指輪物語
「見て見て!綺麗でしょ!」
中学時代の友人が、すっかりハイテンションで左手をかざしている。
黒子テツヤはそんな彼女の浮かれ振りに苦笑しながら、輝く薬指の光を眺めていた。
青峰大輝と桃井さつきが付き合い始めたのは、彼らが大学に入学した頃だった。
その当時、2人を知る人間は、皆同じリアクションだった。
え?桃井って、黒子が好きなんじゃなかったの?
だが黒子にしてみれば「そりゃそうでしょ」という感じだ。
桃井は高校も大学も、青峰と同じところを選んで、何くれとなく世話を焼いている。
そしてあの干渉されるのが大嫌いな青峰が、それを当然と受け入れている。
こんなわかりやすく、お互いに寄り添っているのだ。
桃井が中学時代「黒子が好き」と思っていたのは、一時の気の迷いに過ぎない。
さもなければ黒子が青峰と正反対、まさに青峰の影だったせいだ。
桃井はずっと黒子の中に、中学時代の輝いていた青峰大輝の影を見ていたのだと思う。
とにかくそんな2人が、大学の卒業間近に婚約を果たした。
黒子は都内某所のカフェに呼び出され、その報告を受けていた。
真っ先に黒子に報告するということは、桃井と青峰で合意したらしい。
2人にとって黒子は特別な友人と思ってもらえていることは、光栄と思うべきだろう。
でも黒子にとっては、はっきり言って迷惑でもあった。
桃井は「婚約の報告」と言うが、世間一般的には「ノロケ」と呼ばれるものだ。
嬉しそうに「私と大ちゃん、婚約したの!」と言われれば、心から「おめでとう」と言える。
だけどそこからは、もう胸焼けしそうなほどの熱量と甘さで延々と「大ちゃん自慢」が展開された。
これが苦痛と言わないのなら、この世に苦痛など存在しない。
ぶっちゃけ婚約した報告なら、メールで充分だ。
それでも黒子は少しも不満そうな素振りを見せずに、桃井のノロケを聞き続けた。
何しろ青峰は、大学卒業後には渡米することが決まっている。
本場で自分のバスケが通用するのか、試したいのだそうだ。
桃井は一緒に渡米するかどうか散々迷った挙句、日本に残ることを選んだ。
2人が若くして婚約したのは、遠距離恋愛になっても消えない確かな形を作ったということなのだろう。
これから試練が待っているのだから、少々のノロケは我慢する。
実は黒子にも恋人がいる。
高校時代のクラスメイトにして、バスケの相棒の火神大我だ。
別々の大学に進んだが、半同棲状態。
火神は相変わらず高校時代と同じようにマンションで一人暮らしをしていて、黒子もよく泊まりに行く。
っていうか家に帰るより、火神のマンションに泊まる日の方がはるかに多いのだ。
表向きの理由は、火神のマンションの方が黒子の大学に近いから。
男同士のマイノリティな恋愛を、そんな風にうまく誤魔化しながら、大学生活を送っているのだ。
恋人を持つ身としては、やはり桃井の薬指に輝く光は羨ましい。
黒子は決して形にこだわるタイプではないが、やはり指輪は特別だと思う。
陳腐な言い回しだが、恋人からの愛の証。
心から好きな人に贈られれば、絶対に嬉しいに決まっている。
