アイシ×おお振り【お題:思い出15】
【あなたの思い出】
ヒル魔妖一は「カフェ・デビルバッツ」の彼の指定席である奥のテーブル席に座っていた。
普段はノートパソコンを開いているが、今日は違った。
ヒル魔の横に座っているのは、店のアルバイト、三橋。
2人の前には、三橋の夏休みの宿題だという問題集が置かれている。
最初、三橋は現役の大学生であるセナに教えてもらおうとしていた。
それを見て、ヒル魔は呆れた。
高校時代、セナは常に赤点スレスレの成績で部活停止処分の危機と背中合わせだった。
それに以前、モン太は自分たちの大学を「名前が書ければ入れる」と三橋に教えていたのに。
頼る相手を完全に間違えている。
1番適任だと思うまもりも、残念ながら今日は帰宅してしまっている。
セナは助けを求めるようにチラチラとこちらに視線を投げてくる。
仕方ない。ヒル魔は覚悟を決めた。
三橋の学力は、ヒル魔の予想を超えていた。
三橋が通う西浦高校は、ヒル魔やセナの母校より偏差値がいい。
そこでスレスレではあっても赤点は免れてきた三橋は、セナよりマシだろうと思っていたのだ
でも。。。はっきり言っていい勝負だった。
聞けば毎回試験の度に、野球部員たちに勉強を見てもらっていたという。
西広くんは、教えるのが上手なんです!と三橋が笑う。
ヒル魔は顔も知らない「ニシヒロくん」に深く同情した。
大丈夫だ。アイツよりマシだ。
ヒル魔は脳裏に1人の男の姿を思い浮かべた。
劣等生軍団だった泥門デビルバッツの中で、群を抜いていたあの男。
無意味にY字バランスで回転する、瀧鈴音の兄貴だ。
セナがせめて何かの役に立とうと、ヒル魔と三橋にコーヒーを運んできた。
ヒル魔はそれをガブリと飲み込み、大きく深呼吸をする。
まるでヒル魔の忍耐力を試すように、夜の勉強会は続いた。
*****
ヒル魔の苦労を他所に、当の三橋は機嫌がよかった。
三橋は、アメフトを辞めてからのヒル魔しか知らない。
いつも穏やかな表情で、パソコンを叩いている。
優しい表情や、厳しい態度などを時折のぞき見るだけだった。
そのヒル魔が真剣な表情で、三橋の勉強を見てくれている。
三橋の言葉足らずな質問に耳を傾け、何がわからないかを理解する。
そして易しい言葉を選んで、三橋が理解できるように説明してくれた。
ヒル魔が時々言葉の合間に「ファッキン!」と呟くと、隣でセナが「懐かしい」と笑う。
昔のヒル魔の口癖だったのだという。
セナは自分が昔「ファッキンチビ」と呼ばれていた、と言って笑った。
三橋にはどういう意味かわからない。
ただヒル魔が「ファッキン!」と言うたびに、何か威圧感を感じる。
以前十文字に、ヒル魔は昔「地獄の司令塔」と呼ばれていたと聞いたことがある。
その理由が少しだけわかったような気がした。
「これじゃ今日中に終わらねぇなぁ。」
ヒル魔が諦めたように、大きくため息をついた。
「レンくん、すごい!ヒル魔さんにため息つかせるなんて」
セナが楽しそうに笑うと、三橋もつられるように「ウヒ」と笑った。
「仕方ねぇなぁ。また明日もやっか」
「え!明日も。見てくれる、んです、か?」
嬉しそうに笑う三橋とセナに、ヒル魔は苦笑しながら頷いた。
*****
「レンくんに、話があるんだ」
勉強会が終わり、セナとヒル魔と三橋は店のテーブル席に座って寛いでいた。
セナが淹れたハーブティーが深夜の店内に香る。
フゥフゥとカップから立ち込める湯気を吹いていた三橋が、顔を上げてセナを見た。
「僕、アメリカに行くことにした。」
「う、お!」
「向こうに腰を落ち着けて、プロのアメフト選手になる。」
「すごい!」
三橋は感嘆を込めて、もう一度セナを見た。
世界の最高峰でプレーをするというセナ。
「そんな人が、淹れてくれたお茶、俺、飲んでる!」
「驚くトコロ、違くねぇか?」
ヒル魔が呆れたように言った。
「ヒル魔さんも、連れて行く。」
「!」
三橋は驚いて、今度はヒル魔を見た。
ヒル魔とセナの間ではもう話がついているようだ。
ヒル魔は涼しい顔で、ハーブティーのカップを口に運んでいる。
「資金集めも向こうでしてもらう。長い旅行は大変だと思うけど」
「でもやっぱり、離れたくねぇから。」
セナの言葉を、ヒル魔が引き継ぐように続けた。
最近また少しヒル魔の体調が悪くなっていることは、三橋も気がついていた。
それこそが、ヒル魔の渡米の最大のネックなのだろう。
長旅と慣れない生活は、確実にヒル魔の体力を奪い取る。
それでも離れたくないという気持ち。
三橋には痛いほどよくわかった。
