タイムリープ・ゼロ 【転】の章

なんでこうなった?
夏油は予想外の展開に首を傾げる。
彼の目の前では4人の男たちがせっせと拭き掃除をしていた。

呪術高専から乙骨憂太を連れ去った後、夏油傑は都心から離れた。
追って来るであろう高専の、そして五条悟の目をくらますためである。
落ち着いたのは、いざというときのために用意しておいたアジト。
人里離れた場所にあり、人が住まなくなって久しい廃墟だ。
一見して今にも崩れ落ちそうな佇まいの空き家だが、それは偽装だった。
中に入ってしまえば、普通に住める家だ。
むしろオシャレなコテージ風で、家電なども最近のものが設えられていた。

とはいえ、あくまで万が一の事態に備えてのものだった。
本当に使うことになるなんて、想定外だ。
電気のブレーカーを上げ、水が出ることを確認する。
菅田と菜々子、美々子の女性陣は食料の買い出し。
ミゲルとラルゥと祢木、そして乙骨が掃除をしていた。

「今夜はミゲルさんが夕飯を作ってくれるんですか?」
「ああ。ちゃんとロコイもストックしてあるヨ。」
「ロコイ?わかんないけど楽しみです。」
「憂太ちゃんは料理、できるの~?」
「簡単なものならできますよ?普通に美味しくできると思います。」
「じゃあ憂太も手伝ってくれヨ。」
「わかりました!任せてください!」

男たちはガヤガヤと喋りながら、モップや雑巾であちこち拭いている。
その和やかな光景に、夏油は額に手を当ててため息をついた。
乙骨憂太、お前はなぜそんなに打ち解けている?

「あ、夏油さん。さぼってないで掃除してください?」
乙骨は少し離れたところにから観察していた夏油に声をかけた。
ミゲルもラルゥも祢木も同意するように頷いている。
夏油は一瞬「すまない」と言いかけ、すぐに首を振った。
誘拐された者が誘拐犯に「掃除しろ」とか、普通は言わないだろ?

「ただいま~!買い出ししてきたよ~!」
そこに大きな荷物を抱えた女3人が戻ってきた。
菅田がすぐに冷蔵庫に食料品を入れ始める。
菜々子と美々子は乙骨に駆け寄ると「材料、買ってきた!」と詰め寄った。

「言われたもの、全部買ってきたから!」
「すぐに作って」
「え、でももうすぐ夕飯じゃないの?」
「夕飯も食べるし!」
「どうしても今日、食べたいの」
「え~?」

実は本来の予定では、夏油たちは今頃原宿にいるはずだった。
宣戦布告の後、クレープの店にいくはずだったのだ。
だけど乙骨を誘拐したことで、それができなくなった。
クレープが食べたかったのに!と不満爆発の双子たち。
すると乙骨が「材料があれば作れるよ?」と言い出したのだ。

「どうします。作るのはかまわないけど」
乙骨は夏油に話を振った。
何だかんだでもう夕方に近い時間だった。
こんな時間にクレープを作り始めたら、予定が狂うだろう。
だから夏油に裁定をまかせたようだ。

「まずは夕飯を食べなさい。クレープはその後でね?」
「「はぁい」」
双子の姉妹は不満そうな顔のまま、頷いた。
乙骨は苦笑しながら、女性陣が買い出ししてきた食料を確認する。
満足げに頷いたところをみると、クレープの材料はちゃんとあるらしい。

それにしても、まぁ。
夏油は夕飯の支度を手伝おうとする乙骨を見て、困惑していた。
このアジトまで来る道中、彼は夏油たちに自分の身の上話をした。
特級過呪怨霊に憑かれたせいで、家族との関係が悪くなったこと。
そして故郷を離れ、秘匿死刑から一転、呪術高専に放り込まれたこと。
そのエピソードのおかげで夏油の仲間たち、特に双子と妙に打ち解けた。
呪力を持つゆえの不遇にシンパシーを感じたのだろう。
かくしてペリカン呪霊の口の中で、友情が芽生えた。

その後、このアジトに到着した後、乙骨は夏油にだけ別の話をした。
それがタイムリープを繰り返しているという話だ。
さらに夏油が狙う特級過呪怨霊、祈本里香は解呪されているということも。
信じられない話だったが、信じるしかなかった。
なぜなら乙骨は「百鬼夜行」というワードを知っていた。
さらに「これが証拠です」とチラリと顕現させた「リカ」は呪霊ではなかった。
乙骨と同じ呪力をまとった式神を見せられ、夏油は観念した。
認めるしかなかったのだ。

問題はこの先だ。
未来を知る乙骨に、百鬼夜行は失敗すると断言されたのだ。
計画は根本から見直さなくてはならないだろう。
そしてそれ以前の問題がある。
どういうわけかすっかり馴染んでしまった乙骨をどうするか。
五条に返すのが、正解なのだろう。
だけどなぜかそれを嫌だと感じている。
このまま手元に置いておきたいと思ってしまっているのだ。

「夏油さん、手が止まってますよ?」
うわの空で雑巾がけをしていたら、当の乙骨からツッコミが入った。
夏油は「すまない」と詫びながら、テーブルを拭く手に力を入れた。
とりあえず今はこの状況を楽しむことにしよう。
だって何だか妙に楽しくて、浮かれた気分になっているだから。
こんな風に笑えたのは、まだ学生服を着ていた頃以来のことだった。
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