レーテーの雫ー中編ー
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迷路のような奴らの拠点を、邪魔者を轢き潰しながら蛇行運転で進む。もう何かを待っては居られない。ガラス張りの実験室に車体ごと飛び込んだ。鈍い衝撃と、バリバリとガラスが割れる派手な音がする。視界の端にかもめの姿を見つけて、態勢が崩れた。硬い床に叩きつけられて、転がりながら、目についた奴らを狙撃する。ガラスの破片が体に刺さるが、痛みは感じない。身体中を拘束されたかもめのもとに這いずって進み、かもめの顔に着けられた醜いマスクのベルトを引き裂いた。
「かもめ、生きてるか?かもめ!」
全ての拘束を乱暴に引きちぎると、ぐったりとしたかもめが胸元に転がり落ちた。途端、背後から耳障りな声がする。胡散臭い男の高音。いつかの狐男。
「我々も随分嘗められたものですねぇ。単身で乗り込んで無事に帰れるとでもお思いですか。」
「悪ぃが俺は今虫の居所が悪いんだ。」
「まぁお待ちなさい。確かあなた、爆弾ネズミと恋仲なんですってねぇ。記憶を失う前の話ですが。」
「だったら何だ。」
「取り戻したくないですか? 彼女の記憶。」
引き金に掛けた手が止まる。
「お辛いでしょう、愛おしいものが自分のことを覚えていないのは。…どうです、今手を引けば、彼女の記憶を元どおりにして差し上げますよ。」
額を汗混じりの血が伝った。
ここからかもめを助け出しても、かもめが記憶を取り戻すとは限らない。畜生、こんなことを考えないために単身で乗り込んで来たというのに。一瞬の隙に、体が忘れていた痛みを思い出す。
途端、耳元で囁き声がした。
「信じちゃダメ。」
驚きのあまり声が出そうになる。
「大丈夫、私、あなたのこと忘れないから。絶対に思い出せるから。だから、信じちゃダメ。」
耳元のか細いかすれ声は、なぜだか心強く、俺は迷うことなく引き金を引いた。
***
背中に小さな生き物を背負う。意識が混濁しているらしく、呼びかけると、耳元でたどたどしく言葉を紡いだ。
「…かもめ、生きてるのか。」
「…何とか。」
「思い出したか、何か。」
「切れ切れに…でも、たくさんガスを吸いすぎたから、またすぐ忘れちゃうね。」
喉を鳴らすような笑い声が胸を締め付けた。
「でもね、ちゃんと思い出せるようにね、書いたの。」
ほら、と、肩にかけた腕の、生っ白い内側を見せる。そこには、変わらないあいつの丸文字で、二つの言葉が記されていた。
『かもめ・次元大介』
「…もっと他に書くことがあるだろう。」
「この二つだけ覚えておければ、何もかも全て思い出せるよ。忘れかけてた自分の名前と、その名前を呼んでくれた人。」
かもめがどこまでの記憶を思い出せたかは測れない。それでも、その言葉は、今までの記憶の積み重なりを感じさせた。
「今度は、私を置いていかないでね。忘れても、絶対に思い出すから。」
「お前さんに何度も忘れられるのは応えるな。」
「どうしても思い出せなかったら、もう一度はじめからあなたを好きになるよ。次元。何度でも。」
「そのうち気が変わるんじゃないか。」
「私が居たいのは、ここだけだよ。ずっとここに居たいよ。次元の傍に。」
「かもめ。」
「なぁに。」
「愛してる。」
「私も。」
耳に唇を寄せられる。
「もっと話してたいのに…ごめん、やっぱ、もう…目、開けてらんないや。」
それは、あの時と全く同じ台詞だった。次の言葉を遮って、告げる。
「おやすみ、かもめ。」
その言葉に、かもめは安心したように瞳を閉じた。
***