虎の威を借る

『ヒル魔が愚痴でも聞いてあげてよ』
スマホの向こうから、切実な声がする。
だがヒル魔は「フン」と鼻を鳴らし「必要ねぇよ」と言い放った。

甲子園ボウルで勝利した方が、NFLチームの練習生となる。
そんな夢への切符を懸けた戦いを制したのは、セナだった。
だがセナは勝利の余韻に浸る暇もなかった。
1ヶ月ほど忙しく準備をしながら、自主トレに励んだ。
そして年明け早々、渡米したのだった。

残されたヒル魔は、表向きは変わらない日々を送っていた。
だけど内心、穏やかではない。
寂しさ半分、悔しさ半分。
だからトレーニングメニューを少しハードにした。
セナに負けたままではいられない。
一刻も早くNFL入りして、追いつきたかった。

そんなある日のことだった。
大学の講義を終えた夕方、部室に向かう途中でポケットの中のスマホが鳴った。
相手はセナの友人にして、好敵手。
サンアントニオ・アルマジロズのエースランニングバック、パンサーだ。

『ヒル魔、ちょっと助けてあげてよ!』
電話がつながるなり、パンサーの泣きが入った。
ヒル魔は「あぁ?」と不機嫌に相槌を打つ。
だが何となく予想がついた。

セナはパンサーのチームのキャンプに参加している。
だけど正式な登録選手になれたわけではない。
あくまでも立場は練習生だ。
熾烈なレギュラー争いに勝ち抜いて初めてNFLの舞台に立てる。

セナからは時折、メッセージが届いた。
向こうの風景やパンサーとのツーショットの写真もあった。
たまに電話で話すこともある。
その内容は明るく楽しいもので、アメリカを満喫しているようである。

だがそれだけではないだろう。
いきなり現れた日本人が誰からも歓迎されているわけではない。
敵視するヤツもいるだろう。
何なら排除しようとするヤツもいるかもしれない。
パンサーと親しいことで、陰口を叩かれる可能性だってある。

『俺に取り入ろうとしてるって、勝手に決めつけるヤツがいてさ』
「ほう?」
『俺に贔屓されてるって、セナに食ってかかるヤツもいる』
「なるほど」
『俺は表立って助けられないから、ヒル魔が愚痴でも聞いてあげてよ』

ヒル魔は「フン」と鼻を鳴らした。
セナがすんなり受け入れられないのは、想定内だ。
だがパンサーは自分は親し気に接したせいだと責任を感じているらしい。
そこでヒル魔にこうして電話してきたのだろう。
何だかんだ言って、人が良い男だ。

「必要ねぇよ。あいつはそんなに弱くねぇ」
『そうかもしれないけど、でも』
「じゃあな」

ヒル魔はさっさと会話を切り上げ、電話を切った。
そしてスマホをポケットに戻し、小さくため息をつく。
素っ気なく応じたけど、やはり心は揺れた。
確かにセナは見た目ほど弱くないし、きっと何とか乗り切るだろう。
だけど今はきっとつらい時期なのだろう。

ヒル魔はもう一度スマホを手に取った。
そして表示させるのは、セナの連絡先だ。
時差を計算すれば、向こうは夜。
おそらく通話ボタンを押せば、繋がるだろう。

だけどヒル魔は小さく首を振り、画面を指でスワイプした。
そして再びスマホをポケットに落とし、歩き出す。
愚痴を聞いてやるのは簡単だし、聞いてやりたいとも思う。
だけどヒル魔とセナが目指すのは、そんな甘い世界ではないのだ。

頑張れ。セナ。
ヒル魔は心の中だけで、そっとエールを送った。
NFLチームでのトレーニングはきっとセナを強くする。
だからヒル魔も置いて行かれないように、必死で練習するだけだ。
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