レーテーの雫ー中編ー
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「…出て行け。」
「…へ?」
「お前のようなガキは知らない。お前も俺とは何の関わりもない。無かった。失った記憶なんか関係ない。俺たちは関係ない。今までも、これからもだ。」
「じ…次元、さん? どうしたの?何か思い出したの?」
「黙れ、出て行け。二度と俺の前に現れるな。」
思い出さなければ良かった。
このまま記憶を無くしたままで、付かず離れず、誤魔化し誤魔化し生きていければ良かった。
ドアを開けて押し出して、荒れ狂う天気に、ためらう気持ちが一瞬湧いたが、一刻も早く、傍を離れなければいけなかった。拳銃に手を掛ける。雷が唸る。
「…嘘でしょ?」
「嘘じゃねぇ。」
睨み合った。かもめはしばらく雨に濡れたままじっとしていたが、やがて瞳を伏せた。
「…わかったよ。」
ドア越しに遠のいて行く足音を聞きながら、床にうずくまる。記憶を頼りに、タイムカプセルまがいの缶の底を探る。タブロ紙の封筒に、古い写真。
犯罪者だ、ロクな写真は持っていない。この封筒の中を除いて。
封筒を開くと、思い出せずにいたはずの思い出が、色鮮やかに蘇った。
***
かもめと俺は、奇妙な出会い方をして、少しずつ相棒になり、恋人になった。二人を隔てたのは、あの日。ガビアルの一派を相手取った時だった。
意図して相手にしたわけではないが、仕事に入った美術館は、奴らの罠だった。ガビアルの一派は、俺に恨みを持っていたのだ。俺は嘗て、奴らのボスを殺した。ルパン達と組むよりずっと前の事だ。
相手が悪かった。だが、その一言でも済まないようなことだった。
「畜生、行き止まりだぞ。」
「困った、ここで爆弾使ったら生き埋めだよ。」
奴らに追い込まれた地下の殺風景な部屋。しゅう、と、どこからか空気の漏れるような音がする。
「次元、息止めて。」
「無茶言うな。」
「毒を食いたいの?」
かもめは口元を覆いながら言い放った。途端、目眩がして足元がふらついた。空間を盾に戦うかもめと、狙撃や銃撃を使う俺を一網打尽にしようとした時、相手が使ったのは、毒薬だったのだ。
そういえば聞いたことがある。ガビアルの本職は毒薬製造にあると。某国の大量虐殺やテロには、全てガビアルが製造した毒ガスが用いられていると。おそらくここは奴らにとっての実験室。
しかし、そうならば。
「次元、あそこ。」
かもめの示す方向には、毒ガスが噴出してるらしい穴。薄く色づいた空気の流れをたどる。密室とはいえ、実験に用いられるのなら、検死のために研究者がこの部屋に入る必要があるわけで、何処かに換気口や出入り口があって然るべきなのだ。閉ざされていたとしても、無風の空間ではわずかに空気の流れが生じる。
かもめは小型の爆薬を取り付けて、その通風口を爆破し、俺がその歪んだ扉を蹴破った。命からがらかもめを抱き上げて脱出すると、もう二人とも意識は朦朧としていた。
体の小さなかもめの方に毒の回りが早いことは明らかで、震える体で、懐から解毒薬を取りだした。
記憶を失う、という、その解毒薬を。
結果としては、命は救われた。
脱出してすぐに馴染みの医者に駆け込んだ。俺の体は軽い痺れと頭痛、不快感以上の症状は起こらなかったが、かもめは長い昏睡状態に陥った。記憶は失われなかったので、医者に確認すると、すぐに記憶が失われるのではなく、徐々に忘れて行くのだと言う。毒が体から抜けるのと同時に、少しずつ。
医者は言った。この子の命は助かる、それは確かだ。だが、どこまで記憶を保持しているかはわからない。毒の程度から見て、今までの記憶の半分は失われると思った方がいい、と。そして、記憶が蘇る可能性も、皆無に等しい、と。
常々、思っていた。かもめはこっち側にいるべき人間じゃないと。
生まれた場所の悪さで、裏社会に転がり込んで、順応こそしているものの、本当は日向にいるべき生き物だと。自分の犯した罪さえも忘れられた今、今がその、彼女が本当に居るべき場所へ返してやれるチャンスだと思った。
土台、自分が買った恨みに巻き込んで、女を危険な目に遭わせるのは、二度とごめん被りたかった。自分と関わる人間は、ロクな目に合わない。
財産の全てを集めて、医者に頼んだ。こいつに真っ当な人生を歩ませてくれと。仲間にも頭を下げて説明した。いずれなくなる自分の記憶と、かもめのことを。仕事の仲間達は当然のように難色を示した。それが本当のかもめの幸せだと思うのか、と。だが、どの仲間も同じように、昏睡して別人のようにやつれたかもめの姿を見ると、何も言わなくなった。
日々かもめのことを忘れていった。忘れて行く自覚ははっきりとはないが、切れ切れにしか思い出せなくなっていった。各地に散らしたかもめとの思い出の品々を、缶に詰めて床板に隠したりした。未練がましいが、どうしても捨てることはできなかった。
そしてかもめが目を覚ました日、俺はかもめに関する全てを忘れた。
ルパンには3つの頼みごとをした。1つは、自分が何を聞いても忘れた記憶については話さないこと。2つ目は、二度とガビアルの一派に関わる仕事をしないこと。3つ目は、金輪際かもめの名前を口にしないこと。相棒が力なく聞いた声を覚えている。
「それでいいのか?次元。」
***