オレはなにも見なかった

おじゃまします。
降旗は恐縮しながら、火神宅に足を踏み入れた。

先日、母校である誠凛高校バスケ部の試合があった。
大学生になった降旗は、久しぶりに河原、福田と誘い合わせて観戦に来ていた。
その試合会場で、火神と再会したのだ。
4人は大いに盛り上がり、試合後に懐かしい火神の家に集って酒を飲んだ。
火神は泊まれと勧めてくれたが、翌日は授業もある。
またいつか会おうと約束をして、名残を惜しい気持ちで火神宅を後にしようとしていた。

火神、ちょっとトイレ借りていい?
降旗は火神に了解を得ると、トイレを使い、洗面所で手を洗う。
そしてふと洗面台に置かれたカップを見て「あ!」と思った。
プラスチックのカップに立てかけられた歯ブラシが2本。
赤と水色、対照的な色合いのコントラストで並んでいる。

確か火神の父はまだアメリカで、相変わらず1人暮らしだと言っていた。
降旗は2本並んだ歯ブラシを見て、頬を緩ませる。
つまり火神には、彼女がいるんだろう。
歯ブラシを置くことを許すほど、親密でよく泊まりに来る彼女が。
確かに今や火神は全国区で有名なバスケプレーヤーなのだから、恋人がいたっておかしくない。

そして洗面台の端には、ヘアブラシも2本置かれていた。
これまた赤と水色、同じ形で色違いだ。
だがふと目を凝らして、水色のヘアブラシを見た降旗の笑顔が強張った。
ヘアブラシにからみついている数本の髪は、変わった色をしている。
そして降旗はその髪色に見覚えがあった。
今日はどうしてもはずせない用事があるとかで、観戦に来られなかったかつてのチームメイト。
影としてチームを支え続けた、影の薄い男と同じだ。

まさか。そんなこと。
だけどバカバカしいと笑い飛ばすことができない。
あの2人が寄り添っている姿は、しっくりとハマる気がするのだ。

オレはなにも見なかった。
降旗はブンブンと首を振って、これ以上考えることを止めた。
だけど寄り添う赤と水色が、間違いないのだと告げている。

【終】
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