第8話「ちょっといいですか?」
あと10回。
高野はゆっくりと深呼吸をしながら、ダンベルを持ち上げていた。
高野政宗はマンション内のジムで、トレーニングをしていた。
このマンションを借りて、よかったと思う。
セキュリティは万全だし、こうして敷地内にジムやランニングできるほどの庭もある。
まだ収入が不安定なうちに高い家賃を払うのに躊躇いはあったが、今となってはいい決断だ。
高野は現在、この地で会社を立ち上げたばかりで、多忙を極めている。
立ち上げて最初に始めたのは、インターネットのコンテンツ開発だ。
ゲームやアプリなどの企画、開発、販売が今のところの主な業務だ。
同様の事業を展開しているところは多いので、差別化が難しい。
だが落ち目だったエメラルドを、人気の漫画誌に押し上げた高野の手腕は伊達じゃない。
企画のいくつかは成功し、会社は軌道に乗りつつあった。
次の展開として、出版にも手を出そうと思っている。
日本語に翻訳、出版されている海外小説は、ベストセラーになったものばかりで、数は少ない。
海外で翻訳出版される日本語の小説もまた然りだ。
高野はそこに目を付けていた。
面白いのに、翻訳されていない小説をどんどん売り出していく。
商売より何より、本好きの血が疼くのだ、
面白い小説が埋もれているなんて、もったいなさすぎる。
そしてその記念すべきスタートは、律が翻訳する「まこと・りん」こと黒子の小説だった。
これをまずはアメリカ、ゆくゆくはヨーロッパでも流行らせる。
電子書籍にもして、高野の会社のキラーコンテンツにしていきたい。
そうすることで、律も翻訳家として成功し、生き甲斐にもなるだろう。
高野は大量の汗をかきながら、ダンベルを持ち上げていた。
アメリカに来て、やはり気になるのは、治安の悪さだ。
もしも何かあっても、自分と律の身を守るくらいのことはできるようになりたい。
そう思うと、どうしても筋トレのメニューが増えた。
ちなみに本当は、律と2人でトレーニングをする予定だった。
だが律は、黒子の本を翻訳していて、結局徹夜仕事になったらしい。
結局高野が作った朝食を食べた後、律はベットに倒れ込んでしまったのだ。
せっかく休みの日に残念ではあるが、仕事なら仕方ない。
高野は爆睡する律を部屋に残して、1人でジムにやって来たのだった。
「ちょっといいですか?」
不意に背後から声をかけられて、高野は思わず「うわぁ!」と声をあげてしまう。
立っていたのは、黒子だった。
高野は慌ててダンベルを置くと「すみません。トレーニングに熱中していて」とあやまった。
本当にまったく気が付かなかったのだ。
それにしても、大声を出してしまうとは。作家先生に失礼過ぎる。
「あ、慣れてますので」
黒子がまったく気にしていない様子だ。
それもそのはず、影の薄い黒子は立っているだけで驚かれるなんて、よくあることなのだ。
だけどそんなことなど知らない高野は、ひたすら恐縮する。
そんな反応さえ慣れっこの黒子は、動じることなく「実は」と本題を切り出した。
「律さんのことで、ちょっとお話が」
黒子は辺りを見回しながら、声をひそめて話し始める。
高野は律の名を聞いて、思わず身構えた。
よくよく見ると、黒子の服装は普段着で、トレーニング用の服装ではない。
つまり黒子は高野を見つけて、ただ挨拶に来たのではなく、わざわざ高野1人のときを狙って声をかけたのだ。
しかも律のこととなると、何だか嫌な予感しかしない。
「実は昨日、2人で出かけた時のことなんですが」
黒子の言葉に、高野は「はい」と頷いた。
一時期は実家の追手を恐れて、完全に引きこもっていた律だが、最近は出かけるようになった。
高野と食事や買い物に出ることもあるが、いないときには黒子と出かけている。
まだ1人では出る勇気がない律を、高野がいないときに連れ出してくれる黒子には大いに感謝している。
「僕たちを尾行している感じの人がいたんです。」
それを聞いた高野の表情が強張った。
黒子は淡々と説明を続けた。
尾行されていると気付いたのは、ランチのために立ち寄ったレストランでのことだ。
黒子たちが席に着いた直後に入ってきた2人組の男。
彼らはその後、書店やショップで買い物しているときにも、見かけたのだという。
「間違いなく、尾行だった?」
「断言はできないんですが、多分間違いないと思います。」
黒子の言葉に、高野は深いため息をついた。
ついに小野寺家の追手が来たと考えるべきなのだろうか?
