Massager

あ~そこそこ。気持ちいい~!
常連客の青年がうっとりとした表情で、声を上げる。
律は彼の背中を指先で強く押しながら「今日も凝ってますねぇ」と苦笑した。

小野寺律はとあるマッサージ店で働いている。
風俗ではなく、健全なものだ。
勤務先は元々はアスリートのボディケアを行なう治療院から始まった会社。
今ではスポーツ選手だけではなく、一般の人も気軽に入れるマッサージ店を全国展開している。
料金も10分で1000円から、全身フルマッサージで10000円。
良心的な価格で、お客様を解して癒すのだ。

律が働くのは、都内の駅ビルの中にある店舗だった。
ここに新店舗がオープンした時からの勤務だ。
最初はこんな場所に客が来るのかと思った。
そこそこ会社は多いから、ビジネスマンは来てくれるかもしれない。
だがそれ以外の客を見込めるのだろうかと。

だがそんな律の心配は杞憂に終わった。
店には客が、引きも切らず詰めかける。
ビジネスマンだけでなく、主婦や学生、その他色々な職業の人が。
どうやら現代人は意外と全身が凝っているようだ。
かくして店はそこそこ繁盛しており、律はテクニックを駆使して客を解し続けている。

こんにちは。今日もよろしくお願いします。
開店と同時に現れたのは、常連客の青年だ。
受付に立つと「できれば小野寺さんで」と告げる。
低料金であるため、基本的には指名は受けない。
だが極力客の要望を聞くようにはしている。
常連さんならなおさらだ。

いらっしゃいませ。吉野さん。毎度ありがとうございます。
律は頭を下げると「どうぞ、こちらへ」と施術室に案内する。
とはいえ、そんな立派な部屋ではない。
駅ビルの中の店舗であるから、そもそもそんなに広くないのだ。
大きなスペースをパーテーションで仕切って、4つほどの小部屋に分けているだけだ。
そのうちの1つに案内する。

いつものやつで、よろしくお願いします。
常連客の吉野は礼儀正しく挨拶をすると、慣れた動作で施術台にうつ伏せになった。
漫画家だという吉野は、毎日毎日長い時間、机に向かっているのだそうだ
そのせいで慢性的な肩こりと腰痛に悩まされているという。
吉野の「いつものやつ」は肩と腰を10分ずつ、計20分解すのだ。

それでは失礼します。
律は早々にマッサージを始めた。
指先に力を込めつつも、強くなり過ぎないように。
優しく丁寧に揉みつつ、物足りなくならないように。
律がマッサージを始めると、吉野が「あ~そこそこ。気持ちいい~!」と声を上げる。
そのうっとりした表情に、律は「今日も凝ってますねぇ」と苦笑した。

担当編集がオニでさぁ。
肩も腰もバキバキでつらいって言っても、全然聞いてくれないんだ。
吉野の言葉に、律は「大変ですねぇ」と応じながら、マッサージの手は緩めない。
客が話したそうにしているときは応じるが、そうでなければこちらからは話しかけない。
それが律のスタンスだ。

吉野さん、お時間です。
肩と腰を解して、吉野の話を聞いているうちに20分が終わった。
吉野は施術台から降りると「気持ちいい。軽くなった~!」と笑った。
これが一番嬉しい瞬間だ。
客のコリや痛みが解され、喜んでももらえると、次も頑張ろうと思える。

その後も何名かの客が入店した。
営業で外回りの途中だと言うサラリーマンと主婦、そして学生。
いずれも何度か来たことがある客で、予約を入れてからやって来た。
そして夕方、ようやく一息つけると思っていたところで、予約なしの客が来た。
律の記憶にもない、まったく初めての客だ。
端整な顔立ちと、モデルのようなプロポーションの美青年。
年齢は20代半ばの律より、少し年上だろう。

1時間だけ、寝かせてくれ。
その男はそう言って、案内も待たずに奥へと入っていく。
律は慌てて「ええと、こちらです」と空いているスペースに案内する。
すると男はさっさと施術台に横たわると「1時間後に起こしてくれ」と目を閉じてしまった。

いやいやいや。それってもったいなくない?
律は心の中で反論する。
10分で1000円。1時間なら6000円だ。
6000円あれば、もっとリラックスして休める場所があるのではなかろうか?
例えばネットカフェとかなら、もっと安価でいけるだろう。
6000円払えるなら、ビジネスホテルなどの方がくつろげると思うのだが。

だが男は余程疲れているのが、すぐにスヤスヤと寝息を立て始めた。
律はハァァとため息をつくと、静かに部屋を後にしたのだった。
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