友達とは〇〇しない

「藍良、今度の日曜日、レッスン後にデートしないか!」
 ある日の夕食時、ALKALOIDの四人で食卓を囲んでいるとき、天城一彩が突然こちらを振り向いてそう言った。
「はァ!? で、デートって……」
 白鳥藍良は、咄嗟にあたりを見渡した。遅くまでレッスンを行っていた四人が食堂に来たのは、だいぶ遅い時間になってからだった。なので人は少ないとはいえ、かえって声が響く。
 藍良は食事をしていた手を止めて、隣の席に座っている一彩の肩を掴んだ。
「ちょ、ちょっとヒロくん……!」
「都会のことをもっと知りたいから、教えて欲しいよ!」
「待って待って、声が大きいから!」
 藍良は一彩がこちらに乗り出していたのを押し返して座りなおさせる。一度落ち着くために深呼吸をして、一彩を軽く睨んだ。
「どういう意味で言ってるわけェ……」
「どうって、好きな人と二人で出かけることをデートって言うんだよね? だったら僕は、藍良とデートがしたいよ」
 藍良は口をぽかんと開けて、向かいに座っている先輩二人を見た。風早巽はにこにこと笑みを浮かべながら二人のやり取りを見守っており、その隣では礼瀬マヨイが両手で鼻と口を覆って悶絶している。
 藍良はため息とともに項垂れた。この男のことだから、言葉以上の意味などないのだろう。一彩は「友達」と一緒に出掛けたいだけだ。一彩のこの突拍子もない言い回しに慣れていない人は勘違いしそうだが、一彩の言う「好き」には今のところ他意は無い。
「ええ……やだよォ……」
 ALKALOIDの四人は、次に予定されているライブまで時間があまりない。時間を惜しんでレッスンをしているときに、一彩の好奇心で振り回されるのは御免だ。
「藍良は僕とデートするのは嫌?」
「うん」
「ど、どうしてだ、君は僕のことが好きじゃないのかな?」
 眉を下げて見つめられると、一彩の頭に動物のしゅんと垂れた耳が見える気がする。一彩の方が年上なのだが、藍良は一彩にこのように迫られると弱い。
「ああもう、助けてよォ先輩~!」
 情熱的に手を握られ逃げられない藍良は、一彩よりもさらに年上の二人に助けを求める。
 巽は食べ終えたサラダの器をテーブルの端に避けながら微笑んだ。
「ふふ、一彩さん、あまりそのような言葉は軽く口にしてはいけませんな」
「そ、そうなのか?」
 一彩の注意が巽に向いた隙に、藍良は一彩に握られている手を振りほどく。
「はい。多くの場合、好きな人とデートをするという行為には、特別な意味がありますから」
「僕にとって藍良は特別だから、間違ってはいないと思うんだけど」
「ヒロくん黙って」
 一彩の極端な言動はいつもの事だけれど、友人や仲間に好きだという感情をストレートに向けられる事には悪い気はしない。けれどもともと藍良は、昔から家族以外に純粋な好意を向けられることに慣れていないのだ。
 相手が誰であれ、真正面から好きだのなんだの言われるのには戸惑う。頬を染めて目を泳がせていたら、藍良の向かいに座っているマヨイと目が合った。
「照れている藍良さんもキュートですねぇ……」
「もう、マヨさんもからかわないでよ。ヒロくん何とかしてくれない?」
 藍良が頬を膨らませて隣に座っている一彩を指さす。藍良のその仕草はマヨイを予想通りに直撃した。
「ああッ、ちょっと怒った感じもかわいい! もう一回やってくださ……すみませんすみませんもう言いません」
 言葉の途中で藍良が本気で睨みつけてきたので、マヨイが怯んで謝り倒す。そんなに大げさに謝るなら、謝らねばならないことを言わなければいいのにと皆思っているのだが、そういう性分らしいので諦めている。最近は、上手くあしらっておけば逆に面白いとさえ思うようになってしまった。
