物体X

兄ちゃん、英語の辞書、貸して。
シュンは心の中だけで呟くと、足音を忍ばせて兄の部屋に入った。
兄はまだ当分帰宅しないだろうから、コソコソする必要など全然ない。
だがシュンは無意識のうちに、自分の気配を殺すように息を潜めていた。

遡ること数分前。
シュンは英語の宿題をやろうとして、学校に辞書を忘れたことに気がついた。
ではどうするかと考えれば、結論はただ1つ。
兄に貸してもらえばいい。
兄本人に頼めば、貸してくれる代わりに嫌味の1つもついてくるだろう。
だが幸いなことに、高校生の兄は部活の練習で今日も帰宅が遅い。
黙って借りて、何も言わずに返しておけば、わからないだろう。
そこで兄の部屋へ忍び込むという行為に至ったのだ。

兄の部屋に無断侵入するのは、兄が高校生になってから2度目だ。
1度目はもっと邪な目的。クラスメイトに唆されたのだ。
高校生の兄ちゃんなら、エロ本の1つや2つ、あるんじゃないの?と。
確かにそんなものがあるなら、見てみたい。
それにそれ以上に、兄の弱みを握っておけば、この先便利なこともあるかもしれない。

そう思って、勇んで兄の部屋を物色したシュンだったが、当てが外れた。
兄の部屋からは、エロ本等の不穏なブツは何1つ発見できなかった。
その上、兄はシュンが無断で部屋を物色したことを、あっさりと看破したのだ。
どうやら兄は所有している物の置き場所をきっちりと決めており、シュンはそれを動かしてしまったらしい。
兄は呆れたような目でシュンを見ると「ご苦労さんだな」と皮肉っぽく言った。
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