だけど黒子は、火神から指輪を貰うことは諦めていた。
理由は火神がチェーンに通して、いつも首からぶら下げているあの指輪だ。
兄貴分として敬愛する、あの泣きぼくろの美人とお揃いのシルバーリング。
この指輪にまつわる話も聞いたし、彼らの絆の強さも知っている。
火神がもし黒子に指輪をくれたとしても、この指輪にはきっと勝てない。
それほど特別なものなのだ。
高校性の頃、1度だけ火神に「捨ててくれ」とあの指輪を預かったことがある。
その時には火神に指輪を返したけど、あの時捨てておけばよかったと思ったりもする。
つまりそれほど、黒子はあの指輪に嫉妬しているのだ。
火神の首元で揺れる光を見るたびに、ため息をついてしまう。
「それでね、大ちゃんがね。。。」
桃井のノロケ話はまだ続いている。
大げさな身振り手振り付きで、青峰の話を続ける桃井の薬指の光。
黒子は適当に相槌を打ちながらも、ついつい桃井の薬指を目で追ってしまう。
「そう言えば、テツ君たちはどうするの?」
やがてひと通りノロケて気がすんだらしい桃井が、ようやく黒子のことを聞いてきた。
だけど黒子は首を横に振ると「特にお話するようなことはありませんよ」と笑った。
桃井はその寂しそうな笑顔に顔を曇らせたが、誤魔化すように視線を逸らした黒子は気づかなかった。
いいなぁ。
黒子は寂しいような、切ないような気持ちを持て余しながら、また桃井の薬指を見た。
美しい輝きは、お前には絶対に手に入らないものだと嘲っているようにさえ思えた。
*****
「ったく、女ってのは単純だよな」
めんどくさそうに吐き捨てる青峰だが、目は笑っている。
そんな青峰のノロケにも見える態度に、火神は内心「気持ち悪りぃな」と思った。
青峰に呼び出された火神は、彼の口から桃井との婚約の話を聞かされていた。
場所は奇しくも数日前に、桃井が黒子を呼び出してノロケを展開したカフェだ。
火神にしてみれば、この青峰の行動はまったく意味がわからない。
すでに桃井が黒子に婚約の話を聞かせているのだから、黒子から火神の耳に入ることなどわかりきっている。
そもそも2人きりでカフェに入るなんて、今までなかったことだ。
それだけでもう恥ずかしいこと、この上ない。
「指輪買ってやるだけで、あのはしゃぎっぷりだ。ちょろいぜ。」
「そんなもんか?」
「まぁこの先ずっとヤラせてもらうこと考えれば、安いもんだ。」
「お前、ゲスだな。」
青峰の身も蓋もない発言に呆れるが、本心ではないことはわかっている。
彼なりの照れ隠しなのだろう。
元々「巨乳じゃなければ女じゃない」なんて、非道なポリシーを持った男だ。
間違っても人前で、婚約者が可愛いなどとは言うまい。
ただいかにも女子が好きそうなオシャレなカフェでは、聞きたくない言葉だった。
「んで、テツのことなんだけど」
青峰が一転して、真面目な表情になった。
火神は思わず身構える。
多分ここから先が本題だろう。
「お前もテツに指輪、買ってやれ。」
「は?」
あまりにも予想外の言葉に、火神は間の抜けた声を上げてしまった。
黒子の話なんだろうとは思っていたが、まさか指輪?
