MUTUAL PINING 【花】の章

【1】五条悟

「もう独りで怪物になろうとしないでください」
あのとき誰よりも五条に近い場所にいた教え子はそう言った。
その言葉を素直に受け止めていたら、結果は変わっていただろうか?

渋谷事変から死滅回游、そして新宿決戦から10年が過ぎた。
戦っている間は地獄だったが、その後の混乱もまた地獄だった。
東京が首都機能を失い、その結果日本全国が荒廃した。
これだけの時間が経っても、未だにあの渋谷事変前には戻っていない。

そして呪術界はさらに大変なことになっていた。
呪霊の存在が明らかになったからだ。
見える者も見えない者も、その存在に怯えることになる。
当然呪術師たちの仕事は増え、毎日のように任務があった。
あの戦いを生き抜いた特級術師、五条悟も毎日忙しい。

「それじゃサクッと片付けちゃおっか♪」
五条は明るくお茶目にそう言い放った。
今日の任務は都内某所、低級呪霊の大量発生だ。
任務に当たるのは、呪術高専1年生4名。
難易度の低い任務なので、学生に経験を積ませることになった。
五条は引率兼何かあった時の保険要員だ。

「じゃあ、気をつけて~♪」
五条はヘラヘラと手を振りながら、送り出した。
男女各2名ずつの生徒たちが、今回の任務地である廃ビルに入っていく。
最近はこんな任務が多い。
都内には10年前に破壊されたまま、放置されたビルがたくさんある。
そしてそれらは往々にして、呪霊のたまり場となる。

人数、増えたなぁ。面白い子は少ないけど。
五条は生徒たちの後ろ姿を見ながら、ため息をついた。
呪霊が見える者が増えれば、高専の入学者が増えるのは必然。
だけど昔みたいに良い感じにイカれた者は少ない。
例えば虎杖悠仁とか秤金次、そして乙骨憂太。
かの生徒の顔を思い浮かべた五条は、思わず眉を潜めた。

10年前のあの戦いのとき、五条にとって生徒たちは花だった。
鮮やかで美しく、そして守るべき花。
愛でることはできても、わかってもらおうとは思わない。
そんな五条の捻じ曲がった考えを吹っ飛ばしたのが乙骨憂太だった。
彼は五条に寄り添い、理解しようとしてくれた。
独りで怪物にはしないと、隣に立ってくれた存在。
自分勝手な戦いの後、過去に浸って南に向かおうとした五条を引き留めてくれた。

こんなの惚れないわけないじゃん。
五条はあっさりと絆され、堕ちた。
独りにしないとあっさり花から怪物側に来てくれた子だ。
友情なんて脆い、ましてや恋なんてしない。
そんな風に生きてきた五条の心にするりと入り込んだ。

おそらく乙骨だって、同じ気持ちだったはずだ。
五条はそれを確信していた。
教師と生徒としての立場、年齢差、そして同性であること。
全てを乗り越えて、愛してくれていたと思う。

だけど2人は恋人同士になることはなかった。
それどころか乙骨はもう呪術師ではない。
あの戦いで深刻なダメージを負った彼は、戦いから退いた。
だからもう五条がわざわざ足を運ばない限り、会うこともなかった。

「何かお土産でも買っていこうかな?」
五条は辺りを見回しながら、ポツリと呟いた。
食が細い乙骨は、本当に食べない。
呪術師だった頃は、身体作りも大切とかなり無理して食べていた。
だけど今はもう関係ないと割り切ったようで、痩せる一方だった。
だから五条もかつての同級生らも、とにかく食べさせようとしていた。
お土産だと渡せば、律義な乙骨は礼儀上少しは口にしてくれる。

「五条先生~!終わりました!」
ふと気づけば、生徒たちの声がする。
五条は「はいはい」と軽く応じて、辺りを確認する。
呪霊の気配は確かになくなっていた。

「お疲れ様。それじゃ帰ろっか。途中でコンビニに寄るから」
五条は運転してきた車に乗り込みながら、声をかけた。
1年生たちが助手席と後部座席にワイワイと乗り込んでくる。
全員が礼儀正しく五条に会釈するのは、現在の担任の影響だろう。

ちなみに現在の呪術高専では、1年生の担任は虎杖悠仁である。
彼が教員になると聞いた時には、本当に嬉しかった。
そして実際、虎杖は良い教師になった。
高校入学前までは一般人だった彼は、呪術に不慣れな生徒の目線に立てる。
面倒見も良いので、生徒には慕われていた。

「それじゃ、行くよ~」
五条は声をかけると、静かに車を発進させた。
まず向かうは、高専近くのコンビニだ。
そこは生鮮食品のラインナップが充実している。
春浅いこの時期なら、やっぱり春キャベツか。
唯一乙骨がパクパク食べるのか、塩キャベツの胡麻和えだし。

「五条先生、何か良いことでもあったんすか?」
助手席に乗り込んだ男子生徒が、首を傾げながら聞いてきた。
どうやら笑顔になっていたらしい。
乙骨がキャベツをパクつく絵面を想像してしまったからだ。

「みんながサクッと呪霊を祓ったからさ。強くなってて嬉しいよ」
五条は軽快にハンドルをさばきながら、シレっと適当なことを言った。
正直なところ、前ほど生徒に関心が持てないのだ。
これから育つ生徒たちより、もう呪術師ではないあの子が大切。
そう思ったとき、五条は担任を降りた。
本当は教師もやめるつもりだったが、強く慰留されたのだ。
だから高専に籍を残しつつ、実技指導や引率などは続けている。

「みんなも欲しいものがあったら、まとめておごっちゃうよ?」
コンビニの駐車スペースに車を入れた五条は、そう言った。
途端に生徒たちは歓声を上げ、車から飛び出していく。
やっぱり花みたいで、可愛いな。
五条はそんなことを思いながら、ゆっくりと車を降りた。
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