七夕、海を渡る

「楽しみましょう。七夕を!」
リビングにセナの明るい声が響く。
ヒル魔は眉間に皺を寄せながら「これ、必要か?」と呻いた。

NFLプレイヤーになって、アメリカで暮らすセナはイベント事を大事にする。
正月には手に入る食材でおせち料理を用意したり、2月には恵方巻を作ったり。
4月にはわざわざアメリカで桜の名所を捜して訪れたりもする。
セナ曰く「日本を忘れずにいたいじゃないですか」。
アメリカにいるからこそ、日本の風物詩を大切にしたいということらしい。
そんなセナの、今の関心事は。

「ヒル魔さんも書いてくださいね~!」
テーブルの上に置かれたのは、短冊だった。
それを見たら、無頓着なヒル魔でも思い出すイベントがある。
もうすぐ訪れるそれは「七夕」だった。

ちなみにアメリカにも七夕はある。
例えばロサンゼルスでは、日本さながらの七夕祭りがあった。
何でも仙台の七夕祭りの担当者がアドバイザーになっているとか。
昨年まではセナもそんな七夕イベントに出かけていたりした。
もちろんヒル魔もしっかり付き合わされた。

だが今年はいつもと違った。
セナが用意したのは、短冊だ。
ヒル魔の分もあって、願い事を書けと言うのだ。
自宅リビングでパソコンを開き、データ収集に勤しんでいたヒル魔は「は?」と声を上げた。

「短冊なんて書く年齢じゃないだろ?」
「こういうのは気持ちですよ?年齢は関係ないです」
「短冊なんて、どこで売ってるんだ?」
「日本から送ってもらったんですよ」
「七夕までまだ1カ月近くあるぞ?」
「日本で飾ってもらうんで、送り返す日数が必要なんですよ!」

何だそりゃ?
ヒル魔は心の中で盛大にツッコミを入れた。
わざわざ日本から短冊を取り寄せて、書いて送り返す。
メールやアプリが主流のこの時代に、無駄に手間と時間と金をかけている。

「文句ばっかり言わないで、短冊を書いてください。」
「・・・」
「楽しみましょう。七夕を!」
「これ、必要か?」

最後のヒル魔の呻きは、セナには届かなかったようだ。
ヒル魔はパソコンを脇に置き、ペンを手に取る。
とりあえず願い事はいくつもある。
短冊に書くネタは事欠かなかった。
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