砂漠の恋のエメラルド

何て、美しい。
高野は思わず、その美貌に見惚れた。
深い深いエメラルドの瞳が、静かに高野を見つめ返していた。

日本から遠く離れた中東のとある国。
ここは何から何まで、日本とは異なっている。
国土の半分以上が、砂漠であること。
また石油や鉄鉱石など、さまざまな資源の産出国であること。
この国を治めるのは絶対的な権力を持つ王であること。
そしてその王に不満を持つ者が多く、現在は軍とデモ隊が衝突を繰り返していることなどだ。

高野政宗は同僚の羽鳥芳雪と共に、この国の空港に降り立った。
もちろんこんな物騒な地に、しかも男2人で観光になど来ない。
彼らの目的はビジネスだ。
2人は日本人なら誰でも名前を知っている大手商社勤務の会社員。
この国の資源の発掘事業の援助、そして資源の買付などの商談のために訪れたのだ。

何だか嫌な雰囲気だ。
高野は空港に降り立つなり、不穏な空気を感じ取った。
どうやら羽鳥も同じ感想を持ったらしく、いつもより眉間のシワを濃くしている。
何というか、とにかく物々しいのだ。
空港のあちこちに自動小銃を持った軍の兵士がいる。
少しでも不穏な動きがあったら、すぐに制圧するのだろう。
平和に慣れている日本人にとっては、相当違和感のある光景だった。

確か現地ガイドがつくんでしたよね?
羽鳥がそう聞いてきたので、高野は「そのはずだ」と答えた。
空港内を見渡すだけでも、この国の危険さが伝わってくる。
こんな中で本当にガイドが来てくれるのか。
そもそもガイドなんて、平和な職業がこの国にあるのかさえ不安になって来る。

すみません。丸川物産の高野さんと羽鳥さん、ですか?
不意に背後から、綺麗な日本語で声をかけられた。
振り返った高野と羽鳥は、声の主を見て、思わず絶句する。
立っていたのは、ごくごく普通、ポロシャツにコットンのパンツ姿の青年だった。
軍服だらけの空港で、この青年だけはまるでリゾート地にいるようで見事に浮いている。
しかも青年の外見は完全な日本人だ。
何となくカタコトの日本語を喋る、怪しげな現地人が来ると勝手に思い込んでいたのに。
とにかくこの青年は、高野と羽鳥の意表を突き過ぎていたのだ。

ガイドの吉野千秋です。滞在中のお世話と通訳をさせていただきます。
完全な日本名を名乗った青年は、2人に丁寧に頭を下げる。
そんな仕草さえも完全な日本人だ。
吉野は2人の物問いた気な視線に「父はこの国の人間、母が日本人です」と苦笑する。
そして「ここは危ないので、まずは車に行きましょう」と先に立って歩き出した。

父はこの国で会社を経営していたそうです。
母は日本でアラビア語の通訳をしてて、ビジネスで来日した父と知り合ったんです。
それで結婚して、この国に移住しました。
でも父は俺が生まれる前に、母は3年ほど前に亡くなりました。

吉野は車を運転しながら、サクッと自分の生い立ちを説明した。
だからアラビア語と日本語は堪能で、それを利用して日本人のガイドをしている。
この国は石油や鉱物資源があるので、日本人がビジネスでたびたび入国する。
その案内だけで、何とか食べていけるほどの収入になるのだそうだ。

助手席に座った羽鳥は「そうですか」と、真面目に相槌を打っている。
高野は後部座席にいるのをいいことに、吉野の話を聞きながら、窓から外を見ていた。
あまりにも日本とは違う風景だ。
砂漠の国特有の、埃っぽい乾いた空気。
そして荒廃した色のない町並み。
しかもデモが多発しているせいか、倒壊している店舗や家屋が多かった。

あの、本当はホテルにご案内するところなんですが。
空港近くのホテルはほとんど全部、デモで破壊されちゃってまして。
吉野は軽快にアクセルを踏み込みながら、とんでもないことを言う。
羽鳥が慌てて「では我々はどこに泊まればいいんですか?」と叫ぶ。
すると吉野は事もなげに「王宮です」と答えた。

はぁぁ!?王宮!?
高野も驚き、思わず声を上げてしまう。
一介の日本の庶民が、よりによって王宮に滞在とは。
そんな身分不相応なことがあってもいいものなのか?

マリク・エメラルドが是非にとおっしゃっているそうです。
日本からのお客様を危険に晒したくないと。
吉野はそう告げると、高野と羽鳥はルームミラー越しに顔を見合わせた。
マリク・エメラルドとはこの国の王のことだ。
つい2年ほど前、父親である前王の急逝により、王座を引き継いだばかりの若い王。
ちなみにこの呼び名は愛称、つまりニックネームのようなものだ。
王の本名は、最後にこの国の名がつき、舌を噛んでしまいそうなほど長い。

やがて車は、王宮に着いた。
街の荒廃ぶりとは対照的に、広大で大きな建物だ。
だがやはり軍の兵士たちが警備しており、物々しい雰囲気である。
車をとめた吉野が、門番よろしく銃を構えて立つ兵士に書類を見せて、アラビア語で話しかける。
すると吉野が「入っていいみたいです」と笑い、先に立って歩き出した。

通されたのは、謁見の間だ。
高野と羽鳥は絢爛豪華な調度品を眺めながら、しばらく待つ。
程なくして現れたのは、エメラルド色の瞳を持つ青年だ。
シンプルだが上質な白のカンドゥーラをまとい、頭にはこれまた白のカフィーヤ。
その清楚なたたずまいは、青年の美しさを存分に引き立てている。

日本からのお客様をお連れしました。
吉野はアラビア語でそう告げる。
高野にはその言葉の意味はわからなかったが、誰なのかはすぐにわかった。
この青年こそマリク・エメラルド。この国の若き王だ。

何て、美しい。
高野は思わず、その美貌に見惚れた。
深い深いエメラルドの瞳が、静かに高野を見つめ返していた。
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