The Stylist

ハァァ!?テメー、ナメてんのか!?
スタジオの廊下に、ガラの悪い怒声が響いた。
それを聞いた伊月は思わず顔をしかめながら、部屋の中を覗き込んだ。

スタイリストの伊月俊は、仕事でとある貸しスタジオに来ていた。
今日は某モデル事務所に所属するモデルの宣伝材料用写真、いわゆる「宣材」撮影の仕事だ。
スタジオにさまざまなタイプの服をかき集めて、用意した。
今日撮影するモデルは10名ほどで、そのデータも頭に入っている。
後は実際に見たイメージで、衣装を選んで着せるまでが伊月の仕事だ。

だが車でスタジオに到着すると、いつも一緒に仕事をしているヘアメイクの小金井がぼんやりと立っていた。
撮影予定時間にはまだ時間があるせいか、まだ来ているスタッフの方が少ない。
しかもそのスタッフたちが外にいるということは、まだスタジオは空いていないのだろう。
おそらく前の撮影が押しているのだ。

服は全部車から出して、スタジオに運ぼう。
伊月は助手の降旗に声をかけると、小金井に「よぉ」と声をかけた。
すると小金井が「お疲れ」と手を上げて、答えてくれる。

スタジオに入らないのか?
伊月は小金井にそう聞いた。
前の撮影の邪魔さえしなければ、建物の中には入れるはずだ。
わざわざ外で待つのも、手持無沙汰だろうに。

いや、何か前の撮影、揉めてるらしいんだ。
怖いお兄さんが叫んでてさ。
小金井が猫のような顔をしかめて、そう答えた。
それを聞いた伊月も思わずウンザリした顔になる。
撮影に意見の違いやトラブルはままあることであり、時には言い争いになることもある。
だがやはり怒鳴り声などは、できれば聞きたくない。
他所様の撮影なら、尚更だ。

それでも伊月はため息をつくと、意を決してスタジオに向かうことにした。
メイク道具だけで済む小金井と違い、伊月は大量の服を搬入しなければならない。
トラブル解決を待ってなどいられないのだ。

降旗。運ぼう。
伊月が声をかけると、降旗が「はい」と答える声が上ずった。
降旗はビビりな性格なのだ。
だがそれも考慮してなどいられない。
キャスター付きのハンガーラックに服を吊るし、2人がかりでガラガラと押していく。
そしてスタジオのある建物に運び込み、スタジオ前の廊下に置いた。
3往復してすべての服を運び込んだところで、スタジオの廊下にひときわガラの悪い怒声が響いた。

ハァァ!?テメー、ナメてんのか!?
それを聞いた降旗は、顔面蒼白で立ち竦んでいる。
伊月は、思わず顔をしかめながら部屋の中を覗き込んだ。

のぞき窓がついたドアの向こうのスタジオの中。
奇抜な色彩の、かなり前衛的なセットが組まれていた。
後で聞いたところによると、スタジオではフリーペーパー用の撮影中だった。
最近、若者の間で人気がブレイクしかかっている若い男性モデル2人の対談。
それに添えるために、そのモデルの写真撮影をしようとしていたのだが。

黄瀬涼太と灰崎祥吾ですね。
さっきまで震えていた降旗が、いつの間にかスタジオを覗きながらそう言った。
そう、それが対談をした2人のモデルだった。
先程から怒鳴っているのは、灰崎の方だ。
そして怒声を浴びせられているのは、妙に影が薄い青年だった。
彼の横には、今伊月たちが運び込んだのと同じハンガーラックが置かれている。
どうやら青年はスタイリストで、灰崎は用意した服が気に入らないらしい。

オレも祥吾君と同じ意見っす。こんなダサい衣装は着たくないし。
黄瀬が灰崎の意見に乗っかったようで、その後もゴチャゴチャとやり取りがなされた。
そして結局、撮影はされなかった。
モデル2人はどうしても承諾しなかったらしい。
前の撮影のカメラマンはシャッターを切ることなく、伊月たちはスタジオに入った。

前の撮影のスタッフたちが前衛的なセットを片づけ始める中、伊月は影の薄いスタイリストを見た。
そして彼のハンガーラックに吊るされている服を見て、思わず「へぇぇ」と声を上げていた。
伊月は空間認識力が高く、モデルと衣装と撮影背景を脳内で組み合わるのは得意技だ。
その能力で、あのセットと2人のモデルと衣装を合わせてみたのだ。

それらの服は確かに、単独で見たらダサいかもしれない。
だが前衛的なセットと合わせれば、面白い感じになるだろう。
しかも2人のモデルの顔立ちも綺麗に映えると思う。
宣伝も上手くやれば、話題になる可能性もあるのに。

ねぇ、君。名前は?どこの事務所?
伊月は出て行こうとする青年に声をかける。
青年は無表情のまま「黒子テツヤです」と答えた。
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