私を月に
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「本当に心当たりないの?1ミリも?」
「ねぇって…痛ッてぇな…もっと優しく出来ねぇのか?」
傷口を消毒しながらかもめが口を尖らせる。
念のため夜中にホテルを移動した。せっかくちょっといい部屋を取っていたのに。ボロモーテルに逆戻りだ。
「濡れたような黒髪に、瞳はグリーン、雪のように色白な肌はよく見るとそばかすがあって、よく通るアルトの声の女性に心当たりは?」
一人思い当たる女がいる。だが…。一瞬の沈黙をイエスと受け取ったかもめは、バタンと薬箱を閉じた。
「いや、お前が思うような関係はないぞ?」
「私がどんな関係を想像してると思ってるの?…どうせほんの一瞬情けをかけただけ、とか言うんでしょ?」
言葉に先を越され、言葉を失った自分の口が変な形に歪む。
「十分なんだよ、女を狂わせるには。」
「どうすりゃ良かったって?」
「別にどうでも。…勘違いしないで。嫉妬じゃないよ。その優しさが、嫌いで好きなの。」
全部わかるように説明してくれと言いたいが、自分を助け出した恋人は、もう瞼の重さに耐えかねているようだ。毛布に潜り込んで、俺の脇腹のあたりで丸くなった。ーー俺のマグナム。いずれ取りに戻らなくては。そんな思考を読み取ったように、眠たげな声でかもめは言った。
「…心配しなくても、すぐ戻ってくる。」
しばらくすると、規則正しく寝息を立てた。明かりを消すと、昨日呆れるほど眺めた月が、一回り大きくなってこちらを見下ろしている。
気になることばかり言われて眠れない。消えかけの記憶を引っ張り出す。重たげな黒髪の女。
以前、あのファミリーに殺しの依頼を受けた時、殉職した男がいた。その男の恋人だった女、人目も憚らずに咽び泣くその女に、ただ持っていたハンカチを渡しただけだ。
こいつに助けられるのは初めてじゃないが、俺だってそうヘマばかりしている訳じゃない。今回だって、本当に全く思い当たる節がなかったのだ。
自分でも知らない自分のことに気付くこいつが時々怖い。
もう遠い日のように思われる今朝のことを思い出していた。紙ナプキンに描いた木。
ポケットを探れば、自分の秘密を白昼に晒すようで、捨てるに捨てられず、くしゃくしゃに丸めてつっ込んだままのそれが出てきた。
胡散臭いテストだが、図星を突かれているのが痛い。
実は目標を示すんだったか?
落ちた二つの実を思う。諦めたことなんて、この歳にもなればいくらでもある。だが、枝にしっかりと実ったひとつの実。
夜眠る度、朝目を覚ます度、柄にもなく夢じゃないかと思う。若々しい恋人達のような甘さはないかもしれないが、蜜月の日々だ。バチが当たるんじゃないかと恐ろしくなるくらいに。
盗まれて困るような宝は持っちゃいない。だが、この美しい日々は。
感傷的な気持ちと裏腹に、丸くて黄色い月に、軽快な旋律が思い出された。
今まで失った全てのキスを
すぐに取り戻せるだろう
砂糖のように甘い 私の恋人から
古びた砂糖細工の月の下で
ああ、甘い夢を見ている
シュガー・ムーン
またあのバーに行って音楽が聴きたい。こいつのラム酒で赤く染まった頰が見たい。
月に関する歌は尽きない。
***