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魚の群れに瞳を輝かせるかもめを隣に、ホテルに併設した大きな水族館に入った。ほんのりと暗く、涼しい。なかなか変わった魚もいるらしく、時折かもめは絡めた腕を離れて水槽の前に釘付けになった。今はイワシの群れを見上げて目を凝らしている。首を傾げてこちらを見るので、そばに行くと、ひっそりと囁いた。
「美味しそ、って言ったら、次元は怒る人?」
「…イワシには怒れねぇが。」
思わず吹き出すと、一瞬顔をしかめたかもめは、安心したようにおいしそう、と呟いた。人のいない水族館に流れる時間は緩やかで、布張りの床には足音も響かず、小さな恋人の吐息や囁きが大げさにこだました。
「…次元には、やっぱり退屈だった?」
「何が。」
イルカの水槽の前にある腰掛けでぼんやりしていると、水槽の前に立つかもめは不安そうに尋ねた。間を置いて、1週間前のメッセージを思い出す。
『水族館、なんて言ったら、次元には退屈?』
「俺、退屈そうだったか?」
「そうじゃないけど、ここ、暗いから次元がどんな顔してるかいつも以上に分からないの。」
確かに明るい水槽の前くらいでしかお互いの表情ははっきりとは見えない。立ち上がって隣に行く。
退屈ねぇ。確かに世の中には退屈なものは山ほどある。テンポの悪い映画や難解な絵画、趣味じゃない服の専門店。だが俺には飛びっきりの攻略方法がある。
「お前さんと居て退屈なことは殆どねぇなぁ。退屈だったらおまえの顔見てればいいんだからよ。」
「もう。そんなこと言う。」
膨れた頰に手を添える。
「さて、今はどんな顔してんだ?」
「ばか。」
短く断られて帽子を深く下げられた。
***
「なかなかいい部屋だな。」
ホテルの部屋に移動して、くつろいだ服装に着替えた。部屋に取り付けられた丸っこい小さなプールで足を遊ばせている、水族館をすっかり満喫したらしい恋人の背中に声をかけると、振り返ってクスリと笑った。隣に座ると、微笑んでシャツの模様をなぞる。
「私が選んだやつ。」
「ああ。」
「次元も覚えてた? 去年の夏、一緒に過ごしたこと。」
「忘れねぇさ。あんな夏。」
ちょうど一年くらい前の夏、避暑地で夏を過ごそうと思いつきで旅行に出かけたことがあった。かもめは余計なことまで思い出したようで、頬を染めて視線を外したが、体をそっと寄せて体重を預けた。記念日なんてものに囚われる生き方はお互い趣味じゃない、だが、こいつが言い出しにくそうに約束を取り付けた理由に、やっと確証が持てた。
「よかった。」
「何が。」
「今年も一緒にいられて。」
「大体いつも一緒に居るだろう。今日だって久しぶりってわけじゃない。」
「私は毎日でも足りないくらいよ。」
思わず小さな手を握りしめると、かもめはとろけるように笑った。自然に顔を寄せて、唇を重ねた。
「…さて。」
「さて?」
「今日が去年と一緒なら、まだやらなきゃいけないことが残ってんだろ。」
軽い体を横抱きに持ち上げると、かもめは顔を真っ赤にして抗議した。
「ちょ、ちょっと待って!」
「待たねぇ。どうせお前も期待してた癖に。」
「それは…!」
柔らかい体をベッドに埋めて、熱い夜が更けた。
Fin