第30話「祝辞」
「あたし、もうダメですっ~!」
郁のいっそ潔い宣言に、黒子は「ええっ!?」と声を上げたもののなすすべもなく途方に暮れている。
かなり後になって、郁はここまで動揺した黒子を見たのは初めてだと思った。
だがこの時は郁自身もこの上なく動揺しており、気付く余裕はなかった。
「結局黒子先生って、行政派なんですか?」
「まぁ強いて言えばそうですね。原則派よりは行政派に考えが近いです。先生はやめましょう。」
「なんかちょっと残念です。黒子先生、原則派に転向しません?」
「しません。ボクは平和的に検閲撤廃したいので。先生はやめましょう。」
「え~?原則派だって平和が一番とは思ってるんですよ?黒子先生。」
「でも良化隊が本を狩りにきたら武力で受けて立つでしょう?先生はやめましょう。」
「黒子先生は抗争に反対なんですね。あたしだってその方がいいけど、向こうが攻めて来たら戦わないと」
「多少卑劣な手を使っても、抗争そのものをなくしたいんですよ。先生はやめましょう。」
郁と黒子は話をしながら、落葉の栞に穴を開けてリボンを通していた。
本当は明日以降にするはずだった作業を今しているのは、他にすることがないからだ。
落葉をフィルム加工して、栞を作る作業をしていた2人は後方支援部の作業部屋に閉じ込められてしまった。
外開きの扉の前に何かを置かれたようで、ドアが開かないのだ。
携帯電話の電波も通じない場所なので、助けも呼べない。
そこで仕方なく明日以降の作業を先に進めることにしたのだった。
「気付いてくれるとしたら、特殊部隊でしょうね。」
黒子はため息まじりにそう言った。
この後、黒子はこのままこの部屋で傷んだ本の修繕をする予定だった。
つまり今日はずっと1人で作業することになっており、誰かに気付いてもらえる可能性は極めて低いのだ。
「でもあたしも今日はこの後デスクワークなんです。しかも堂上班は一日訓練で。」
「つまり単独任務なんですね。」
「ええ。多少遅れても大丈夫だし、作業次第で直帰してもいいって言われます。」
「・・・それはまた。不運ですね。」
2人はそんな話をしながらも、淡々と手を動かしていた。
黒子が栞の上部に、穴あけ用のパンチ機を使って穴を空ける。
郁がそれを受け取り、リボンを通して結ぶ流れ作業だ。
穴あけはどちらがやっても同じだが、リボンは郁の方が綺麗に結べる。
だからそういう分担になった。
最初はのほほんとしていた郁だったが、不意に「あ!」と声を上げた。
寮の同室の柴崎が今日、出張で部屋にいないことを思い出したからだった。
最悪、朝まで誰にも気づかれないかもしれない。
そして唐突にヤバいと思ったのは、ごくごく当たり前の生理現象が身体に現れた時だった。
身体を動かすことが日常の郁は、どんな時でも水分を取ることを心掛けている。
作業中、全く何も口にしなかった黒子と違い、ペットボトル1本分のお茶を飲んだ。
そしてこの部屋には、もちろんトイレなどない。
「黒子先生、どうしましょう!?」
唐突に郁が焦りの声をあげたとき、黒子はすっかりお馴染みのセリフを言おうとして固まった。
敏い黒子は郁の危機を悟り「あ~」と呻いて、天を仰いだ。
実際問題として確か備品の中にバケツがあったはずなどと思うが、今言うべきではない気がする。
「とりあえずいろいろ話をしませんか?」
黒子はとりあえず郁の気を紛らわせる作戦に出た。
郁もありがたくその提案に乗り、2人はいろいろなことを話した。
好きな本や作家の話、今後やりたい企画の話、そして検閲のない世界への夢。
だがそんな努力も空しく、時刻は夕方を過ぎ、夜になった。
結局水分を控えた黒子はまだ大丈夫だが、郁はかなり切羽詰まった状態になっていた。
「ところで誰がこんな嫌がらせをしたんでしょうね?」
黒子がさらに話題を引き延ばそうとしたとき、外から「おい!誰かいるのか!?」と声がかかった。
郁はもう声を出すのも大変そうなので、黒子が「閉じ込められてます!」と叫んだ。
やがてガタガタと大きな物音がして、ドアが開いた。
「大丈夫か、郁!」
叫びながら顔をのぞかせたのは、堂上だった。
その後ろには小牧と手塚が見える。
郁はドアが開くなり、走り出した。
そして腕を広げて待つ堂上の隣をすり抜け、部屋を飛び出した。
後には間抜けな姿の堂上と、唖然とする小牧、手塚が残された。
「閉じ込められている間、生理的欲求と戦っていたようで。」
なぜか黒子が申し訳なさそうにそう言った。
その瞬間、小牧はその場に崩れ落ち、手塚でさえ吹き出す。
眉間にシワを寄せていた堂上はがっくりと肩を落としたが、やがて堪えきれずに笑い出した。
