指輪物語・その後

こんなときまでバニラかよ!?
火神は床に転がって爆睡する黒子に呆れた。

高校時代から恋人同士になった火神と黒子の関係は、もう10年以上になる。
火神はバスケットボールの最高峰、NBAでつい最近までプレイしていた。
だが残念ながら選手としてのピークは過ぎ、昨シーズンで帰国した。
新たなシーズンは、日本のBリーグに所属して、プレイを続ける。
そのために先日、数年ぶりに帰国したばかりである。

恋人である黒子は、すでにバスケを辞めている。
黒子は現在「まこと・りん」のペンネームで活躍する人気作家だ。
だが顔写真やプロフィールなどは一切明かさない、覆面作家でもある。
パソコン1つでどこででも仕事ができる気安さで、一緒に渡米もしてくれた。
もちろん帰国時も一緒だ。
表向きは、高校時代のチームメイトが忙しい火神宅のハウスキーパーをしているという体で同居している。

そして4月。
ようやく新居に落ち着き、火神は新しいチームに合流を果たした。
そして黒子もまた、新たな試みに挑もうとしていた。

火神は練習を終えると、2人で暮らすマンションに帰ってきた。
以前のマンションは、渡米の時に引き払ってしまっている。
だから今回は新しいマンション。
新築のタワーマンションの上層階だ。

ここに決めたのは、一方的に火神の希望だ。
黒子は「こんな立派なマンション、家賃がもったいないです」となかなか折れなかった。
だがやはりセキュリティがしっかりしていないと、心配だった。
火神は今やバスケプレイヤーとしては有名人だし、黒子だって顔バレしていなくても人気作家なのだ。
それにここは黒子の新しい職場(?)に近い。
作家を続けつつ、新しい挑戦をする黒子に、せめて通勤では楽をして欲しかった。
結局火神の説得に黒子が折れて、この部屋に落ち着いた。

火神は帰宅すると、部屋の異変に気が付いた。
部屋の灯りはついているから、黒子はいるはずである。
だが姿が見えない。
いつもは火神が帰ったことに気付くと、必ず出迎えてくれる。
たまに居眠りをしていることはあっても、すぐに目を覚まして「おかえりなさい」と言ってくれるのに。

黒子~?いるんだろ~?
火神は声を上げながらリビングに入って「うおぉ!」と声を上げた。
黒子は床に転がって、寝息を立てていた。
眠りが浅く、人の気配に敏感な黒子にしては、珍しいことだ。
今日は初日だったし、余程疲れたのか。
そう思った黒子は、ローテーブルの上を見て「なるほど」と思った。

こんなときまでバニラかよ!?
火神は床に転がって爆睡する黒子に呆れた。
ローテーブルに置かれていたのは、缶入りのカクテルの空き缶。
つまり黒子は、慣れない酒を飲んで、潰れてしまったのだ。
滅多に酒を飲まない黒子が飲むとは、余程のことがあったのだろう。
ちなみにカクテルの銘柄は「ストロベリーバニラ」だの「メロンバニラ」だの、甘そうなものばかりだ。
もはや筋金入りのバニラ好きといっても、過言ではないだろう。

黒子~?風邪引くぞ~?
火神は声をかけたが、黒子は起きる様子がない。
仕方がないので、黒子の横に屈み、抱き上げた。
いわゆるお姫様抱っこというヤツだ。
黒子が起きていたら断固拒否されるだろうが、ここまでされても黒子は起きない。
よくも2缶でここまで潰れられると感心しながら、黒子を寝室に運んだ。

ベットに寝かせて、毛布を掛けると、火神は黒子の髪を手で軽く梳いた。
もう10年以上火神を惹きつけて止まない、独特の綺麗な髪色が指からサラリと零れる。
寝顔に「おやすみ」と声をかけ、火神は寝室の灯りを消して、リビングに戻った。

それにしても初日から、いったい何があったのか。
火神は冷蔵庫からビールを取り出すと、缶のままゴクゴクと飲んだ。
作家が実は頭脳も体力も酷使する、大変な仕事だと知ったのは、黒子の仕事振りを見たからだ。
この上、仕事を増やして大丈夫なのかと、火神は不安になった。

黒子の新しい職場は、かつての母校である誠凛高校だった。
ずっとバスケ部の監督をしていた相田リコが、結婚した。
それを期に退任を決意したリコから、黒子は次の監督にならないかと打診されたのだ。
ちょうど日本に帰るタイミングだったこともあり、黒子は1も2もなくそれを受けた。
そして今日はその初日だったのだ。

黒子を監督にするというのは、いいアイディアだと火神も思った。
高校時代だって、ピンチの時、黒子が出した作戦で買ったことは何度もある。
何よりも人間観察において、黒子の右に出る者はいないのだ。
リコが黒子を推したのは、実に正しく説得力がある。

だが黒子の身体が心配なのも事実だった。
今だって抱き上げた身体は「本当に同じ年齢の男か?」と叫びたくなるほど軽かったのだ。
そもそも屈強な男たちに混ざってバスケをしていたときから、心配だった。

とにかく明日。何があったのか聞かせてもらう。
火神はそう決意すると、2本目のビールを開けた。
本当は叩き起こしてでも聞きたいのだが、さすがに可愛い恋人の寝顔は壊したくなかった。
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