【ログ】Pixiv短編ログ(全年齢)

 ALKALOIDに安定した仕事が入ってくるようになってから、メンバーはそれぞれ学業に復帰した。
 白鳥藍良も、春に入学した夢ノ咲学院に、夏の終わりになってやっと前向きに通えるようになっていた。
 以前はアイドルとして売れるために必死で、自分でもできる仕事を探したり、簡単なアルバイトにあれこれ手を出していたため、結局何をするにも中途半端な日々を送っていた。結果、学校に来てもあまり勉強に身が入っていなかったのだが、今はしっかりと地に足がついたように気持ちが安定していて、あらゆることに前向きになれていた。
 授業を受け、放課後はレッスンをし、週末には小さなライブを行う。先のスケジュールが埋まっていることがただ嬉しい。
 当分は仕事の心配をしなくてもよくなり、教室に落ち着いて座っていられるようになった。とはいえ、アイドル活動に対してやる気に満ち溢れている今は、授業を受けているよりも教室を飛び出し、歌って踊りたい気分だ。

 時刻は真昼。チャイムが鳴ると、前に立っている教師が説明を言い切り、今日はここまでだと言って授業を終えた。藍良は荷物の中からスマホを探り、電子マネーの残高を確認した。そろそろうるさいのが教室にやってくる頃だ。
「藍良! お昼だよ!」
 獣のような気配が近づいていると思ったら、すぐに天城一彩が姿を現した。新品の制服姿で、二年生のネクタイをつけている。一年生の教室に現れたその人は、藍良の所属ユニットALKALOIDのリーダーだ。
「ヒロくんうるさい! 分かってるってばァ!」
 にぎやかな迎えに慣れてはいけないと、とりあえずツッコミを入れておく。藍良はポケットにスマホを入れ席を立ち、クラスメイトがくすくす笑っているのに見送られながら、教室を出た。この光景はすでに『白鳥を迎えに来る天城先輩』という昼休みの名物になっていた。最初こそ戸惑われたものの、現在新人アイドル界隈を騒がせているALKALOIDの二人ということもあり、奇特そうに見られることはない。
 しかし、アイドル活動以外であまり目立ちたいタイプではない藍良は、一彩が同じ学校に通うようになってからは、一彩の扱いに難儀していた。この男、何をするにも目立つのである。

 一彩と藍良は、昼食を購入するため一緒に購買部へと向かう。一緒に食事をとることは、毎日の昼休みのお約束になっていた。
「中央階段か購買の前で待ち合わせでもいいんだからねェ」
 昼休みの目的は昼食を食べること。購買部には必ず向かうのだから、わざわざ一彩が藍良の教室まで迎えに来る必要はない。
「ウム。藍良がやめてほしいならやめるよ」
「別に、嫌じゃないけど……」
 けれど、素早い一彩は藍良が席を立つ前に迎えに来てしまう。一彩にとっては「迎えに行った方が早い」のだろう。
「寮の部屋が別になってから寂しいんだよ。そう思っているのは僕だけなのかな」
 藍良が少しつれない態度をとると、一彩が分かりやすく眉を下げる。一彩のほうが年上で、背も高いのに、まるで上目遣いで甘えられているかのような表情をする。藍良は、この顔に弱い。
「ば、バカ! 誰かに聞こえたらどうするの!」
 藍良は照れ隠しにそう言って一彩から目を逸らした。藍良に叱られた一彩は、やれやれと肩を落とす。
「ごめん、今のもまずかったのかな。難しいなぁ都会は」
「まずいって言うかァ……ヒロくんは加減ができないから心配なのォ」
 一彩と藍良は付き合っている。このことを知っているのは同じユニットに所属している巽とマヨイだけだ。
 学生同士、そして二人ともアイドルということもあり、それ以外の人には極力関係を隠しておきたい。
 クラスどころか学年も違うのに、二人が一緒にいる事が多いことについては、同じユニットだからという言い訳はできるが、他人に対して物理的な距離が近い一彩は藍良に対してはさらに近く、言動の紛らわしさを増幅させるのだ。

