第5話「スパイ」
『先日はご苦労だった。』
電話の向こうから無機質な声がする。
めったに人を嫌ったりしない三橋もこの男のことは嫌いだった。
そろそろ昼時を迎えようとする隊員食堂は忙しい。
隊員たちの胃袋を満たすため、用意された大量の食材。
それを刻んで、下ごしらえして、煮たり焼いたりする。
10名弱の食堂スタッフはフル回転、真冬だというのにみんな汗だくだ。
三橋のポケットの中でスマートフォンが振動したのは、そんな時間帯だった。
誰だ。こんなときに。
三橋は思わず舌打ちしたい気分だった。
この番号を知っているのは、三橋の現在の仕事を知っている者ばかりだ。
そして知っていて、なおかつこんな時間に電話をしてくる無神経な人間は限られている。
「レンちゃん。電話なら出ていいわよ。」
ここを仕切るおばちゃんシェフが、物凄い速さでキャベツを千切りにしながらそう言ってくれる。
三橋は「す、すみ、ません」と頭を下げて、煮物を小鉢に盛り付けていた手を止めた。
そして慌てて厨房を出ると、スマホの画面を確認する。
発信者番号は非通知だ。
「も、もしもし。」
『三橋廉君だね。』
一見丁寧だが威圧的な声には、ウンザリするほど聞き覚えがある。
今のところ、三橋の中で嫌いなヤツナンバーワン。
そして残念なことに、三橋の命運を握る男でもある。
『昨日はご苦労だった。良い働きだったね。』
「は、はい」
『私以外にも、高く評価する者は多い。』
「あ、ありがと、ござい、ます。」
とりあえず礼を言ったものの、すこしもありがたい気持ちなんかない。
知りたいのは、たった1つ。
三橋の「希望」がかなったかどうかだけだ。
そんな三橋の心のうちなど、おそらくお見通しなのだろう。
男は軽く笑い声を立てると「ところで」と切り出した。
『君の希望を、条件付きでかなえようということになった。』
「条件、です、か?」
『もうしばらく今の仕事を続けてもらいたい。』
「しばらく、って、どれ、くらい」
『それはまだわからない。だが続けてくれるなら君の希望を全面的に通す。』
「・・・わ、わかり、ました。」
三橋は納得できないまま、電話を切った。
条件も何も、拒否権などほぼないことはわかっている。
それでも希望がかなっただけ、前進だ。
喜んでいいのか悪いのか、微妙な気持ちのまま厨房に戻った。
「アジフライ定食、大盛り!」
三橋が再び煮物の盛り付けを始めるなり、ランチタイムが始まった。
見知った女性隊員が元気よく注文する姿を見て、頬が緩む。
とりあえず現状維持。
小さな波風はあるけれど、ささやかな平穏を楽しむことにしよう。
電話の向こうから無機質な声がする。
めったに人を嫌ったりしない三橋もこの男のことは嫌いだった。
そろそろ昼時を迎えようとする隊員食堂は忙しい。
隊員たちの胃袋を満たすため、用意された大量の食材。
それを刻んで、下ごしらえして、煮たり焼いたりする。
10名弱の食堂スタッフはフル回転、真冬だというのにみんな汗だくだ。
三橋のポケットの中でスマートフォンが振動したのは、そんな時間帯だった。
誰だ。こんなときに。
三橋は思わず舌打ちしたい気分だった。
この番号を知っているのは、三橋の現在の仕事を知っている者ばかりだ。
そして知っていて、なおかつこんな時間に電話をしてくる無神経な人間は限られている。
「レンちゃん。電話なら出ていいわよ。」
ここを仕切るおばちゃんシェフが、物凄い速さでキャベツを千切りにしながらそう言ってくれる。
三橋は「す、すみ、ません」と頭を下げて、煮物を小鉢に盛り付けていた手を止めた。
そして慌てて厨房を出ると、スマホの画面を確認する。
発信者番号は非通知だ。
「も、もしもし。」
『三橋廉君だね。』
一見丁寧だが威圧的な声には、ウンザリするほど聞き覚えがある。
今のところ、三橋の中で嫌いなヤツナンバーワン。
そして残念なことに、三橋の命運を握る男でもある。
『昨日はご苦労だった。良い働きだったね。』
「は、はい」
『私以外にも、高く評価する者は多い。』
「あ、ありがと、ござい、ます。」
とりあえず礼を言ったものの、すこしもありがたい気持ちなんかない。
知りたいのは、たった1つ。
三橋の「希望」がかなったかどうかだけだ。
そんな三橋の心のうちなど、おそらくお見通しなのだろう。
男は軽く笑い声を立てると「ところで」と切り出した。
『君の希望を、条件付きでかなえようということになった。』
「条件、です、か?」
『もうしばらく今の仕事を続けてもらいたい。』
「しばらく、って、どれ、くらい」
『それはまだわからない。だが続けてくれるなら君の希望を全面的に通す。』
「・・・わ、わかり、ました。」
三橋は納得できないまま、電話を切った。
条件も何も、拒否権などほぼないことはわかっている。
それでも希望がかなっただけ、前進だ。
喜んでいいのか悪いのか、微妙な気持ちのまま厨房に戻った。
「アジフライ定食、大盛り!」
三橋が再び煮物の盛り付けを始めるなり、ランチタイムが始まった。
見知った女性隊員が元気よく注文する姿を見て、頬が緩む。
とりあえず現状維持。
小さな波風はあるけれど、ささやかな平穏を楽しむことにしよう。
1/5ページ