間の後、ヒル魔とセナは視線を合わせた。
そしてお互い、相手の顔を見て笑い出してしまった。

いろいろなことがあった。
楽しいことより、辛いことの方が多かった。
こんな風に無邪気に笑うのは、久しぶりだ。
それもあの初々しい少年たちのおかげなのだとヒル魔もセナも思う。

彼らは「また、いつか」と言った。
そうだ夢を叶えて、また必ず4人で再会する。
それまでは、彼らは大事な思い出だ。
そして彼らにとってもいい思い出でありたいと思う。

わたしは思い出。まるで祈りのように。
セナとヒル魔はそっと寄り添い、唇を重ねた。

【終】*本編はここまで。以降は番外編です*
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