レーテーの雫ー中編ー
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
あんな子供っぽい女。自分が。まさか。
一瞬でも衝動が湧き上がったのは、しばらく女を相手にしていなかったからだろう。
突然日が翳り、打ち付けるような雨が降ってきた。この地域は季節のせいもあるだろうが、どうにも天気が安定しない。
「傘は。」
「持ってるわけないじゃない。」
激しい雷の音に、二人して帽子を押さえた。そういえばこの付近に昔根城代わりにしていた廃墟があったと思い出す。
「ついてこい。」
「言われなくても。」
***
幸いその廃墟は、最後に訪れた時と変わらないままだった。上着を脱いで椅子にかける。かもめは雨で重たくなったつなぎを上半身だけ脱いだ。その拍子に、首元のネックレスが切れる。
「…不吉。」
「貸してみろ。」
受け取って千切れたあたりを調べると、鎖が緩んで外れただけだった。
「これならすぐ直せる。」
銃の手入れのために、簡易的な工具を置いていたはずだと思い出して、床板を探る。案の定、床下にはわずかばかりの貨幣と工具と、ガラクタの詰まった、紅茶の缶が入っていた。全く、重要なことは何一つ思い出せないと言うのに。
「ったく、くだらねぇことは覚えてんだよな。」
「タイムカプセルみたい。」
かもめはくすくすと笑って、ガラクタをごそごそと探る。どう言うわけか上等なネクタイピンやらカフスも一緒に入っている。その白い手の中に割り込んで、鎖を直すための適当な工具を取った。
かもめは頬杖をついて、ぼんやりとこちらを見る。
「どうして忘れたんだろうね。」
「事故にでも遭ったんじゃないか。」
「でも、それならあなたの仕事仲間さんのセリフはどうなるの。記憶には触れないって約束したんでしょう。」
「約束したことさえ覚えちゃいないがな。」
「そうだけど、それって、記憶がなくなるってわかってたからこそできた約束じゃない。」
「望んで忘れたとでも?」
沈黙が訪れた。
もし、好き好んで忘れることを選んでいたのだとしたら。そうだとすれば、今の俺たちは、自分の尻尾を追い回す犬のような間抜けさだ。そんな俺の脳裏を読み取ったようにかもめは続けた。
「…私は、そんな甲斐性ないから、動物は飼ったことがないんだけどね。」
「何の話だ。」
「まぁ、聞いてよ。動物を飼わない理由に、『死んだ時悲しいから』って有名な言い訳があるじゃない。」
「よく聞く口上ではあるな。」
「でも、死んだ時悲しいってだけで理由で、出会わない方を選ぶことの方が本当に有意義なのかって疑問じゃない?」
緩んだ鎖を締め直すと、千切れたネックレスは元に戻った。
「忘れた方がマシな過去だって、無かったことにしていいのかは分からないよ。」
「俺もそう言い切れれば良かったんだが。」
忘れた方がいい過去なんてない、そう言い切れないほど、汚い世界や見たくないものを知りすぎた。修理したネックレスを持って近づくと、かもめは無言で後ろを向いて、うなじに垂れた髪をかきあげる。激しいデジャヴを感じて、耳鳴りがする。細い首筋に鎖を回して、小さな金具を留めた。
その瞬間。
俺は、全てを思い出した。
***