 マヨイが大人しくなりその場の空気が清むと、巽が話を本題に戻した。
「一彩さんと藍良さんが二人で出かけることには、俺は賛成しますよ。たまには息抜きも必要ですからな」
 ライブまで時間が無いとはいえ、四六時中レッスンをしている訳ではない。近場へ買い物へ出かけるくらいの時間はある。
「えぇー、それなら先輩たちも一緒に行こうよォ……ヒロくんと二人とか不安しかないんだけど?」
「藍良にそう言われるのは悲しいけど、先輩たちが良ければもちろん一緒がいいよ」
 一彩と藍良の視線が、同時に先輩二人へと向いた。巽とマヨイは一瞬目配せをして、年下の二人に視線を戻す。先に俯いたのはマヨイだった。
「お二人の微笑ましいデートを陰ながら見守りたい気持ちは……その、大いにあるんですが、私はあまり……昼間外を出歩くのが得意ではなくて」
「前半は余計だよォマヨさん。……タッツン先輩は?」
 藍良に促されて、巽も口を開く。藍良の隣で碧い瞳を輝かせている一彩に、優しい笑顔を向けた。
「ぜひ行きたい気持ちはありますが、一彩さんは最初、藍良さんと二人で遊びに行きたいと言っていたのですから、今回は二人で出かけてはどうですか? このところ四人いつも一緒にいますし、たまには二人でゆっくり話すのもいいでしょう」
 デートとは二人でするものですからな、と言って巽は食後のお茶を一口飲んだ。
 先輩二人に断られてしまった藍良は、半ば諦めの気持ちで一彩に視線を戻す。先輩に無理を言って付いてきてもらうほど、藍良も強引ではない。藍良ともう一度目が合うと、一彩がにこっと笑った。
「僕の知らない都会のことを、教えて欲しいよ」
 屈託のない笑顔で藍良の手を握りなおす一彩に、藍良はとうとう折れた。
「はぁー、タッツン先輩がそう言うならしょうがないかァ。分かったよ」
「ありがとう藍良! 恩に着るよ!」
「大袈裟! ヒロくん一人で放したらどこ行って何するかわからないからねェ。おれがちゃんと見ててあげる」
「ふふ、一彩さんがまるで飼い犬のようですな」
 巽に犬に例えられた一彩が、とんと自分の胸を拳で叩いて笑顔で言った。
「必要なら首輪と縄をつけてもいいよ!」
「そんなんで街を歩けるか馬鹿ァ!」
 先ほど一彩に声が大きいと指摘した藍良が、今日一番の声を張り上げた。
 三人のそんなやり取りの傍ら、マヨイが「首輪なら私が……」などとぼそぼそ呟いていたが、誰の耳にも届かなかった。



 ALKALOIDの四人は、日曜日の午前中にレッスン室を借りていた。なので昼食後は一応フリーになる。だからこそ一彩は日曜日を指定してきたのだろうが、藍良は最近は特に時間を惜しんで自主練習をしている。街へ遊びに出かけるというのは、なんだか変な感じがするのだ。
 しかし、先輩たちに息抜きを勧められ、一彩に一緒に出掛けようと誘われたからには無下にもできなかった。
 一彩と藍良は、昼食後に二人で「デート」をすることになった。巽には、夕食を兼ねてミーティングをしたいから、夕食の時間までには帰るようにと言われている。
「ヒロくん、デートしたいって言ったからには行きたい場所とか考えてるのォ?」
 寮を出て街へ向かう途中、藍良は隣を歩く一彩に聞いた。連れない態度をとってみるものの、友達とこうして出かけるという経験が藍良にはあまり無いので、少し楽しみでもあった。
「もちろんだよ藍良! 一から十までというわけではないけれど、藍良と食べたいものがあるよ」
 独特な言い回しだが、一彩が言う。
「へえ、何?」
 一彩は、藍良が当たり前に食べているものも「都会の食べ物」として珍しがる。なので、一彩が何に興味を惹かれて食べたいと思っているのか、藍良には見当もつかなかった。
