アイシ×おお振り【お題:思い出15】

【美しい思い出】

ヒル魔妖一は「カフェ・デビルバッツ」のすっかり指定席となった奥のテーブルでパソコンを叩いていた。
日付が変わり、店はもう閉店している。
片付けや明日の準備など、その日の仕事はすべて終わった。
時間が遅いので、セナは帰宅するまもりを家まで送るために一緒に店を出た。
店内にいるのはヒル魔と三橋だけだった。

「ヒル魔、さん。何か飲み物、でも」
ヒル魔に声をかけた三橋は、驚いて言葉を切った。
真っ青な顔をしたヒル魔が、きつく目を閉じて眉間に皺を寄せている。
ノートパソコンのキーボードに乗せた手も、小刻みに震えていた。
何かの痛みに、必死に耐えている。
三橋にはそんな風に見えた。

「ヒル、魔さん?」
「騒ぐな」
驚いて声を荒げた三橋を、ヒル魔が制した。
「レン。悪いけど、ミネラルウォーター持ってきてくれ」
どうしていいかわからず動揺した三橋は、ヒル魔のその言葉に頷いた。
さほど広くない店内を走り、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを出す。
少し考えてミネラルウォーターのキャップを捻って開けると、ヒル魔に差し出した。
ヒル魔の手が震えていたので、自力では開けられないかと思ったからだ。

ヒル魔はポケットから何か錠剤を取り出すと、口に放り込んだ。
そして三橋から渡されたミネラルウォーターでそれを飲み下す。
ヒル魔はそのまま目を閉じて、荒い呼吸をしている。
その額に汗が浮かんでいるのを見た三橋は、タオルを濡らして絞った。
そっとヒル魔の額にタオルを当てると、ヒル魔は「わりぃな」と小さな声で呟いた。

「ヒル魔、さん。大丈夫、ですか?」
三橋が恐る恐る聞くと、ヒル魔は先程よりも和らいだ表情で頷いた。
どうやら少し気分がよくなったようだ、と三橋はほっとした。

*****

「今のこと、誰にも言うな」
いつのまにかヒル魔は、いつもの表情に戻っていた。
鋭い目で三橋を見据えて言う。
「でも、セナ、さん」
ヒル魔とセナは恋人同士なのだ。
身体の調子が悪いならセナに言って、そして病院に行くべきだ。
三橋の真剣な目を見て、ヒル魔がフゥと大きく息をついた。

「レン、テメーには話す。セナは知ってる。でもそれ以外は誰も知らない。」
「だ、れも?」
「そう。姉崎も、ムサシも、鈴音やモン太も知らない。」
そう言われて三橋は身構えた。
ヒル魔から漂う凄みのようなものを感じたからだ。
セナや他のメンバーはヒル魔がアメフトをしていた頃、そういう雰囲気を持っていたことを覚えている。
だが三橋はいつも言葉少なく、穏やかなヒル魔しか知らない。
三橋はただただヒル魔から漂う異様な緊迫感に圧倒されていた。

「俺の足のことは、知ってんだろ?」
三橋はコクンと首を縦に振った。
「俺は病気なんだ。医者はあと数年くらいだろうって言ってる。」
「え。。。」
あと数年。三橋は驚きに目を見開いた。
「足をやったのは、試合中に発作を起こしたせいだ。受身も取れずに転んだからな。」
「そんな。。。治ら、ないんで。。。」
「そうだ。治らない。」
ヒル魔は事も無げに淡々と喋り続けた。

*****

「俺はもうアメフトは出来ない。だから生きてる間にチームを持つ。俺の最後の夢だ。」
「セナ、さんは」
「そのチームでセナが初代RBになるのが、セナと俺の夢。」
ヒル魔は「涙、拭けよ」と先程三橋が渡したタオルを投げてよこした。
そう言われて初めて、三橋は自分が泣いていることに気がついた。

「この前、セナが泣いてたろ」
「はい」
「セナの合格の条件が、アメリカに住むことだったからだ。セナは行かないって言い出した。」
「でも、ヒル魔、さんは」
「俺は行けって言った」
三橋がタオルを握り締めたまま、またボロボロと涙を流した。
ヒル魔は立ち上がると、三橋の傍に歩み寄り、三橋の手からタオルを取る。
そして三橋の顔をガシガシと拭いた。

「セナがNFLでRBとして成長している間に、俺がチームを立ち上げる。」
「そのまま、逢え、なく。。。」
「それでも一緒に夢を叶えたいから。」
「一緒に、アメリカ、には。。。」
「今、日本での資金集めがいい具合なんだ。それに何よりこの身体じゃ長旅はきつい。」
三橋が思いつくようなことなど、ヒル魔もセナもとっくに考えている。
残された時間、一緒にいること。2人の夢を叶えること。
2人ともその為に一生懸命なのだ。

*****

「テメーが好きなヤツ。阿部だっけ?」
「へ?」
急に阿部の名前が出てきて、三橋は動揺した。

「テメーは悔いを残すなよ」
「悔い?」
「俺とセナは違う大学に行った。でもいつかプロで。同じチームでまたプレーする筈だった。」
「あ。。。」
せっかく拭いたのに、三橋の瞳からはまたポロポロと涙が転がり落ちてくる。
ヒル魔が苦笑しながら「まったくテメーは」といい、また涙を拭いた。
「倒れるまでは、セナとまた同じサイドでプレーするのが夢だった。」
今となっては美しい思い出ってヤツだ、とヒル魔は笑う。

「気持ちを伝えるにしても、諦めるにしても。絶対に後悔すんな。」
「ヒル、魔さ。。。」
「野球も、阿部のことも。欲しいモンは諦めんなよ。」
「う。。。」
ヒル魔は手を伸ばすと、三橋の頭をクシャクシャと撫でた。
三橋の涙はいつまでも止まらなかった。

「あ~ヒル魔さん、レンくんに何しました?」
不意に店の扉が開き、戻ってきたセナが顔を覗かせていた。
三橋は涙で脹れた瞳で、セナを見た。
その目を見たセナは「そっか、話したんですね」と寂しそうに笑った。

*****

そして三橋は、眠れない夜を過ごした。
ヒル魔とセナの悲しい運命に圧倒されていたのだ。

残された時間はあと数年。
あの2人の穏やかな笑顔の裏に、壮絶な決意があることを知った。
試合中に倒れたヒル魔。その瞬間2人の運命は一気に変わったのだ。
その前までのことをヒル魔は「美しい思い出」と言って笑っていた。

多分、今までの三橋と阿部の物語も「美しい思い出」だ。
でも決定的に違うのは、ヒル魔とセナのような覚悟がない。
傷ついても、一緒にいる覚悟。
たとえ離れても、2人の夢をかなえようとする覚悟。

今、三橋は切実に阿部に逢いたいと思う。
この夏「カフェ・デビルバッツ」で出逢った人たちの話をしたい。
三橋がいなくなった後の野球部の話を聞きたい。
そして「美しい思い出」の先の未来を、一緒に過ごしたい。

また涙が溢れてくる。
三橋は歯をきつく食いしばって、堪えた。
これ以上泣いたら、目が腫れて店に出られなくなってしまう。

夏休み後半。三橋のアルバイトもあと2週間程だった。

【続く】
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