「わかりました。はい。残念ですけど、仕方ないです。」
セナは電話の相手ににこやかに応対する。
そして通話を終えるとヒル魔に「やはり中止だそうです」と告げた。

ヒル魔とセナが暮らすアメリカのマンションのリビング。
ソファに座り、コーヒーブレイク中だった。
ヒル魔はブラック、セナはミルクたっぷりのカフェラテ。
ゆっくりと味わっていたところで、セナのスマホが鳴った。

出てみると、相手は日本のスポーツ誌の記者だった。
数日後、セナは日本人の野球選手と一緒に取材を受ける予定だったのだ。
ＮＦＬでプレイするセナと、メジャーリーガーとして注目を集める彼。
アメリカで活躍するする同世代のアスリートとして、対談するはずだった。

だけどその日本人メジャーリーガーがトラブルに見舞われた。
彼のスタッフが、彼の口座から勝手に金を引き出し、違法賭博をしたらしい。
しかもその金は日本円で億単位だった。
何か大変そう。予定通りに対談するのかな。
セナはそんな心配をしていたが、やはり対談は中止になった。

「仕方ないですよね。そういうことだったら」
「まぁな。不満か？」
「不満っていうか、残念です。」
「そうか？」
「はい。大人気の日本人メジャーリーガーに会いたかったですから」

心底残念そうな表情のセナを見て、ヒル魔は苦笑した。
予定が狂ったとか、ギャラがなくなったとか、そんな発想はセナにはない。
ただシンプルに彼に会えなかったことが残念だったようだ。
日本では、アメフトより野球の方が人気がある。
セナの中では彼の方が完全に格上の人気選手であるようだ。
だから何気に会えることを楽しみにしていたのだ。
セナだって有名人ではあるが、本人には未だにその自覚が希薄だった。

「ショックですよね。信頼している人にお金を使いこまれるなんて」
スマホをテーブルに置き、セナはカフェラテを啜る。
それを見ながら、ヒル魔は「テメーも少しは警戒しろ」と言った。

彼はおそらく金の管理を自分のスタッフに任せきりだったのだろう。
だけどそれはセナも同じだった。
セナは自分の資産管理をヒル魔に任せっきりなのだ。
そして当人はほとんど金を使わない。
セキュリティの関係上、家賃は高い部屋を借りている。
だけど着る物はファストファッション、食べる物も庶民的。
そしてほぼ減らない口座の残高を確認することさえしない。
だからヒル魔は口を酸っぱくして、ちゃんと金の流れはチェックしろと言うのだ。

「俺が悪人だったら、お前、とっくに一文無しだぞ？」
「ヒル魔さんはそんなこと、しないでしょ」
「お前と対談するはずだった相手も、同じことを考えてたと思うけどな」
「彼のスタッフとヒル魔さんは違いますって」

ヒル魔が使い込むなんて、セナは考えもしない。
もちろんヒル魔だって、そんなことをするつもりはない。
セナの資産は、しっかり運用して増やしている。
だけどそれとは別に、セナの警戒心のなさは不安になるのだ。
いつか悪い大人に騙されるのではないかと。

「今月、口座の残高チェックしたか？」
「あ、まだしてないです。」
「せめて月一でやれ。今月分は今すぐ」

ヒル魔はセナに命じた。
セナは「飲んでからじゃダメですか？」とカフェラテのカップを掲げる。
だがヒル魔は渋面で「今すぐだ」と繰り返した。