郁のいっそ潔い宣言に、黒子は「ええっ!?」と声を上げたもののなすすべもなく途方に暮れている。
かなり後になって、郁はここまで動揺した黒子を見たのは初めてだと思った。
だがこの時は郁自身もこの上なく動揺しており、気付く余裕はなかった。
「結局黒子先生って、行政派なんですか?」
「まぁ強いて言えばそうですね。原則派よりは行政派に考えが近いです。先生はやめましょう。」
「なんかちょっと残念です。黒子先生、原則派に転向しません?」
「しません。ボクは平和的に検閲撤廃したいので。先生はやめましょう。」
「え~?原則派だって平和が一番とは思ってるんですよ?黒子先生。」
「でも良化隊が本を狩りにきたら武力で受けて立つでしょう?先生はやめましょう。」
「黒子先生は抗争に反対なんですね。あたしだってその方がいいけど、向こうが攻めて来たら戦わないと」
「多少卑劣な手を使っても、抗争そのものをなくしたいんですよ。先生はやめましょう。」
郁と黒子は話をしながら、落葉の栞に穴を開けてリボンを通していた。
本当は明日以降にするはずだった作業を今しているのは、他にすることがないからだ。
落葉をフィルム加工して、栞を作る作業をしていた2人は後方支援部の作業部屋に閉じ込められてしまった。
外開きの扉の前に何かを置かれたようで、ドアが開かないのだ。
携帯電話の電波も通じない場所なので、助けも呼べない。
そこで仕方なく明日以降の作業を先に進めることにしたのだった。
「気付いてくれるとしたら、特殊部隊でしょうね。」
黒子はため息まじりにそう言った。
この後、黒子はこのままこの部屋で傷んだ本の修繕をする予定だった。
つまり今日はずっと1人で作業することになっており、誰かに気付いてもらえる可能性は極めて低いのだ。
「でもあたしも今日はこの後デスクワークなんです。しかも堂上班は一日訓練で。」
「つまり単独任務なんですね。」
「ええ。多少遅れても大丈夫だし、作業次第で直帰してもいいって言われます。」
「・・・それはまた。不運ですね。」
2人はそんな話をしながらも、淡々と手を動かしていた。
黒子が栞の上部に、穴あけ用のパンチ機を使って穴を空ける。
郁がそれを受け取り、リボンを通して結ぶ流れ作業だ。
穴あけはどちらがやっても同じだが、リボンは郁の方が綺麗に結べる。
だからそういう分担になった。
最初はのほほんとしていた郁だったが、不意に「あ!」と声を上げた。
寮の同室の柴崎が今日、出張で部屋にいないことを思い出したからだった。
最悪、朝まで誰にも気づかれないかもしれない。
そして唐突にヤバいと思ったのは、ごくごく当たり前の生理現象が身体に現れた時だった。
身体を動かすことが日常の郁は、どんな時でも水分を取ることを心掛けている。
作業中、全く何も口にしなかった黒子と違い、ペットボトル1本分のお茶を飲んだ。
そしてこの部屋には、もちろんトイレなどない。
「黒子先生、どうしましょう!?」
唐突に郁が焦りの声をあげたとき、黒子はすっかりお馴染みのセリフを言おうとして固まった。
敏い黒子は郁の危機を悟り「あ~」と呻いて、天を仰いだ。
実際問題として確か備品の中にバケツがあったはずなどと思うが、今言うべきではない気がする。
「とりあえずいろいろ話をしませんか?」
黒子はとりあえず郁の気を紛らわせる作戦に出た。
郁もありがたくその提案に乗り、2人はいろいろなことを話した。
好きな本や作家の話、今後やりたい企画の話、そして検閲のない世界への夢。
だがそんな努力も空しく、時刻は夕方を過ぎ、夜になった。
結局水分を控えた黒子はまだ大丈夫だが、郁はかなり切羽詰まった状態になっていた。
「ところで誰がこんな嫌がらせをしたんでしょうね?」
黒子がさらに話題を引き延ばそうとしたとき、外から「おい!誰かいるのか!?」と声がかかった。
郁はもう声を出すのも大変そうなので、黒子が「閉じ込められてます!」と叫んだ。
やがてガタガタと大きな物音がして、ドアが開いた。
「大丈夫か、郁!」
叫びながら顔をのぞかせたのは、堂上だった。
その後ろには小牧と手塚が見える。
郁はドアが開くなり、走り出した。
そして腕を広げて待つ堂上の隣をすり抜け、部屋を飛び出した。
後には間抜けな姿の堂上と、唖然とする小牧、手塚が残された。
「閉じ込められている間、生理的欲求と戦っていたようで。」
なぜか黒子が申し訳なさそうにそう言った。
その瞬間、小牧はその場に崩れ落ち、手塚でさえ吹き出す。
眉間にシワを寄せていた堂上はがっくりと肩を落としたが、やがて堪えきれずに笑い出した。
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