「クレープだよ」
「クレープゥ!? ヒロくんにしては意外なチョイスだね」
 食べ物の名前とはいえ、一彩の口から出てくると違和感のある単語だった。
「そうかな、この間たまたま街でプロデューサーに会ってね、人気のお店だって教えてもらったんだよ」
「ああ、あの店のことか。美味しいよねェ」
 藍良にはこのあたりの美味しいクレープ屋に心当たりがある。甘いものが食べたくて懐が暖かい時は優先して訪れたい店だ。
「ウム! 藍良は甘いものが好きだよね、だから藍良と一緒に食べたいと思ったんだ」
「そ、そういうコトなら付き合ってあげるよォ……」
 突拍子もないプランが飛び出すと思っていた藍良は、割と普通かつ自分も興味が持てそうな提案が出てきたので戸惑った。練習で体力を使ったから、確かに甘いものは食べたい。
 何より、一彩が藍良の食べ物の好みを把握していて、一緒にクレープを食べたい相手に自分を選んでくれたのが嬉しかった。
「よかった、楽しみだよ」
 藍良が素直に提案を飲むと、一彩が安心したように笑った。一彩が何か言えば藍良が必ず突っ込みを入れるのがお約束になっているから、スムーズに会話が進むと拍子抜けしたような気持ちになる。
「でもお昼食べたばっかりでお腹すいてないから、しばらく他のことで時間潰したいかなァ」
 甘いものは別腹だが、せっかくなら小腹が空いたタイミングで美味しく食べたい。小売店の並ぶ通りに差し掛かると、一彩が言った。
「そういうことなら、買い物しながら歩こうか。僕はいまは日用品の買い出ししか思いつかないんだけど、藍良は行きたいところはない?」
「あー、じゃああそこ寄ってもいい?」
 藍良が指差したのは、この通りで一番大きなCDショップだった。



 CDショップの自動ドアをくぐると、店内にかかっているBGMに一瞬にして包まれる。店内には明るい照明が輝き、背の高い棚にはぎっしりとCDが詰まっていた。入ってすぐ目に付く場所には新曲のポスターや近々開催されるフェスの広告が貼ってある。
 アイドルが集まる街というだけあって、売られているCDは種類も数も充実している。スマホなどに曲をダウンロード購入するのが主流となりつつある時代だが、ジャケット目当てにCDを購入するファン層が根強く残っているのがアイドル業界だ。
「僕らの曲はこうやって売り出されるんだね」
「そうだよォ。おれ達のは……あったあった」
 藍良はスターメイカープロダクションの新人アイドルたちの楽曲が固めて置かれている棚から、ALKALOIDのシングルを見つけて一彩に見せる。ユニット衣装に身を包んだ四人が格好良く写っていた。何枚も写真を撮ったので、何テイク目の写真なのかは分からない。
「へえ、なんだか不思議な気分だよ」
「だよねェ。ジャケットの撮影緊張したなァ」
 そんなことを話しながら、藍良は店内を歩き回る。そして、店の奥の方に設置されているグッズ売り場に入った。
「ここは?」
「ブロマイドとかライブグッズとか売ってるとこ」
 整然とCDや映像ディスクが並んでいる棚と違って、いろいろなものが乱雑に並んでいる棚の間に藍良が入っていく。ライブ用ライト、フェス用のタオル、アイドルユニットのロゴ入りのリストバンドなど、一彩には見慣れないものばかりが並んでいた。
「都会はすごいね。知らないものが沢山売っているよ」
「ヒロくんが知らなさすぎるだけだよォ……。あ、見て! おれたちのブロマイドもあるよ!」
 ES所属のアイドルたちのブロマイドが並ぶボードを見つけて、藍良が駆け寄った。ユニットごと、アイドルごとに写真が並べて貼ってあり、それぞれに番号が割り当てられている。欲しい写真を選んで、レジの店員に引き換えてもらう仕組みだ。
