Law Office

ついにお前の希望通りの依頼が来たぞ。
スマホの向こうから聞こえてくる羽鳥の声に、吉野は思わず「マジでぇ?」と聞き返した。

吉野はチェーン店の居酒屋にいた。
奥まったテーブル席で、男と女がそれぞれ4人ずつ。
いわゆる合コンというやつである。
と言っても、吉野はこういう集まりが好きではない。
急に男が1人来られなくなったからと、拝み倒されたのだ。
ちなみに拝み倒した相手は、この飲み会に参加している女の1人で、吉野の妹だ。
そしてその他の面々は、まったく初対面だった。

合コンなんて苦手だな。
吉野は席につき、女の子たちの自己紹介を聞きながら、そう思っていた。
元々人見知りな性格なのだ。
なんでわざわざ初対面の人間と、しかも恋人を作る前提で酒を飲まなきゃならないのか。
だけど1つだけ魅力的なことがあった。
飲み代は急に来られなくなった男が払うことになっており、つまりタダで飲み食いできるのだ。
そうでなければ、どんなに妹に頼まれても来なかっただろう。

それじゃ男性陣も自己紹介、お願いします~♪
参加者の1人でこの場の仕切り役らしい女の子の軽い声に従い、男たちが順に名前と職業を名乗っていく。
3人ともそれぞれ、一流企業に勤める会社員だった。
そして吉野の番になると、めんどくさいと思いながら口を開いた。

吉野千秋です。仕事は弁護士です。
特に隠すこともなく、吉野は正直に名前と職業を告げる。
すると女の子たちが「キャ~♪」と色めき立ち、男たちは「マジかよ?」と舌打ちした。
そして男の1人が「ホントに?」と聞き返し、他の者たちも口々に「見えない」と言い出した。

わかっている。自分が弁護士らしくないことは。
童顔で、態度にも言葉使いにも威厳がない。
そもそも今も吉野以外の男性は全員スーツ、女性もそれなりに整った身なりなのに、吉野はジーパンにパーカーだ。
胡散臭く見えるのも、無理はないだろう。

じゃあ一応、証拠物件を。
吉野はそう告げると、ポケットから小銭入れを引っ張りだし、中からバッチを取り出して見せた。
向日葵の花の中に、天秤の図案。
泣く子も黙る弁護士のバッチである。
かくして一同は「本当なんだ!」と驚き、そこからフリートークの時間になった。

妹を除いた3人の女はわかりやすく、全員で吉野を取り囲んだ。
うわ、露骨!と思わず苦笑する。
吉野は自分の魅力で女の子が寄ってくるはずがないと理解している。
つまりこれもバッチの力だ。
吉野は内心辟易しながら、女たちがマシンガンよろしく繰り出す質問に答えていた。

お給料とかってどのくらいですか?
女の子の1人が、唐突に不躾な質問を投げてきた。
吉野は面食らいながら「月20万弱かな?」と答える。
嘘偽りもない、リアルな金額だ。
すると女の子たちは「嘘だぁ」「冗談でしょ」と信じようとしなかった。

民事事件を扱う弁護士は、すごくいいお金をもらってるよ。
特に大手企業の顧問弁護士とかになっちゃうと、桁が1つ変わっちゃうかな。
だけど俺は刑事事件専門だから、さ。

吉野はこれまた正直に答えた。
そう、弁護士は刑事と民事でガラリと様相が変わる。
民事は概ね問題を解決するために、金を払ってまで依頼に来る人たちが相手なのだ。
つまり依頼人は金を持っているのが当たり前だ。
だが刑事事件は止むに止まれず、犯罪を犯してしまった人たちが相手になる。
金がない場合がほとんどであり、担当弁護士はいつも最低限の金で必死に走り回ることになる。
つまり刑事事件専門の弁護士は、世間のイメージほど儲からないのだ。

だが吉野がそんな実情を暴露する前に、女の子たちはスッと離れていった。
彼女たちにとって、弁護士業界のことなんかどうでもいいのだ。
目の前に現れた童顔の男は弁護士だけど、金は儲かっていない。
それが全てなのだろう。

とりあえず1人になれて、ホッとした。
せっかくだから夕食分はしっかり飲み食いしようかな。
吉野はそう思って、鶏の竜田揚げに箸を伸ばした途端、スマートフォンが鳴った。
何でこのタイミング!?
吉野は舌打ちしたい気分を抑えて、スマホの画面を見る。電話の着信だ。
発信者の名は「羽鳥芳雪」。
大学の法学部の同期で、吉野と同じ事務所に所属する弁護士だ。
もっとも羽鳥は大学法学部から最短ルート、司法試験も一発合格だが、吉野は3度目の司法試験で合格した。
つまり同じ年齢でありながら、弁護士としては先輩になる。

もしもし、トリ?何?
吉野は少し迷ったが、電話に出た。
すると案の定、電話の向こうから「飲み会か?」と不機嫌な声がする。
吉野は思わず言い訳がましく「まだそんなに飲んでないよ」と答えた。
それは事実で、最初の乾杯の後、まだ1杯目のビールがジョッキに半分以上残っている。

じゃあ、仕事の話、いいか?
電話の向こうから聞こえる声に、吉野は「何?」と浮かない声で応じた。
刑事事件専門の吉野だったが、事務所で扱うのは圧倒的に民事事件が多い。
つまり吉野は開店休業状態なのだ。
給料は歩合なので、空いた時間はバイトしているという体たらくだ。

この電話の用件も、どうせ羽鳥が自分の担当事件を手伝えという電話だろう。
だから思い切り不機嫌な声が出たのだ。
だが次に出てきた言葉は、あまりにも予想外のものだった。

ついにお前の希望通りの依頼が来たぞ。
スマホの向こうから聞こえてくる羽鳥の声に、吉野は思わず「マジでぇ?」と聞き返した。
すると電話の向こうから「弁護士らしい威厳を持て!」と怒鳴られた。
確かに「マジでぇ?」はちょっと軽すぎる。
吉野はコホンと咳払いをすると「詳細は?」と聞き返した。

殺人事件の依頼だ。しかも被疑者は無罪を主張している。
それを聞いた吉野は、ゾクゾクと背中が震えるのを感じた。
殺人事件。被疑者が主張通り無実だとしたら冤罪事件だ。
夢にまで見た理想的な事件に、吉野は「今からそっちに行く!」と叫んだ。

俺、仕事が入っちゃったんで、帰ります!
電話を切った吉野はそう宣言したが、吉野に興味を失った合コンの女子たちはこちらを見ようともしなかった。
吉野は妹に「じゃあ!」と手を振ると、居酒屋を飛び出した。
結局何も食べられなかったが、それさえも忘れるほど吉野の心は高揚していた。
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