マスク

「ええと。明日の朝食用のパンと卵、あとヒル魔さんの無糖ガムと」
セナはブツブツと呟きながら、コートを着込んだ。
そしてマスクをつける。
今はこれがないと外出できない。
できれば外出自体も避けたいけれど、生鮮食料品は買い置きにも限度があった。

「気をつけて、すぐに帰れよ。」
ヒル魔がセナに声をかけてくれた。
セナは「すぐそこのスーパーに行くだけですよ?」と苦笑する。
最近のヒル魔は過保護だ。
ちょっとした外出でも「気をつけろ」と言う。
やっぱり目に見えないウィルスの脅威を感じているからだろう。

「高校時代を思い出しますね。」
セナは自分の口元のマスクを指差しながら、そう言った。
ヒル魔は一瞬「あ?」と首を傾げる。
セナは「マスクトレーニング。したじゃないですか」と笑った。

高校時代、王城ホワイトナイツとの決戦前。
トレーナーの溝六が部員たちに試合までの間、マスクをしているように命じた。
しかも濡らした上に食事以外は外してはいけないと。
通気性最悪、薄い空気の下で生活したあの期間は本当につらかった。
これがどれほど心肺機能を強くしてくれたかはわからない。
ただ試合直前に外したときには、身体が軽くなったと思った。

「ああ。あれか。きつかったな。」
「え?ヒル魔さんもきつかったんですか?」
「たりめーだ。お前、俺を何だと思ってるんだ。」
「だって1人だけ、涼しい顔してたじゃないですか。」

わかっている。ヒル魔だってつらかったってことは。
何もない顔をしていたのは、おそらく主将の意地。
セナは微笑し、微笑できる自分にまた笑った。
大丈夫。まだ笑える余裕がある。
だから明日を信じて、進むしかない。

「それじゃ行ってきます。」
セナは手を振ると、部屋を出た。
外に出れば、道行く人が全員マスクをしている。
きっといつかこの光景も懐かしく思える日が来るのだろう。

【終】
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