 人気アイドルの写真は一人につき複数種類展示されているが、駆け出しのALKALOIDの写真は一人につき一枚ずつだ。それでも、自分の写真がこうして売られているのは嬉しい。
 藍良は、一彩の写真を見て隣にいる本人と見比べて笑った。
「ヒロくんもアイドルなんだよねェ」
「どういう意味かな?」
「綺麗なカオしてるよねって意味。さすがアイドル」
「それを言うなら、藍良だってかわいいよ!」
「はいはーいありがとォ」
 藍良は照れ隠しにわざとそっけない態度をとって見せた。アイドルオタクである藍良は、他人の顔の造形を褒めることに抵抗はない。しかし、自分のそれを褒められることには慣れていないのだ。
 藍良は記念に一枚ずつ買おうと、備え付けられている紙とペンで欲しい写真の番号をメモしていく。ALKALOIDの四人の写真を、一枚ずつ書いた。
「ヒロくんは買わないの?」
「僕はいいよ。本物が側にいるからね」
「その顔でそういう事言わないでよォ!」
 不覚にも、藍良は心臓がドキッという音を立てたような気がした。これは、一彩のストレートな物言いに戸惑っているだけだ。もともと藍良は人に褒められることや肯定されることに慣れていないから驚いただけだ。藍良は肩から掛けているカバンにぶら下げてあったキャップを深く被って赤くなっているかもしれない顔を隠した。
 一彩は藍良のことだけじゃなく、巽やマヨイのことも数に含めて言っているのだ。わざわざ同じ部屋に住んでいる人の写真を買う必要はないという意味だ。藍良は、自分にそう言い聞かせて心臓を静かにさせた。
「藍良、何でわざわざ帽子を被ったんだい?」
「う、うるさいなァ! 自分で自分のブロマイド買ってるって店員さんに気づかれたら恥ずかしいのォ! おれのことなんか認知されてないかもしれないけどさァ!」
「い、いや、そうは言っていないよ。……フム、そういうものなんだね」
「わかったらヒロくんは外で待ってて。これ買ったらおれも行くから」
 まだ知名度の高くないユニットとはいえ一彩は無防備すぎる。近い将来、街を歩くのに変装が必須になるくらい売れてやると心に誓いながら藍良はレジへ向かった。



 騒いだら思ったよりも早く昼食を消化したようだ。今ならクレープを美味しく食べられそうな気がすると藍良が言うので、それからは特に寄り道をせずにクレープ屋へと向かった。
 おやつ時には少し早かったが、ちょうどいい時間には混雑しそうだからと、早速購入することにした。
 沢山の種類があるクレープの中から、藍良はチョコレートパフェ、一彩はフルーツミックスを注文する。
 それから、イートインスペースに並んでいるカウンター席に並んで腰かけた。通りに面した窓ではなく、壁に向かう形で設置されている席を選んだ。これなら他の客からは後ろ姿しか見られない。
 藍良は早速、チョコレートソースとクリーム、バナナやイチゴなどのフルーツがたっぷり入ったクレープにかぶりついた。
「ん~、美味しい~!」
「藍良は前にもチョコレートパフェというものを食べていたけれど、あの時は器に入っていたよね」
「クレープ生地で包んでるだけで、中身は同じだからねェ」
「……?」
 一彩が藍良の手元にあるものを怪訝そうに見つめている。藍良はその顔を見て笑った。
「都会の食べ物はよく分からないって顔してる」
「すごいね藍良! 僕の心が読めるんだね」
 一彩が嬉しそうにぱっと顔を明るくしたので、藍良は肩をすくめた。
「さすがに慣れてきたよォ……。気になるなら一口食べる?」
