Special Birthday

「うひゃあ!」
セナはマヌケな声を上げて、椅子から転がり落ちる。
恋人であり悪魔な男が「ケケケ」と楽しそうに笑った。

甲子園ボウルが終わった。
セナにとっていろいろな意味で特別な試合だった。
ずっと導いてくれたヒル魔と敵として戦う大舞台。
そして勝った方はNFLの練習生に抜擢される大一番だ。

ヒル魔とここまでバチバチに戦ったのは初めてだ。
そして最後、ギリギリの紙一重で勝った。
NFLへの切符を手に入れたのは、セナだった。

もちろんそこで終わりなんて、思っていない。
むしろはじまりなのだ。
NFLの強者たちとの戦い。
そしてヒル魔だって、遠からずその戦いに加わる。
ここからより一層努力し、さらなる高みを目指さなくてはならない。

わかってはいたつもりだった。
だけどしばらくは少し落ち着けると思っていたのだ。
恋人であり、好敵手である関係は切り替えが難しい。
甲子園ボウルという一大イベントが終わった今は、数少ない甘い時間だと。

「テメェ、渡米まで俺の家な」
実際、ヒル魔はそう言った。
だから嬉々として、ヒル魔の部屋にやって来た。
なのに現実は甘くない。
ヒル魔はニンマリ笑って「渡米まで特訓な」と言い放ったのだ。

「この俺が直々に面倒見てやる。しっかり叩き込むぞ!」
ヒル魔が日本語で喋ったのは、ここまでだった。
その後は早口の英語で捲し立てる。
セナは椅子に座らされ、ヒル魔に英語で答える。
ヒル魔が合格とみなさない場合、ペナルティが課される。
バラエティ番組の罰ゲームよろしく椅子に電流が流れるのだ。

「うひゃあ!」
セナは何度も間抜けな悲鳴を上げることになった。
ヒル魔はケタケタ笑いながら、さらに英語で言い募る。
そう、ヒル魔はセナに英会話の特訓をしているのだ。
トレーニングの時間以外はすべてこの特訓に当てて、数日が過ぎている。

セナだって、英語は少しは話せるのだ。
デスマーチもあったし、高校の最後はノートルダムに留学した。
簡単な日常会話くらいなら、どうにかなる。
だけどプロのアメフトプレイヤーとなれば、話は変わる。
緻密な戦略の理解やチームメイトとの意思疎通は必須なのだ。

実際、ヒル魔も過去のNFLの試合の場面から会話を仕掛けていた。
点差や試合時間、フォーメンションなどを告げ、どうするのが良いか聞いてくる。
それを全て聞き取って、セナは答えなくてはならない。
または結論を出すのにデータが足りなければ、確認の質問を返す。
アメフトに特化した英会話教室だ。

正直、ありがたいことだとは思う。
日本人アスリートが躓くのは、やはり言葉の壁が大きいからだ。
野球などは通訳が付くが、アメフトはそうはいかない。
そもそもプレイ中のハドルに通訳は入るわけにもいかない。
だからこういう実践英会話は貴重な勉強の機会だ。

だけどやはり罰ゲームの電流はやり過ぎじゃないのだろうか。
恋人同士なんだから、もうちょっと優しくても。
喉までそんな弱音が出かかったが、セナは必死に飲み込んだ。
恋人である前に、アメフトプレイヤー。
電流ごときにビビっていては、NFLでは通用しない。

「少し、休憩するぞ」
それでもやはり日本語でそう告げられたら、少しホッとした。
ヒル魔はそのまま席を立ち、キッチンに向かう。
時計を見上げれば、もうそろそろ日付が変わる時間だ。
そういえば特訓が白熱して、夕食を食べていなかった。

「ヒル魔さん、何か手伝いますか?」
キッチンに声をかければ「休んどけ」と答えが返ってきた。
程なくしてキッチンから、美味そうな匂いがしている。
セナは小さく「お腹へったな」と呟き、笑った。

セナはすっかり忘れていた。
あと数分で日付が変わる、それが何の日か。
そしてヒル魔がその日を忘れるわけがない。
サプライズ、そして甘い時間が始まるまで、あと数分。
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