 二人は昼休みの間はあまり使われていない特別教室の中から、人気のないところを選んでその一席を借りた。先ほど購買部で買った昼食を広げる。食堂やガーデンテラス以外での食事はあまり推奨されていないのだが、綺麗に使っていればある程度は黙認されている。
 一彩はハンバーグ弁当、藍良は菓子パンをひとつと、一彩の提案で買わされたポテトサラダだ。
 パンだけでは力が出ないだろうと、一彩が何でも買ってくれようとするので、藍良は仕方なくポテトサラダを買うことで妥協したのだ。
 本当は昨日おやつにチョコレートパフェを食べたので、今日はカロリー調整で最低限の食事だけで過ごそうとしていたのだが、一彩のそばにいるとその計画も上手く回らない。
 一彩は食べたいものを食べ、その上でバランスの良い食事をし、過剰にカロリーを摂取した分はレッスンやトレーニングで消化する隙のない食生活をしている。
 アイドル活動の資金を差し引いて与えられる『お小遣い』の使い道が主に食である一彩と、ついアイドルグッズに使ってしまう藍良とは金銭感覚が違うのだ。
 しかし、しっかり食べた方が何もかも効率よく回ることは、最近の忙しい毎日の中で嫌というほど実感しているし、藍良も最近はこれまでよりも食べるものを考えられるようになった。『体型維持にはバランスの良い食事と適度な運動を』というのは、都会のことを右から左まで全てあれは何、これは何と質問してくる一彩から、藍良が学びとったことのひとつだ。当たり前のことだが案外、実感し実践できる人は少ない。

 食事を食べ終わってからしばらくは自由時間だ。教室に戻る時間も含めるとあまり時間は残っていないのだが、その時間を利用して、一彩と藍良は二人の時間を重ねている。
「それで、今度のライブでやりたい演出なんだけどねェ」
 昼休みのおしゃべりの内容は主に、これからのライブの計画ややってみたいこと、行ってみたいところ、食べてみたいもの、そして藍良のドルオタトークだ。
 今日は藍良があるアイドルグループのライブ映像をスマホで一彩に見せていた。挑戦したい演出があるという事だった。アイドルについてはまだ知らないことの多い一彩にとって、藍良がこうしていろいろと解説をしてくれる時間は有難い。そして、大好きなものの話をするときの、楽しそうな藍良を近くで眺められることも、一彩は役得だなと思っていた。
「それでねェ、ここ! ここセンターの人の表情が……ヒロくん?」
 机をひとつ挟んで向かい合い、スマホをお互いに覗き込んでいるから額がぶつかりそうだった。一彩が視線を藍良に向けると、それに気づいた藍良も顔を上げる。一彩の指先が、藍良の前髪に触れる。
 一彩の顔が不自然に近づいてきていることに気づいた藍良は、思わず机から上半身を起こして一彩から距離をとった。
「ちょ、ちょっとヒロくん、どこで見られてるか分からないから!」
 明らかに今、一彩はキスをしようとしていた。それが藍良の思い違いだったとしても、ほぼ至近距離で髪に触れるその仕草は、誰かに見られるのはまずい。
「近くに人の気配はないよ」
「だ、ダメだってば」
 藍良が前に、人目のあるところでのスキンシップを強く制したのがきっかけで、一彩は逆に二人切りの時は遠慮がなくなってしまっている。
 今は二人きりだからといって、学校では極力リスクを冒したくはない。そもそも二人が付き合っているのは事実であり、誰かに見られたところで「誤解」されるわけではないと思っている一彩は、何がダメなのかいまいちピンときていないようだ。
 藍良に拒まれたので、一彩も仕方なく顔を上げて椅子の背もたれに背中をあずけた。
「……僕ばっかり藍良を好きみたいで寂しいよ?」
 そして、整った唇を少し尖らせて、窓の外の校庭に視線をやった。つまり、藍良から目を逸らした。
 その言動と仕草に、不覚にもきゅんとしてしまった藍良は、画面の大きなスマホで顔を隠しながら、盗み見るように一彩の横顔を見た。
「はぁうぅ~……ずるいなァ……拗ねてるヒロくんラブいよぉ」
「あ、藍良、全部声に出ているけど」
 少し意地悪を言ったつもりだった一彩は、藍良のその反応に戸惑う。二人の間に気まずい空気が流れないのは、藍良にダメと言われたらすぐに退く一彩の素直さと、一彩の表情や仕草について、臆せずかわいい、かっこいいと評価し口にできる藍良の性分のおかげだった。
「わざとだよォ! ドルオタとしてなら思ったこと言いやすいからァ!」
「う、うん……? 言っている意味はよく分からないけれど、僕はアイドルとしてじゃなくて、一人の人間として好きになってもらいたいよ」
 アイドル好きとしての自分の性格を利用して、一彩に素直に気持ちを伝えたり、一彩のストレートな告白を直接浴びたりするシチュエーションを回避しているつもりの藍良だが、一彩は藍良の作った壁を簡単に突破してくる。
「分かった、分かったから本当に、学校ではおれのこと口説かないでェ」
 一彩の危機感のなさが学校という空間で不都合を起こす心配はあっても、藍良も会わないという選択肢は極力選びたくはない。まだ付き合い始めたばかりだし、一彩の言う通り寮も同室ではなくなってしまったので寂しい。何もわざわざ言い訳をしなくたって、ただ好きな人に会いたいだけなのだけれど。
 とはいえ、学校でいちゃいちゃするわけにはいかない。アイドル課の生徒には入学してから本格的なアイドル活動に恵まれていない者も多く、スキャンダルの危機感が無い生徒も多い。藍良だっていまだにファンとしての癖が抜けず、テレビや舞台に『出る側』の人間になったことを実感しきれていないので、誰かに見られているという意識を持ち続けることの難しさは知っている。
 万が一学校で、友達だから、同じユニットだからという言い訳が通用しない現場を目撃されてしまったら。周りにいるのは同じアイドルでも、人の口に戸を立てるのは難しいので、うわさはすぐに校内に広がり外にも漏れてしまうだろう。
 学生が気軽に二人きりになれる場所というのは意外と無い。四人部屋とはいえ寮室が同じだったころは恵まれていたのかもしれないと、今更ながら実感していた。





