序章~プロローグ~

【1】乙骨憂太

「ごめんなさい。どうか」
「どうか、お願いします。」
「僕の為に生きてください。五条先生!」

憂太は横たわる冷たい身体に覆いかぶさり、ありったけの呪力を流し込んでいた。
いくら呪力量が多い憂太でも、こんなに全力で大量の呪力を使ったことなどない。
完全に限界は超えており、身体が悲鳴を上げている。
だけど気にする余裕すらなく、ただただ必死だった。

渋谷事変から始まる一連の悪夢が終わった。
偽夏油こと羂索ら、呪詛師たちは全て滅ぼされた。
両面宿儺は弱体化され、虎杖悠仁の中に封印された。

だがその代償は大きかった。
多くの呪術師が命を落としたのだ。
呪術高専の教職員と生徒たちは、ほぼ全滅。
そして最強と呼ばれたあの男さえも例外ではなかった。

数少ない生き残りの呪術師、乙骨憂太は途方に暮れた。
多くの仲間が逝ってしまった。
大好きな友人、後輩たちが。
頼りになる先輩呪術師たちも。
導いてくれた恩師さえ。

だけど悲しみに沈んでいる暇はなかった。
事件の影響で、東京23区は至る所で呪霊が湧き出している。
早急に対応しなければならない。
だけど術師の数が圧倒的に足りない。
東京の呪術師は自分を含めて、数えるほどしか残っていないのだ。

迷っている時間さえない。
憂太は、ついに禁断の決断をした。
命を落とした仲間たちを、この世に戻すのだと。
勝算はあった。
アフリカで、死者を蘇らせる儀式に立ち会ったことがあったのだ。
憂太自身が直接、術式を行なったわけではない。
実際に行なう術師に持ち前の豊富な呪力を送って、サポートしたのだ。
その時その術式を間近で感じて、既視感を覚えた。

なぜならその感覚は、かつて愛した少女が怨霊となった瞬間に似ていたのだ。
死んでしまった魂を呼び起こし、この世に縛り付ける。
憂太は子供の頃、無意識のうちにそれを行なっていた。
祈本里香が特級過呪怨霊となったのは、あの時の憂太は何も知らなかったから。
技術も呪力量も格段に上がった今なら、人間として留められると思う。
そう結論付けた憂太の頭に最初に思い浮かんだ顔は、恩師である五条悟だった。

「五条、先生」
憂太は小さく呟いた。
ここは高専内にある遺体安置場所、いわゆる霊安室だ。
窓はなく、ひんやり冷たく、どこか息苦しい。
壁一面の棚には、呪術師たちの棺が並んでいる。

部屋の中央には、無機質な金属製のベット。
そこには最強と呼ばれた男の亡骸が横たわっている。
そしてその横には憂太と家入硝子が立っていた。

「本当にやるのか?今ならまだ」
数少ない生き残りの先輩術師の1人、家入が問う。
そう、今ならまだ引き返せる。
禁忌の術を行なったことが知れれば、きっとただでは済まない。
新しい呪術総監部は以前より穏健とはいえ、黙っていないだろう。
だが憂太は「やります」と即答した。

「家入先生こそ。今ならまだ知らなかった振りができますから」
憂太は家入に懇願した。
本当は家入を関わらせる津つもりはなかったのだ。
禁忌の代償を負うのは、自分一人で充分だ。
だが事前に知った家入は「立ち会わせて欲しい」と引かなかった。

「では見ているだけで。絶対に手を出さないで下さい。」
憂太は諦めて、条件を出した。
バレた時、家入は関係ないとギリギリ言い訳が立つようにだ。
家入は不満げではあるが、頷いてくれた。
憂太がこれ以上は折れないことを察したからだろう。

「それじゃ始めます。」
憂太は五条が眠るベットの上に乗り上げると、膝立ちで跨いだ。
2つに割られ、容赦なく潰された遺体。
かろうじて彼だとわかるのは、乱れた白銀の髪だけだ。
その痛ましさに憂太は唇をかみしめながら、両手を裂かれた腹に当てた。

「五条、先生」
憂太は彼の名を呼びながら、過去に想いを馳せた。
いつからだっただろうか?
この人を愛していると自覚したのは。
死にたいと願ったあの場所から連れ出してくれて、生きる意味をくれた。
そして呪術師として導いてくれたあの人へ、最初に抱いた気持ちは感謝と尊敬。
だけど気付けば、恋情に変わっていた。
このまま今生の別れだなんて、絶対に耐えられない。
あの宝石のような蒼い瞳を、もう一度見たい。
導いてくれた最強のあの人に、もう一度逢いたい。

湧き上がる想いを込めて、両手から呪力を流し込んだ。
加減などしない。最初から全力だ。
通常ならありえない莫大な呪力を、力技でドボドボ注ぐ。
そして身体を再生し、魂を揺すぶり起こすのだ。

それは孤独でつらい作業だった。
あまりにも急激に放出される呪力は、痛みさえ伴う。
激しい頭痛と吐き気、そして眩暈。
憂太はそれらに耐えながら、ただただ呪力を送り続ける。
そして必死に五条を呼び続けた。

「ごめんなさい。どうか」
「どうか、お願いします。」
「僕の為に生きてください。五条先生!」

心を振り絞るような悲痛な声に、見守る家入の顔が強張った。
だけど憂太は呪力を注ぎ、呼び続ける。
逢いたい。もう一度。だからどうか戻ってきて。
憂太の叫びに呼応するように、少しずつ五条の身体が形を取り戻していく。
だが憂太の呪力も無限ではない。
五条の意識が戻らないまま、呪力の残量がゼロに近づいていく。
もうダメかと気が遠くなりかけたところで、ついにその瞬間が来た。
完全に再生され、覚醒した五条悟が、その目を開いたのだ。

「先生。。。ごめん、なさい」
憂太は汗まみれで、肩で荒い息をしながら、詫びた。
待ち焦がれた蒼く美しい瞳が、不思議そうに憂太を見上げている。
成功したことは嬉しいけれど、申し訳ない気持ちの方が強かった。

「本当に、ごめん、なさい」
憂太は五条と入れ替わるように意識を飛ばし、倒れ込んだ。
家入が驚き、叫んだような気がするが、反応することはできなかった。
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