「さつきが『テツ君が羨ましそうにずっと指輪を見てたの』なんて言ってたからよぉ」
「まさか。黒子は男だぞ?指輪なんか」
「じゃあテメーの首にぶら下がってるそれは、何だ?」
青峰の言葉に、火神は思わず右手で自分の首にかかっているリングをなでた。
これは小さい頃から兄と慕う男との絆。
火神にとって大事な大事な、兄弟の証だ。
「そういうのをテツだって欲しがってるとは思わねーのか?」
青峰に畳み掛けられて、火神は思わず黙り込む。
確かに火神だって男だが、この指輪は大事な宝物だ。
黒子もそういうものを欲しがったって、おかしくないのかもしれない。
「そもそもテメーだってアメリカに行くんだろ?テツとのことはどうすんだ?」
「・・・お前らみたいに婚約ってわけにはいかねーよ」
火神はボソボソと言い訳する。
青峰同様、火神も大学卒業後にアメリカに行く。
本場で、バスケを極めたいと思っているからだ。
そして火神は、黒子もアメリカに連れて行くつもりでいた。
黒子はとある出版社が主催するコンテストに、自作の小説を投稿して賞をもらっていた。
そこで出版社の編集部員から、他にもいくつか書いてみてほしいと依頼されている。
つまり小説家としての道が拓けたのだ。
もちろんすぐに小説だけで食べていけるわけではない。
大きな出版社ではないし、そのコンテストもマイナーで、賞金も微々たるものだ。
それでも黒子はその道を進むことを決めた。
アルバイトをしながら、小説を書いていくのだという。
それは火神にとって、朗報だった。
小説を書くのもアルバイトも、日本でなくてもできる。
編集者とのやり取りだって、メールや電話で何とかなるらしい。
それなら火神と一緒にアメリカで暮らすことだって、不可能じゃない。
だが火神はまだ黒子に「一緒に来い」と告げていなかった。
何となく照れくさくて、言うタイミングを逃していたのだ。
「指輪、か。。。」
火神は今、にわかに青峰の提案に傾いていた。
男同士、結婚というゴールがない2人なのだ。
指輪を贈って、アメリカに誘うというのもありかもしれない。
「とにかく伝えたぜ。ったく、さつきのやつ、面倒なことを押し付けやがって」
青峰はここにはいない桃井に文句をつけている。
だが単に彼女の指示通りに動いているわけでもないだろう。
青峰は青峰なりに、かつての影である黒子の幸せを祈っている。
だからこそ「指輪をやれ」なんて、恥ずかしいことを言うのだ。
そんな青峰と桃井の後押しを受けて、火神は決心を固めていた。
*****
「指輪、ですか?」
黒子は意味が分からないという素振りで、小首を傾げた。
だが本当は何が起きたか、きちんと理解していた。
半同棲状態の火神のマンション。
火神も黒子も部を引退し、卒業に必要な単位も取れた。
卒業後は火神も渡米するので、遠距離恋愛になる。
火神の決意を知らない黒子はそう思っていた。
だからこそ今、2人の時間を大事にしようと思っている。
今日もこれから、まったりと濃厚な夜を過ごすつもりだった。
だがそろそろベットに入ろうかという頃、火神はいつもと違うことを言い出した。
「指輪、買いに行かないか?」
ぶっきらぼうな口調で、そっぽを向いているのは照れ隠しだろう。
黒子は「指輪、ですか?」と聞き返す。
だがわからないわけじゃない。
いやむしろ何でそんなことを言い出したのかさえ、理解できる。
火神は今日の昼、青峰に会いに行っていた。
先日桃井に指輪を見せられた時、少々見過ぎてしまった自覚はある。
それが桃井から青峰に伝わって、火神に指輪を買うようにとけしかけたのだろう。
「本当はこっそり買ってびっくりさせたかったんだけど。サイズがわかんねーし」
「・・・なるほど」
「ワリィな。なんかムードなくて」
「・・・ボクだけですか?火神君の分はどうしましょう?」
「オレの分?・・・そっか。そうだよな」
右手の指先で首元で揺れる指輪をいじりながら、考え込んでいる。
おそらくは無意識の行動だろう。
だけど黒子はその仕草に、失望していた。
氷室とはペアで持っている指輪。
だけど火神は、黒子とペアで持とうという発想はなかったらしい。
「ボク、指輪はいいです。」
黒子は首を振りながら、火神の誘いをことわった。
火神が「はぁぁ!?」と目を剥いている。
だけど黒子は怯むことなく、もう1度「いらないです」と念を押した。