 藍良は食べかけのクレープを一彩に向けた。受け取るかと思ったのだが、一彩は藍良の手ごとクレープを掴んでそれを一口食べた。近くなる距離に思わず仰け反る。
「ちょっとヒロくん!」
 藍良の戸惑いなどつゆ知らず、一彩は口元についたクリームを指で拭いながら、チョコレートパフェをクレープ生地でくるんだそれを味わう。
「うん、美味しいね。藍良もこっち食べてみるかい?」
 一彩は藍良の口元に自分のクレープを向ける。藍良はいろいろと諦めて、一彩が差し出すそのクレープを一口食べた。キウイと桃のカットフルーツと生クリームが口の中に甘酸っぱく広がる。フルーツの量が多いので、この店のクレープの中では少々値が張る方なのを、藍良は知っている。
「美味しいかい?」
「……うん」
「よかった!」
「美味しいけどォ……」
 藍良はいま、振り返って店内を見渡す勇気が無い。今のやりとりを誰かに見られていたらどうしてくれるのかと一彩に説教したいのだが、一彩が余計に騒ぐとさらに目立つ。藍良は仕方なく言葉を呑み込んだ。一彩に文句を言うのはあとでいい。
 クレープを食べ進めていると、藍良のスマホが通知を鳴らした。同時に一彩もスマホを取り出す。どうやら同時に何かを受信したようだった。
「先輩たちかな」
 一彩と藍良のスマホが同時に通知を鳴らすときは、大抵はALKALOIDのグループチャットに投稿がある。メッセージを見ると、巽から「楽しんでいますか?」とメッセージが入っていた。
「タッツン先輩もこれば良かったのにねェ」
「何て返信しようか?」
「んー」
 藍良は返事をする代わりにスマホのインカメラを起動して、フレーム内に自分と一彩を納める。一彩も藍良に合わせてクレープと一緒に写真に写った。
 一彩も最近は、藍良がこうして自撮りをするのに慣れてきているので、カメラを向けるとポーズをとってくれるようになった。
「藍良は写真を撮るのが上手だね」
「でしょォ、先輩たちに楽しんでるよ~って送っとくねェ」
 藍良が写真を投稿するのに続いて、一彩も「おいしいよ!」と続ける。直後、マヨイが「やっぱり私も行けば良かったです!!!」と送ってきたのに苦笑しながら、藍良はスマホをしまった。



 一彩が今日やりたいと思っていたことを達成し、藍良もCDショップとクレープで満足しているので、あとは買い出しをしながら帰ろうという話になった。
 スーパーなど日用品を扱っている店の多い通りに差し掛かったところで、二人は聞き覚えのある声に後ろから声をかけられる。
「あれ~、弟くんと藍ちゃんじゃーん」
 振り返れば、商店街の奥から一彩の兄が手をひらひらと振りながら歩いてきた。巻かれているヘアバンドのおかげで、赤い髪がさらに目立つ。
「げぇ! 天城燐音!」
 咄嗟に藍良はそう叫んで一歩下がる。藍良はどうもこの男が苦手だ。会えば必ずからかわれるし、言動にいちいち突っ込み所が多い。
「おいおい『げぇ!』とは何よ」
 燐音は藍良の反応を見て満足そうに笑った。
「兄さん」 
 一彩は咄嗟に藍良を抱き寄せ、守るような体勢を取る。いきなり一彩の胸に視界を奪われた藍良はもごもごと抵抗した。
「ちょっとヒロくん、バカ、放して!」
「ご、ごめん藍良。どうも兄さんは藍良にちょっかいを出すのが好きみたいだから。藍良が嫌がるかと思って……」
「嫌だけどォ! わざわざ抱き寄せなくていいってばァ!」
 藍良がじたばたと暴れても、一彩の腕の力が強くてびくともしない。燐音は嫌がられているのにも関わらず楽しそうに二人の様子を眺めている。
「仲いいなあお前ら、デートか?」
「ち、違! 買い物に出てきただけ!」
「へぇ、さっき仲良くクレープ屋から出てきたよなぁ」
「もー!! ヒロくんこいつ何とかしてよォ!」