「そのことを律には?」
「話していません。多分律さんは尾行にも気づいていなかったと思います。」
黒子は律のことを考え、まずは高野に話してくれたのだろう。
少し前まで、マンションから出ることもできなかった律なのだ。
尾行がついているなんて知ったら、ショックを受けるだろう。
「ありがとう。律には俺から話す。」
高野は黒子に頭を下げた。
黒子は「いえ。どういたしまして」と答えて、ジムを出て行った。
高野はその後ろ姿を目で追いながら、どうしたものかと考え込むのだった。
高野はゆっくりと深呼吸をしながら、ダンベルを持ち上げていた。
高野政宗はマンション内のジムで、トレーニングをしていた。
このマンションを借りて、よかったと思う。
セキュリティは万全だし、こうして敷地内にジムやランニングできるほどの庭もある。
まだ収入が不安定なうちに高い家賃を払うのに躊躇いはあったが、今となってはいい決断だ。
高野は現在、この地で会社を立ち上げたばかりで、多忙を極めている。
立ち上げて最初に始めたのは、インターネットのコンテンツ開発だ。
ゲームやアプリなどの企画、開発、販売が今のところの主な業務だ。
同様の事業を展開しているところは多いので、差別化が難しい。
だが落ち目だったエメラルドを、人気の漫画誌に押し上げた高野の手腕は伊達じゃない。
企画のいくつかは成功し、会社は軌道に乗りつつあった。
次の展開として、出版にも手を出そうと思っている。
日本語に翻訳、出版されている海外小説は、ベストセラーになったものばかりで、数は少ない。
海外で翻訳出版される日本語の小説もまた然りだ。
高野はそこに目を付けていた。
面白いのに、翻訳されていない小説をどんどん売り出していく。
商売より何より、本好きの血が疼くのだ、
面白い小説が埋もれているなんて、もったいなさすぎる。
そしてその記念すべきスタートは、律が翻訳する「まこと・りん」こと黒子の小説だった。
これをまずはアメリカ、ゆくゆくはヨーロッパでも流行らせる。
電子書籍にもして、高野の会社のキラーコンテンツにしていきたい。
そうすることで、律も翻訳家として成功し、生き甲斐にもなるだろう。
高野は大量の汗をかきながら、ダンベルを持ち上げていた。
アメリカに来て、やはり気になるのは、治安の悪さだ。
もしも何かあっても、自分と律の身を守るくらいのことはできるようになりたい。
そう思うと、どうしても筋トレのメニューが増えた。
ちなみに本当は、律と2人でトレーニングをする予定だった。
だが律は、黒子の本を翻訳していて、結局徹夜仕事になったらしい。
結局高野が作った朝食を食べた後、律はベットに倒れ込んでしまったのだ。
せっかく休みの日に残念ではあるが、仕事なら仕方ない。
高野は爆睡する律を部屋に残して、1人でジムにやって来たのだった。
「ちょっといいですか?」
不意に背後から声をかけられて、高野は思わず「うわぁ!」と声をあげてしまう。
立っていたのは、黒子だった。
高野は慌ててダンベルを置くと「すみません。トレーニングに熱中していて」とあやまった。
本当にまったく気が付かなかったのだ。
それにしても、大声を出してしまうとは。作家先生に失礼過ぎる。
「あ、慣れてますので」
黒子がまったく気にしていない様子だ。
それもそのはず、影の薄い黒子は立っているだけで驚かれるなんて、よくあることなのだ。
だけどそんなことなど知らない高野は、ひたすら恐縮する。
そんな反応さえ慣れっこの黒子は、動じることなく「実は」と本題を切り出した。
「律さんのことで、ちょっとお話が」
黒子は辺りを見回しながら、声をひそめて話し始める。
高野は律の名を聞いて、思わず身構えた。
よくよく見ると、黒子の服装は普段着で、トレーニング用の服装ではない。
つまり黒子は高野を見つけて、ただ挨拶に来たのではなく、わざわざ高野1人のときを狙って声をかけたのだ。
しかも律のこととなると、何だか嫌な予感しかしない。
「実は昨日、2人で出かけた時のことなんですが」
黒子の言葉に、高野は「はい」と頷いた。
一時期は実家の追手を恐れて、完全に引きこもっていた律だが、最近は出かけるようになった。
高野と食事や買い物に出ることもあるが、いないときには黒子と出かけている。
まだ1人では出る勇気がない律を、高野がいないときに連れ出してくれる黒子には大いに感謝している。
「僕たちを尾行している感じの人がいたんです。」
それを聞いた高野の表情が強張った。
黒子は淡々と説明を続けた。
尾行されていると気付いたのは、ランチのために立ち寄ったレストランでのことだ。
黒子たちが席に着いた直後に入ってきた2人組の男。
彼らはその後、書店やショップで買い物しているときにも、見かけたのだという。
「間違いなく、尾行だった?」
「断言はできないんですが、多分間違いないと思います。」
黒子の言葉に、高野は深いため息をついた。
ついに小野寺家の追手が来たと考えるべきなのだろうか?
「そのことを律には?」
「話していません。多分律さんは尾行にも気づいていなかったと思います。」
黒子は律のことを考え、まずは高野に話してくれたのだろう。
少し前まで、マンションから出ることもできなかった律なのだ。
尾行がついているなんて知ったら、ショックを受けるだろう。
「ありがとう。律には俺から話す。」
高野は黒子に頭を下げた。
黒子は「いえ。どういたしまして」と答えて、ジムを出て行った。
高野はその後ろ姿を目で追いながら、どうしたものかと考え込むのだった。
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