仮にペアで持ったとして、火神は氷室の指輪を外すだろうか。
だが大事そうに指輪に触れる仕草を見ていると、それは考えにくい。
もしかして今首から下げているチェーンに、もう1つ指輪をつけるつもりだろうか。
いろいろ考えるだけで、ぐるぐると嫉妬してしまう。
黒子は何よりもそんな自分にウンザリしていた。
だからこそもうこの話題は、終わりにしたい。
「何でだよ。せっかく人が」
「お金がもったいないですよ。ボク、装飾品とかそんなに好きじゃないですから」
「何だよ。欲しかったんじゃねーのかよ!?」
「ボクは別に」
「桃井の指輪、うらやましそうに見てたんだろ?」
「ボクは男ですよ。指輪なんて気持ち悪いでしょう!」
思わず黒子は「あ」と声を上げた。
勢いで心にもないことを言ってしまった。
嘘でやり過ごそうとしたのにしつこい火神に、カッとしてしまったのだ。
そして火神も、今の黒子の言葉は聞き捨てならなかったようだ。
「男で指輪が気持ち悪い!?お前、そんな風に思ってたのか?」
「すみません。キミのことじゃありません。」
「悪かったな!気持ち悪くて」
「だから違うって言っているでしょう!?」
「だけどこれは大事な指輪なんだ!」
「知ってますよ。捨てる、捨てないってウジウジしてたこと、覚えてますから!」
案の定、2人ともどんどん怒りのテンションが上がっていく。
だけど黒子ももう止まらなかった。
火神の胸元でいつも揺れている銀色の光に、いつも嫉妬していたのだ。
その嫉妬の炎に火がついて、燃え上がっていく。
「もう誰が指輪なんて買うか!」
「ええ。いらないって言ってるでしょう!」
「今日はオレ、ソファで寝るから」
「いえ、ベットでどうぞ。ボクは帰ります。」
黒子は手早く着替えると、玄関に向かう。
本当はドスドスと足音を立ててやりたいところだったが、下の階に迷惑だと思いとどまった。
靴を履いて、玄関の扉を開けても、火神は止めてくれない。
黒子はそのまま火神のマンションを後にした。
もう潮時なのかもしれない。
指輪1つで、こんなに噛み合わないのだ。
このまま日本とアメリカ、離れてしまっても恋愛を続けるなんて、できそうにない。
黒子はため息をつくと、ゆっくりと歩き出した。
夜の闇はまるでこれからの黒子の未来を暗示するように冷たく、光が全然見えなかった。
中学時代の友人が、すっかりハイテンションで左手をかざしている。
黒子テツヤはそんな彼女の浮かれ振りに苦笑しながら、輝く薬指の光を眺めていた。
青峰大輝と桃井さつきが付き合い始めたのは、彼らが大学に入学した頃だった。
その当時、2人を知る人間は、皆同じリアクションだった。
え?桃井って、黒子が好きなんじゃなかったの?
だが黒子にしてみれば「そりゃそうでしょ」という感じだ。
桃井は高校も大学も、青峰と同じところを選んで、何くれとなく世話を焼いている。
そしてあの干渉されるのが大嫌いな青峰が、それを当然と受け入れている。
こんなわかりやすく、お互いに寄り添っているのだ。
桃井が中学時代「黒子が好き」と思っていたのは、一時の気の迷いに過ぎない。
さもなければ黒子が青峰と正反対、まさに青峰の影だったせいだ。
桃井はずっと黒子の中に、中学時代の輝いていた青峰大輝の影を見ていたのだと思う。
とにかくそんな2人が、大学の卒業間近に婚約を果たした。
黒子は都内某所のカフェに呼び出され、その報告を受けていた。
真っ先に黒子に報告するということは、桃井と青峰で合意したらしい。
2人にとって黒子は特別な友人と思ってもらえていることは、光栄と思うべきだろう。
でも黒子にとっては、はっきり言って迷惑でもあった。
桃井は「婚約の報告」と言うが、世間一般的には「ノロケ」と呼ばれるものだ。
嬉しそうに「私と大ちゃん、婚約したの!」と言われれば、心から「おめでとう」と言える。
だけどそこからは、もう胸焼けしそうなほどの熱量と甘さで延々と「大ちゃん自慢」が展開された。
これが苦痛と言わないのなら、この世に苦痛など存在しない。
ぶっちゃけ婚約した報告なら、メールで充分だ。
それでも黒子は少しも不満そうな素振りを見せずに、桃井のノロケを聞き続けた。
何しろ青峰は、大学卒業後には渡米することが決まっている。
本場で自分のバスケが通用するのか、試したいのだそうだ。