*****
「レンくんの引退試合見たら、すぐに行くよ。」
「うう?」
突然話を振られて、三橋は慌てた。
「見に、来るん、ですか?」
「もちろん。」
セナがニッコリと笑った。
ヒル魔がそれにかぶせるように、ケケケと不敵に笑う。
セナが「あ、その笑いも久しぶり」とまた笑う。
「俺、大学で、野球、します。」
ヒル魔とセナの笑顔に、勇気づけられるように三橋が決意を告げた。
「テメーの大学、大丈夫か?RBが抜けてQBもスカウトしそこなってるぜ。」
ヒル魔がセナにからかった。
「まぁモン太が頑張るでしょう。陸もいるし」
セナが澄ました顔で応じる。
「多分、ムサシがレンをスカウトに来るぜ。卒業したら来いって」
「なんたってフローラル・シュートですからね。」
「いや、掛け持ちでいいから来いとか言い出すか?」
「それってXリーグの規定ではOKなんですかね」
セナとヒル魔の小気味いい会話を、三橋は「フヒ」と笑いながら聞いていた。
ああ、夏が終わる。
三橋は「カフェ・デビルバッツ」を去る。
セナとヒル魔もアメリカへ行ってしまう。
それでも、思い出だけは心の中に残るのだから。
三橋は寂しい気持ちを懸命に押し隠して、笑った。
*****
部屋に引き上げたセナとヒル魔は顔を見合わせて笑った。
三橋はきっと気がついていないだろう。
ただセナとヒル魔にいろいろなものをもらったと思っている。
でもセナとヒル魔もまた三橋から大事なものをもらったのだ。
ヒル魔さんも。セナさんも。諦めちゃダメだと思う。
ずっと一緒にいる。同じ夢を目指す。両方大事。
1年間の別れを経て、阿部と想いが通じた後に三橋はそう言った。
その言葉が、ヒル魔とセナの背中を押したのだ。
「カフェ・デビルバッツ」は居心地がよい場所だった。
アメリカに行けば、きっと苦労も多いだろう。
こんなことなら、日本にいればよかったと思うこともあるはずだ。
そんなときには三橋のあの「フヒ」と笑う顔を思い出そう。
きっと頑張ろうと思えるはずだ。
ヒル魔が腕を広げて、セナの小柄な身体をフワリと抱きしめた。
セナはヒル魔を見上げて、目を閉じる。
セナの唇に、ヒル魔の唇がそっと落とされた。
あなたの思い出があれば、強くなれる。
セナもヒル魔も三橋も想いは同じ。幸せな夜だ。
【続く】
ヒル魔妖一は「カフェ・デビルバッツ」の彼の指定席である奥のテーブル席に座っていた。
普段はノートパソコンを開いているが、今日は違った。
ヒル魔の横に座っているのは、店のアルバイト、三橋。
2人の前には、三橋の夏休みの宿題だという問題集が置かれている。
最初、三橋は現役の大学生であるセナに教えてもらおうとしていた。
それを見て、ヒル魔は呆れた。
高校時代、セナは常に赤点スレスレの成績で部活停止処分の危機と背中合わせだった。
それに以前、モン太は自分たちの大学を「名前が書ければ入れる」と三橋に教えていたのに。
頼る相手を完全に間違えている。
1番適任だと思うまもりも、残念ながら今日は帰宅してしまっている。
セナは助けを求めるようにチラチラとこちらに視線を投げてくる。
仕方ない。ヒル魔は覚悟を決めた。
三橋の学力は、ヒル魔の予想を超えていた。
三橋が通う西浦高校は、ヒル魔やセナの母校より偏差値がいい。
そこでスレスレではあっても赤点は免れてきた三橋は、セナよりマシだろうと思っていたのだ
でも。。。はっきり言っていい勝負だった。
聞けば毎回試験の度に、野球部員たちに勉強を見てもらっていたという。
西広くんは、教えるのが上手なんです!と三橋が笑う。
ヒル魔は顔も知らない「ニシヒロくん」に深く同情した。
大丈夫だ。アイツよりマシだ。
ヒル魔は脳裏に1人の男の姿を思い浮かべた。
劣等生軍団だった泥門デビルバッツの中で、群を抜いていたあの男。
無意味にY字バランスで回転する、瀧鈴音の兄貴だ。
セナがせめて何かの役に立とうと、ヒル魔と三橋にコーヒーを運んできた。
ヒル魔はそれをガブリと飲み込み、大きく深呼吸をする。
まるでヒル魔の忍耐力を試すように、夜の勉強会は続いた。
*****
ヒル魔の苦労を他所に、当の三橋は機嫌がよかった。
三橋は、アメフトを辞めてからのヒル魔しか知らない。
いつも穏やかな表情で、パソコンを叩いている。
優しい表情や、厳しい態度などを時折のぞき見るだけだった。
そのヒル魔が真剣な表情で、三橋の勉強を見てくれている。
三橋の言葉足らずな質問に耳を傾け、何がわからないかを理解する。
そして易しい言葉を選んで、三橋が理解できるように説明してくれた。
