Photographer and Painter

そこ、どいてくんねぇ?
火神は少年に声をかけた。それが2人の出会いだった。

火神大我はカメラマンをしている。
だが本人はそんな御大層なものではなく、単なる「ブツ撮り屋」だと思っている。
ブツ撮り、つまり物。
火神は広告用の商品撮影専門のカメラマンだ。

ちなみに昨日はお菓子のパッケージの撮影だった。
その前の日はとあるホテルで、旅行パンフレット用の撮影だ。
仕事は毎日1、2本のペースで入っており、それなりに忙しい。
写真は好きだし、仕事が途切れないのはありがたい。

そして今日は久しぶりのオフ。
火神は愛用のデジタル一眼カメラを抱えて、自宅マンションを出た。
普段はスタジオに籠りがちだ。
早朝から深夜までスタジオにいることだって珍しくない。
だから休みの日には、太陽の下で写真が撮りたくなるのだ。
行く場所は決まっている。

そこは火神の部屋から徒歩5分の場所にある公園だった。
有名でもなく、さほど広くもない。
それでも小さな池があり、季節には花が咲き、適度に散歩も楽しめる程度の大きさだ。
火神は休日、この公園で写真を撮る。
元々最初から「ブツ撮り屋」を目指したわけではなく、そもそも風景写真家志望だ。
オフの日にここで撮影するのは、単に太陽を見たいだけじゃない。
風景写真の感覚を忘れたくないからだ。

よし、じゃあ今日もここから。
火神はそう呟くと、まずはカメラを池に向けた。
三脚の用意もしているが、まずはカメラを手で持ったまま、何枚か撮る。
とにかく太陽の下で美しい風景が撮れるのが、楽しい。

だが何枚か撮影した後、ディスプレイで確認して、思わず「あぁ!?」と声を上げる。
切り取られた風景の端に、人に写り込んでしまっていたのだ。
後ろ姿だが、どうやらまだ10代の少年のようだ。
撮影しているときには、ファインダーの中に人がいることにまるで気付かなかった。
単純に風景だけが撮りたかった火神は、思わず舌打ちした。

ったく。
火神はブツブツと文句を言いながら、少年に近づいた。
すると少年はこちらの気配に気づいて、振り返る。
その瞳には何の感情も見えず、ただじっと火神を見る。
無機質で、冷たささえ感じる視線だ。

そこ、どいてくんねぇ?
火神は少年に声をかけた。それが2人の出会いだった。
後々2人は、随分な初対面だと思うが、こうなってしまったのだから仕方ない。

もしこの光景を見ている者がいるとしたら、さぞかし違和感を覚えただろう。
20代半ば、巨体、野生の獣のような強烈なオーラを持つ火神。
そして10代後半の、特に特徴もない、影の薄い少年。
ミスマッチどころか、同じ種類の生き物にさえ見えない感じだ。

少年は「嫌です」と答えた。
火神の雰囲気を怖がることもなければ、いきなりどけという無礼に腹を立ててることもない。
何の感情もこもらない声で、問われたことに答えたという雰囲気だ。

はぁぁ?何でだよ。写真を撮るのに邪魔なんだ!
あなたはこの公園の持ち主ですか?
いや、違ぇーけど!
じゃあ、先に来ていたボクに権利があるでしょう。

少年は火神の迫力にまったく臆することなく、火神に背を向けた。
いや少年にしてみれば、火神に背を向けたという意識さえない。
ただ単に、視線を池に戻したというだけだ。
火神は「おい!」と文句を言ったが、少年はもう振り返らなかった。

ったく、何なんだよ。
火神は悪態をつきながら、その場を離れた。
少年は退く気配はないし、まさか力づくというわけにもいかない。
不本意だが、今日は別の場所から撮影することにする。
公園を1周して、いくつかのポイントで写真を撮れば、それなりに時間もかかる。
ここへは最後にまた来ればいい。

だが公園を1周して戻ってきたとき、少年はまだそこにいた。
しかもあろうことか、少年は絵を描いている。
イーゼルに置かれたキャンバスの前に、左手にはパレット、右手に絵筆を持って。
これは長期戦のようだ。

マジかよ。独占しやがって。
文句を言おうと、火神は大股でズンズンと少年に近づく。
だがあと数歩のところで、火神は足を止めた。
いや、少年の圧倒的な迫力に、足が止まってしまったのだ。

少年はひたすら、絵に没頭していた。
背筋を伸ばして凛とした姿で立ち、真剣な表情でキャンバスを見据える。
時折目の前の風景とキャンバスを交互に視線を走らせ、絵筆を進めていく。
そんな一連の所作や表情は、張り詰めた緊張感と見事な美しさを醸し出していた。
特に特徴もなく、影が薄い少年は、その下にとんでもない素顔を隠していた。

火神はそのまましばらく、少年が絵を描いている様子を見ていた。
少年に絵に集中しているようで、見られていることに気がつかない。
絵に詳しくはない火神でも、少年が描いている油絵が見事な腕前であることがわかる。
絵の中の風景が実際のそれより温かい印象なのは、柔らかい線と明るめな色彩のせいだろうか。
おそらくこの少年は心が優しいのだろう。
火神は少年が線を描き、色を重ねていく様子にすっかりで魅入られていた。

写真、撮ってもいいか?
しばらく見ていた火神は、少年に声をかけた。
声をかけられて、少年はようやく火神に気がついたようだった。
驚いて「うわ」と声を上げ、絵筆をとり落としてしまった。

お前の写真、撮りたいんだけど。
嫌です。
すっかり無機質に戻った少年は、きっぱりとそう切り捨てた。
落とした筆を拾い上げると、そっぽを向いてしまう。
そして無言で絵の道具を片付けると、火神の方を見ることなくその場を立ち去った。

結局「嫌です」しか言われなかった。
火神は去っていく少年の後ろ姿を見送りながら、そう思った。
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