桃井は一緒に渡米するかどうか散々迷った挙句、日本に残ることを選んだ。
2人が若くして婚約したのは、遠距離恋愛になっても消えない確かな形を作ったということなのだろう。
これから試練が待っているのだから、少々のノロケは我慢する。
実は黒子にも恋人がいる。
高校時代のクラスメイトにして、バスケの相棒の火神大我だ。
別々の大学に進んだが、半同棲状態。
火神は相変わらず高校時代と同じようにマンションで一人暮らしをしていて、黒子もよく泊まりに行く。
っていうか家に帰るより、火神のマンションに泊まる日の方がはるかに多いのだ。
表向きの理由は、火神のマンションの方が黒子の大学に近いから。
男同士のマイノリティな恋愛を、そんな風にうまく誤魔化しながら、大学生活を送っているのだ。
恋人を持つ身としては、やはり桃井の薬指に輝く光は羨ましい。
黒子は決して形にこだわるタイプではないが、やはり指輪は特別だと思う。
陳腐な言い回しだが、恋人からの愛の証。
心から好きな人に贈られれば、絶対に嬉しいに決まっている。
だけど黒子は、火神から指輪を貰うことは諦めていた。
理由は火神がチェーンに通して、いつも首からぶら下げているあの指輪だ。
兄貴分として敬愛する、あの泣きぼくろの美人とお揃いのシルバーリング。
この指輪にまつわる話も聞いたし、彼らの絆の強さも知っている。
火神がもし黒子に指輪をくれたとしても、この指輪にはきっと勝てない。
それほど特別なものなのだ。
高校性の頃、1度だけ火神に「捨ててくれ」とあの指輪を預かったことがある。
その時には火神に指輪を返したけど、あの時捨てておけばよかったと思ったりもする。
つまりそれほど、黒子はあの指輪に嫉妬しているのだ。
火神の首元で揺れる光を見るたびに、ため息をついてしまう。
「それでね、大ちゃんがね。。。」
桃井のノロケ話はまだ続いている。
大げさな身振り手振り付きで、青峰の話を続ける桃井の薬指の光。
黒子は適当に相槌を打ちながらも、ついつい桃井の薬指を目で追ってしまう。
「そう言えば、テツ君たちはどうするの?」
やがてひと通りノロケて気がすんだらしい桃井が、ようやく黒子のことを聞いてきた。
だけど黒子は首を横に振ると「特にお話するようなことはありませんよ」と笑った。
桃井はその寂しそうな笑顔に顔を曇らせたが、誤魔化すように視線を逸らした黒子は気づかなかった。
いいなぁ。
黒子は寂しいような、切ないような気持ちを持て余しながら、また桃井の薬指を見た。
美しい輝きは、お前には絶対に手に入らないものだと嘲っているようにさえ思えた。
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「ったく、女ってのは単純だよな」
めんどくさそうに吐き捨てる青峰だが、目は笑っている。
そんな青峰のノロケにも見える態度に、火神は内心「気持ち悪りぃな」と思った。
青峰に呼び出された火神は、彼の口から桃井との婚約の話を聞かされていた。
場所は奇しくも数日前に、桃井が黒子を呼び出してノロケを展開したカフェだ。
火神にしてみれば、この青峰の行動はまったく意味がわからない。
すでに桃井が黒子に婚約の話を聞かせているのだから、黒子から火神の耳に入ることなどわかりきっている。
そもそも2人きりでカフェに入るなんて、今までなかったことだ。
それだけでもう恥ずかしいこと、この上ない。
「指輪買ってやるだけで、あのはしゃぎっぷりだ。ちょろいぜ。」
「そんなもんか?」
「まぁこの先ずっとヤラせてもらうこと考えれば、安いもんだ。」
「お前、ゲスだな。」
青峰の身も蓋もない発言に呆れるが、本心ではないことはわかっている。
彼なりの照れ隠しなのだろう。
元々「巨乳じゃなければ女じゃない」なんて、非道なポリシーを持った男だ。
間違っても人前で、婚約者が可愛いなどとは言うまい。
ただいかにも女子が好きそうなオシャレなカフェでは、聞きたくない言葉だった。
「んで、テツのことなんだけど」
青峰が一転して、真面目な表情になった。
火神は思わず身構える。
多分ここから先が本題だろう。
「お前もテツに指輪、買ってやれ。」
「は?」
あまりにも予想外の言葉に、火神は間の抜けた声を上げてしまった。
黒子の話なんだろうとは思っていたが、まさか指輪?
