メイド、コスプレ

「絶対に、ダメです!」
律はきっぱりと断言すると、横暴な男を睨みつけた。
だが相手は少しも怯むことなく「上司命令」と言い放った。

その日の律は、実に不本意な仕事をした。
それはサファイア文庫の新刊のBL小説のPRイベント。
律は「ブックスまりも」でメイド姿のコスプレを披露することになったのだ。

なぜ漫画編集者がそんなことをするのか、その理由は明快。
その小説は、人気少女漫画家、吉川千春のコミックスのノベライズ版であるからだ。
その作中で、主人公たちがコスプレするシーンがある。
それでPRイベントで、男が女装のコスプレをしようってことになったらしい。
律は先輩社員の木佐翔太と共に、その大役を仰せつかったのだ。

わかっているのだ。そのPRが実に効果的であることは。
エメラルドとサファイヤ、両方の編集部を見渡して、その適任者が自分と木佐であることも。
だから恥ずかしいのを我慢して、メイドのコスプレをした。
大勢の人が集まる書店で、笑顔で手を振ったりなんかもした。
中にはデジカメやスマホで写真を撮ってる人もいて、恥ずかしさで倒れそうだった。
でもこれも本のため、1冊でも多く売り上げるため、必死に耐えた。
それなのに、高野は帰宅するなり「もう1度メイド服を着ろ」と命令したのだ。

「絶対に、ダメです!」
律はきっぱりと断言すると、横暴な男を睨みつけた。
だが相手は少しも怯むことなく「上司命令」と言い放った。
書店から直帰したので、メイド服は持ち帰っている。
だがサファイヤ文庫の編集長様に「遊びで使ってもいいけど、汚すなよ」と念押しされていた。
律はそれを高野に説明して「無理です!」と叫んだ。
本当はそんな事情がなくても、ここでメイド服を着るのは、絶対にまずい気がする。

「ちょっと待て」
高野はじっと律を見据えたまま、スマートフォンを取り出し、どこかへ電話をかけ始めた。
相手はすぐに出たようで、高野は気安い口調で話している。
いったい何をする気だと律が首を傾げたが、その内容を聞いて愕然とする。

「今日使ったメイド服、買取できるか?・・・資料用にするんで。そう。よろしく。」
相手はおそらくサファイヤ文庫の編集長だ。
この横暴上司、メイド服を買い取ることにしやがった!

「てなわけで律、心置きなくメイド服を着ろ!」
律はその晴れやかで高らかな宣言に、クラクラと眩暈を感じた。
こいつ、横暴なだけじゃなく、変態だ!

高野はニコニコと満面の笑みでメイド服を手に近づいてくる。
律はジリジリと後ずさりしながら、必死でこの場を逃れる方法を考えていた。
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