たまにはサボろう

「まもなく当機は成田国際空港に着陸します。」
機内アナウンスを聞いたセナは、そっと息をつく。
嬉しさよりも後ろめたさが勝つ、苦い気持ちだった。

きっかけは2日程前に届いた知らせだった。
セナの母が交通事故でケガをしたという。
不幸中の幸いであったのは、軽傷だったということ。
一応1日だけ検査入院したそうだが、今頃は帰宅しているはずだ。
声も元気だったし、心配はいらないと言われた。

だけどセナは帰国することにした。
両親は「わざわざ帰ってくるほどのケガではないから」と笑っていた。
実際帰ったところで、何が変わるわけではない。
だけど元気な様子を見て、安心したいと思った。
こうしてセナは今、日本に向かう飛行機の中にいる。

飛行機はほぼ満席だった。
セナは窓側の席に座っており、隣は若いカップルだ。
楽しい旅行の帰りらしく、楽しかった思い出を語っている。
景色が綺麗だったとか、おいしいレストランがあったとか。
それを聞きながら、セナはこっそりため息をついた。
恋人同士で旅行。羨ましい。

それにしても、平和だ。
エコノミークラスの席にいても、誰もセナには気付かない。
アメフト選手として、日本の中ではトップクラスにいるつもりだ。
それなのに騒がれないのは、まだまだということなのだろう。
もっとも生粋の庶民であるセナとしては、この方がありがたい。
フィールドならともかく、こんな場所では目立ちたくない。

飛行機はゆっくりと高度を下げている。
セナはもう一度、ため息をついた。
気持ちが重いのだ。
単に母が心配なだけではない。
いや、さほど心配はしていないのだ。
ビデオ通話では元気いっぱいだった。
それでも帰ると決めたのは、セナの甘えだ。

NFLのレベルは高かった。
日本でしっかりトレーニングしているつもりだったのに。
今は練習についていくのがやっとだ。
チームメイトからの視線も冷ややかなものが多い。
やはり日本人なんてその程度かと。

母のケガを心配する気持ちは本当だ。
パンサーたちも「帰って顔見せてやれよ」と言ってくれた。
だから一時帰国を決めたのだ。
誰も何も咎めない。
だけどセナは後ろめたかったのだ。
母親のケガを言い訳にして、逃げようとしているのではないかと。

だから今回の帰国は誰にも知らせるつもりはなかった。
母親と喋って、少しだけ何か親孝行して、帰ろう。
そしてちょっとだけ英気を養って、まだアメリカに戻る。
だからほんの少しだけ、サボらせて欲しい。

そして飛行機は無事に日本に到着した。
セナはゆっくり飛行機を降り、到着ゲートを出る。
そこで思わず「へ?」と間抜けな声を上げた。
なぜならそこには良く知っている人間が待ち構えていたからだ。

「よぉ。お忍びで帰国とは、ちょっとしたスターだな?」
そこにいたのは言わずと知れた、金色の髪を逆立てた悪魔な男。
ヒル魔が当たり前のようにそこに立ち、ヒラヒラと手を振っていた。

「何で?」
呆然としたセナに、ヒル魔は少しの暇も与えてくれない。
そのまま首根っこを掴まれ、ズルズルと連行され、車に放り込まれる。
そしてそのままヒル魔の運転する車で、東京へと向かうことになった。

「で?何か言うことは?」
ヒル魔はハンドルを握りながら、聞いてくる。
セナは「ただいま、です」と答え、ヘニャリと笑った。
この男を出し抜けるはずなどなかった。
内緒で帰国なんて、はなっから無理だったのだ。
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