「さつきが『テツ君が羨ましそうにずっと指輪を見てたの』なんて言ってたからよぉ」
「まさか。黒子は男だぞ?指輪なんか」
「じゃあテメーの首にぶら下がってるそれは、何だ?」
青峰の言葉に、火神は思わず右手で自分の首にかかっているリングをなでた。
これは小さい頃から兄と慕う男との絆。
火神にとって大事な大事な、兄弟の証だ。
「そういうのをテツだって欲しがってるとは思わねーのか?」
青峰に畳み掛けられて、火神は思わず黙り込む。
確かに火神だって男だが、この指輪は大事な宝物だ。
黒子もそういうものを欲しがったって、おかしくないのかもしれない。
「そもそもテメーだってアメリカに行くんだろ?テツとのことはどうすんだ?」
「・・・お前らみたいに婚約ってわけにはいかねーよ」
火神はボソボソと言い訳する。
青峰同様、火神も大学卒業後にアメリカに行く。
本場で、バスケを極めたいと思っているからだ。
そして火神は、黒子もアメリカに連れて行くつもりでいた。
黒子はとある出版社が主催するコンテストに、自作の小説を投稿して賞をもらっていた。
そこで出版社の編集部員から、他にもいくつか書いてみてほしいと依頼されている。
つまり小説家としての道が拓けたのだ。
もちろんすぐに小説だけで食べていけるわけではない。
大きな出版社ではないし、そのコンテストもマイナーで、賞金も微々たるものだ。
それでも黒子はその道を進むことを決めた。
アルバイトをしながら、小説を書いていくのだという。
それは火神にとって、朗報だった。
小説を書くのもアルバイトも、日本でなくてもできる。
編集者とのやり取りだって、メールや電話で何とかなるらしい。
それなら火神と一緒にアメリカで暮らすことだって、不可能じゃない。
だが火神はまだ黒子に「一緒に来い」と告げていなかった。
何となく照れくさくて、言うタイミングを逃していたのだ。
「指輪、か。。。」
火神は今、にわかに青峰の提案に傾いていた。
男同士、結婚というゴールがない2人なのだ。
指輪を贈って、アメリカに誘うというのもありかもしれない。
「とにかく伝えたぜ。ったく、さつきのやつ、面倒なことを押し付けやがって」
青峰はここにはいない桃井に文句をつけている。
だが単に彼女の指示通りに動いているわけでもないだろう。
青峰は青峰なりに、かつての影である黒子の幸せを祈っている。
だからこそ「指輪をやれ」なんて、恥ずかしいことを言うのだ。
そんな青峰と桃井の後押しを受けて、火神は決心を固めていた。
*****
「指輪、ですか?」
黒子は意味が分からないという素振りで、小首を傾げた。
だが本当は何が起きたか、きちんと理解していた。
半同棲状態の火神のマンション。
火神も黒子も部を引退し、卒業に必要な単位も取れた。
卒業後は火神も渡米するので、遠距離恋愛になる。
火神の決意を知らない黒子はそう思っていた。
だからこそ今、2人の時間を大事にしようと思っている。
今日もこれから、まったりと濃厚な夜を過ごすつもりだった。
だがそろそろベットに入ろうかという頃、火神はいつもと違うことを言い出した。
「指輪、買いに行かないか?」
ぶっきらぼうな口調で、そっぽを向いているのは照れ隠しだろう。
黒子は「指輪、ですか?」と聞き返す。
だがわからないわけじゃない。
いやむしろ何でそんなことを言い出したのかさえ、理解できる。
火神は今日の昼、青峰に会いに行っていた。