 その日の夕方はESビル内のレッスン室を一室、ALKALOIDが借りていた。一彩と藍良は授業のあと、校内でマヨイと合流し、三人でESビルへと向かった。
 先に到着していた巽が機材と空調を整えてくれていたためレッスンはスムーズに始められ、四人は週末のライブに向けた通し練習をひたすら行った。
 今は新曲があるわけではなく、体得しているダンスのおさらいが多いのだが、気が抜けないようにと、マヨイが新しい振り付けを提案したり、技量に合わせて簡単にしていた部分にアレンジを加えたりしてくれている。
 昼間、藍良が一彩に見せた動画も、四人で一緒に鑑賞して、参考にできそうなところを意見として交し合った。

「はい、今日はここまでにしましょう。少し休んだら、必ず柔軟をしてくださいね」
 マヨイが手を叩いてレッスン終了を告げると、真っ先に力を抜いて床にへばるのは藍良だ。基礎体力は備わっているが、総合すると四人の中では一番体力がない。
「ふあぁ~疲れたァ」
「お疲れ様です藍良さん」
「タッツン先輩ありがとォ」
 巽が藍良の分も水をとってきて、へばっている藍良の隣に座る。足を気遣って隙があれば座る巽は、よく藍良の休憩に付き合っている。
「おや、一彩さんはまだ大丈夫そうですね」
 巽が、すぐそばに立って水をあおっている一彩を見上げながら言う。彼は汗はかいているが息が乱れておらず、全身からはまだ溢れるエネルギーを感じられた。
「ウム! 僕はまだまだやれるよ」
「では最後に一曲だけ私と合わせてもらえますか」
 一彩が胸の前で拳を握って見せると、マヨイが一彩に声をかけた。レッスン中、トレーナーとして皆をみている時間が長いマヨイは、よくこうして一彩に自分の相手を頼む。頼られた一彩は嬉しそうにしながら、ボトルとタオルを置いてすぐに身軽になった。
「了解だよ! 藍良、音楽を頼むよ」
「ふぁーい」
 藍良はレッスン室の床を転がって自分の荷物に近づき、スポーツバッグの中から自分のスマホを取り出した。
 床に寝転がったままスマホで機材を操作する藍良を見て、一彩が苦笑する。
「藍良、お行儀が悪いよ」
「うるさいなァ」
 機材はスマホで操作でき、天井や壁に設置されているスピーカーからすぐに音楽を流すことができる。機械の操作は、この四人の中では藍良は得意なほうに属している。
「転がる藍良さんもかわいいですぅ」
「はいはい曲始まるよォ」
 くつろぎながらテレビのリモコンを操作しているような藍良の体勢にマヨイが和んでいると、自分らの持ち曲のイントロがかかった。そうなれば空気が一変し、二人ともステージに立つアイドルの顔になるのだった。


