第5話「先輩の威厳」

SET!HUT!
聞き慣れた、懐かしい声のコールが響く。
セナはヒル魔からのハンドトスされたボールを受け取ると、力いっぱい走り出した。

合宿3日目の練習から、ヒル魔が加わった。
それだけで練習に大きく幅が出る。
何しろヒル魔たちの代の引退で、切実に困ったのはクォーターバックの質の低下だ。
ゲームの頭脳であり、司令塔になるポジションなのだ。

ちなみにセナたち2年生には、専門のクォーターバックはいない。
唯一セナがワンポイントで、やった経験があるくらいだ。
メインは1年生に2人、クォーターバックをこなせる者がいるが、まだまだ未熟だ。
結局セナと合わせて3人で、試合展開に合わせて交代しながらやっている。

だからこそ、ヒル魔から受け取って走るありがたみがわかる。
セナの走り出すタイミングに合わせて、一ミリの狂いもなくセナの手に収まるボール。
2人で作るこのリズムは、もう身体に染みついている。
この爽快感がセナのテンションを上げ、さらに足がスピードに乗る。
立ちはだかるラインマンたちを躱して、セナは爆走した。

この糞チビ!テメー、1人でいい気持ちで走ってんじゃねーぞ!
コンビプレーの練習だって、わかってやがるのか!?
タッチダウンを決めたセナに、容赦ない声が飛んだ。
セナは「すみません!」と叫びながら、元の場所に駆け戻る。
確かに今は主将ではなくて、1人のランニングバックになっていた。
楽しくて、勢いのままに走ってしまったのだ。

ただでさえ少ない威厳がなくなるので「糞チビ」はやめて下さい!
セナはヒル魔に文句を言った。
それはセナにとって、切実な問題なのだ。
先代のヒル魔に比べて、頭脳もカリスマ性も劣る主将であることが。
この上大声で「糞チビ」などと呼ばわらないでもらいたい。
まぁ実際はセナの思い過ごしである。
1年生も2年生も、アイシールド21であるセナにヒル魔とは違う敬意をちゃんと持っている。

ごちゃごちゃうるせーぞ!もう1度だ。
1年生ライン、このチビをちゃんと止めろよ。
ヒル魔はそう叫ぶと、またポジションについた。
コールの後、トスされたボールを受け取り、今度は先程より大回りして、何度もカットを切る。
わざとラインマンたちに近い場所をすり抜けるようにして、つまり難易度を下げながら、ゴールを目指した。
それでも誰もセナに触ることができず、セナはまたしてもタッチダウンを決めた。

さすがに2連続のランはきつい。
セナは一度ヘルメットを外すと、顔の汗を拭いて、スポーツドリンクのボトルを取った。
そして時計を確認する。もうそろそろ昼だ。
あと数本走ったら、食事にしよう。
再びヘルメットをかぶろうとしたセナは、練習を見ている人物に気付いた。

坂道君?
セナは思わずそう呟いた。
総北の黄色いジャージに身を包んだ小さな身体と、丸いメガネ。
見間違いようがない、坂道だ。
セナは手を振ろうとしたが、坂道と目が合わない。
坂道はセナではない、別の方向をじっと見ていた。

坂道君、いったい何を。
セナは首を傾げながら、坂道の視線の先を追った。
そして何を見ていたかを知り、思わず「なんで」と声が出た。

坂道はじっとヒル魔を見ていた。
ベンチに座り、高々と組んだ足に乗せたノートパソコンを操作しているヒル魔を。
おそらくはさっきまでのプレイの録画映像を確認しているであろう、真剣な表情。
その横顔を、坂道は食い入るように見ていたのだ。

まさかね。いくら何でも。
セナは首をブンブン振って、妄想を振り払った。
一瞬だけ、ヒル魔と並んで歩く坂道を想像したのだ。
ヒル魔は威嚇するような雰囲気や立ち居振る舞いから、怖がる人が多い。
だが実は、熱い心を持った面倒見のいい性格なのだ。
それによく見れば顔立ちも整っているし、アメフトで鍛えた身体も美しい。
つまりモテる要素は、たくさん持っている。

おーい、セナ。来たぞ!
セナはその声に、我に返った。
ヒル魔たちと同学年の先輩のあと2人、栗田と武蔵が到着したのだ。
2人ともしっかりとアメフトのユニフォームに着替えて、アップしてきてくれたようだ。

来て下さってありがとうございます!ちょうどよかったです。
じゃあチーム編成を変えて、ミニゲームをしましょう!
それが終わったらお昼ご飯だから、みんな頑張って!

セナは声を張ると、全員が「はい!」「よしやるぞ!」と気合を入れている。
ヘルメットを装着したセナは、アイシールド越しにもう1度、先程坂道がいた場所を見た。
だがもうその姿はなくなっている。
もしかして気のせいだったのだろうかと思ったが、いくら何でも幻覚を見るほど疲れていないと思い直す。
するとヒル魔がすかさず、セナにツッコミを入れた。

ボケっとすんな!この糞チビ!!
まったく容赦がない。
セナは「だから!ボクの威厳がなくなるじゃないですか!」と文句を言いながらも苦笑した。
やはりヒル魔たち先輩が揃うと、ワクワクするのだ。
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