先日桃井に指輪を見せられた時、少々見過ぎてしまった自覚はある。
それが桃井から青峰に伝わって、火神に指輪を買うようにとけしかけたのだろう。
「本当はこっそり買ってびっくりさせたかったんだけど。サイズがわかんねーし」
「・・・なるほど」
「ワリィな。なんかムードなくて」
「・・・ボクだけですか?火神君の分はどうしましょう?」
「オレの分?・・・そっか。そうだよな」
右手の指先で首元で揺れる指輪をいじりながら、考え込んでいる。
おそらくは無意識の行動だろう。
だけど黒子はその仕草に、失望していた。
氷室とはペアで持っている指輪。
だけど火神は、黒子とペアで持とうという発想はなかったらしい。
「ボク、指輪はいいです。」
黒子は首を振りながら、火神の誘いをことわった。
火神が「はぁぁ!?」と目を剥いている。
だけど黒子は怯むことなく、もう1度「いらないです」と念を押した。
仮にペアで持ったとして、火神は氷室の指輪を外すだろうか。
だが大事そうに指輪に触れる仕草を見ていると、それは考えにくい。
もしかして今首から下げているチェーンに、もう1つ指輪をつけるつもりだろうか。
いろいろ考えるだけで、ぐるぐると嫉妬してしまう。
黒子は何よりもそんな自分にウンザリしていた。
だからこそもうこの話題は、終わりにしたい。
「何でだよ。せっかく人が」
「お金がもったいないですよ。ボク、装飾品とかそんなに好きじゃないですから」
「何だよ。欲しかったんじゃねーのかよ!?」
「ボクは別に」
「桃井の指輪、うらやましそうに見てたんだろ?」
「ボクは男ですよ。指輪なんて気持ち悪いでしょう!」
思わず黒子は「あ」と声を上げた。
勢いで心にもないことを言ってしまった。
嘘でやり過ごそうとしたのにしつこい火神に、カッとしてしまったのだ。
そして火神も、今の黒子の言葉は聞き捨てならなかったようだ。
「男で指輪が気持ち悪い!?お前、そんな風に思ってたのか?」
「すみません。キミのことじゃありません。」
「悪かったな!気持ち悪くて」
「だから違うって言っているでしょう!?」
「だけどこれは大事な指輪なんだ!」
「知ってますよ。捨てる、捨てないってウジウジしてたこと、覚えてますから!」
案の定、2人ともどんどん怒りのテンションが上がっていく。
だけど黒子ももう止まらなかった。
火神の胸元でいつも揺れている銀色の光に、いつも嫉妬していたのだ。
その嫉妬の炎に火がついて、燃え上がっていく。
「もう誰が指輪なんて買うか!」
「ええ。いらないって言ってるでしょう!」
「今日はオレ、ソファで寝るから」
「いえ、ベットでどうぞ。ボクは帰ります。」
黒子は手早く着替えると、玄関に向かう。
本当はドスドスと足音を立ててやりたいところだったが、下の階に迷惑だと思いとどまった。
靴を履いて、玄関の扉を開けても、火神は止めてくれない。
黒子はそのまま火神のマンションを後にした。
もう潮時なのかもしれない。
指輪1つで、こんなに噛み合わないのだ。
このまま日本とアメリカ、離れてしまっても恋愛を続けるなんて、できそうにない。
黒子はため息をつくと、ゆっくりと歩き出した。
夜の闇はまるでこれからの黒子の未来を暗示するように冷たく、光が全然見えなかった。
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