 今まで一彩の腕の中から逃れようとしていた藍良だが、今度は燐音から逃げるように一彩の腕の中に戻った。一彩がよしよしと藍良の頭を撫でる。藍良は心底不服そうに頬を膨らませていた。一彩が少し困ったような顔を兄に向けた。
「兄さん、あまり藍良をいじめないで欲しいよ」
「へいへい、せいぜい守ってやんな」
 燐音は笑って、弟の腕の中で縮こまっている藍良の頭を乱暴に撫でた。怯えた小動物のような反応をすれば燐音を喜ばせ、一彩の使命感を煽るだけなのだけれど、かといって一彩から離れて孤立すれば突然攫われそうだ。
「燐音はん! 店の前で待っとれ言うたやろ!」
 微妙な空気が流れだしたその場に助け舟を出すように、桜河こはくの声がした。藍良が反応して、一彩の腕の中からぱっと顔を上げた。
「ああ悪い悪い、弟くんがいたからよ」
 燐音が一歩身体を避けてこはくに二人を見せる。こはくは一彩に守られている藍良の顔を覗き込んだ。
「お二人はんもこんにちは。相変わらず仲良しやね。堪忍なぁ、うちのリーダーが煩うて」
 こはくが来たことで空気が変わり、一彩も兄への警戒を解いて藍良を抱きしめる腕を緩めた。その隙に藍良が恥ずかしそうに一彩から一歩離れる。
「こちらこそ、いつも兄が迷惑をかけていてすまないよ」
「おいおい一気に俺っちの立場がねえなあ」
 どうせ二人のことをからかって遊んでたんやろ、とこはくは大人びた表情で自分のユニットのリーダーである燐音をたしなめた。藍良と同い年であるはずなのに、年の離れた男相手にも動じない態度には、藍良も感心する。
「こはくっちもお買いもの?」
「せや。色々足りひんから皆で買い出ししてんねん。ここはいろいろ安いからな」
 こはくはスポーツ用品店のロゴの入った紙袋を掲げて見せた。練習に使うものを安く購入するのにちょうどいい店なので、ES所属のアイドルにひそかに人気のショップだった。
「ほら行くで燐音はん、皆待っとる。もう先に帰られたかもしれへんで」
「どっちでもいーって。じゃあな弟くん、藍ちゃん」
 燐音とこはくに手を振られ、一彩と藍良も手を振り返した。藍良としてはこはくともう少し話したかったのだが、燐音を連れて行ってくれたことにはほっとした。

 燐音とこはくが通りの向こうに見えなくなると、一彩と藍良も気を取り直して歩き始める。途中で巽に電話をして、夕食やこれからの食料品などで必要なものが無いかを聞いた。
 頼まれたものを、二人で買って半分ずつ持った。見た目は半分だが、一彩が持っている袋の方がやや重い。
 街を外れて寮に向かう途中、周りに人気が無くなったのを確認して、藍良が言った。
「あのねェ、ヒロくん。街中でいきなり抱き寄せたり、触ったりしないでよねェ」
「す、すまない藍良」
 一彩がしゅんとしたのが雰囲気で分かった。一彩に悪気が無いのは分かっているので、藍良もそれ以上は何も言わなかった。
「その……人目が無いところでなら、いいのかな」
「う……、まァ……とりあえずは……」
 スキンシップの取り方や人との距離感が独特な一彩の感覚を根っこから変えるのは難しいだろう。それなら、せめて人目のあるところで突拍子のないことをするのを避けてもらえればいい。
 けれど、一彩は附に落ちないといった表情をしている。
「一緒に写真を撮るのが良くて、触るのはダメなのが、よくわからないよ」
「その辺も追々わかってもらえると助かるよォ」
 ダメと言ってすべて禁止するのも気が退ける。だからといって、わざわざ『恋人みたいに思われたら困る』だとか、『スキャンダルになる』だとか、そんな説明をするのも一彩のことを意識しているみたいで悔しい。一彩の行動には友への好意以上の意味はないのだし、今のところは人目を避けてもらえるだけで藍良の心が休まるというものだ。

