第8話「イベント」

はっきり言って、ウザい。
黒子はウンザリした気分だったが、表面上は何事もない顔で業務を続けていた。

4月になり、新隊員が入隊してきた。
まだ錬成期間で配属はまだ先なのだが、なんとなく館内の雰囲気が違う。
各部署は新隊員の受け入れを準備し始め、昨年度入隊の隊員たちは先輩になったことを自覚し始める。
そして館内には入学したばかりの学生や、新社会人の雰囲気をまとった利用者が増える。
そんな空気が相まって、妙に慌ただしい。

黒子はそんな空気を感じながらも、いつも通りの作業を続けていた。
午前中は書架を回り、紛失本や破損本のチェックを行なう。
今日は妙に配架ミスが多かった。
間違った場所に置かれた本が3冊もあったのだ。
黒子はそれらの本を見つけると、表紙やページを確認し、異変がないかチェックする。
その後、それらの本をあるべき場所へと戻した。

午後は地下書庫業務のヘルプに入った。
今回は単純に病欠した業務部員の代わりだそうで、不慣れな者はいない。
それでも他の図書館員の動きを見て、声を掛け合い、近い場所にある本は同じ人間が取りにいくように工夫する。
実際に本を捜して持って行くのは大した手間ではない。
だがとにかく利用者の待ち時間を少なくするのが、最優先だ。

そして1日を終えた頃には、妙に疲れていた。
とにかくチラチラと視線を感じるのだ。
しかも視線の主は、こっそりと気付かれないように見ているつもりなのが癪に障る。
何度「バレバレですよ」と、言ってやろうと思ったことか。

気を取り直した黒子は、武蔵野第一図書館を出た。
今日は妙に疲れたことだし、マジバでバニラシェイクでも飲んで帰ろうか。
そんなことを考えていると、背後から「テツ君!」と声をかけられた。
振り返らなくても誰だかわかり、黒子はため息をついた。

「笠原一士。図書基地内でその呼び方はダメでしょう。」
「す、すみません!」
「呼びにくければ『黒子』でいいですよ?年齢は同じなんだし、階級はあなたが上だし」
「でも隊内では先輩なのに、さすがにそれは」

先日2人で相田ジムに行ったとき、一緒にトレーニングをしたことで2人の距離は縮まった。
そのときに呼び名の話になったのだ。
黒子は図書基地内では誰のことも階級をつけて呼ぶが、外ではさすがにそれは躊躇われる。
そもそも後方支援部の黒子はともかく、郁は特殊部隊の紅一点、目立つ存在だ。
相田ジムは格闘技の教室もあるので、良化隊員が来ないという保証もない。
とにかく郁が図書隊員とバレないように、黒子は郁を基地外では「郁さん」と呼ぶことにした。
そして相田リコやジムのスタッフにも、それを徹底するように頼んだ。

すると郁が「あたしも違う呼び方をしたい!」と言い出したのだ。
黒子が下の名前を呼ぶのに、自分だけ名字で呼ぶのは不公平だと。
何が不公平なのかはよくわからないが、そこはスルーだ。
何となく流れで、中学時代のマネージャーには「テツ君」と呼ばれていたと話した。
郁は「じゃああたしもそうします!」と宣言し、ジムでは「テツ君」呼びが定着した。
黒子としてもいつまでも「先生」と呼ばれるのにも、疲れてきたところだ。

「く、黒子二士。ただいま御帰宅ですか!?」
「今、噛みましたね?」
どうやら階級呼びをしようとしたところ、緊張して噛んでしまったようだ。
黒子は苦笑しながら「もっと頑張りましょう」と告げた。
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