第16話「検閲保険」

「検閲、保険?」
折口は耳慣れない言葉に、思わず眉をひそめて聞き返した。
相対する男は如才ない笑顔で「うちのイチオシの新商品です」と告げた。

世相社の記者であり「新世相」の編集部主任の折口マキは、機嫌がよかった。
少し前まで、人気俳優、香坂大地の特集本の件で行き詰まり、いつもどんよりと沈んでいたのだ。
だが玄田から妙案を授かり、香坂が世相社を提訴という形で世間の注目を集めた。
さらに賛同した東京都理容生活衛生同業組合が「床屋」という言葉を違反語から削除する訴えを起こした。
そしてついに「床屋」使用の特例を勝ち得たのだ。

そんな勝利の余韻に浸るある日、世相社に来客があった。
資金運用会社の営業を名乗る男だ。
整った顔立ちと人懐っこそうな笑顔は、確かに営業向きだ。
だが折口はそんな彼の目が思いのほか鋭い眼光を放っていることを見逃さなかった。

世相社からは、社長と編集部代表として折口、そして営業と総務から1人ずつ。
来客の男と合わせると計5名が、狭い会議室で相対することになった。
男は現れるなり、目敏く事務の女の子を見つけると「お茶とかは結構ですから」と告げる。
そして会議室に入るとキビキビした動作で、パンフレットと名刺を配り始めた。

「グリーンファンドの営業の高尾と申します。」
男はサラリと自己紹介をする。
渡された名刺にも「グリーンファンド 高尾和成」とあった。
そして渡されたパンフレットには「図書ファンド」という商品名が書かれている。
耳慣れない言葉に、全員が首を傾げた。

「図書ファンド。商品名はそうなっておりますが、我々は検閲保険と呼んでおります。」
高尾は笑顔のまま、説明する。
折口は「検閲、保険?」と、思わず眉をひそめて聞き返した。
相対する男は如才ない笑顔で「うちのイチオシの新商品です」と告げた。

グリーンファンドなる会社は、資金運用会社である。
つまり客から財産を預かり、運用し、利益を還元するのである。
通常はそれは金だ。
客から預かった資金を株や外貨、または相場取引などに投資し、増やす。

この「図書ファンド」は主に作家と出版社向けのものであり、異色な商品だった。
客は検閲などで奪われる恐れがある出版物と、会費を預ける。
そして出版物は電子媒体のデータの形で、提携する海外の会社で保管されるのだ。
これなら日本のメディア良化委員会は、手出しできない。
支払う会費は、その管理費となる。

預けた図書をどうするかは、客次第だ。
そのまま預けっぱなしでもいいし、好きな時にデータから再び印刷して紙の書籍を出してもいい。
データのまま受け取り、電子書籍として公開するのもありだ。
オプションサービスとして、提携会社のサーバにアップして公開もできる。
ただしその場合は無料公開となるので利益はないが、作品が検閲で読めなくなるよりはマシと考えることもできる。
つまり金銭的な利益ではなく図書を守るための要素が強く、だからこそ「検閲保険」という別名が付いているのだ。

「これって、黒子テツヤ君の」
「はい。彼らのブログを管理するのも同じ、うちの提携会社です。」
高尾は笑顔でそう答えると、今度は料金の説明にかかる。
会費は年間数十万円、儲けが期待できない代わりに保険と考えればそこそこリーズナブルだ。

「それではよろしくご検討ください。」
高尾はそう告げるとさっさと立ち上がり、頭を下げて去っていく。
わずか20分の短い滞在だった。
そしてその後はそのまま、社内会議となったのだが。

費用を考えればいい話ではないか。
いや他社の動きを見た方がいい。先走るとメディア良化委員会に目を付けられる。
そもそも信用できる会社なのか?

そんな意見が飛び交い、この場では結論が出なかった。
だがネットで調べれば、高尾の言葉に嘘がないことがわかった。
グリーンファンドは設立こそ新しいが、ちゃんと順調に利益を上げているファンド会社だ。
社長は緑間真太郎、そして株主の中にはあの赤司征十郎が名を連ねている。
提携先である海外のメディア企業は「Brother」という名で、ちゃんと業務実績もある。
そこの社長はアメリカ在住の日本人、氷室辰也。
会社は日本人NBAプレイヤーの青峰大輝、火神大我の広報活動なども行なっていた。

「なるほど。検閲保険ねぇ」
折口は調査結果とパンフレットを見比べると、小さくため息をついた。
なるほどやっていることは筋が通っている。
だがあまりにもバスケ関係者ばかりが名を連ねていることに、違和感を覚えたのである。
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