 二人は寮に戻ると、共用の食堂のテーブルに買ってきたものを置いた。旧館に常備してある食材とこれらを組み合わせて、夕食を作るのだ。
 今日の「デート」はひとまずこれで終わりだろう。想定外のことは多々あったが、一彩と一緒にいたのだからよく思い返してみればそれらも想定内だったのだろう。総合して、藍良は満足していた。
「今日、結構楽しかったよォ。こんな風に遊びに行くのも悪くないかも」
「そうか。藍良が楽しかったならよかったよ」
 一彩は笑った。自分のことよりも他人を優先するような物言いを窘めるように、藍良が聞きなおす。
「ヒロくんは?」
「ん?」
「ヒロくんは楽しかった?」
「もちろん! 僕は藍良が一緒なら、いつだって楽しいよ」
 一彩が、自分の胸を拳で叩いて、自身満々にそう言った。
 この、藍良という存在を全肯定してくれる根拠は一体どこからきているんだろう。
「そ、そう……。じゃあ、先輩たち呼んでご飯にしよう」
 藍良は照れくさくなって、一彩より先に食堂を出ようとした。しかし、後ろから一彩に手を握られ、そのまま引き戻される。
「藍良」
「えっ、何?」
 手を引かれた勢いのまま振り返ったら、そのまま一彩に抱きしめられた。
「ちょっと、ヒロくん……?」
 ぎゅっと力が入っているが優しい。少し苦しいけれど、心地よいと思ってしまう。
「ごめん、藍良。人前ではダメだというから、今のうちに」
 危険から守るために抱き寄せられる時とは違う。全身を包み込むような、甘えられているような感覚。
「ど、どうしたの、ヒロくん……!」
「……藍良」
 耳元で名前を呼ばれて、ぞくりと全身の肌が反応して体温が上がる。
 一彩の体温を意識してしまいそうになった時、拘束を解かれて身体が離れた。
「ありがとう藍良。これでしばらく大丈夫そうだよ」
 藍良はぽかんと口を開けて、一彩を見上げた。目が合うと、一彩がふわりと笑みを浮かべる。
「先輩たち、呼びに行こうか。……藍良?」
 藍良はかぁっと熱くなった顔を誤魔化すように一彩に背中を向けて、食材の入った袋をごそごそと鳴らした。
「お、おれ食材用意しておくからさ。ヒロくん、呼んできてくれない?」
「……? 分かったよ」
 一彩の頭の上には疑問符が浮かんでいたが、それでも何事もなかったかのように食堂を出ていった。藍良に言われた通り、部屋にいる先輩二人を呼びに行ったのだ。

「ど、どういうことォ……?」
 一彩の姿が見えなくなると、藍良は強張っていた全身の力を抜いた。キッチンの調理台に上半身を預けるように崩れ、俯く。
 顔が熱い。身体も。戸惑いとも驚愕とも違う様子で胸が高鳴る。調理台の冷たさが、身体の火照りを強調した。
 今までも突然抱き寄せられることは何度かあったけれど、人混みを避けるためだとか、何かから守るためだとか、何かしらの理由はあった。大げさだと思って、その時は何とも思わなかった。
 けれど今は、ただ抱きしめられた。その行為には藍良を何かから守るという意味はなく、ただ一彩がそうしたいと思って行った事のように思えた。人目が無い、今のうちに。
 どういう意味なのか問いただしたい。一彩の行動の意味も、自身の胸がこんな風に落ち着かなくなるその意味も。
 けれどその時間は、今はない。一彩が部屋から先輩二人を連れて来るまではわずかな時間しかない。
 それまでに、この高鳴った胸を静めなければ。
 藍良は深呼吸をして、食卓の準備を始めた。



つづく
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