 そして練習を終え、誰からというわけではなく共用の機材の後片付けを始めた時のことだ。
「そうだ、戸締りは僕たちでやるよ。ね、藍良?」
「へ?」
 藍良は、突然一彩がそんな提案をするので戸惑う。わざわざ言われなくても、最年少である藍良はそういった雑用は引き受けるつもりだった。巽もマヨイもそういう年功序列のような制度を押し付けるようなタイプではないが、それでも一彩の宣言は少し不自然だった。
 しかし巽が何かを察したらしく、笑顔で頷いて一彩にカードキーを渡した。
「ではお願いします。俺たちは先に行きましょうかマヨイさん」
 いつもなら、皆で一緒にやりましょうと、手際よく片付けをしてくれる巽が、今日はあっさりと引き下がった。ついでにマヨイも連れていくようだ。そして巽同様に何かを感じ取ったマヨイが恍惚とした表情で一彩と藍良を見ている。
「わ、私のことはお気になさらず存分にいちゃいちゃしてくださ……」
「マヨイさん?」
「……ハイ」
 しかし、巽の笑顔とトーンの低い声に窘められ、マヨイも大人しく部屋を出る支度を始めた。ああ、そういうことかと察した藍良は急に申し訳がなくなり、顔の前で両手を合わせた。それは神への祈りではなく、単純に謝罪の意だった。
「ご、ごめんねェ」
「いえいえ。食堂の席は確保しておきますから、二人はゆっくり来てくださいね」
 藍良が肩をすくめて謝ると、巽とマヨイは二人を残して部屋を出て行ってしまった。

 それから一彩が提案した通り、二人でしっかりと後片付けと戸締りをした。手際よく床にモップをかけている一彩を見て、藍良はため息をついた。
「もう、ヒロくん。先輩たちに気を遣わせたらダメだよォ」
 一彩が戸締りをかって出た理由は、藍良と少しの間だけでも二人きりになるためだった。最近、一彩はこうやって要領よく時間を作る。
「ごめん藍良。少しでも君に触れたかったから」
 床に飛んでいる汗などを軽く拭いて、一彩はモップを用具入れに戻す。自分と藍良の荷物がまとまり、あとは持ち出すだけになっているのを確認すると、藍良の方へと近づいてきた。藍良は今から何をされるのかを察して一歩退く。
「待って、おれ今汗臭いからだめ」
「構わないよ」
「ちょ、ちょっと……」
 いつもなら藍良がだめと言ったらすぐにピタリと行動を停止するくせに、「汗臭いから」という理由に納得できなかったのか、それでは止まらなかった。
 腕を引き寄せられ、そのまま一彩の胸に抱きとめられた。そのまま全身をぎゅっと力強く抱きしめられる。少し苦しいくらいの、心地よい強さに藍良は自分の力が抜けるのを感じた。
 一彩の髪から、汗のにおいと、一彩自身のにおいがした。何のにおいかは分からない。きっと藍良だけに分かる一彩の独特のかおりだ。それを鼻先で探し当てて吸い込むと安心する。
 うっかり一彩に体重を預けそうになって、藍良ははっとして足に力を入れて踏ん張った。
「ねぇ、もういいでしょ……」
「……うん」
 頷いてから一彩の腕の力が緩むまで、数秒の時間があった。名残惜しそうに離れられると藍良も照れてしまう。たったこれだけのために先輩二人を先に行かせたのだから、呆れるのと同時に嬉しくもあった。
「先輩たち待たせちゃうから、もう行こう?」
 時間や人目を気にせず触れ合えたらどんなにいいだろうと、藍良も思う。しかし時間は待ってくれないし、ESビル内は人目につかない場所のほうが少ない。
「藍良、今夜……部屋を抜け出せる?」
 レッスン室の扉を閉め、鍵を受付に返しに行く途中、一彩が隣を歩く藍良にそう呟いた。藍良はかぁっと頬を染めて俯く。こんな会話、周りに人がいたらどうするんだと思う。
「え、た、多分。ちょっとくらいなら」
「なら、談話室で会えないかな」
「うん、いいよ」
 どんどん次の約束を求めてくる一彩に、藍良も心が舞い上がるのを感じた。これまで誰かにこうしてあたたかな好意を向けられたことがあまり無かったので、一彩が自分を求めてくれて、愛してくれるのが嬉しい。
 一彩の告白を藍良が促す形で始まった関係で、一彩もまだ探り探り藍良に触れているように感じる。しかしだんだんと一彩は、藍良の扱いに遠慮がなくなってきているのだ。隙があれば触れてくるし、時間があれば会おうとする。まるでどこまでなら許されるのかを、探られているような気がする。そして藍良自身も、一彩の行動がどこまでエスカレートするのかには純粋な興味があった。





