君のにおい
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街角で嗅いだタバコの香りに思わず振り返った。
もちろんそれは嗅ぎ慣れた銘柄に過ぎなくて、吸っている人間は、全然知らない人だったのだけど。
煙が洋服の繊維に染み入るように、そっと蓋をして、見ないふりをした気持ちが溢れてきた。
一足一足、歩みを進めるたびに。
まるでヒビの入った水瓶から、冷たい水が染み出すように。
もう随分、彼と会っていない。
うちは簡素なアパートだ。新築でもなければそれほど年季がはいっているわけでもない、景観に馴染みきった四角い建物。階段を登り、自室の鍵を開けた。
彼の忘れていった吸いかけのタバコを引っ張り出す。彼の胸元にぴったりくっついていただろう赤い箱は、角が少しだけ歪んでいる。指先でへこみを撫でると、いよいよ切なくてため息が漏れた。
社交的な人なら、人が賑わうバーにでも出向いて、楽しく喋って酔って気を紛らわせた所だろうが、人に紛れると余計に孤独を感じてしまう私は、家で一人で静かに孤独をやり過ごす。
なにかアルコールを、と思いかけて、流しに立てかけた空ビンにため息をついた。このところ少しずつ呑んでいたお気に入りの蜂蜜酒は、ついこないだ無くなったばかりだった。
なにかなかったっけ、と棚を漁れば、彼が残していったウィスキーの小瓶が見つかった。お酒にあまり強くない私は、決して呑まないもの。
居間のソファに深く腰掛けて、透き通るブラウンのそれを、小さなショットグラスに注いだ。恐る恐る舌先をつけると、口の中がぎゅん、と熱くなり、思わず声にならない声が出る。彼はあんなに美味しそうに飲んでるのに、ちっとも美味しさがわからない。またすこしさみしい気持ちになる。
ため息をついて、彼が残して行ったタバコに火をつけた。
タバコを吸うのははじめてじゃない。くさいとも思わないけれど、彼が絶え間なく口に運ぶ理由は私にはわからない。それでも時々こうしてしまうのは、ただただ嗅ぎ慣れた彼のにおいが恋しいから。
気持ちよくなる訳もなく、かといって完全な不感症でもなくて、ただただヤニとアルコールにくらくらする頭を抱えた。瞼が重くなってくる。
この具合の悪さでさみしさを噛み締めずに眠れるのだから、気持ちよく酔えないにしても、それなりに役に立つのだ、お酒もタバコも。
濃厚な彼の気配に、夢でいいから会えたらいいのに、と、重たくなった瞼を閉じた。
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