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オレは越えてはいけない一線を越えちまったのか!?
阿部は目の前で笑う男を見ながら、ひたすら困惑していた。

この辺りで一番安い賃貸物件って、いくらですか!?
阿部隆也は手近な不動産屋に駆け込むと、そう叫んだ。
とにかく緊急事態だった。
昨晩、関東を襲った爆弾低気圧で、阿部が住んでいたアパートが被害を受けたのだ。
阿部の部屋は壁の一部が破損した上に、屋根からは雨漏りがする。
とても住める状態ではなかった。

大家はこれを期に、もうアパートを取り壊すという。
確かにおそらく築40年、いや50年くらい経っていたかもしれない。
とにかく阿部が生まれるよりも前に建てられたアパートは掛け値なしにボロかった。
不謹慎だが、数年前の大地震で残ったのが不思議なぐらいだ。

そんなわけで、阿部は新しい部屋を捜していた。
それもとにかく安い部屋をだ。
阿部は20代半ばではあるが、大学院に通う学生なのだ。
経済状況は決して楽ではない。

ついでに言うと、実家は一応会社を営んでいるが、はっきり言って零細企業だ。
学費を出してもらっているだけでありがたく思っている。
だから生活費だけは自力で何とかしたいと、バイトなどをしながら切り詰めていた。
家賃はその最たるものだ。
屋根さえあれば、古かろうと、汚かろうと問題ない。
とにかく雨風がしのげる場所を、一刻も早く確保したい。
阿部はただただその一念で、不動産屋に駆け込んだのだ。

一番安い物件、ですか?
阿部の父親と同じくらいの年齢であろう不動産屋のオヤジは、阿部の剣幕に驚いている。
だがかまっている場合ではなかった。
そもそも早々休んだりもできないのだ。
大学に徒歩で通える範囲で、一番安い部屋がいい。

ええと、今だとこれなんかどうでしょう?
オヤジは、ファイルをパラパラとめくり、一枚の図面を取り出した。
大学から徒歩15分のワンルームマンション、1ヶ月の家賃は6万円。
阿部は「これが一番安いんですか?」と詰め寄る。
今まで住んでいたボロアパートは、1ヶ月3万5千円だった。
これが破格に安値だとはわかっている。
だが一気に月々2万円以上の支出になるのは、痛い。

う~ん、今は時期も悪いからね。物件そのものが多くないんだ。
春先だったら、もう少しあるんだけど。
オヤジが申し訳なさそうに、そう言った。
確かに新年度が始まる4月に向けて、2月や3月なら転居も多い。
だが今はまるで時季外れなのだ。
物件そのものがないと言われてしまえば、諦めるしかない。

どうしよう。ここで6万円に決めてしまうか。
それとも他の不動産屋も回るか。
阿部がしばらく考え込んでいると、不動産屋のオヤジが「それなら」と躊躇いがちに口を開いた。
もしかして隠し物件でもあるのか。
阿部が思わず「何です!?」と身を乗り出した。
するとオヤジは「この先にシェアハウスがあるんだけど」と告げた。

元々は資産家の夫婦が住んでいた家なんだけどね。
その夫婦は海外に住むことになったんだ。
それで夫婦の息子が、シェアハウスを始めたんだ。
家があまりにも広いし、部屋も余ってるからってね。
家賃は確か光熱費込みで3万だったかな。
その代わり個室はないし、いろいろルールが決まっているらしいけど。

不動産屋のオヤジの説明を聞いた阿部は、ただちに教えられたシェアハウスに向かった。
光熱費込みで、家賃3万は魅力的だ。
個室はないのは確かにマイナス要因だが、背に腹は代えられない。
それに阿部は大学にバイトに忙しいから、部屋には寝に帰るような生活なのだ。
それなら別に、誰かと同部屋でも何とかなるだろう。

かくしてやって来たシェアハウスの名は「らーぜ館」。
阿部は不動産屋に教えられてきたと告げると、すぐに中に入れてもらえた。
広いリビングに通され、茶を出される。
相対しているのは、せいぜいまだ20歳くらいの若い男だった。
フワフワと揺れるはちみつ色の髪と、同じ色の大きな瞳。
だが人見知りなのか、少々オドオドしているように見える。

オレ、ここの、オーナー、三橋、廉、です。
男は軽く頭を下げると「ウヒ」と妙な声で笑い、阿部の対面のソファに腰を下ろした。
さすがシェアハウス、ソファはたくさんある。
何よりも共用スペースであろうリビングはかなり広い。
狭いボロアパートに慣れていた阿部にとっては、新鮮な光景だ。

他の、みんな、は、仕事、行ってます。
三橋と名乗ったオーナーの青年は、他に誰もいない理由を教えてくれた。
そして「フヒ」とまたしても妙な声で笑う。
このオーナー、もしかしてヤバいヤツか?
阿部は早くも困惑し始めたが、三橋はお構いなしに「これ、どうぞ」と一枚のメモを差し出した。

それはこのシェアハウスの入居条件だった。
A4用紙にいくつかの文章が印字されている。
タイトルは「らーぜ館での決まり」。
そして20行ほどの文章が書かれていた。

入居者は男性に限る。家賃は3万。光熱費込み。
部屋は6部屋。原則2人で一室使用。
キッチンの使用は自由なので自炊可。洗濯機の使用も自由。
掃除は交代制なので、手を抜かないこと。などなど。

阿部はそれを読みながら、内心「細けーな」と思っていた。
だが同時に仕方ないとも思う。
6部屋に2人ずつということは、最大12名が1つ屋根の下に寝泊まりするのだ。
キッチリと規則を作らなければ、トラブルになる。
だが順調に読み進めていた阿部は、最後の文章を見て「は?」と声を上げた。

同室の者と恋人として交際すること。
3ヶ月で恋に堕ちない場合は、部屋を替わるか、退去すること。

阿部はその文章を何度も読んだ。
それこそ二度見どころの騒ぎではない。
七度見、八度見しても、その文章は一番下の行にしっかりと書かれている。

い、今、開いて、るのは、水谷、君の、部屋、か、オレ、の、部屋、です。
三橋はただでさえどもりがちなのに、さらに上ずりながらそう言った。
そして阿部を見ると「グフフ」と笑った。
阿部は背中にゾクリと冷たいものが走るのを感じながら、考える。

阿部の選択肢は2つしかない。
このまま「同室の者」と恋人になるか、今すぐここを出て不動産屋に戻るかだ。
恋愛するなんてできるわけないと思うし、このシェアハウスはかなり妙だ。
だが光熱費込み3万円は魅力であり、捨てがたい。

わかりました。ここに住みます。
悩んだ末に、阿部はそう答える。
すると三橋は「カップル、成立、です!」と宣言する。
そして「水谷、君、喜び、ます!」となぜかノリノリだ。

オレは越えてはいけない一線を越えちまったのか!?
阿部は目の前で笑う男を見ながら、ひたすら困惑していた。
三橋はそんな阿部の葛藤などお構いなしに「グヘヘ」と笑う。
笑い方がどんどんヤバくなっている気がするが、阿部はあえて深く考えないことにした。
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