ヒル魔が時々言葉の合間に「ファッキン!」と呟くと、隣でセナが「懐かしい」と笑う。
昔のヒル魔の口癖だったのだという。
セナは自分が昔「ファッキンチビ」と呼ばれていた、と言って笑った。
三橋にはどういう意味かわからない。
ただヒル魔が「ファッキン!」と言うたびに、何か威圧感を感じる。
以前十文字に、ヒル魔は昔「地獄の司令塔」と呼ばれていたと聞いたことがある。
その理由が少しだけわかったような気がした。
「これじゃ今日中に終わらねぇなぁ。」
ヒル魔が諦めたように、大きくため息をついた。
「レンくん、すごい!ヒル魔さんにため息つかせるなんて」
セナが楽しそうに笑うと、三橋もつられるように「ウヒ」と笑った。
「仕方ねぇなぁ。また明日もやっか」
「え!明日も。見てくれる、んです、か?」
嬉しそうに笑う三橋とセナに、ヒル魔は苦笑しながら頷いた。
*****
「レンくんに、話があるんだ」
勉強会が終わり、セナとヒル魔と三橋は店のテーブル席に座って寛いでいた。
セナが淹れたハーブティーが深夜の店内に香る。
フゥフゥとカップから立ち込める湯気を吹いていた三橋が、顔を上げてセナを見た。
「僕、アメリカに行くことにした。」
「う、お!」
「向こうに腰を落ち着けて、プロのアメフト選手になる。」
「すごい!」
三橋は感嘆を込めて、もう一度セナを見た。
世界の最高峰でプレーをするというセナ。
「そんな人が、淹れてくれたお茶、俺、飲んでる!」
「驚くトコロ、違くねぇか?」
ヒル魔が呆れたように言った。
「ヒル魔さんも、連れて行く。」
「!」
三橋は驚いて、今度はヒル魔を見た。
ヒル魔とセナの間ではもう話がついているようだ。
ヒル魔は涼しい顔で、ハーブティーのカップを口に運んでいる。
「資金集めも向こうでしてもらう。長い旅行は大変だと思うけど」
「でもやっぱり、離れたくねぇから。」
セナの言葉を、ヒル魔が引き継ぐように続けた。
最近また少しヒル魔の体調が悪くなっていることは、三橋も気がついていた。
それこそが、ヒル魔の渡米の最大のネックなのだろう。
長旅と慣れない生活は、確実にヒル魔の体力を奪い取る。
それでも離れたくないという気持ち。
三橋には痛いほどよくわかった。
*****
「レンくんの引退試合見たら、すぐに行くよ。」
「うう?」
突然話を振られて、三橋は慌てた。
「見に、来るん、ですか?」
「もちろん。」
セナがニッコリと笑った。
ヒル魔がそれにかぶせるように、ケケケと不敵に笑う。
セナが「あ、その笑いも久しぶり」とまた笑う。
「俺、大学で、野球、します。」
ヒル魔とセナの笑顔に、勇気づけられるように三橋が決意を告げた。
「テメーの大学、大丈夫か?RBが抜けてQBもスカウトしそこなってるぜ。」
ヒル魔がセナにからかった。
「まぁモン太が頑張るでしょう。陸もいるし」
セナが澄ました顔で応じる。
「多分、ムサシがレンをスカウトに来るぜ。卒業したら来いって」
「なんたってフローラル・シュートですからね。」
「いや、掛け持ちでいいから来いとか言い出すか?」
「それってXリーグの規定ではOKなんですかね」
セナとヒル魔の小気味いい会話を、三橋は「フヒ」と笑いながら聞いていた。
ああ、夏が終わる。
三橋は「カフェ・デビルバッツ」を去る。
セナとヒル魔もアメリカへ行ってしまう。
それでも、思い出だけは心の中に残るのだから。
三橋は寂しい気持ちを懸命に押し隠して、笑った。
*****
部屋に引き上げたセナとヒル魔は顔を見合わせて笑った。
三橋はきっと気がついていないだろう。
ただセナとヒル魔にいろいろなものをもらったと思っている。
でもセナとヒル魔もまた三橋から大事なものをもらったのだ。
ヒル魔さんも。セナさんも。諦めちゃダメだと思う。
ずっと一緒にいる。同じ夢を目指す。両方大事。
1年間の別れを経て、阿部と想いが通じた後に三橋はそう言った。
その言葉が、ヒル魔とセナの背中を押したのだ。
「カフェ・デビルバッツ」は居心地がよい場所だった。
アメリカに行けば、きっと苦労も多いだろう。
こんなことなら、日本にいればよかったと思うこともあるはずだ。
そんなときには三橋のあの「フヒ」と笑う顔を思い出そう。
きっと頑張ろうと思えるはずだ。
ヒル魔が腕を広げて、セナの小柄な身体をフワリと抱きしめた。
セナはヒル魔を見上げて、目を閉じる。
セナの唇に、ヒル魔の唇がそっと落とされた。
あなたの思い出があれば、強くなれる。
セナもヒル魔も三橋も想いは同じ。幸せな夜だ。
【続く】