 ビル内にある社員食堂に到着すると、見渡すまでもなく巽とマヨイの姿はすぐに見つかった。広い食堂内に、人の姿はほとんど見当たらないのだ。
 一彩と藍良が、巽とマヨイの向かいの席にそれぞれ荷物を置く。
「席を確保する、と言っていましたが、必要なかったみたいですな」
 巽が、食堂内を見渡してぽかんとしている二人を見て言った。
「夕食時なのに人がいないね?」
 一彩が純粋に疑問を口にして、マヨイが巽から説明を引き継ぐ。
「どうやら大きなロケやら収録やらが重なっているようです」
「あー、そう言えば今、いろんな企画が動いてるんだよねェ」
 この中で一番アイドルの事情に詳しい藍良にも、心当たりがあるようだ。収録は同じビル内で行われているものも多いので、いつもと違う時間に食堂が混みそうではある。
 そしてこのようなときは、ALKALOIDはそういった大きな流れには、まだ乗れていないのだなあと実感する機会でもあった。先にヒットしているアイドルたちが揃って席を外している時に、自分らはのんびりと食卓を囲んでいるのだから。
 一彩と藍良はスマホを使って食事を注文し、ドリンクバーから飲み物を取ってきた。藍良はもう一度スマホを開き、今どんな撮影がビル内で行われているのかを調べる。研究熱心な藍良に、巽が関心して言う。
「俺たちも、そういう企画に呼ばれるようになりたいですな」
「おれもロケとか行ってみたァい」
「ロケ?」
 藍良がぼやくと、一彩がすかさず分からない単語を復唱した。藍良がひらひらとスマホを持つ手を揺らしながら説明する。
「外に機材を持ち出して撮影することだよォ。食レポとか見たことあるでしょ?」
「ああ、そういう企画のことか。ウム、なんとか牧場の牛は美味しそうだったね」
 一彩は、少し前に藍良と見たテレビの内容をすぐに思い出したようだ。藍良は「それがロケ」と説明を雑に締める。アイドルが牧場の仕事を体験するという、動物番組内の特別企画だったのに、一彩の印象には牛しか残っていないようだ。
「新しいグループを欲しがっている企画はありそうですし、今後は外の仕事も探してみましょうか」
 巽が言うと藍良が目を輝かせて賛成した。
「やったァ! よろしくねェ、リーダー!」
 そして、隣でチキンを頬張っている一色の背中を叩く。一彩は食べかけのそれを持ちながらウンウンとうなずいた。
「ウム、藍良がやってみたいというなら探してみるよ!」
「私は外に出るのは不安ですが、皆さんと一緒ならやってみたいですぅ」
 マヨイも賛成し、全員一致となった。仕事探しはリーダーである一彩と、四人のなかで一番経験のある巽を中心に行っている。早速その後の時間は、どんなロケをしたいか、という話で盛り上がった。



 夕食後に一度各々の部屋へ別れてから、藍良は自室で風呂を済ませ、部屋着にしているTシャツとジャージのズボンを身につけた。旧館で過ごしていたときはルームメイトは全員ALKALOIDのメンバーだったから、部屋着にお気に入りのライブTシャツを着ることができたが、今は部屋に居るメンバーはユニットがばらばらで、さらに本館では誰とすれ違うか分からないので、特定のユニットに傾倒していると思われそうな服装や振る舞いはできない。だからといってパジャマで星奏館内を歩き回るわけにはいかないので、藍良は無難な部屋着用のTシャツを購入するはめになった。
 一彩に呼び出されてはいるものの、具体的な待ち合わせ時間は聞いていない。藍良は「お風呂済ませたから談話室にいるね」と一彩にメールを打った。談話室なら誰か他の人もいるだろうし、多少待つことになっても退屈しないだろう。
 ルームメイトにはちょっと出てくるとだけ報告して藍良は談話室へ向かう。エアコンの効いた館内に、風呂上がりで体が火照っているのを自覚した。そして、なぜわざわざ一彩に送ったメールで、風呂を済ませたことを報告したのかとひとり赤面する。
 談話室では何人かがくつろいでいたが、藍良が気楽に話しかけられそうな人は残念ながらいなかった。このままアイドルたちのプライベートを眺めていてもいいのだが、どうせなら一彩を急かそう。そう考え、ポケットのスマホを探った時だった。
「藍良」
 知っている声に名前を呼ばれて振り返ると、部屋着姿の一彩が立っていた。黒いTシャツに黒いジャージのズボンという恰好だった。一彩はよく黒を着ているイメージがある。藍良ほっとして頬を緩めた。
「ヒロくん。よかった、今ちょうど早く来てって言おうとしてたんだよ」
「藍良も早く会いたかったのか? 嬉しいな」
「う、うん。もちろん」
 実は一番の理由はそれではなく、談話室にひとりで座っているのが気まずかっただけなのだが、一彩が都合良く解釈しているのをわざわざ訂正する必要もない。
 藍良は一彩に隣に座るように促したが、一彩はそこには座らない。談話室で話そうといったのは一彩ではないか、藍良がそう言おうとする前に、一彩が藍良の目の前に手を差し出した。
「ところで藍良、今日はどうやら、僕の部屋には誰も居ないみたいなんだけど」
「え?」
「藍良がいいなら来ないかい? お茶とお菓子があるんだよ」
 そういう事なら、と藍良は頷いて一彩の手をとった。
「うん行く」
 誰がいてもおかしくない談話室で話すよりは部屋のほうが落ち着けるだろう。手を繋いで歩くわけにはいかないので、ソファから立ち上がったあとはぱっと手を離した。

