Maison Emerald

最初に言っておきますが、いわくつきです。
エメラルド色の瞳の美青年がそう言った。
羽鳥はがっくりと肩を落とすと「でしょうね」と答えた。

羽鳥芳雪は、切実に困っていた。
大学の卒業が間近に迫り、就職先も決まった。
4月から働く会社には近所に社員寮があり、入居する手筈も整った。
だが何かのトラブルがあったらしく、直前になって部屋が空かなくなったと連絡がきたのだ。
つまり急遽、住処を捜さなければならないことになったのである。

それでも何とかなるだろうと、最初は高を括っていた。
何だかんだで東京都、いざとなれば住むところくらいなんとでもなると。
だが会社近辺のマンションやアパートはことごとく空きがない。
正確に言うなら、単身者向けの手頃な部屋はほぼ埋まっている状態だったのだ。
時期が悪いのか、運が悪いのか。
今の部屋はもう退去の手続きを済ませてしまっているし、どうしたものか。
途方に暮れかけたときに、不動産屋からとあるマンションに空きが出たと連絡があったのである。

それが「メゾン・エメラルド」というマンションだった。
築年数は古いが、外見は綺麗だし、造りもしっかりしているように見える。
4階建てで、各階に単身者向けの部屋が3つずつ。
その最上階、真ん中の部屋が空いたという。

嘘のような幸運と言えるかもしれない。
だが羽鳥はそれを喜ぶ気にはなれなかった。
なぜなら1ヶ月の家賃はきっかり5万円、管理費はなし、敷金礼金もなし。
しかも部屋は贅沢な2LDK、バストイレ付き。
つまり東京の住宅事情を考えたら、破格すぎるのだ。
もしかしたら、いやほぼ間違いなく事故物件。

最初に言っておきますが、いわくつきです。
エメラルド色の瞳の美青年がそう言った。
彼はこのマンションの大家であり、件の物件の隣に住んでいるという。
羽鳥はがっくりと肩を落とすと「でしょうね」と答えた。
やはりこの金額で借りられる部屋なんて、ロクなものではないと思ったのだが。

あ、でも人が死んだわけじゃないです。
ただ今空いている部屋には、化け猫が出ます。
美青年は真面目な顔でそう言った。
羽鳥は思わず「は?」と聞き返す。
何か事件があったとか、住人が突然死したという事態を想像していたのだが、化け猫?

だけど羽鳥は「契約します」と答えていた。
実を言うと、事故物件でも仕方ないと思っていたのだ。
羽鳥は幽霊は信じていないし、むしろそういう理由で家賃が安いなら我慢できる。
まして化け猫が出るなんて、悪い冗談だ。
そもそも入社まで間がないし、早く部屋を決めたかった。

かくして羽鳥は「メゾン・エメラルド」に引っ越した。
荷物はさほど多くないので、サクサクと片付いた。
ご近所に挨拶も済ませたし、やれやれだ。
そして夜、ウトウトと眠りかけた羽鳥は妙は気配を感じて目を覚ました。
ベットの中で、何やら生暖かいモノが動いている?

布団を跳ねのけ、目を凝らすと猫が丸くなっていた。
赤ん坊ではないが、まだまだ子供のような小さな黒猫だ。
羽鳥は思わず「お前、どこから来た!」と声を上げる。
寝る前にはこんな猫はいなかったし、施錠もしっかり確認した。
こんなところに猫がいるなんて、あり得ないのだ。

次の瞬間、羽鳥は目が覚ました。
すっかり明るくなっており、枕元のスマホを確認すれば起床予定時間の30分前だ。
そして昨夜のことを思い出して苦笑した。
ベットの中に黒猫がいるなんて、バカな夢を見たものだ。
何だか妙にリアルだった気はするが、あり得ない。

そのままの勢いで布団から出ようとした羽鳥は「え?」と声を上げた。
明るい朝の日差しに照らされたベットには、羽鳥以外に寝ていたモノがいた。
黒猫ではない。
黒髪の小柄な青年が全裸で眠っていたのである。

お前、どこから来た!
羽鳥は思わずそう叫んだ。
すると黒髪青年はうるさそうに目を開けて「それ、昨日の夜も言ってた」と文句を言う。
そして大きな欠伸をすると、また眠ってしまった。

おい、待て。起きろ!起きて説明しろ!
羽鳥は慌てて黒髪青年を揺するが、目を開ける気配はない。
まさかこれがいわく?
羽鳥は混乱し、自分がとんでもない部屋に来てしまったことを悟ったのだった。
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