レーテーの雫ー中編ー
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相棒のいつになく傷ついたような態度で、俺は少し考え方を変えはじめていた。
「思い出さないほうがいい過去、ってもんもあんだろう?」
「あら、怖気付いた?」
「理由があって、忘れてたんじゃないかと思えて来てな。」
「…正直、ちょっと怖くはあるよ、私も。」
風に当たりながら、高台から街を見下ろす。ニヤ、と笑って女は続けた。
「思い出したら死にたくなるようなこっぱずかしい過去かも。」
「おいおい、おれは真剣に言ってるんだぜ。」
「思い出したいよ。私は。それでも。あなたはどう?」
「忘れていた方がマシだった、っていう過去でもか?」
かもめはこく、と頷いた。強いやつだ、と思った。
「土台この脳みそにその記憶ってっやつが残ってんのか疑わしいぜ。」
皮肉めいた返しを、了承と受け取ったのか、かもめは瞳を輝かせた。
「それなら心配いらないよ、脳の記憶部位そのものの故障なら、忘れたことさえ知覚できないはずでしょう。」
「お前はこういう話題になると饒舌だな。」
「ロボトミー的な外科手術で脳みそ切り取られでもしてない限り、記憶の回路さえ回復すれば、すっかり思い出せるはず。」
「要するに、仕舞い込んだ場所を忘れてるってことか?」
「そう。…察するに、あなたの仕事仲間が私を知っていたんだから、仕事を一緒にしたことがあるっていうのは間違いないね?」
「そうらしいな。思い出すためには、何が出来る?」
「そうね、過去と同じシチュエーションを過ごすとか、アクションを起こすとか、昔の写真や動向を辿るとか。」
「ロクな写真は残ってないな。…あんたと俺は、一体どういう関係だったんだろうな。」
「さぁ、友だち? 仲間? 兄弟? 隠し子?」
「張っ倒すぞ。」
低く唸ると、かもめはコロコロと笑った。
「案外仲良しだったかもね。恋人だったりして。」
「お前みたいなガキ、誰が相手にするかよ。」
「そうかなぁ。私はあなたみたいな人、結構タイプだけど。」
「ほぉ、言うじゃねぇか、口説いてんのか。」
「さぁ、どうかな。」
生意気なガキに加虐心が湧いて、壁に手をついた。先ほどまでの余裕そうな表情は一変して、詰められた距離に怯える小動物が現れた。
「い、いきなり何。」
「それらしいことをしてみれば、少しは思い出すんじゃねぇか。」
「そ、そだね。ハグとか、してみる?」
言いながら小さく両手を広げるので、従って腕を回す。低い身長を胸板に押し付けると、なるほどなにかを思い出せそうな、歯痒い予感がした。
「…どうだ?」
「わ、わかんない。」
生意気に軽口を叩いていた小娘とは思えないしおらしい態度だった。かもめの頬は茹でダコのように真っ赤だ。顎に手を添えて見ると、次の触れ合いを察したようにひゃあ、と声を上げる。目に涙を浮かべて震える小動物のようなそいつが、可哀想で可愛くて、笑ってしまう。
「したいのかしたくないのか、どっちなんだよ。」
「わわ、わかんないよ。」
記憶がないことを加味しても、初過ぎる反応だった。
「だってこんな風に誰かに触られたことないんだもん、心臓が、持たないよ。」
その熱はこちらにも伝染したようで、年甲斐もなく緊張と肌を突っ張らせるような恥ずかしさを感じる。
「嫌なら止そうぜ。」
「嫌…じゃ、ない、けど。」
顎に手を添えた。はだけた襟元から痛々しい首筋の傷跡がのぞいている。指先で触れると、小さな生き物は体を震わせた。
「この傷は?」
「昔の傷。雇われてた相手に、その、なんて言うか、首輪…をつけられてて。たぶん、外した時に火傷したんだと思う。…この辺の記憶は曖昧なんだけど。」
激しく見覚えがある傷跡に、懐かしさと切なさで頭が痛くなってきた。傷跡をなぞるように撫でると、かもめは裏返った声で静止した。
「ご、ごめん。ちょっとまって。」
「悪い、痛かったか?」
「ちがう…なんか、怖くなってきた…。」
真っ赤な顔で潤んだ瞳を向けられる。肌の触れ合った部分が、激しく脈打っている。もどかしい気持ちを押し殺して、頭を撫でた。
「…またそのうち、な。」
***