 一彩の案内で、寮室のひとつへと向かう。一彩が使っている部屋は、藍良の部屋と間取りは似ているが、置いてある家具が全然違った。住んでいるアイドルによって持ち込まれているものの違いが大きく出るのだろう。ドルオタとしてはかなり興味深いが、付き合っている相手を差し置いてまじまじと観察するわけにもいくまい。
「本当に誰もいなァい」
 二人きりなのを喜ぶべきなのだろうが、自分の中のドルオタの部分が、「全員在室のところにお邪魔してみたい!」と叫んでいた。
「巽先輩とマヨイ先輩が言っていたように、みんな出払っているみたいだ。兄さんの言葉を借りるなら、僕たちはツイてるってことじゃないのかな」
 一彩は備え付けの冷蔵庫からお茶を取り出す。藍良は手伝おうとしたが、一彩が座っていてと言うので、ソファに大人しく座っていた。手持ち無沙汰なので正面にあるテレビを付ける。ちょうと歌番組が放送していた。いつもは大きめの音量で観るのだけれど、今日は一彩に気を遣って音量を絞る。
 一彩がトレーに二人分のお茶とお菓子を入れて運んできた。ソファの目の前にあるローテーブルにそれを置くと藍良の目が輝く。
「マシュマロだァ」
 ガラスのボウルに、白くて丸いころころとしたものが入っている。てっぺんのものが転がり落ちそうだったので、藍良は早速その一粒をつまみ上げた。
「先輩が仕事先でもらったからと、分けてくれたんだ。藍良と食べようと思ってとっておいたんだよ」
「わァい、ありがとォ!」
 藍良はそれを口に放り込む。口に入れた瞬間に舌の上で溶けた。柔らかな食感と、ほのかな甘い香りが鼻に抜けている感じがたまらない。
「んん~、おいひい~」
 藍良が両頬に手を当てて大袈裟に喜ぶ。
 一つ目を飲み込む前に次の一粒をつまむ藍良を見て、一彩は満足そうに笑った。
「藍良は本当に美味しそうに食べるね」
「だって美味しいんだもん。これ絶対高いやつだよ~」
「今度先輩に、どこで買えるのか聞いておくよ」
「本当に美味しい~、こんな時間なのに食べ過ぎちゃいそう」
 次々にマシュマロに手がすすむ藍良は、途中で一彩が自分のことを見つめたまま黙っていることに気がついた。口をもぐもぐと動かしながら、首をかしげる。
「なァに?」
 藍良が聞くと、一彩は頬を紅潮させて笑った。
「藍良とこうして二人きりになるのが久しぶりだから、つい」
 一彩は肌が白いので照れているのがすぐに分かる。それに気づいた藍良も、つられて笑った。
「ふふ、ヒロくんって、結構甘えん坊だよねェ」
「そ、そうかな」
「そうだよォ。二人きりになるとすぐ抱きついてくるし、毎日会えるのに、次はいつ会えるか決まってないとそわそわするし」
 今日も、朝一緒に登校し、昼は教室まで迎えに来られ、放課後も真っ先に合流した。レッスン時や夕食時にも一緒にいられる時間はあるのに、こうしてまたこっそりと二人きりで会っている。
 一彩の行動は、藍良がドラマでよく見る、付き合いたてのカップルそのままだった。それに気づくと、一彩の強引な行動も笑って許してしまう。
「そうか……でも、そうかもしれないよ」
「ん?」
 一彩が妙に納得したような顔をするので藍良が怪訝な顔をした。一彩は藍良の頭上に浮かんだ疑問符に応えるかわりに、手をテレビのリモコンに伸ばして、電源のボタンを押した。歌番組の流れていた画面が消え、部屋が無音になる。
 戸惑う藍良が一彩の顔を見ると、視線を返され見つめられた。
「え、な、何ヒロくん」
 口の中に入っているマシュマロを、飲み込もうとしたときだった。
「ごめん、藍良」
「えっ、ちょっと……んっ……」
 急に一彩に肩を抱き寄せられたと思ったら、そのまま唇を塞がれていた。口での呼吸を奪われた藍良は、マシュマロの甘い香りを鼻孔に強く感じてむせそうになる。思わず口を開いた隙に、熱く濡れたものが口の中に侵入してきた。
「んっ、んぅ……っ」
 それが一彩の舌だと分かった時にはもう肩ごとしっかりと抱きしめられていて、藍良はなすすべが無い。力ではどうやっても一彩には勝てないのだ。藍良はされるがままに一彩の舌に咥内を探られた。お互いのそれが絡み、マシュマロが溶ける。
 力が抜けても、しっかりと抱き留められているので体がずり落ちることは無かった。体重も、呼吸も声もすべて一彩に奪われているような感覚だ。
「はぁっ……」
 唇が離れてまともに呼吸ができたとき、口の中に残っていたはずのマシュマロがなくなっていることに気づいた。一彩が確かに甘いね、と呟いて唇に残る残滓を舐めとる。 一彩が藍良に体重を傾けていたため、後ろに仰け反っていた藍良の姿勢が元に戻るときに、自分が完全に一彩に体を預けていたことを自覚した。
「ひ、ヒロくんが……」
 何が起こったのか、何をされたのかじわじわと実感するごとに顔が熱くなった藍良は、思わず一彩の胸に額を押し当てる。
「お、おれのマシュマロとったァ」
 それを言うのが精一杯で、藍良は顔を真っ赤に染めて俯く。いつもは藍良が泣いていないか、怒っていないかを確かめておろおろする一彩が、今日は藍良を放してくれる気は無いらしい。
「……今日、ずっと藍良とキスしたくて、たまらなかったんだ」
「ひ、ヒロくん……」
「二人きりのときじゃないとダメだから我慢していたんだけど、なかなか藍良に安心してもらえる場所がなくて」
 一彩は自分の胸で俯いている藍良の背中を撫で、そのままその小さな体を手のひらで支えるようにしながらソファに押し倒した。
「あっ……」
「藍良の言う通り、僕は甘えん坊なのかもしれない」
 大きなソファは藍良一人を寝かせるには充分な大きさで、一彩はその上に覆い被さる。
 藍良の視界は、こちらを見下ろす一彩と天井だけになった。一彩の手のひらが藍良の頬を撫でる。その時になってやっと、藍良は自分が押し倒されたのだと分かった。
「同じ部屋に居たときに、もっと触れておくんだったよ」
「もう、バカ……そういうこと、言わないで……」
 頬を撫でながら、撫でていないほうの頬に軽く何度かキスをされた。藍良がぎゅっと目を閉じると、一彩の唇が藍良の首筋に移動する。
「ね、ねえ……誰か帰ってきたらどうするの」
 自分が何をされているのかよりも、それが気になった。
 くすぐったさにピクッと反応し、藍良は声をうわずらせる。力が抜ける。マシュマロとは違った甘ったるい感覚が脳内に広がっていく。思考を奪われる前に、聞いておかなければ。
「大丈夫。人の気配があったらすぐ分かるから」
 ちゅっちゅっと音を立てて首筋や鎖骨にキスをされ、だんだんと藍良の意識が蕩けていく。このまま心地よさに身を委ねてしまいそうになった時、一彩の手のひらが藍良の脇腹を直接撫でた。
「ひゃうっ、だっ、だめ!」
 一彩の手がシャツの中に入ってきていることに気づいた藍良は、咄嗟に一彩の腕の中で身を捩って抵抗した。藍良が声を上げて初めて、一彩がはっとして顔を上げる。
「あ、藍良、ごめっ……」
 自身の身体を抱いて丸くなっている藍良から、一彩は慌てて身体を起こした。藍良も深く呼吸をしながら、両腕をつっぱるようにしてソファから身体を起こす。一彩の様子を伺うと、気まずそうに俯いていた。咄嗟に拒絶してしまった藍良は、またやってしまったと自省する。一彩の行動がいつも突然なのも悪いと言わせてもらいたいが、自分ももう少しうまく立ち回れないものかと思う。
「ご、ごめんねェ……嫌なわけじゃないんだよ? ただ、びっくりしちゃって……」
「僕こそ、ごめん……」
 藍良が一彩の肩を撫で、そのまま頭を抱き寄せて自分の肩に乗せた。そのまま一彩は小さくありがとう、と呟いて藍良の肩に甘えて大人しくなった。

