第6話「頑張ってみます!」

「で?どうするんだ?」
黒子の話を聞いた火神は、そう聞いた。
口調はさり気なさを装っているが、内心はすごく気になっていたのだ。

黒子が新しい仕事のオファーを受けた。
しかも2つもだ。
1つは黒子の小説のコミカライズ作品を出したいという話。
そしてもう1つは黒子の小説を英語に翻訳して、欧米向けに出版したいという話だ。

今までそんな話がなかったわけではなかった。
だけど黒子は頑として断り続けていたのだ。
理由は、黒子の作品へのこだわりの一言に尽きる。
自分の頭の中で作った物語を表現するのに、黒子は一文一文を絞り出している。
コミックや翻訳では、黒子が苦心して綴った文章が再現できないと思っているのだ。

だがその黒子が、迷い始めている。
理由は最近このマンションに引っ越してきた青年のせいだ。
彼は元編集者で、今は翻訳家。
黒子にコミカライズをオファーしに来た編集者を紹介し、自身も翻訳作品を手掛けたいと言う。
熱心なプレゼンテーションを聞いて、黒子の心は揺れているようだ。

「火神君は反対みたいですね。」
黒子はいつも通りの無表情な顔で、そう言った。
火神は慌てて「そんなこと、ねーよ!」と叫ぶ。
だが実はその通りだった。
黒子からひと通りの話を聞かされた火神は、一瞬だけ引き受けてほしくないと思ったのだ。

理由は火神のささやかなプライドだ。
火神はNBAプレイヤーであり、バスケ選手の最高峰の世界にいる。
日本人としては、破格の快挙だ。
だがNBAの中では、決して突出した存在ではない。
むしろ同じ年にNBA入りした青峰の方が、成績はいいのだ。
だからこそ黒子がこれ以上、作家として売れていくのが怖い気がする。
まったく別の世界だから比べようがないが、少なくても黒子の方が収入は上だ。
これ以上、格差が出るのはたまらない。

「火神君が反対ならば、ことわりますよ。」
黒子は事もなげにそう言った。
未だに黒子の観察眼は、するどい。
かつて視線誘導(ミスディレクション)なんていうとんでもない技を編み出した眼力は健在だ。
火神のわかりやすい心の内など、お見通しらしい。

「反対なんかしねーよ。するわけない。」
「そうですか?」
「ああ。俺は世界一の『まこと・りん』ファンだ。」
「ありがとうございます。」

火神の言葉に、黒子はわずかに唇を緩めて笑った。
「まこと・りん」の作品が、もっと多くの人に読まれた方がいい。
ちっぽけな感傷より、その方がはるかに大事だ。
そんな火神の思いは、ちゃんと黒子に伝わっている。

「だけど織田さん、いや、小野寺さんか。ちょっと驚いたな。」
火神は話題を変えた。
すると黒子も「はい」と頷く。
仕事の話のほかに、律の話も聞いたのだ。
彼が偽名を使っている理由は、何なのかと。

「駆け落ちして、親が追ってくるかもしれないってマジなのか」
「マジ、だそうですよ。」
火神は納得いかない顔だが、黒子はあっさりと頷いた。
律と同居人の高野は恋人同士なのだが、律の両親は反対している。
そして一時期、律は親の手で高野から引き離され、軟禁状態だった。
ようやく逃げたものの、また追ってくるかもしれない。
だから今は偽名を使い、このマンションからほとんど出ずに暮らしているのだという。

「だから火神君も律さんの本名、外で言ったらダメですよ」
「俺だったら、そんな親、ぶっ飛ばして、納得させるけど」
「誰もが火神君のようにはいかないんですよ。」

黒子はものわかりの悪い子供を諭すような口調で、そう言った。
火神は「冗談に決まってるだろ」とふて腐れる。
律の抱えている事情は深刻で、そんなに単純でないことはわかっている。
だが黒子は「どうだか」と冷ややかだ。

「まぁお前の仕事が増えて、ついでに友だちも増えた。いいことだろ」
火神はそう言って、豪快に笑う。
実のところ、そんなに単純な話ではない気がしている。
だけど気がするというだけで、根拠もないので、これ以上何も言えないのだ。

「仕事のことは、どうなるか決まったら話します。」
「おお!」
黒子がそう言ったので、この話はおしまいになった。
火神の予感が当たってしまうのは、もう少し後のことだ。
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