 その姿勢のまま数分が過ぎて、一彩がやっと顔を上げた。肩が軽くなり一彩の体温が離れるのは少し寂しいが、その代わりにお互いの目が合う。
「藍良、これ以上はきみの優しさに甘えてしまいそうだから、この後は一人にしてもらえるかい?」
 呼んだのは僕だけど……と少し気まずそうにしている一彩を安心させるため、藍良は声が明るくなるように意識した。
「分かった。……いいの?」
 藍良の声色が明るいことに緊張を緩めた一彩は、肩をすくめて微笑んだ。
「うん。……これに懲りずに、明日も一緒に登校してもらえると嬉しいよ」
「ふふ、そんなの当然でしょォ。部活の朝練出るなら電話で起こしてね」
 時計が一周する間もなく訪れる次の約束をして、二人は立ち上がった。部屋の扉の前に立つ藍良の手を握って、一彩が名残惜しそうに言う。
「藍良……最後にもう一回、キスしてもいい?」
 これには藍良も吹き出してしまった。意識せずとも、その場の空気が和む。
「懲りないのはヒロくんのほうじゃん」
「う、耐え性が無くてすまないよ……」
 藍良はふふふ、と一通り笑ったあと、いいよ、と言って今度は自分からキスをした。少し長い、触れるだけのキス。キスの主導権を執ることに成功した藍良は、唇を放した直後、一彩の背に両腕を回してぎゅっと抱きついた。
「おやすみ、ヒロくん」
「うん、また明日。藍良」

 一彩の部屋を出て、一彩の部屋のドアが閉まると、藍良はなるべく足音を立てずにさっさと自分の部屋へと向かって歩いた。そして、自室の扉の前でそれを開くことができず、ドアの壁にもたれ、そのままずるずると座り込んだ。
「そ、そういうことなのォ……?」
 何事もなかったかのように振舞って、さわやかに「おやすみ」を伝えて部屋を出てきたものの、何かとんでもないことが起きたような気がしていた。
 思わず独り言が声に出てしまうが、幸い誰にも聞こえなかったようだ。壁が冷たい。いや、自分の身体が熱いのだ。藍良は自分のお腹を抱くように背中を丸める。一彩に触れられた脇腹に自分で触れた。その時の一彩の手のひらの感触を思い出して、シャツをぎゅっと握った。
 あのとき、咄嗟に止めていなかったらどうなっていたのだろう。考えると、かぁっと顔が熱くなるのを感じ、心臓がばくばくと鼓動を早くした。
 一彩の行動の意味を考えようとすると体温が上がる。今は、そんなことを悶々と考えるわけにはいかない。
「ヒロくんのばか……」
 何事もなかったかのような顔で部屋に入るためにも、少しでも冷静になりたい。
 藍良は、とりあえず考えることをやめた。





 藍良が部屋を出て行ってから、一彩は自分のベッドの上に仰向けに寝転び、虚空に向かってため息を吐いた。
「何をやっているんだ、僕は……」
 思わず独り言が出るが、言葉はかすかに空気を震わせただけで声にはならなかった。
 腕の中にはまだ藍良の感触が残っている。触れた肌の柔らかさ、熱、甘さを含んだ声や吐息。腕に残る藍良の体温を意識すると、それらも同時に思い起こされる。また藍良に会いたくなってしまうからと頭を振って雑念を振り払った。
 このごろ自分の様子がおかしい、と一彩は感じていた。
 藍良のことが好きで好きでたまらなくて、少しでも長く一緒にいたいのは前から変わらない。気持ちは変わらないはずなのに、最近はどうにも衝動が抑えられない時がある。

 思い返せば寮の部屋が別れてからのような気がするのだ。
 藍良に会いたい、触れたいという欲求は藍良に会うことでしか満たされないのに、会えば会うほど、触れれば触れるほどその衝動が強くなるのだ。

 大切なのに、優しくしたいのに、あの白く柔らかな肌に触れると自分が自分でなくなるような焦りを感じるのだ。
「藍良……」
 自分は、どうしたらいいのだろう。一彩は枕を抱きしめて顔を埋め、愛しい名前を何度も呼んだ。

 次、藍良に会うまでに頭を冷やさなくては。
 一彩は何も考えないようにするため、ルームメイトたちが帰ってくる前に眠った。



8/8ページ
スキ